ストーカーのプロポーズ
「俺と、結婚してください」
男は女の足元に跪いてそう囁いた。顔を上げ、真剣な瞳で彼女を見つめる。
女は男の言葉を聞くと、目を見開いて手で顔を覆い、俯いて肩を震わせる。 指の間からは涙がこぼれ落ち、反射してきらりと光った。
クリスマスの夜。誰もいない道。遠くにはイルミネーションの光。ちらつく雪が幻想的な雰囲気をかもし出す。
プロポーズにはうってつけのシチュエーションである。
今日この時、男は愛する人にプロポーズをした。
女はしばらく俯いていたが、やがて意を決したように顔を上げる。そして彼女は答えた。
「──────────」
***
これは運命だ。
俺は本気でそう思った。
別に俺は運命論者ってわけじゃない。運命だのなんだの、そんな胡散臭いものなんか信じちゃいなかった。だってそうだろ?運命なんてもんで自分の人生を決められるなんてたまったもんじゃない。
だが、今だけは信じよう。これは、運命だ。
彼女は、運命の人なのだ。
一目見て衝撃が走った。雷に打たれたような、とはよく言ったもんだ。その通り、雷に打たれたんじゃないかと思った。それくらい衝撃的だったんだ。
友人に無理やり誘われて行った合コン。そこに彼女はいた。
今時珍しい、染められていない綺麗な黒髪。黒縁の眼鏡をかけていて野暮ったい印象も受けるが、厚いレンズの奥には理知的な瞳が輝いている。
可愛いとか綺麗だとか、所謂美形というわけではなかったが、俺には他の派手な女よりずっと魅力的に思えた。
つまりは一目惚れしたのだ、彼女に。
彼女も俺と同じく無理やり連れてこられたらしい。同じ状況だということで、俺は彼女と親交を深めることができ、メアドもその日のうちに手に入れることが出来た。
それからは時間の許す限りメールを送った。どんな些細なことでも彼女と共有したかった。やり過ぎて彼女に呆れられてしまったかもしれない、と今では少し後悔している。
彼女は筆不精のようで、返信の回数は多くない。というか少ない。だから、彼女から送られてきたメールは全て保存してある。……気持ち悪いとか言うな。
そんな感じで俺と彼女は仲を深めて、恋人同士になった。
だが順調に、とは行かなかった。彼女に付きまとう男が出てきて大変だったのだ。あれがストーカーってやつなんだな、まじ怖かった。
今ではそいつもいなくなり順風満帆、なんの障害もない。
そして付き合いはじめて約一年。今日、クリスマスの夜に、俺は彼女にプロポーズをする。
この一年コツコツ貯めた金を半分ほど使って指輪を買った。サイズはもちろんぴったりだ。彼女が寝てる間にこっそり測らせてもらった。彼女の喜ぶ姿が目に浮かんで、測っている最中に思わず笑みが浮かんでしまった。
プロポーズのためにわざわざ美容院に行って髪を切ってもらった。最近伸びていたから丁度良かった。
当日の昼のデートのために下見に行った。まあ、それは彼女の仕事が忙しくてデート出来ないということで無駄になったんだが。
俺はこの日のためにやるべき事は全てやった。あとは指輪を渡せば……ちょっと緊張してきた。大丈夫、きっと彼女も俺からのプロポーズを待ってくれているはずだ。
俺と彼女は愛し合っているんだから。
俺は今、仕事帰りの彼女を待っている。この時間帯は人通りが少ないから、彼女も素直になってくれるだろう。
……来た。彼女だ。
紺のパンツスーツの上に白いコートを着ている。いつも通りの格好だ。
彼女は寒そうに俯きながら歩いている。前を見ないと危ないぞ?
「やあ」
俺は彼女に声をかける。彼女は俺の声に弾かれたように顔を上げる。いきなり来たから驚いたんだろう。
「話があるんだ。大事な話が」
「……」
「俺たちのこれからの話」
「……何を、言っているんですか?」
彼女は声を震わせて言う。寒いのだろうか。……ああ、それとも別れ話とでも勘違いしているのだろうか。そんな心配しなくても良いのに。
安心させてあげようと俺は彼女に向かって微笑んで口を開いた。
「俺は、君と一生を過ごしたい。君を愛しているんだ」
彼女の足元に跪いて、コートのポケットに入れておいた指輪の箱を取り出す。そして蓋を開けて中に入っているそれを彼女に向けて見せる。彼女の息を飲む音が聞こえた。
俺はその格好のまま、想いを告げる。
「俺と、結婚してください」
照れたのか、彼女は手で顔を覆って俯いてしまった。俺は早く返事が聞きたかったが、急かすのも悪いだろうと思って黙って待つ。
数十秒ほど経ったところで、ようやく彼女は顔を上げる。その目はなにやら決意を秘めているようで、とても綺麗だった。
俺がそれに見惚れていると、彼女はゆっくりと口を開いてこう言った。
「────────」
……はははっ。
***
そいつとは合コンで出会った。私もそいつも友人に無理やり連れてこられたということでしばらく話していた。
第一印象は「優しそうな人」だった。
私の話を面白そうに聞いてくれる人はそういないので、興味を持ったのは事実だ。
しかし、あくまでも合コンの間の暇潰しのはずだったのだ。仲良くなるつもりはなかったから、当然メアドなんて教えていない。
しかしそいつはどこで知ったのか、合コンの次の日から私にメールを送ってくるようになった。それも十、二十ではない。一日に百通以上送ってくるのだ。内容はどれも私についてだった。今日は何々をしていたね、何々だったね、その繰り返し。そいつはどこからか、私の事を見ていたのだ。気持ち悪くて迷惑メールとして設定してもメアドを変えてまた送ってくる。おぞましかった。
そいつは私の、ストーカーだ。否定の余地もない。
どうやらあいつの中では私達は恋人同士らしい。もちろんそんな事実はない。……そもそも、私には既に恋人がいるのだ。あいつのような妄想ではない、本当の恋人が。
彼も私がストーカーにあっていることは知っている。彼が直接言ってやろうか、と提案してくれたが、相手が逆上して襲ってくるかもしれないことを思うと、彼にそんな危険なことはさせられなかった。
放っておけばその内諦める。そう思っていた。
それが間違いだったと気付いたのはストーカーが始まって四ヶ月ほど経ったときのことだった。
その日、私は自宅に帰るためにいつも通りの道を歩いていた。最近は一人になるのが心細いから彼も一緒だ。
その時、あいつが現れた。
そいつに直接会うのは合コンの日以来だったが、すぐに例のあいつだと気付いた。
黒っぽい服、履き古したスニーカー、短い髪。ここまでは普通だった。しかし、その手に持っているものは普通ではなかった。
──ナイフ。しかも、かなり刃が大きい。明らかに人を殺傷できる能力を持つ代物だった。
私がそれに怯えて立ち尽くし、彼は私を守るように前に立った。
そいつはその様子を眺めて、こう言った。
「助けてあげる」
……?何を言っているんだ。何を何から助けるんだ、むしろお前が危険人物だろう。
そうやって戸惑ったのが悪かったのか、あいつは気が付いたら目の前にいた。
「、ひっ!」
喉の奥からひきつった音が鳴る。
ただただ恐ろしくて、反射的に目を瞑る。
ずぷり、と突き刺す音。ごぽっ、と何かを吐く音。ぐちゃぐちゃと掻き回す音。
目の前にいるのは、あいつで。彼はいない。どこ?
顔を下に向けると、足元に、呻く彼。血で染まって。
目の前が、赤く、────。
彼は死んだ。
あいつに刺されて死んだ。
それから半年以上が過ぎた。あいつが現れてもう一年になる。
あいつはまだ、私に付きまとっている。
警察には当然通報した。だけど、あいつは捕まらなかった。正確には、捕まったけれど釈放された。どうやらあいつの親は警察のお偉いさんらしい。精神が不安定だのと言っていたが、どうせ親のコネを使ったのだろう。そんなことがまかり通っているなんて、腐った世の中だ。
私には多額の慰謝料が支払われた。金で解決しようというその考えが、気持ち悪い。そんなものを貰っても、彼はかえらない。
彼が死んでからのこの半年以上、私はずっとあいつのことを考えていた。
どうやったらあいつに制裁を加えてやれるのか、ずっとずっと考えていた。
もう警察は信用できない。マスコミに言って叩かれても、「被疑者は情緒が不安定な状態で責任能力は無いと──」と、警察は同じ言葉を繰り返す。
最初は同情的だった家族や友人も、今では事件なんてなかったかのように日々を過ごしている。
私しか、あいつに罰を与えられない。
だったら、いっそのこと、この手で。
クリスマス。街は浮わついた雰囲気で賑わっている。その中を、無表情で歩く。事件以来、表情が薄くなったと言われるようになった。そんなことは無いと自分では思わないのだが、何回も言われるからそうなのだろう。あいつからのメールにも、「最近は笑顔が減ったね。今日は一回も笑ってない。どうしたの?なにか嫌なことでもあるの?教えてくれないか。遠慮なんてしないでいい、俺と君の仲じゃないか」などという文があった。あいつは気持ち悪いが、私に関することは私よりも詳しいと思う。本当に気持ち悪い。
私は最近、会社から帰るルートを変えた。私が帰る時間帯に人通りが少なくなる道。あいつが確実に、ここで私に声をかけるように。
それにしても寒い。手足が震える。私は思わず顔を伏せながら歩く。
と、その時。
「やあ」
その声に、弾かれたように顔を上げる。十メートルほど前方に、あいつがいる。……はは、まさかこんなに予定通りにいくなんて。
あいつは私に近付きながら続ける。
「話があるんだ。大事な話が」
ああ、そうだろうな。きっとお前は「結婚してくれ」とでも言うつもりなんだろう?
「俺たちのこれからの話」
「……何を、言っているんですか?」
笑いそうで、声が震える。ああ、愉快だ。もうすぐ、もうすぐで私は──。
あいつはにこやかに笑いかけながら、私の予想した通りの台詞を吐く。
「俺は、君と一生を過ごしたい。君を愛しているんだ。……俺と、結婚してくれないか。」
思わず、顔を覆ってしまった。だって、今からお前は──んだから。何て滑稽。
数十秒ほど経ってから、私はようやく顔を上げる。
さあ、終わらせよう。
私は持っていた鞄に気付かれないように手を入れてあるものを取り出す。そしてゆっくりと口を開いてこう言った。
「──私も、愛してるわ」
ずぷり。ぐちゃぐちゃ。
***
俺は今、幸せだ。俺は彼女を愛して、彼女も俺を愛して、夢のような生活を送っている。
彼女は仕事を辞めた。俺を一瞬たりとも離したくないと言ってきたのだ。かわいいなあ。
俺は彼女がいないと生きられない。彼女は俺の全てなのだ。逆に言えば、彼女さえいればそれで良い。だから、今の状況はとても素晴らしい。
たとえ手首から先が無かろうが、腕の関節が逆を向いていようが、足の骨を全て折られメッタ刺しにされようが、身体中に打撲痕や火傷痕があろうが、頭から血が流れようが、そんなことどうでも良いのだ。むしろこれのお陰で彼女が傍にいてくれるのだから嬉しいし、彼女がつけた傷跡ならどれもこれも愛おしい。
こんな幸せが、一生続きますように。
***
私はあいつを閉じ込めた。誰の目にも触れさせたくなかった。私だけのものにしたかったのだ。
もちろん、あいつのことは恨んでいるし、彼のことを愛している。あのときの事を思うと、今でも腸が煮えくり返る。
でも、気付いたんだ。いつの間にか、この憎悪の感情が心地よくなっていたことに。なんて言うのか……かわいさ余って憎さ百倍というだろ?その逆で、憎さ余ってかわいさ百倍というか。そんな感じだ。
気付いたときには行動に移していた。クリスマスのあの日、私はあいつをナイフで刺した。愛の言葉と一緒に。その後、気を失ったあいつを自分の家に連れ込んだ。運ぶのが大変だった。そして縛って殴って蹴って折って切って刺して抉って焼いて、私なりの愛情表現をした。最初は戸惑っていたみたいだったが、私なりのそれだと気付いたのだろう。むしろ嬉しそうにするようになった。……気持ち悪い、殺したい。でも殺したら駄目だ。いなくなってしまう。終わってしまう。それは嫌だ。我慢、我慢。
相変わらずあいつは気持ち悪いし憎らしいけど、それでも愛しい人と一緒だから幸せだ。
こんな幸せが、一生続きますように。
ありがとうございました。
自分でもあんまり決めていない設定
↓
男(ストーカー野郎)
ストーカー。彼女さえいれば他なんてどうでも良いや。彼女を助けるためなら殺人くらい何てことないさ!
女(ヤンデレ?)
ヤンデレ(仮)になってしまった人。彼のことは今でも愛してる。でもあいつのことも憎みながら愛してる。殺人は駄目だけど、監禁して半殺しにするくらいなら良いよね?
彼(殺された人)
一番不憫な人。彼女を守るために殺されたのにその彼女は殺した男を愛するという。待って、俺を忘れないで!?