第一話
「おじさん、この本いくら?値札がついてないんだけど」
俺は高校の帰り道によった古本屋に置いてあった1冊の本をカウンターで店番をしているおじさんに見せながらそう聞いた。TRPGのルールブックと思われるその本には値札が付いていなかったので、店員に聞くことにしたのだ。
「ん~・・・?バーコードがない本か。この本が何処に置いてあったかわかるか?高価なもの以外は棚毎に値段が決まっているから、本があった棚の近くの値札を教えてくれ」
そういうと本を俺に渡す。どうやら買うなら棚の値札を見て来い、買わないなら棚に戻せということなのだろう。もちろん買うつもりだったので、置いてあった棚の近くの札を確認する。その棚には書いていないが、隣の棚に210円と書かれた札が置いてあるので、この辺りはどうやら値段は210円の本のようだ。
「おじさん。210円って値札が近くにあったけど、その値段であってる?」
「近くの値札をみたんだろ?ならその値段だよ。買うなら210円だ」
ほら、と手を出してきたので、かばんから財布を取り出し中を見ると、小銭入れに210円ぴったり入っていたので手の上におじさんの手にのせる。
「まいど。袋はいるかい?」
「いや、読みながら帰るからいいよ。他にもこれと同じような本あるの?」
「ちょっとかしてみな、内容を見てみないとわからん」
はい、と本を渡しておじさんが本をパラパラと確認していく。しかしすぐに顔を上げて
「見たことないな。たぶんこれ一冊しかないと思うぞ」
おじさんはそういって俺に本を返す。他にもあったら一緒に買おうと思ったのだが、無いのならそろそろ帰るとするか。
おじさんに礼を言って店を出る。そしてすぐに本を開き、ゆっくりと読みながら家に向けて歩いていく。本を読みながら帰るといったからなのか「車に気をつけろよ~」と親が出かける子供に言うような言葉をもらってしまった。
「お~い、キョウスケ。また本読みながら帰ってるの?」
しばらく歩くと後ろから声をかけられたので後ろを向くと、そこにはポニーテールの女子高生がいた。彼女の名前は鳩羽智香。所謂幼馴染というやつで、なぜか小中高と同じ学校の同じクラスなのである。中学校に入るまでは気にしなかったのだが、さすがに思春期を迎えた中学二年生の時に一度わずらわしく思い距離を置いたこともあった。だが離れてみるとそれはそれで違和感のようなものを感じてしまい、彼女が女らしい性格ではなかったこともあり、男友達のような付き合いをずっと続けている。
「よう、どうかしたかトモカ」
「どうかしたか、じゃないでしょ。また本読みながら歩いてるんだもの、危ないから注意しようと思って声をかけたのよ」
「それはどうも。だけどこっから家まで、車も自転車も端を歩いてれば向こうが避けてくれるだろ?ならわざわざ俺が注意する必要なくないか?」
「避けてくれる人じゃなかったら轢かれるってことじゃない、それ・・・」
「そしたら前方不注意でそいつが捕まるだけだ」
「いや、あんたも悪いことになるからね?」
「そうなの?」
「ちゃんと前を見て歩いてたわけじゃないんだから、当たり前でしょ・・・」
はぁ・・・。とため息を吐かれてしまった。仕方がないので本をかばんに入れてトモカと話しながら帰ることにする。彼女の家は自分の家のはす向かいにあるので、彼女に予定が何も無ければ一緒に帰ることになるだろうから、本をよむ暇が無いという理由で仕舞ったのであって、彼女の言うことを聞いたわけではない。と誰にとも無く心の中でつぶやく。
「そういえば、何読んでたの?教科書じゃないんでしょ?」
本を仕舞った俺にトモカがそう尋ねてきた。
「教科書じゃないって決め付けるなよ・・・」
ひどい決め付けの発言に俺はそう答えるも
「じゃあ、今までに教科書を読みながら帰ったことは?」
「ない」
「じゃあ、今回も教科書じゃないんでしょ。はい、証言いただきました~」
そういって俺にニヤニヤとした笑みを向けてくるトモカ。これが所謂誘導尋問というやつだろうか・・・
「まぁまぁ、そう落ち込まないでさ、早くはいちゃいなよ。大判だったし新しいルルブかなにか?」
その目は新しいおもちゃを前にした子供のそれだった。はっきりいって無視すると面倒くさいことになりそうなのは目に見えているので、俺は仕舞った本を再び取り出しながら彼女の問いに答える。
「新しいルールブックだよ。古本屋にあったから、システム自体は古いものかもしれないけどな。ただどんな内容かまだ詳しくは見てないから、メンバーを集めるのはまだ先になるぞ」
「お~・・・新しいシステムか!それは楽しみだな。またキョウスケがGMをやることになるのかな?」
「お前ができるなら、任せてもいいんだが?」
そういった瞬間、彼女の顔が少しゆがむ。まぁそれも仕方ないだろう。以前GMを任せたときにやったシナリオはルールブックに載っていたサンプルシナリオそのままだったのだが、俺や他のメンバーでバラバラに行動したために彼女の仕事が増えてしまい、処理に時間がかかってしまった上にアドリブを大量に要求されてしまったのだ。シナリオの終了予定がルールブックには3時間と書かれていたのだが、オフセッションで8時間以上という大規模な物になってしまったのだ。
なので彼女的にはGMの仕事はなるべくしたくないのだろう。それにこれは俺が見つけてきたルールブックなので、一発目はまず自分がGMをやるつもりだった。それにざっと見ただけで買った本なので、面白くなさそうならセッション自体行わずにこの本は俺の部屋の本棚に封印されることだろう。
取り出した本をトモカの方に出しているのだが、彼女が受け取ってくれない。たぶん受け取ったらGMをさせられると思っているのだろう。なので
「一発目のGMは俺がやろうと思っていたから気にしなくてもいいぞ?」
そういってトモカの方にちょっと本を動かす。すると彼女はその本を受け取って歩きながらパラパラと中身を確認していく。
・・・おかしいなぁ、さっき俺に注意したはずの彼女が今は本を読みながら歩いているぞ?
そんなことを考えながら、彼女が物にぶつかったりしない様に壁側を歩く。本当は道路側を歩いた方がいいのだろうが、そうすると電信柱に彼女がぶつかりかねないので、車や自転車が来たときは服を引っ張ってやろうと思う。
しばらく本の中身を確認していたトモカだったが、5分ほどで顔を上げて本を俺のほうに出してくるので受け取る。中身を確認したその顔は何か不満があります。と語っているようだった。
「このシステム、今までのやつとまったく違うのだけど・・・。1から全員で確認していくとすぐには始められないんじゃないの?」
「詳しくまだ読んでなかったからわからないんだけど、そんなに違った?」
「えぇ。一番の違いは職業がないみたいなのよ。ざっと見ただけだけど、どこにも見ても書かれていなかったもの。職業の代わりに基本的に買い物で特技が決まるみたいだから、誰でもサポート役になれるし攻撃もできるみたい」
「へぇ、じゃあ最後のほうは同じようなキャラクターばかりになりそうだな。まぁそこはやっていくうちにこっちで修正を入れていくから、気にしなくていいんじゃないか?」
「それもそうね、それじゃあシナリオができるの楽しみにしてるから」
どうやら、話しているうちに家の前まで来ていたようだ。「また明日」とトモカと分かれて自分の家に入っていく。どうやら家には誰もいないようで鍵がかかっていた。かばんから鍵を取り出して鍵を開け「ただいま」といってから家の中へと入っていく。
リビングにあるテーブルには両親からと思われる手紙が、その横には料理が置いてあった。手紙には『会社の付き合いで2人とも遅くなるからご飯は自分の好きなタイミングで食べてくれ』と書かれていたのでさっそく食べてしまう。
両親が共働きをしているのでこういう食事は珍しくはなかったから、むしろこの後ゆっくり買ってきた本を読むことができるのでありがたいとすら思ってしまう。
食事を終えた俺は自分の部屋へと入り、かばんの中身を出して明日の用意をする。それが終わってからは買ってきたルールブックを読んでいく。新しいシステムがどういったものなのかが気になっていたのだ。
ルールブックを読みながら、書かれていた内容を簡単にまとめていく。システムを覚えてしまうよりも、書き出してしまったほうが後で確認するときも簡単だからだ。まず、キャラクターに関係するものを抜き出していく。
・キャラクターのステータスは『体力』『魔力』『筋力』『防御』『敏捷』『器用』の6つの数字に分かれている
・これらの数値を6面ダイスを2つずつ振って決めていく。
・『体力』とは、そのキャラクターの命の数値。『体力』の数値は攻撃を受けるたびに数字が減少していく。0になれば死んでしまう。『体力』の数値を回復するためには、アイテムを使うか眠る必要がある。
・『魔力』とは、そのキャラクターの持つ『魔符』を作るための力の数値。『魔道書』を用意し『魔力』の数値と素材となる道具を減らすことで、『魔符』とよばれる魔法のような現象を起こす札を作る事ができるらしい。『魔力』の数値は『体力』と同じ方法で回復できる。
・『魔符』とは、このゲームの魔法の位置のようだ。『魔符』を作るには魔物を倒したときに出るアイテムを素材に使う必要がある。道具屋にも素材は置いてあるので購入もできるがかなり高い。
・『魔道書』とは、魔物の素材を集めて作った本のこと。道具屋で購入もできるが素材よりもさらに高価。『魔道書』によって作ることのできる『魔符』の種類が決まっている。基本的にパーティに1つあれば共有可能なようだ。
・『魔符』を作るためには、そのキャラクターの『魔力』と素材と大本となる『魔道書』が必要。
・『筋力』とは、そのキャラクターが所持できる道具の量を決める数値。剣などの攻撃力にも関わってくる。『筋力』の数値が足りないと装備できない道具もある。
・『防御』とは、キャラクターの『体力』の減少量を減らすことができる数値。鎧などを装備することで増えていく。
・『敏捷』とは、キャラクターの回避力と行動順を決めるための数値。高ければ高いほどいい。
・『器用』とは、キャラクターの命中力を決めるための数値。これも高ければ高いほどいい。
・攻撃の命中や回避、ダメージなどは6面ダイス2個とキャラクターの数値を足して決めていく。
・シナリオが終われば成長の機会がある。6面ダイスを1つ振り、その目によってどのステータスが増えるか決まっている。『体力』が1で『器用』が6の出目だ。
どうやらキャラクターの作り方はよくあるシステムのようだ。ただし、魔力と魔符のシステムは今までやった物にはなかったので、この2つは要注意だと思う。特に魔符の数次第では簡単になりすぎてボス戦闘なんて無くなってしまうかもしれないし、逆に詰んでしまうかもしれない。
これはテストプレイが必要かなぁ・・・。魔物の設定や魔符の情報も載っているので簡単なシナリオを作ればテストできるかもしれない。世界観はまだ確認していないが、まずはキャラクターの動きを確認しておこうかな。
気づいたらすでに22時を回っていた。キャラクターを動かす簡単な戦闘だけのつもりが、いろいろと考えているうちにキャラクターの成長までやってしまっていた。両親はまだ帰ってきていないようだが、風呂に入って寝る準備までしてしまうべきだろう。
そうと決まれば一度キャラクターシートやルールブックは机の上に置いて風呂に入る準備をしてしまう。ちょうどいい区切りになったので、風呂上りには世界観の設定を見てその後眠ろう。
風呂に入っていると両親が帰ってきたので、風呂上りに少し挨拶をしてすぐに部屋に戻る。あんまり長く話していると寝るのが遅くなってしまうからだ。
戻ってきた俺はさっそく机の上に置いてあったルールブックを手に取り、世界観について書かれている部分だけを飛ばし読みしていく。
その世界の名前はパンダーラ
その世界は動物が自由に暮らす世界だった
ある日、パンダーラに9つの星が落ちた
その日より世界には人間と魔物とよばれるモノ達が姿を見せ始めた
それぞれに住む地域が違う彼らは
自分達の縄張りに入ってこない限り争うことはなかった
しかし妖精とよばれる小人たちは1つの場所に留まることもなく
他の生き物の縄張りへと幾たびも入っていった
これに困った人間は自分たち以外の魔物を倒し
世界を人間と動物だけの安全な世界にしようと考えたのだ
大体の設定をよんでしまえばパンダーラという世界を魔物を倒しながら旅をする物語のようだ。最終的に人間が魔物を倒してしまうことが目的になるのかもしれない。ただ、TRPGならではの設定から離れたシナリオを作れば終わり方は自由自在、逆に人間がいなくなる可能性もあるし、魔物との共存だってできるかもしれない。
基本的な設定はあまりかかれていない上に、サンプルシナリオも書かれていなかったので、これ以上はルールブックを参考にするよりも、オリジナルのシナリオを自分で考えるべきだろう。
ただし、それでいいのかこのゲームブック・・・
そう思ったがそこは無視することにした俺は、さっそくシナリオの概要を作っていく。しばらくは書いては消して、再び同じ内容を書いたり書き足したり、とシナリオ作りをしていたのだが、さすがに深夜まで起きていたので、寝る前の親にさっさと寝るように言われてしまった。これ以上起きていると、明日何を言われるかわからないので寝ることにする。その前に今日書いた物は全てルールブックに挟んでおく。親に片付けと称して捨てられでもしたらたまらないからだ。
そんなことを考えながら、俺は全ての紙をルールブックに挟み込み、ベッドへと向かった。布団にもぐりこんだときに「・・・た」何か聞こえたような気もしたが、ベッドにはいった俺は眠気に抗えず、瞼が下りてきてそのまま眠りについた。
「・・・・・・ここは?」
目が覚めた俺はその光景に疑問しか出てこない。というか目が覚めたわけではなく、明晰夢の可能性がある。見るのは初めてだが、明らかにここは俺の部屋ではないので夢なのだと思う。というかだ、俺は真っ暗な部屋とよんでいいのかもわからない空間にいるなんて状態が夢以外で起こるはずがないし、起こって欲しくも無い。床の部分は何か硬いものでできているようだが、石のような冷たさを感じない事が余計に現実感をなくしてしまっている。
「誰もいない・・・夢ならもっと楽しい夢をみろよな俺・・・」
そうぼやいてみても、誰も返事を返すはずがない・・・・そう思っていたのだが
「楽しい夢では、ないかも知れないですが・・・誰もいないわけではないのですよ?」
と声が聞こえたことで、俺以外の誰かがいることがわかった。
「どこにいるんだ?何も見えないんだが」
誰かがいることがわかっただけで、その相手がどこにいるのか、どんな姿をしているのかさっぱりわからない。唯一わかることは、それが女性であるということぐらいだけだ。
「すみませんが、今はまだ姿を見せることができないのです」
「姿を見せることができない?」
「はい。そのような状態で申し訳ないのですが、1つお願いを聞いてくださらないでしょうか?」
「お願い?その内容にもよるけど・・・」
そう答えながら俺は考える。もしかしたら夢じゃないのかもしれないと。しかし相手の答えによって夢だと確信した。してしまった
「そう・・・ですね、わかりました。お願いというのはですね、あなたが持っていた本、あれをパンダーラの王都ラクティールの神殿までは持ってきてもらいたいのです」
パンダーラ。つまり、先ほどよんでいたルールブックの世界にもってこいというのだ。これはきっと俺が寝る前までシナリオについて考えていたことで、記憶の整理とやらで夢を見てしまったのだろう。
そうとわかれば願い事を聞いたほうがこの真っ暗な場所から別の場所に、例えば町中などに移れるかもしれない、そう考えた俺は
「わかった。その本ってのが何を指しているのかわからないけど、そのラクティールとかいう場所に、俺が持ってる本を持っていくだけでいいなら持って行くよ」
「ありがとうございます・・・」
その声はどこか明るく、しかし何処か暗さのある声だった。
「それでは・・・・・・」
何か他にも言っていたようだが、その声を最後に俺の視界は暗転していった。
目蓋の向こうに光を感じる。どうやら朝になったみたいだ。夜中にカーテンは閉めていたと思ったのだが、光が入ってきているところ閉めていなかったのだろう。
「あ”ぁ~。変な夢をみたなぁ・・・・・・は?」
まだうまく目が開けられないので、目を軽くこすりながら体を起こす。ついでに頭を後ろに下げて伸びをする。目が覚めた俺が見たのは見慣れた自分の部屋の天井ではなく、どこまでも続く澄んだ青色の空だった。
外で寝た覚えなんてない。昨日は夜遅くまで新しいシナリオを考えたり、キャラクターシートをいじったりしていたのだから間違いない。
そもそも俺が住んでいる自宅は一軒家だが周りに何も家がないわけではないので、例え(何か理由があって)ベランダで眠ったとしても、自分の上に青空だけが広がるなんてことにはならないはずだ。
「・・・ここは何処だ?」
周囲を確認してみる。その時に肩に何かが当たったような違和感があったがのだが、そんな事は気にならないぐらいの衝撃が同時に起こった。
俺が眠っていたのはいつも使っているふかふかのベッドの上ではなく、青々とした野草のベッドの上だったのだ。俺が寝ていた周辺に見えるのも草、草、草。一面の草原の緑と遠くに見える青と交わる辺りにある白色。
自分の周りに起きたあまりの変化に頭を抑えようと右腕を上げようとした。そのときに初めて気がついたのだが、俺の腕に当たっていたのは毛布ではなく、何かの動物の皮でできた肩の上から膝下まである茶色のマントだった。そのマントは俺の左肩の辺りに留め金があるらしくその辺りだけ2重に重なっている。
右腕を上げてもマントから腕は出てこなかったので左腕を動かしてみる。左側はマントの間から腕が出るようになっていた。そこから見える袖は俺の持っていたTシャツの物ではなく、少し固めの麻のような灰色の布地でできた袖が見える。ゆったりとした服だが袖口を紐で絞っているので動き辛くはない。多少の身長や体格が違っても着ることができるように作られているようだった。
マントの前の部分を右腕で押し上げて前面をあけてみる。模様など何もない簡素な服と同じような生地でできた小麦色のズボン。衣服の口の部分はすべて紐で絞るようになっているので多少ぶかぶかでも気にはならない。
そしてマントで気づかなかったのだが、肩がけの革紐の先に大きな画板のようなサイズの1冊の本が俺の左手の辺りに転がっていた。
「・・・ははは。まさか夢の中で言ってた本ってこれか・・・?なら本を持ってきて欲しいっていう話は夢じゃなくて、神様か悪魔かわからないが俺に頼んできたってことか?・・・・・・なら初めからその町まで送っていけよなあ!」
心の中にもやもやとしたモノを地面にぶつけたおかげか、少しだけだけど気分がすっきりした。
もしかしたら夢かもしれない。そんな淡い願いは、そのぶつけた拳に感じた痛みでなくなってしまった。これからどうするか。家に帰ることができるのか。そして、俺は1人で生きていけるのか。俺の中に疑問はどんどん生まれてくる。しかし何もわからない・・・誰も教えてはくれはしない・・・
「どうしろってんだよ、これからさぁ・・・・・・」
背中から地面に倒れる。見上げた空はいまだに澄んだ青色で、太陽が白く輝いていた。そんな空を眺めていると再び心が荒んでくる。左手が硬いものに触れたので何気なく持ち上げてみる。
意外と重かったが顔の前まで持ってくると、それが先ほどみた画板ほどの大きな本である事がわかった。
「・・・そういえば、これの中身を確認していなかったな」
体を再び起こして本を両手に持ってよく観察してみる。表紙も裏表紙も何も書かれていない。表紙は硬い茶色で、木でできているような雰囲気がある。背表紙にも何も書かれていないが、こちらは少しやわらかい素材でできていた。
革紐は背表紙と紙の間の隙間に通されているのだが、上下左右がわからないので、どちらから見ていけばいいのか見た目ではわからない。
とりあえずは、本を前に持ってきたときに紐が捩れないようにする。そのとき背表紙が左に来るようにして開いてみた。するとそこには年齢や名前など細部が違うが、昨日書いたキャラクターシートの内容とほぼ同じ内容が書かれていた。
Name:キョウスケ Age:16 Sex:M 体力:15 魔力:10 筋力:8 防御:10 敏捷:10 器用:12
テストプレイで成長した分まで反映されたものがそこには書かれていた。この本の所有者の名前とかそういった物なのかもしれない。後ろの数値は、体力ばかりが多く成長したのは出目が悪かったわけではないと信じたいと思っていたのでよく覚えている。
しかし、このまま頼まれたラクティールとか言う場所にある神殿に持っていったときに、名前が書かれてるから受け取れません。なんてことにはならないのだろうか・・・
ためしに消えないか文字をこすってみたのだが特に滲んだりはしなかった。触った感触がなかったのでもしかしたら筆で書いているのかもしれないと思ったのだが、滲んだりしないところをみるとインクがついているわけではないのかもしれない。
紙を捲って次をみてみる。そこには左側に何か札が入りそうな細長いポケットが用意されていて、その上にカタカナで文字が書かれている。さらにそれらの右隣には大きなポケットがある。
文字を見てみると、そこには『トーチ』と書かれていた。1ページにこの3つで1セットになってずっと続いている。ただし文字だけはページによって違い、『ファイアボール』や『ファイアピラー』、『アクアボール』などなんとなく人に向けてはいけないような雰囲気のある名前があったり、『ヒーリング』や『ライト』などのあると便利そうな雰囲気の名前も書かれていた。
「これは、もしかして魔道書なのか?」
説明書を読めば、なんとなくで使い方がわかってしまうのがゲーマーというものだろう。この本の形があのルールブックの設定に書いてあった魔道書だとするのなら、魔物を倒してこのポケットのどちらかに手に入れた素材を入れてしまえば後は魔力を消費することで魔符が出来上がるのではないだろうか。
問題があるとすれば、それがどちらのポケットなのかということと、どの魔符を作るのにどんな魔物の素材が必要なのかがわからないことだろう。ただし、今の俺が魔物を倒せるなんて思ってもいないので、この本のことは無視してもよさそうだとは思うが。
パラパラと最後までめくっていっていると、俺は違和感を覚えたので数ページ戻してみる。そこには『ウィンドスピア』と書かれた文字の下のポケットから緑色の札が出ているのが見える。
「そういえば、テストプレイのときに適当に魔道書を作り出して、魔符の作り方やらそれを使った戦闘やらを試していたな・・・。もしかしてあのときの持ち物が全部ここにあるのかも知れないな」
キャラクターシートに書いたであろう内容を思い出しながら、テストプレイの時に作った魔符を探す。どうやらこの本は系統ごとに分かれているようで、火・水・風・土の4属性、回復や強化の光、状態異常や弱化の闇の6つの分類で分けられていた。
テストプレイのときは風系統の魔道書を手に入れるシナリオをして、その中にある素材が簡単に手に入る(弱い魔物の素材で作れる)魔符を1つにつき2~3枚の魔符を3種類作ったはずだ。
10ページほど確認した結果、『ウィンドカッター』が3枚、『ウィンドスピア』が1枚、『ストーム』が2枚それぞれのポケットに入っていた。
テストプレイの時には、『ウィンドカッター』よりもさらに弱い『ウィンドハンマー』を使っていたのだが、はっきり言って初期に出すようなレベルの低いボス敵よりも魔符が強すぎて、ボス戦も『ウィンドハンマー』3枚だけで戦えてしまったという、ゲームバランスのためにいろいろと弱化させないといけないかも知れないと悩んだ事も思い出してしまう。
「・・・もしかして、これカッターを魔物に使ったらそれだけで大抵の魔物は倒せるんじゃね?」
声に出してつぶやいていたことに気がつかないほどに、俺は動揺していた。なぜならこの世界では、そんな魔法が溢れ返っているかもしれないのだ。ラクティールにある神殿とやらに行く前に、ちょっとした町中で起きたごたごたで誰かが使った魔法に当たってしまい即死しましたなんて洒落にならない。
でも逆に考えれば、魔法を使うには魔符が必要であり。その魔符を作るためには魔物を倒さなければいけないのだから、そうそう魔法が飛んでくることはないかもしれない。魔符が溢れ返っている状況ということは、魔物もそれだけ大量にいるかもしれないからだ。そんな状況でわざわざ人間相手に魔符を使うよりも、護身のために持っておいたほうが安全だろう。
ただそうだった場合は、今現在の俺の状況はものすごく危険なわけだけど・・・
これまで考えた事を意識的に考えないようにする。それよりも、今度は俺が持っていた魔道書に疑問を持つ。確かに持っていた魔符はそのままだったのだが、俺がテストプレイのときに用意した風系統のみの魔道書は何処へ行ってしまったのだろうか?
起きてから俺が肩にかけていた魔道書はどう見ても風以外の系統も作ることができる。はっきり言ってゲーム的には伝説の魔道書といったほうがいい感じがするモノだ。
俺が持っているであろう魔道書を探すには座ったままではよくわからないので、立ち上がって体中を両手で触って確認していく。右側の腰の辺りになにやら硬い物がある。マントを除けて確認してみると巾着袋のような小さな白い布の袋がそこにはあった。
口の部分を絞る赤い紐がそのままズボンの腰紐につながっているようなので、それを解いて袋の中身を確認してみる。
中に入っていたのは、手のひらサイズの小さな冊子と赤い液体の入ったビンが3本。それと刃渡り100ミリほどの刃をもつ鞘付きのナイフ。
この袋はどうやら道具袋のようで、中に入っていたのはテストプレイのときの持ち物の傷薬というやつと武器にしていたナイフだろう。冊子の方はわからないので開いてみる。そこには『ウィンドハンマー』と書かれたページとポケットが
「この小さい10センチぐらいの本が魔道書か?じゃあ俺が持ってたでかい方の魔道書は・・・」
そこで俺は思い出した。確かルールブックにはすべての魔符について載っていたという事を。そうなると、この大きい方はあのルールブックが魔道書に変化した姿なのかもしれないと思えてくる。
「なんて・・・突拍子もない話だよな」
はぁ・・・。とため息が出てくる。それに現状できることは全てやってしまった。疑問ばかりが増えてしまって、何も解決されてはいないのが悲しいところだ。それでも、いつまでもここに留まっているわけにはいかない。
なぜならば、俺は荷物の中に食料を持っていなかったからだ。飲み水もない。在るのは訳のわからない魔道書が1冊と魔符3種が合計6枚。それと小さな魔道書が1冊に塗るのか飲むのかわからない傷薬が3つ。
刃物はあったが動物をこれ1本で殺せるほど俺が強いとも思えないし、万が一殺せたとしても動物の解体なんてやり方がわからない。
つまりは誰か他のヒトに助けを求めるか町を探すしかない。
見つけたヒトがいい人であるとは限らないので、できれば人がたくさんいる町の方が見つかってくれたら・・・そう思いながら俺は立ち上がって、そのときに向いていた方向へとそのまま歩き出す。
「この感触は、どうにかならんもんかねぇ・・・」
しばらく歩いていたのだが、どうしても靴の感触に慣れなくて立ち止まる。靴底が硬くもなければ厚くもないので、土の上の小石を靴のまま踏んでいると足裏が微妙に刺激されてしまう。その感覚が慣れなくて、とても歩きにくいのだ。
それ以外には何も問題がないだけに、この感触に慣れてしまえればとても歩きやすいのだろう。気がつけば太陽が自分の真上を通り過ぎていたのだから、2時間ぐらいは歩いていたのだと思うのだが、足はぜんぜん疲れていないのだ。
「ぼやいていても仕方ないか」
そう思うことにして少しの休憩を終えて再び歩き出す。目印になるようなものがないのでまっすぐ歩けている自信はあまりないのだが、ただ前を見て歩き続ける。
誰も見つからなかったらどうしようか。そんなことが頭によぎったりもしたが、視界に変化が起きるとそんなネガティブな考えもなくなっていった。前方の明るい緑の中に濃い緑が混じって見えてきたのだ。
さらに歩き続ければその緑の下に茶色い部分もあることがわかった。
「あれは森か?」
さらに、見えていた木が大きく見えるほどに近づけば、そこが鬱蒼と茂る森であること、そして森の右側から明らかに草が生えずに地面が見える細長い道ができているのがわかる。それは一度こちらへ向かってからさらに右へと曲がり、ずっと地平線の先まで伸びているように見えた。
「あの道をたどって町に出るまで歩くか、それとも今見えている森に入ってみるか・・・」
まずは現状の確認をすることにする。まず一つ目、持ち物というか装備の確認。これは魔符が合計6枚もあるので魔物に襲われても不意打ちでなければ多少は大丈夫だろう。
二つ目、どちらがより人に早く合えそうか。これは森の中だろう。地平線の向こうまで伸びている、先の見えない道を延々と歩いても数時間で人がいる町までつくことができるとは思えないからだ。逆に考えれば、この森の木々を伐採する樵のような人たちの住む場所が森の中にある可能性が高いということだといえる。それに森の中ならば、そこを狩場にする猟師がいるかもしれないのですぐに人に会える可能性もある。それら以外にも、道ができているということは中継地点として最低限、森の中に村や小屋があるはずだ。
ここまで考えて、どうやら森の中に行くべきだろうと結論をつける。全部勝手な想像でしかないが、納得できる物ならそれが想像でも妄想でもかまわない。しかし1歩踏み出したところで俺は再び荷物を確認することになる。先ほど見た中で持っているべき、もしくは持っていないと不味い物が見つからなかった気がしたからだ。
道具袋の中、ポケット、魔道書の間など何か物が入りそうな場所は隈なく探してみた。しかし見つからない。現代社会で一番必要なもの、そうお金の類が何もないのだ。
「まずい、まずいまずい・・・。こういうのって大体人が住んでいる場所に行くためにはお金が必要なんじゃないのか?!そして俺は今現在一文無し。宿泊所のような場所に止まるにもお金が必要な可能性が高いし、食料を手に入れるには絶対に必要になるだろ。それなのに、何で俺はお金を持っていないんだよぉ!」
10分はその場でくるくると、自分の体を両手で確認しながらお金がどこかに隠れてはいないかと探しまわる。・・・しかし何も見つからなかった。さすがに回っていたせいで気持ち悪くなったので、一旦落ち着くためにも探すのを中止して深呼吸。
「・・・これだけ探しても見つからないって事は、1円も持ってないんだろうな」
今日何度目かわからないが、ため息が漏れてしまう。変な場所で寝ていたことよりも、お使いの場所がわからないことよりも、お金を持たせずにこんな場所に送り込まれたことが一番精神的にくるものがある。
「これから俺は、どうやって生活していけばいいんだよ・・・」
そんな誰も答えてはくれないだろう疑問が出てくるのだが、周りには俺以外に、人は誰もいないので答えが返ってはこなかった。
考えていても仕方がないことは放置することにして見えている道まで歩くことにする。放置している案件が時間がたつごとに増えている気がするが、気のせいだと思って忘れることにする。
森の手前までくると、地面を踏み固めただけの道が森の中へと続いているのが見える。途中で曲がっているようで、先は見えないのだがこちらを進むと決めていたので迷わず森の中へ。
「これは・・・失敗したかなぁ」
森に入って数分でそう思わずにはいられなかった。なぜなら周りから鳥の鳴き声や、木々を揺らす音が聞こえるのだがその姿はまったく見えないのだ。
はっきり言って怖い。鬱蒼と茂る木々が太陽の光をさえぎっているので道が暗いこともあって、お化け屋敷などとは違った怖さがここにはあるのだ。
それでも引き返して延々と草原の中の道を歩くよりは楽なはず。そう言い聞かせることで俺はゆっくりとだが前へと進んでいく。歩みは遅いが、それでも森の中に入ってかなり歩いているのだが、木々が左右どちらも鬱蒼と茂っているので進んでいる気がしない。
「さっきから風景が変わらない場所ばっかり歩いてる気がするな・・・。それに歩きっぱなしでさすがに足に疲れが溜まってきたし。てか独り言も増えてないか、俺?」
ガサッ
目が覚めてから何時間歩いたのかわからないのだが、そろそろ休憩しようかと考えていたときに、左の木々の向こう側から、落ち葉などをを踏みしめた時のような足音がしたのだ。
今までは、鳥の鳴き声や風が木を揺らす音などの高い位置から物音は聞こえたりしていたのだが、地面を踏みしめるような音は、森に入ってから初めてだ。
これが人間ならば幸運だといえるのだが。人間以外の動物、特に人を襲うようなものが出てきた場合はどうするか。
今はまだ音を出した相手は見えない。
準備をするなら今のうちだ
そう考えた俺は、急いで大きい方の魔道書のページをパラパラと捲り『ウィンドカッター』の魔符を1枚取り出す。そして足を止めて音がしたほうをじっと見つめる。何分か、それとも何秒だったのか。緊張しすぎてどれくらいたったのかわからないが、ついに足音の主が姿を見せる。
ごくり。つばを飲みこんだ俺が見たのは、赤い硬そうな体毛に鋭い爪を持った1匹の熊だった。
四つん這いの状態で姿を見せた熊は、俺の姿を確認するとゆっくりと、その上半身を持ち上げてこちらに向けて両手を広げて威嚇をしてきた。
その叫び声に、『ウィンドカッター』を使えば大丈夫だと思っていた俺の頭の中が真っ白になる。
そんな俺に対して熊は勢いよく上半身を倒してそのまま後ろ足を蹴りだす。再び4本の足で勢いよくこちらに走ってくる。
その様子を俺はただ呆然と見ていることしかできなかった。手に持った魔符を使えば助かるかもしれない、叫び声を聞いてから働かなかった頭が、やっとそう考え始める。しかし思っていても体が動かない。喉はからからになり声も出てこない。
そして、熊が俺とぶつかる直前に、目蓋を閉じて俺は衝撃に備える。
今まで動かなかった体が、その時だけはすぐに言うとおりに動いたのだ。
しかし、そんなことをしても意味がないということを俺の頭は理解していた。
ドンッっと大きな音が1つ俺の耳に届く。
だがいつまでたってもくるはずの衝撃がこない。
俺が恐る恐る目を開けると、俺の目の前にあったのは赤い毛皮ではなくて黒くて長い綺麗な髪だった。よくみると俺の前に立っている女性の髪の毛のようだ。
その女性のさらに向こう側に地面に倒れた赤い体毛の熊が1匹いた。
森の中からさらに3人の女性がこちらに向かって走ってくる。その3人に俺の目の前の女性が手を振った後、黒髪の女性がこちらに振り向き
「あなた、死にたいの?」
そう女性は問いかけてきたのだ。
その女性は手に熊の血で汚れた1メートルほどの長さの幅の広い両手剣を持ち、彼女の顔も熊の血で汚れているのに、俺にはその姿がとても美しく見えた。そして、考えのまとまらない俺は、なんとなく幼馴染のトモカの声に似ていたな。なんて思いながら意識を手放してしまった。