不安を抱えても
真夜中。ふと目が覚めたユイル。原因はちょっとばかり異変を感じたから。起き上がってみれば案の定だ。
(ユフィがいない・・・)
場所を挟んで少し遠くにユフィの蒲団があった。そこにはとても綺麗に整えられた蒲団があるだけで、ユフィの姿は見当たらなかった。
(どこいったんだ・・・?こんな真夜中なのに)
隣で寝ているウィオールは起きる気配が無い。
「・・・言っておくけど、悪いのはお前だ」
ウィオールに対し、小さくそうつぶやいてユイルは立ち上がった。近くにおいておいた自分の上着を持って。
エウリーサの家のドアをそっと開けたとき、少しだけ安堵の息を漏らした。自分の視界の先にユフィがいたから。階段を降りきったすぐ下で、星を眺めていた。無数の光に照らされた
照らされたユフィは、どこと無く悲しげだった。ユイルはそっと近寄った。
ユフィはユイルに気がつかないまま、そっと息を吐いた。ちょっとだけ冷えた空気が自分の中に入り込んでくるのがわかった。少しだけ上着を着てこなかったことを後悔したが、戻る気はしなかった。そんな事を考えていると、もう1度ため息が出た。すると―――。
「どうしたんだ?ため息ばっかりついて」
「え―――?」
そう聞き返した瞬間、背中にふわりと暖かいものが触れた。それが誰のものか、なんであるか・・・すぐにわかった。
「ユイル・・・」
背後から現れたユイルは自分の上着をユフィの肩にそっとかけ、にっこりと微笑んだ。
「どうした?ユフィ。こんな時間に、勝手に外へ出ると危ないぞ」
「・・・うん。ごめん・・・ちょっとね」
ユフィは小さくはにかんだ。が、その笑顔が無理をしていることは明白だった。
「いいんだよ?ユフィ。無理に笑わないで。笑いたくないなら、そのままで構わないんだ」
「・・・よく、わかるね?」
今度表情に携えたのは微笑だった。さっきと同じように、儚げで寂しげな―――。
「ユフィ・・・?」
「・・・今日は、星が綺麗なの。いつになくね」
ユフィは何事も無かったかの用に空を見上げた。まるで、知られたくないものを隠すかのようにして―――。
「すごいでしょう?ここまで星が広がるのって珍しいの。ウィオールやユイルが来たからかな?」
「そうだといいけどな。・・・で、ユフィ?さっきから何隠してるの?」
ユイルの指摘にぐっと黙るユフィ。完全に図星だ。
「悩んでるなら言ってくれよ。ユフィの力になれるなら、何でもするよ?」
「・・・・・・もん・・・」
「え・・・?」
「私・・・不安なんだもん」
伏せ目がちなユフィの瞳が、完全に揺らいでいた。
「ユフィ・・・」
「に、2年だよ?私は2年も記憶が戻らないままだったの。今も、ウィオールもユイルも手伝ってくれるよね?でも・・・本当にわからないんだもん。私の記憶、本当に戻ってくるのか・・・」
ユフィはそっとユイルに背を向けた。向けられた背は、とても小さなものに感じられた。
「何かもう・・・わからなくなっちゃって。ユイルやウィオールに・・・申し訳なくなっちゃってさ。私は・・・どうすればいいんだろうって、思うようになって・・・。記憶、取り戻したいはずなのに、出てこないから・・・っ」
徐々にユフィの肩が震えだしたのがわかった。記憶が無くても、こんな素の状態は変わらない。
――ユフィは、誰にも悟られないように泣くのだった。
あの日の夕日の部屋のときのように、ユフィは本当に静かに泣く。誰かに悟られる事を拒む。が、そんなこと、幼馴染には通用しないのだ。本人は気がついていないのかもしれないが、本人が思っている以上に、発する声は震えているのだ。慰めたくても、うまい言葉が出てこない。どうすればいいかわからない。だから―――
「ごめんねっ。私自身が、こんな弱音吐いちゃいけないのに・・・」
「いいよ、ユフィは悪くないから」
「え―――?」
ユイルの言葉に驚いたユフィが、背後を向こうとしたその瞬間―――。
ユイルがかけてくれた上着ではない。全く違った温かさが、ユフィの背に触れた。それがまさに、ユイル自信の体温であることを、悟るのに時間はいらなかった。ユイルは、優しく、そっとユフィを抱きしめた。
「ユイル・・・っ!?」
「・・・泣かないで、ユフィ。俺は・・・ユフィの泣いてる姿は見たくない」
背後から聞こえたその言葉に、ユフィは大きく目を見開いた。一瞬、何かが脳裏を掠めた。
――僕、ユフィの泣いている顔はあんまり見たくないんだ。
(あ、れ・・・?)
一瞬だけ掠めていったそれは、音もなく消え去っていった。でも確かに今、感じた。
(今のは――――)
そう感じたところで、そっとユイルが離れた。ユフィははっとしてユイルを振り返る。
「ユイル・・・私・・・」
「ねぇユフィ。確かに・・・記憶をなくしたユフィは前の・・・俺たちの知っているユフィとは少し違っているかも知れない。でも、ユフィはユフィなんだ。きっと心は変わらない。俺たちの、たった1人のユフィだから」
ユイルの言葉が、ゆっくりと冷めたユフィの心に染み渡っていくのがわかった。ユイルはそっと、ユフィの両手を取った。
「ユフィが寂しいなら、側にいてあげるよ?怖いなら、こうやって手を握ってあげる。ユフィが不安なら、ずっと隣にいる。ユフィが不安にならないように、俺が何とかするから」
ユフィはそっと目を見開いた。不安で仕方が無かった。自分がわからなくて、でも誰にも頼れなくて。きっと、今の自分は前の自分とは違うから、今までと同じように接することはできないんだって。ウィオールとユイルと、昔はどんな関係だったのか・・・聞きたくても聞けなかった。怖かったから。自分が違うと、今までの自分でないと否定されるのが嫌だったから。でも―――
ユイルは、ユフィの否定される怖さを否定した。『大丈夫』。その言葉は言うのは誰だってできる。簡単だ。でも・・・本当に実行できるかが問題なのだ。人の恐怖を取り除くには、言った本人が行動を起こさなければ―――。
「・・・・・・ふふっ」
気がついたら、不思議ともれていた笑み。ユイルは不思議そうにしていたが、ユフィは構わなかった。
「・・・ユイルは、すごいんだね」
「え・・・?」
「ずっとずっと、不安だった。でもね、ユイルが励ましてくれるだけで、もう何も気にしなくていいんだって思えたの」
ユフィは握られていた手をそっと握り返す。
「きっと、戻るよね?また・・・前みたいに戻れる?」
「・・・希望じゃない。肯定するよ。必ずユフィの記憶、取り戻そう?」
「・・・うんっ」
ユフィはにっこりと微笑んだ。今はまだ、できることが限られている。それでも、その限られたことを精一杯やろう。ユフィはそう心に誓う。
「さぁ、戻ろう、ユフィ」
「はぁい」
ユイルに上着を返し、エウリーサの家へ向かう。その間にふと思い出した。さっき脳裏を掠めたあの言葉―――。
(まぁ、いっか)
また今度でいい。もっとちゃんと落ち着いたその時に、また聞こう。
だって、ユイルやウィオールは・・・きっとこれから先も、長い付き合いになりそうだから。それに記憶さえ取り戻せればいい。その時に思い出せるはずだから。
(今は、心にしまっておこうか)
密かに、新たな秘密ができたのだった。