天上世界
さて、少しだけ違った世界のお話です。
ある世界クラウトゥール。緑豊かなこの世界。綺麗な町並みが揃うこの世界。誰もが何不自由なく暮らしていたこの世界は、あるときを境に大変な境遇を背負う世界へと変わった。このクラウトゥールでは、あのハウル・クライアントでも起こりえていた・・・未曾有の危機というものを、今身をもって知ることとなっていた。
小さな町はずれの村の中。大きな家の中に、1人の老婆と1人の少女が座り、対談していた。
「で・・・これから、どうなさるおつもりですか?婆様」
「どうするもこうするも無いよ、エウリーサ。この村は終わるんだ。クロウの侵略によってね」
「まだ何も起こっていませんわ。そう簡単に、村を手放せるものですか!!」
エウリーサと呼ばれた少女は強い剣幕で食って掛かる。
「この村は、わたくしたちの村ですのよ!?わたくしたち、家族の村ですのよ!?」
「わかっておるわ。でも・・・考えても見なさい、エウリーサ。この村では、まともにクロウなどと戦えるものがおらんだろう。戦えるのはお前だけだ」
「ですから、わたくしが戦うと言っていますわ!」
「お前だけでは無理だ」
エウリーサはぎゅっと唇を噛んだ。
「・・・いいかい、エウリーサ。この世界、クラウトゥールは、天上世界の侵略を逃したクロウたちが、次の目的地として選んでしまった世界だ。天上世界の結界が完全化してしまった今、私たちにできることは何も無いんだよ」
「天上世界とこの世界は違いますわ。わたくしたちにはわたくしたちなりの戦い方がありますわ」
エウリーサは床を強く叩いた。しかし、老婆は一切臆することはなく、ただじっとエウリーサを見つめる。
「いいですか、婆様。この世界は天上世界とは違うんですの。例えこの地がクロウに犯されかけていたとしても、天上世界はその危機を免れたんですのよ?わたくしたちにだって、何とかできるはずですわ!」
天上世界―――。この世界では、あの世界の事をそう呼んでいた。
かつて、クロウの侵略と言う未曾有の危機に陥った世界―――ハウル・クライアント。
天上の歌声を持つ者が、救ったその世界。クロウは侵略を阻止された。そして次にクロウが狙いをつけたのが、この世界。クラウトゥール。ここは、ハウル・クライアントの下の世界。ハウル・クライアントの結界から外れた世界。その世界の下に位置するこの世界だからこそ、この世界から見たハウル・クライアントは『天上世界』なのだ。
そして今、クロウの侵略に犯されつつある世界がクラウトゥールと言うわけだ。
「わたくしたちは諦めませんわ。何としても、この世界を守りたいんですの」
「・・・・・・・別に、そこまで言うなら咎めやしないよ。でも、あの娘・・・どうするつもりなんだい?いつまでこの世界に留まらせるわけには行かないんだよ?あの子は、この世界の人間じゃないんだからね」
「・・・そこは、わかっています」
エウリーサは少しだけ視線を下げた。そしてそのまま立ちあがる。
「・・・失礼します」
エウリーサはさっと踵を返した。
家を出ると、朝日に照らされたエウリーサの剣が小さく輝く。この世界は、クロウが来るまで平和だったため、戦いに特化した人間がほとんどいないのだ。故に、ここももう・・・侵略されかけていて―――。
「・・・エウリーサ」
「・・・ユア、どうしましたの?」
そっと、おずおずとした声をかける少女がいた。エウリーサの冴えない表情を伺っているようだった。
「大丈夫?顔色、悪いよ?」
「何でもありませんわ。あなたが気にすることは、何もありません」
「そう・・・?なら、いいんだけど・・・」
ユアと呼ばれた少女は少しだけ安堵の息を漏らした。
「ユア、どうですか?何か進展はありました?」
「・・・ごめんなさい。まだ何も・・・」
「そうですか・・・。でも、焦らなくていいんですのよ?ちゃんと、あなたはわたくしが守ります」
「ありがとう、エウリーサ」
ユアはにっこりと微笑んだ。が、どことなく寂しそうだ。
「ユア、無理をしてはいけませんわよ?」
「わかっているわ・・・」
そういうもののどことなく寂しそうだ。
「気晴らしに、大樹の木にでも言ってみるといいんじゃないかしら?」
「・・・わかった」
ユアはそっと背を向けた。
「日が暮れるまでには帰ってきてね、ユア!」
「わかってる!」
ユアは大きく手を振った。
「これが、大樹の木・・・」
見上げる木は大きかった。人の何倍もあるこの木には、精霊が宿るといわれているらしい。
「本当にいるのかなぁ・・・精霊なんて」
ユアはそっと、大樹の木に触れてみた。何の代わりも無かった。
「ねぇ、いるなら・・・助けてよ」
ユアはそっと目を閉じる。とそのとき、少しだけ体がふわっとした感覚に陥った。が、それを気にはせず、ユアは言った。
『私の、記憶を取り戻して・・・』
ユアの切なる願いだった。自分は誰?どこから来た?友達は?歳は?出身地は?そのようなことが一切、わからないのだ。困難に不安なことは無い。
『助けて・・・私を知る人・・・私を取り戻して・・・』
大樹の木の葉がざぁっと揺れる。そっと見上げてみると、木漏れ日がとても美しかった。それが少しだけ、ユアに元気をくれた。
「祈っても・・・仕方ないよね・・・」
ユアはそっと木から離れる。
「・・・戻ろう。エウリーサのところに」
さっと踵を返すのを見計らって、風が強く吹いた気がしたのは気のせいだろうか?