13話
一応、新シリーズにw この話からの初見の人も全然大丈夫になってますw
{{{ }}}
夏休みも中盤に入って、暑さと夜の長さは日増ししていく。俺はブッチョと一緒に通学路を歩いていた。
「仕事ってのも面倒だよねぇ、クロヱ」
午前9時。いくばか涼しいが蝉の鳴き声も聞こえる。通勤ラッシュの時間帯も過ぎて、歩道はおろか車道もスッキリとしていた。コンビニで買ったアイスをかじりながらブッチョが愚痴をこぼす。
「仕方ねぇ。自分で選んだことだろ」
「えー」と子供っぽく言う彼女だが、その容姿は俺より少し大人びていた。それもそのはずだろう。彼女の姿はそれしか残っていないのだから。
図書館で見つけた一冊の本、『新編 現代の陰陽道 第803版』それが全ての根源だ。本の内容は、まさにコンビニで売っているような嘘っぱちのオカルト本そのもの。ワンコインで買えるような知識を遊び半分で行ったらそれが起こった。
具体的に説明は出来ないが、本に書いてあったことを言えば、『神様を呼ぶ』実験をした、らしい。
さらに人の言葉を借りれば、『神様の怒りに触れて天罰を喰らった』らしい。そして、その天罰なんて仰々しいものの矛先は、俺じゃあなくて、彼女だった。
彼女、冨士原 千代は前は俺よりも小さかった。だが、『天罰を喰らった』後の彼女は、俺よりも背が高かった。たった数センチの差なのに、そこに詰まったモノの密度は途轍もなかった。
俺は自責の念に駆られていた。数センチに詰まった密度には『あの時何で俺は何も出来なかったのか?』という思いが詰まっていた。彼女が危機に陥っていたのに、知識が無かった、怖かった、なんて都合の良い理由をつけて助けに行かなかった。俺は、今、目の前で彼女のする笑顔を見るたびにそんな風なこと反射的に思ってしまっていた。
「確かにさ、委員会の仕事も大変だよ? でも夜衛の仕事だってあるじゃん」
「あー」
彼女と『神様を呼んだ』で彼女が死に掛かったとき、彼女を助けてくれたのが夜衛だった。
環境省自然災害対処課所属禍祓部隊、要するに幽霊とか妖怪とかのお巡りさん。それが夜衛らしい。図書館の司書、警備員などをベースに構成されていて、夜な夜なお役目というものを上から与えれてそれを遂行する。それが仕事らしい。俺とブッチョも、ブッチョを治す方法を探してもらうかわりに、半ば無理矢理、その構成員にされてしまった。
「仕方ねぇよ、ブッチョのためでもあるじゃん」
「まぁ、そーだけどさぁ……」
『治す方法を探す』というのは、治療法が割り出せられないからだ。妖怪とかのお巡りさんをしてるなら、治療法くらいわかっているだろう、
夜衛の構成員であり、図書館の司書である功徳 閼伽子によると「似ている症状だけど、感染過程が私達が知っているものと全く違うのよ。もし間違って適切でない処置を施したら千代ちゃんが危険なの」と、どうにも妖怪のお医者さんも存在しているようだった。
「長そうよねぇ…お、当たりだ」
嬉しそうな彼女の横顔に、前の彼女はいない。あるのは来るべき彼女であって、今俺の横にいるはずであろう彼女じゃあない。蝉の鳴き声と、夏のせいかコントラストが高い、彼女にかかる影が妙な隔てをを作っていた。
***
夏休みでの図書館の業務は普段となんら変わりは無い。書庫の整理、書籍の貸し出し、返却手続きくらいだ。夏休みともあって普段より楽だろうと思われるが、実はその逆、意外と激務なのだ。理由はその膨大な蔵書数にある。20階からなる図書館の蔵書数は定かではないが、5000万冊以上は蔵書されているであろうと学生間でまことしやかに語られている。その多くの本の中には当然に歴史的価値のある書物がありそれを閲覧しにくる人で溢れるからだ。
普段の学校生活では、図書館に入れるのは、高校の学生と、教員、図書館員、もしくは学校長、学校理事長、図書館長、O.B.くらいで一般公開はしていない。そのために人が溢れ、図書委員は仕事に追われるということだ。
だが、この人数は異常すぎる。
「分を修めるにはまず武から」がモットーであり、セキュリティーからの面で設計されたこの20階相当の長い螺旋階段で、へっばて帰る者が出ている一見様御断りといわんばかりの状況下でこの人数は明らかにおかしい。一般閲覧者は、校内関係者と違い、18階までしか使えないのに通常の夏休み利用人数を考えても、その3倍の人数はいるだろう。
何故だ? 人が増えるにつれて本棚に置かれている本は乱雑し、静かに研ぎ澄まされた館内の雰囲気は次第に喧騒が混じってきている。こんなんじゃ夜のお役目に支障が出るほどだ。
そこで、ふと目に留まった人物がいた。海人水である。
海人水 銛和、現アクア研究部部長。助っ人で出場した陸上、剣道、弓道の大会では、どれもベスト8に入るほどの実力者で、全国模試14位でもある。まさにこの学校の教育理念を立体化させたような人物である。そんな彼が、だらしない笑みとともに佇んでいる。
彼の見ているほうを向くと、そこには彼の部の研究対象がいた。
彼の部活アクア研究部とは、言い換えれば閼伽子ファンクラブだ。アクアというのは、彼女の名前、閼伽からきている。閼伽というのは仏教において仏前などに供養される水のことで、アクアの語源らしい。表向きは、日本各地の水に関する調査や水力発電に関する研究を行っているが、裏では毎日閼伽子を見て、満足する活動をしている。
曲がりなりにも、毎日閼伽子に会うためにあの大螺旋階段を登り、全国レベルの頭脳を持つ部長を筆頭に、閼伽子にいい所を見せようと、必死で勉強している彼等は、結果として文武両道を身につけたのだ。そして結果を重んじるこの学校は知力体力で擢んでているアクア研究部に絶大な信頼を置き、各部からの助っ人申請は尋常な量である。そして俺は閼伽子の親戚というだけでこの部活の特別顧問にされたのである。
そんな彼の研究対象、功徳 閼伽子がカウンターで本の貸し出し業務をしていた。Tシャツにジーンズと、部屋着と外着の中間のような格好に図書館司書の青いエプロンをしていた。そんな格好なのに妙に落ち着いた感じがして、着こなしている彼女の全体感を一言で言えば、クール。まさしく大人の、しかもデキる女性だろう。そんな彼女を見ている海人水の姿は、全校が憧れを抱く存在とかけ離れていた。
「海人水さん」
背後から、ボソッと声をかけただけで「うおっ!!」と言わんばかりに、それでも何とか声は出なかったものの、肩やら足やらがビクンとなった彼はおそるおそるこちらを向いてくる。
「なんだ、クロヱか」
「なんだとはなんですか。何してるんですか? 部活なら他所でしてください」
「何!? クロヱは米が無いのに米を炊こうというのか?」
「はぁ……」
「なんだ、その目は」
「……兎も角だ」閼伽子のほうを指差す海人水「見ろ」
良く見ると、閼伽子のいるカウンターを主体に、放物線上に人がいる。反対側にあるブッチョのカウンターと比較してもその人数の差は明確だ。
「閼伽子さんの美貌が広まっているんだ!!」携帯電話のディスプレイを目の前に突き出す海人水「見ろ!! この文章」
ディスプレイは無機質な文字で埋まっていた。掲示板のようだが、タイトルは「【美しすぎる】灯冶傍禰文書高等専門学校付属図書館(あかしやでいぼうぶんしょこうとうせんもんがっこうふぞくとしょかん)【図書館司書】」とあった。海人水の早すぎるスクロールに目を凝らして内容を見ると、どうやら閼伽子のことに関して書いてあるらしい。
「わかったか?!」
「あぁ……はい……」圧倒する海人水の気に押されて全うな返事は出来ないでいた「あと、ケータイ禁止です。図書館は」
だがそんなことは改善しようともせずにディスプレイを見ながら話を進める海人水「問題は誰がリークしたかって事だよな。アクア研究部に裏切り者が?―――」
「一人でブツブツ言っている野郎はほおっておいてさっさと仕事しねぇとな」聞こえるようにそう言ってすぐにカウンターに戻った。ブッチョが切れ気味で手招きしてたからだ。なんてブッチョは優しいのだろう。ダル絡みされたいた俺を助けてくれるなんて、そうは微塵も思わずにその場を立ち去った。
ふと気がつくと、ブッチョの周りにも人が増え始めたような気が。
海人水は新しい掲示板に移っていた。タイトルは「【可愛すぎる】灯冶傍禰文書高等専門学校付属図書館【図書委員長】」クロヱに伝えようとしたが、俺を置いてさっさとどっかいっちまうし、そんなことより優先順位は閼伽子さんだ。という彼は携帯を閉じてただひたすら閼伽子を見るだけのパッシブなストーカーと化していた。
その後、カウンターに着いたクロヱが男共の痛い視線を受けたのは言うまでもないだろう。
###
午後4時。
日は相変わらずに照っているが、気温と室温は緩やかに、且つ明確に下がってきている。温度の低下と共に館内の人口も減って、仕事のストレスも減る。漸く一息つけた俺とブッチョは委員会室のデスクに突っ伏していた。
「いやー、今日の激務終了ぅ」
「おつかれー」
他の委員達は既に帰っていた。委員会室には、新しく図書館が購入した音楽CDが品質チェックという名目で流れている。バイオリンと三味線などを混ぜた独自性の高い音楽で、正直な話何がいいのかわからない。でもブッチョはこれがいいと思ったのか目を閉じて軽く首やら指先などを揺らしている。
「そういえばさ」朝コンビ二で買った紙パックジュースを飲み干したのでそのまま口にくわえて喋る。若干声が篭って耳がモワーンとする。「月見里君。どしたん?」
「ん」興味を引いたのかブッチョが顔を上げる。「月見里君がどーしたの」
「いやさ、今日来てないなぁって。そんだけ」
「ふーん。今日は用事があるからこれないんだって」
「……」
「どしたの? じっと見て」
「あー、焦点あってなかった。ぼーっとしたんよ」
「疲れた?」
「めっちゃ。つか今日の量尋常じゃ無かったよな」
「あー、わかるそれ、何があったんだろ?」
「それさ」ポケットに手を突っ込んで携帯電話を取り出す。そしてさっき開いてたページを出してブッチョに見せる。「原因、コレ」
カチカチとページを下げていくに連れて、ブッチョの顔が器用に変化していく。「あー、これは仕方ないね」
!!!
午後8時。
夕日と夜の境界線が、図書館から見える風景の丁度中間に位置している頃。
「んじゃ」これも朝、コンビ二で買った弁当を平らげると関節をポキポキと鳴らす。「第二次激務じゃ~い」
「おぉ~」とやる気のなさそうなテンションでユルく応じるブッチョ。
第二司書室。図書館十階にあるこの部屋は、基本的には司書と館長と理事長しか入ることは許されない。だが何事にも例外というものは存在し、俺たちがその例外だ。そう、環境省自然災害対処課所属禍祓部隊。つまりは俺たち夜衛の一員ならばいいのだ。
そんな夜衛の一員の皆様がいるこの部屋はとても個性的だ。14畳程ある広いスペースには、デザインチックなソファが、一人暮らしの男の部屋のように散りばめられている。一つ一つでは独特でその存在感を顕にするそれらは、もはや音の無き烏合の衆。行動が煩い、そんな感じだ。
特出した個性が集まりすぎて、没個性、というより個性が飽和しているような空間。何も椅子のみで形成しているわけじゃあないその空間では4人がいた。
俺と、ブッチョ、あとは閼伽子と海人水。
四者四様の椅子に座り、四者四様のことをしている。お役目が来るまでは、基本自由時間で適当に時間を潰している。
一週間に2,3回。その程度の頻度でくるのがお役目。夜衛の仕事。基本的には街や図書館内にでた妖怪的な存在を滅する、時々上、つまりは国からの直々の依頼だ。まだ経験したことはないが、そのときは大変だったと海人水が言っていた。
夜衛に入って3週間。計7回のお役目をこなした。内容は想像していたものよりかは容易だった。
お役目の7回中6回は図書館内での本に憑く魔に対し落とすこと。これは厳兵衛の考えで「経験値を溜めていこうじゃあないか」これは悪いことじゃあ無いとは思うが、いかんせん面白くない。それがブッチョの意見だった。「やっぱりファンタジーってファンタジーなのかな」あくまで空想の領域であって、すこしでも現実が絡んできたら、ややこしい物理法則とかがまとわりついて地面に叩きつけられる。仕方ないからちょっとだけ立って、めいいっぱい背伸びする。なのに届く長さは数センチだけの差。、彼女が考えるような距離には届かない。
それでも、俺にこの長さはやっぱり大事で、取り戻したい。彼女の少しだけ伸びた背を、声を雰囲気を取り戻したい。取り戻してどうこうするわけでもない。どうこうできるかどうかも知れないが、まずは、彼女を目線の下の世界に連れ戻したい。
同じ目線になるのは、もう少し先でいい。
少なくとも今は時期じゃない。
「やあ諸君」落ち着いた声色と共に扉が開き、皺が少し刻まれた白人っぽい中年が司書室に入ってくる。彼こそが夜衛のトップ厳兵衛だ。部屋に入るなり、一番奥のソファに腰をおとし足を組む。「それじゃあ、お役目についての説明をしましょうか」
「待ってくれ」厳兵衛等が俺のほうを一斉に向く。「少し聞いてほしいことがあるんだ」
「ふう」面白そうな表情と一緒に話の腰を折られて出たのだろうか溜息をつく厳兵衛「それは今話すことですかね? ……いいでしょう。で、なんです?」
厳兵衛の前まで行って、彼に一冊の本を渡す。「これは?」と聞く彼は大体の想像がついているのか興味深い様子だった。
「閼伽子、前に言ってたよな? 感染経路が違うから治すのに困ってるって」閼伽子のほうを向く。
「ええ。そうよ」
「それで思いついたんだ。ブッチョとの話で。……この世界っていうか、魔法とかだってある程度の俺等の常識が通じているんだろ?」
「……そうね、慣性の法則とか、重力とか、物理的法則はいくつかの例外を除いてだけど、ええ、確かにそのとおり」
「そこでだよ」本の表紙を掌でポンと叩く。「閼伽子の話を聞いてたら、医学的な面でも同じことが言えるんじゃないのか?」
パチン、と海人水が指を鳴らす。「なにかいい方法でも見つかったのかい? クロヱ」
「正直な話、なんとなくだけど……ホメオパシーって、知ってる?」
海人水が少し残念そうに言う。「ホメオパシー。類似したものは類似したものを治すという思想だね」
「だからあくまでなんとなくだよ。ある症状を持つ患者にさ、健康な人間に与えたら似た症状をひき起こすであろう物質を極く僅か与えると、体の抵抗力、演繹力を引き出して症状を減らすって。これを利用してブッチョの症状を軽減させることはできるのか? それが聞きたいんだ」
閼伽子は少し考え込んでいたが、何かを言う直前に海人水が先に言い出した。「ホメオパシー。なかなか面白いところに目をつけたね。確かに医療面でも世界の常識はこちらに干渉してくる。それでもあまりいい手段とはいえないね」
「何故?」
「それは後で言うよ。でもこれは閼伽子さんと良く考えてみるよ。館長の言っていた事も100パーセント信用できるって保証も無い。できる限りの手を尽くさないとね。クロヱたちとの契約違反になってしまうしね。いいですよね? 厳兵衛」
「ええ」顎鬚をモシャモシャとかく厳兵衛「勿論です」
なんとか話は通った。ドッと疲れが吹き出て椅子に腰を落とした。
「やったんじゃん」ブッチョが俺の肩を揉みながら言う。「格好良かったよ、クロヱ」
足を組みなおした厳兵衛が再度表情を険しく、お仕事のときの顔に戻し、声色も変える。「冨士原君のとこは功徳君に任せて、私達はお役目についての話をしましょう」部屋の空気が張り詰める。何名か部屋にいないが、先に向かったか、別のお役目があるのか、はたまたただいないだけなのか。それについては誰も言及しないようだ。渋いものの美麗な声が部屋をとおる。「手元の資料を見てください」
A4サイズの白紙が1枚、気が付くと膝の上に置いてあった。紙を手に取ると、少しゆっくりとしたペースで、そこにプリンターがあるかのように明朝体のフォントの文字が浮かび上がってきた。これが厳兵衛の得意とする魔法だった。炭素をいじくることで紙面にあたかもプリンターの如く文字を浮かび上がらせる。また、炭素を高圧高熱でいじくることでダイアモンドも彼は作れるらしいがまだ見たことは無い。
紙面には【断殺鬼】と書かれていた。
「断殺鬼? 環境省依頼ですか」
「いえ、環境省もありますが、今回は法務省、警視庁からも合同での依頼です」
その言葉に不審を感じたのは閼伽子だった。「法務省に警視庁……一般市民に関係のあることなんですね?」
「ええ、そのとおりです」
紙のタイトルを書き記していた炭素がうごめき、新しい文面を作っていく。
「これはまだ、報道機関には漏洩されていません。いえ、事実上は圧力をかけているのですね、一部オカルト誌には載っているようですが、信憑性には欠けるでしょう」
「ということは、憑依系の何かってことですか」
「そのとおりだと。まずはこれを」
紙面に現れたのは4人の女性の顔写真と数行の補足文だった。年齢は17歳、23歳、24歳、29歳、4人全員の補足文の初めに来る文字は“断殺体”「死体も見るかい?」という厳兵衛の言葉を止め補足文を読む。若干の違いはあるものの、4人は体中を切り裂かれ、数箇所の内臓を刈り取られ死んでいるらしい。そんな写真はモノクロ越しにも見たくはない。
「くれくらいなら猟奇的連続殺人として全国指名手配をすればいいのですが、今回はどうにも違うんですよね。これを見てください」
新たに紙面に現れたものを見ると、海人水は驚愕した。
「これって……」死体の写真が浮き上がっていたが、初めは死体ではないと思った。写真にあるはずであろう断殺死体は、どこも斬られていない。「これって、どういうことですか」
「わからない」
「は?」海人水は面食らったように声を漏らす。
「それが、上の意見だ」
「警視庁ですか」
「そうです、まぁ、ある程度の予想はつくでしょうがね、こんな私達の常識です。何でも考えられますし、なんでもありえますしね。調査に行くまではハッきりとしたことは言えないでしょう」
「そんなもんなんですか?」いまだにこっちになれないブッチョが言う。
「言霊ってものも日本には存在しますからねぇ、人の数だけ想像できますよ」
「へぇ……」
「とりあえず、調査には私と海人水君が行ってこようと思いますけど」閼伽子が厳兵衛に言う。彼の了承を貰うとこっちに話しかける。「クロヱと千代ちゃんは来る?」
「行く」ブッチョは即答した。前に言っていたファンタジーがついに来た。そう思っているのだろう。閼伽子と一緒にブッチョも聞いてきた、「クロヱは?」
|||
クロヱたちは警察病院の解剖室にいた。基本、地下にある解剖室だが、地下一階にある部屋とは別の地下4階にいた。ステンレス製の厨房の調理台のようなベッドの上に変死体がある。
「断死っていうのは、この世の常識から逸脱した、関りの断たれた死に方をしたモノに対して使うのよ。 轢断死とか溺死とか細かいものじゃなくて、もっと大雑把なものね」
良く見れば、死体は薄い傷跡のようなものも所々にあり、命はもう消えた傷口から漏れ出したのがわかる。
「おうボウズ、邪魔だ」後ろからを叩かれる。振り返ると薄い緑色の手術着を着た見るからな不良中年がいた。
「あら、刀禰館さん。やっぱりアナタが担当なのね」
「おう功徳じゃあねぇか。安達ヶ原の以来か……3年か?」
「そうね。でも今は懐かしんでる時期じゃあないわ」
「はっは、やっぱり功徳さんの口癖は抜けないみたいだな」
刀禰館という男は冗談で言ったようなそぶりだったが閼伽子は塞ぎこんでしまった。何があったかは知らないが、閼伽子があんな調子になるなんてなかなか無いことだ。
「つか、俺もできるだけ調べたんだよ。今日派遣されたわけだしな」
刀禰館は死者へしばし黙祷を行うと、メスを取り出す。
「見たところ、戻し切りだな」
閼伽子や海人水もそれに頷く。
「戻し切り?」ブッチョが聞く。
「そ、見ない顔だな……へぇ、新しく入ったのか。俺は刀禰館 遣為歳は40。京都の夜衛みたいな組織にいるんだ。よろしくな」テキパキと作業をしながら背中越しに言う刀禰館「戻し切りってのは、簡単に言えばやり直しの効く斬り方だな」
あまり分からなそうな顔をしているブッチョに海人水が耳元でひっそりと言う。「細胞を破壊しないように斬る方法だよ。おかげでくっつければ元に戻るんだよ」ほぇ、と呆けた声で頷くブッチョ。
背中越しで刀禰館が言う。「おー色々分かってきたぞ。彼女は肝臓と肺の片方だな。酷いことしやがる。それに一番新しい傷は咽元の傷だな。これが致命傷みたいだ。体中につけられた傷は、たぶん斬られてもすぐにくっついて死ぬことはなかっただろう。でも実際、死ぬほどいてぇぞ、これ」
聞くたびに気分が悪くなってくる。今までは本についた魔を、それこそ小さい頃の、蟻を踏み潰す程度の軽い気持ちでやっていたが、今回は人が、人により殺された。
改めて、自分がどんなことをしていたのかが分かった気がした。
「少なくとも戻し切りってのは相当精神を使うからな、逃げ惑う彼女達に戻し切りを浴びせるなんて無理だな。人間業じゃない」
「やっぱり、これは私達のテリトリーなのね」
「そういうことだ」刀禰館が手術着を脱ぎながら言う。「今回は俺も混ぜてくれ」
横にいる警察官や、俺とブッチョはなにが起こってるのか分からずにいた。
正直な話、なんにも分からないまま話が進んでいっているのだろう。
妙な違和感と共に、人生初の大きなお役目が進んでいった。