10話
とりまえず、今日はここまで
* * *
図書館での司書の手伝いは、委員会の業務とは少し差があった。通常図書委員は入り口のある最上階の二十階から、委員会室の二つ下の十二階まで。理由は、国や、周辺地域から渡された重要書籍が保存されているためだ。十一階から下は、司書、警備員、職員、一部の学生などしか入ることができず、もちろん委員は入ることが出来ない。これは、書籍の保存に対しての安全面の考慮からくるもので、例えば、下の階で偶然、、火の手が上がった場合を想定してもらいたい。周りにあるのは燃料たる本。校舎の中みたくスプリンクラーなどで水をまいたり、消火剤まくと、本にかかるためそれも出来ない。そのため、空気中の酸素を奪うハロゲンガスを噴射させる特殊な装置を使う。重版されていたり、再度購入できる書物ならいいのだが、絶版本や、世界に一冊のみの物を護るためには仕方ない行為だ。当然、酸素がなくなったら呼吸が出来ずに死に至る。だからそういう知識に富んだ人物でないと、委員さえ簡単に通してもらえない、というのが教師などに言った言い訳らしい。
「言い訳って?」
俺を入れて、今は六人が十階の第二司書室にいた。時刻は午後の七時。委員会室や二十階にある司書室の、国外のオフィスのようなそれとは違い、第二司書室は完全に閼伽子の趣味に合わせた、グッドデザイン賞にノミネートされるようなスタイリッシュな、悪く言うと、一見して何が何なのか分からない家具などがゴロゴロ置いてある部屋だった。閼伽子が淹れたコーヒーを飲みながら疑問を抱く。
「そう言っとかないと、石頭共は納得しないの」
「石頭で悪かったな」
部屋の隅にいたトライバルタトゥーの柄が入った面をした……声からして男だろう、がツンとした態度で言った。
「そうそう、閼伽子さん。この人、ケムリを祓うときにいた人じゃないの? 誰?」
「あぁ、千代ちゃんには言ってなかったわね、でも声から分からない? 数学の渓原先生よ」
えっ!? と俺とブッチョが同時に驚く。アタシ渓原の文句言っちゃったよ!? ばれてないかな?! と俺の肩を持ってガクガクと俺のことを揺さぶるブッチョに対して、面を取り外した渓原は
「そーかそーか、よく分かった」
と、一蹴。表情が普段と変わらないところが、一際恐怖感を煽る。それを見て閼伽子が笑っていると、
「お前もだ。功徳」
と、一蹴。閼伽子は慌てふためいて弁解するが、
「私は食い下がる馬鹿は嫌いだ」
そのまま閼伽子は項垂れた。このときは渓原がとても格好良く見えた。古人曰く、名は体を表す。渓原 玄掴に相応しい言葉だろう。人を不愉快にすること、罵倒することに関してはプロフェッショナルだろう。敵に回すと恐ろしいが、味方ではこうも頼もしいとは。
「それで、その言い訳とかはなんなんだよ。閼伽子」
俺が話を戻したため、逃げ道を見つけ安心したのか、閼伽子が食いついてくる。
「理由はまだあるということだ」
そう言ったのは渓原だった。閼伽子は苦悶の表情を浮かべている。
「お前達みたいな馬鹿共を増やさないためだ」
今度は俺とブッチョに、その舌の矛先が向けられる。
「馬鹿共ってどういうことですか……?」
ブッチョが少し声を荒らげて言い返す。渓原は微動だにしない。完全な沈黙を決め込んでいるが、ブッチョはそれに圧されているようだ。いつもより声のトーンが低い。
「今のお前を見ろ。変なことしやがって。片付けが面倒なんだよ」
そういって、渓原はポケットから煙草を取り出す。
「ちょっと。渓原先生? ここは禁煙ですよ」
閼伽子が我が物顔で言う。渓原は目玉だけをギロリと動かして閼伽子のほうを見る。
「別にいいだろ。何が不満なんだよ」
「全部ですよ。煙も臭いも、火だって嫌い。ここは図書館よ? 少しは考えたらどうなの? アナタも「夜衛」の一員でしょ?」
「あぁ? 煙と臭いと火が嫌なのか。なら全部取り除いてやるよ」
そう言って渓原は煙草に火をつける。そして、フーと煙を吐いたのだが、まるで透明な箱に入っているかのように煙が面に遮られる。唖然としている俺たちに渓原は言う。これをこじらせて、面倒を起こしても、自分じゃあ何も出来ない馬鹿共が嫌いなんだ、と。そう言われると、俺たちは何も言い返せなかった。渓原の言ったことは正しい。現に、俺たちは、いや、彼女は、あの本のせいで姿が変わってしまったのだから。そして、自分達じゃあ何も出来ない。後始末は、閼伽子が、燈明が、海人水が、そして、渓原がしたのだから。
「そうだ、自分がしでかした事を恥じろ。俺は理解する奴は好きだ」
「「……はい」」
「やだ……渓原先生ぇ、ツンデレですかぁ?」
「黙ってろ」
よし、とパンパンと手を叩き、燈明が話に割り込んでくる。
「そろそろじゃないのか?」
そうね、と閼伽子たちが頷く。
「これから、司書の補助をしてもらう」
燈明が、俺たちに長方形の紙を渡してくる。これは? と聞くと、海人水が答えた。
「版数は違うけど、君が読んだ本、『現代の陰陽道』に記された……つまりは魔法だよ」
「あの本!? どういうことだよ!?」
「そうだね……著者が同じだけど、クロヱ君の読んだ本から3冊前に出された本だね」
「そういうことじゃなくてっ、ブッチョは元に戻せないのかって聞いてるんだよっ!!」
「それは、出来ないんだ。功徳さんが調べたんだけど、基本的な陰陽道のルールから大きく逸脱していて……アレ自体、陰陽って言っていいかも判別できないんだ。結局は、できないんだ」
「でもっ―――」
肩にブッチョの手が乗った。振り返ってブッチョを見ても、仕方ない、という顔をしていた。それ以上は俺もあまり多くは言えなくなった。
「魔法……なんですよね。その……御札? どういうことをするものなんですか?」
「冷静だね、ブッチョ。これは……潜在能力を引き出す魔法、あとは楯ってところかな」
「潜在能力?」
「そう、陰陽の基本は知っているかな? ……そう、五行だね、正解。その五行、万物は木・火・土・金・水の5種類の元素からなるという思想だね。それを引き出すものなんだよ。例えば、渓原さんや燈明さんの場合は火の力が抜きん出ている。あの人たちにこれを持たせたら札から火が出ると思うよ。そうしてその火が彼等を護る楯になる。そういうことさ」
「へぇ~。どうやって使うんですか?」
「使い手に危険が迫ったときは自動的に発動するようにしてあるから。大丈夫だよ」
今回は、人外のものに慣れるということをするらしい。司書の手伝いの内容はこうだ。九階にある書物は、あの本と同じく、魔法について記されているらしく、それが暴走して人外のもの、あのケムリのようなものが発生する可能性があるらしく、それを処理しないといけないらしい。それじゃあ始めるぞ、と言って燈明、閼伽子、俺、ブッチョの四人は九階へ向かった。
今回が初めて委員管轄外のスペースに立ち入った瞬間だった。委員管轄内は一般学生が使用することもあって、比較的綺麗である。しかし、管轄外は、どこかの倉庫のようで、暗く、狭い。というよりは、本棚が多すぎて、凄い圧迫感がある。うっかりこけた拍子に本棚がドミノ倒しになっていくのではないかと心配になる。
「もうすこしね。アタシ達が本を処理することを見て、勉強しなさい」
消灯時間が過ぎていたため、館内の明かりは全て消えていて、今は燈明が放つ光が頼りだった。
「あったわ」
そういって閼伽子は黒い、ノートほどの暑厚さの本を取り出した。
「これって……画期的かつ低労働な殺傷道具じゃあないのか、閼伽子?」
「それは私もわかる。でも違うのよね」
「そんなことより、早く本の侵食時間を調べて、功徳さん!!」
燈明が叫んだ束の間。本が光りだした。
「まずい 具現化する!!」
あの時、ケムリを始めて目の前で見たときには及ばないが、全身がチクチクするような、そんな感覚がした。そして、目の前には―――
「なに、これ?」
おっさんがいた。
おっさん、いやおじ様と言った方がいいだろう。無精ひげを生やしていても、どこか気品を感じるそれはナイスミドルが良く似合う。服装もタキシード。国外のパーティーのひとコマから無理矢理にねじ込んだような感じだった。閼伽子達を見ても、何が起こっているのかよくわかっていない様でポカンとしていた。
「ふむ、皆さん。どうしたのですか?」
ティーカップを片手に、両腕を広げて、全身を使って流暢な日本語で言う彼の動作はなんというか、どこか抜けている。顎鬚をもしゃもしゃと掻いてHmm...と唸る彼。ふと気付いたのか、彼はブッチョの前に歩いていき、跪く。
「お久しぶりです……? 違いましたかな?」
え、え? と困惑しているブッチョを見て彼が笑う。
「そうですか……なるほど」
笑っている顔が次第に困惑した顔つきになってくる。いつの間にか、手からティーカップは消えていた。あれ? と思うと、じゃあいいです、と彼が言った。そして、ブッチョが吹っ飛んだ。
「なっ!?」
またしても、いつの間にか、彼の左腕にはティーカップがあり、その中に入っているものを彼は上品に啜っていた。まるで、砂糖はいりませんよ? と言わんばかりに右腕を突き出してクスクスと笑っていた。
「おや、今ので死なないとは、流石と言うべきでしょうか」
ブッチョは本棚にのめり込んで呻いていた。よく見ると右手に握り締めていた札が若干光っている。状況に驚き、憤りを覚える前に、背後から轟音がして、燈明が飛び出す。右手はそこだけ真夏の日差しが如く光っている。
「おぉ、これはまた……でも、ダメですかね。彼女以下だ」
瞬き一回、そのわずかな時間で彼が消え、もう一度瞼で遮られた世界が現れると、彼は燈明の背後上空にいた。その場で、空中でくるくると回って、その勢いを利用した蹴りを燈明の頭部に食らわせる。そのまま燈明も本棚に激突する。
「クロヱ!! 下がって!!」
声のほうに振り向くやいなや、閼伽子がものすごい形相で彼を見て、日本刀を構えているのに気付き、あわててその場から飛びのく。
「これはこれは、似合わない顔だ」
だが彼は戦かない。かといって、嬉しそうでもない。単に頬を吊り上げているだけのようだ。
閼伽子が跳ぶ。彼は止まったまま。やった、と思った。彼女の剣はたしかに彼の体を通った。だが、彼の体からは血がもれていない。
「うーん。惜しい。女性には手を出したくないのですが」
閼伽子はその場に倒れこむ。彼が彼女の首に平手打ちをしたのだ。
「さて、アナタで最後ですか」
俺は戦いた。足がすくんで動けない。彼はそれに気付いたのか、一歩一歩ゆっくりと歩み寄ってくる。
「どういたしましょうか」
言葉が重い。重圧に耐えられずにパンクしてしまいそうだ。
「とりあえず、死にましょう」
目をつぶった。吹っ飛ばされるのを覚悟した。殺されるのを覚悟した。
だが、何も起こらない。
「なんだ……これは……」
俺のポケットに入っていた札が光り、彼の攻撃を止めていた。よくわからないまま、俺は別のことに震えた。
「わか……る……?」
週1で上げていくつもりですだw