第3章 手に入れたもの
盗み出したガムテープを何に使うか?
そもそも小学生にガムテープは必要ないし、必要がない上に盗んだガムテープであれば、なおさら使い道がない。持って帰って親に見つかれば、悪事の全てがバレてしまうかもしれない。下手をすれば学校を挙げた問題にもなりかねないし、あの気のいい老夫婦にも知られてしまう。
もう、桜堂で買い物ができなくなってしまう。
みんなから忌み嫌われている毛虫を退治するのにガムテープは実に有効的な手段に思えた――まさしく名案だ。毛はテープに張り付いて飛ばないし、小枝に引っ掛けて使えば、距離を置いての「攻撃」が可能である。しかも、つぶしてしまった時のあの体液。おぞましい液体を見ないですむ。ボクらはやっきになって毛虫を探し出し、次々に攻撃をした。
一方的な虐殺
ヤツら、木の葉っぱを食べる悪いやつらだ、みんなから嫌われている。ボクらはみんなのかわりに害虫を退治しているんだ。これはいいことなんだ。
正義なんだ
そう、学校のみんなのために。だから、このガムテープはみんなの役に立つんだ。あの気のいい老夫婦も害虫退治に使ったと知れば、許してはくれないまでも、少しはわかってくれる。
そう、きっとわかってくれる
戦況は圧倒的なものだった。ヤツらはのろまで間抜けだ。用は触らなければいいのだ。弾薬はたっぷりある。
ボクら4人力をあわせれば、こんなヤツ、イチコロだ!
もし、毛虫がつぶれて屍骸になる様をみていたら、ここまでのことはできなかたかも知れない。ガムテープに貼り付けて毛虫を見えないようにして、焼却用のゴミいれの中に捨てる。毛虫の死の瞬間を見ないで済む。そのことが、ボクらが生き物の命を奪っているという事実から目を背けさせることになり、30分もしないうちに50匹以上の毛虫を殺させた。
毛虫は黒いモサモサの大きなやつと白い毛の長いやつ、それと一番数が多かったのが長さ2センチから3センチくらいの毛が少ないが地肌がグロテスクな模様をしているやつ。
その頃あまり毛虫に詳しくなかったが、これがチャドクガという種類で、この毛虫の毒がかなりやっかいなものだと、大人になってから知ることになる。
大きいヤツはだいたい単独で行動しているようで、それほど数は見つからなかったが、チャドクガは一つの樹木に大量に発生していることがある。大量の毛虫の群がる姿はなんとおぞましく、禍々しいことか!
その禍々しさゆえに、ボクらは自分たちが残酷なことをしているのだという事実から遠ざけていたのかもしれない。
「これだけやれば、もういいだろう」
S夫はすっかり英雄気取りだったが、U治はこのゲームに飽きたらしく、いつもの公園に行こうと言い出した。かくして毛虫狩りは終わった。ボクらは入念に犯行現場を隠し、毛虫の張り付いた戦果といっしょに、まだたくさん残っているガムテープを焼却用のゴミ置き場に放り込んだ。
これですべて終わり。
初夏の夕方は一番長い。まだ暗くなるまではだいぶ時間がある。ボクらは、U治の提案を入れて公園に行くことにした。もう一つの戦利品。U治がなくしたカラーボールとふたつのテニスボールとふたつの軟式ボール。次はボールで遊ぼう。
校舎の裏から誰にも見つからないように下駄箱の方に入った。そこから校庭を覗くとすでにN子の姿はなかった。すべては計算どおり、思いどおりである。
ボクらの勝利だ!
公園に行くには、校門を出て左に曲がり学校の敷地をぐるっと外回りして高台に上らなければならない。当然に桜堂の前を通らないとならない。誰も口には出さなかったけど、心のどこかで、後悔のようなものが、ざわざわとこみ上げてくる。
そんなはずはないのだ……そんなはずは……
だってボクらは『悪いことをしたわけじゃない』いや、イタズラはしたけど、すごく悪いこと――こんなに後ろめたい気持ちになるような、悪いことはしていない。そう思っていたのに。きっと、これから学校に通うたびに、こんなふうに、心の奥で何がが騒ぐようになるのだろうか?その『ざわざわとするもの』に耳をかたむければ、ボクは聴きたくもない『良心の声』を聴くような気がした。だから、ボクは、そしてきっとボクらは、その『ざわつき』を無視するしかなかった。
桜堂の前を頭を下げてボクらは小走りで公園へと急いだ。横目で店内を覗くと、そこにはいつもと変わらない店の佇まいの中に、文房具を買っている女子が、ちょうど気のいい老夫婦にお釣りをもらうところのようだった。髪の毛はほとんど真っ白で、黒目や白目がほとんどわからないような細く垂れ下がった目は、いつもニコニコと笑っているように見える。
桜堂の気のいい老夫婦はいったい、何人の生徒を知っているんだろうか?
100年を越す、歴史を持った小学校の横で、どれだけの生徒とこのようなやり取りをしてきたのか?
そのシワシワの顔はすべて笑顔によってできたシワであることは、小学生にも用意に想像ができた。でも、ボクにはその細い目が、ボクらいは違う表情にどこか疲れて、物悲しい表情に見えていた。ボクはボクの世界が変わってしまたことに気づいた。
ボクは、ボクらは扉の向こう側の世界に足を踏み入れてしまったのだ。