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第三章 不吉な宴の夜

 

 今夜は広大で美しい庭園が評判のお屋敷で秋の名月を鑑賞する宴が開催されるという。

 輝夜様と二人、ひょんなことから招待されたのだった。


 毎年開催される秋の名月を鑑賞する宴は都の中枢を担う役職の人がたくさん参加をする。

 そのため、陰陽師の方々は万が一ものの怪の襲来があっても、対応できるようにお屋敷内外を十数人で見回るそうなのだが。


『今年も秋の月見の季節か』

『輝夜、お前結婚したんだからお姫様と参加したら? あのお姫様お月見とか喜びそうじゃない?』

『何、藤原。結婚したのか?』


 偶然、話を聞いていた上司の方がそれはいい、たまには羽目を外したらどうだと乗り気だったそうだ。


 庭園の池に鯉が泳いでいるのを興奮気味に眺めているとどこからか雅楽の演奏が始まった。

 周りを見れば、御伽草子に出てきそうなお姫様や殿方がたくさんいてすれ違うたびに場違いだと痛感した。

 誰もが慣れたように歓談し、月を見ながら和歌を詠んだり、管弦や雅楽の演奏を楽しみ、豪華な食事やお酒も振る舞われていた。

 気づけば部屋の隅の方に小さくなり、私はひっそりと月を眺めていた。


「あなたはどこのお姫様ですの? ねぇ、あなたしかいないでしょう」


 まさか自分に話しかけてくれるとは思わず、ぼけっとしていると肩をたたかれようやく気付いた。

 肩を叩いてくれたのは優美で目鼻立ちがくっきりとしている女性だった。

 もごもご返答の言葉を探す私を嫌な顔せず待ってくれている。

 口を開きかけた時、女性たちのわぁっと黄色い声が聞こえた。反射で声を追いかけた先には輝夜様がいた。


「あー藤原輝夜様ね。一際目立ってるわぁ。あの容姿に最近の華々しい成果の数々。次期陰陽頭とも言われているくらいだものね。人嫌いの藤原輝夜がなんでこんな宴に参加しているのかしら」

「あ……それはえっと」

「誰か意中の相手でもいるのか、それとも結婚相手を探しにきたのか。まぁ、そのへんの女の子じゃ無理ね」

 そのへんの女の子じゃ無理…… 夫ですと言い出しにくくなってしまった。

「あれ、見える?」


 女性が手に持っている扇で指している方向を見ると、輝夜様の横にぴったりと側にいる小さくて可愛らしい玉のような女性が微笑んでいた。

 彼女の周りは光が弾けているといっても過言ではないほど眩しかった。

 可愛らしくて、美しくて、愛らしいお姫様だ。

 彼女の一挙手一投足に目が離せなくて、輝夜様に近づくたびにちくちくと胸が痛んだ。突然の痛みに戸惑い胸を押さえていた。


「あのお姫様は……」

「帝の親戚、五条様のニの姫様ね。あのお姫様は輝夜様の元々許嫁。まぁ、随分前に親の立身出世でその話はなくなったって話だけど」

「お詳しいのですね」

「仕事柄、そういう話が舞い込んでくるのよ」

「お仕事柄?」

「えぇ、物語を書いてるの」

「物語! はぁ〜すごいです! 私、文筆家のかたに初めてお会いしました」

「こういう場は好きではないけど、題材になりそうな話や人物の観察にはうってつけ。あなたも何か面白い話があったら教えてちょうだいね」


 それからも私はちらちらと輝夜様を目で追っていた。彼のまわりには途切れることなく男性、女性が変わるがわる囲われていた。

 さすが有名人……。




「みちるちゃん、今度お家に遊びに行っていい——?」

「えぇ、はい。夫にお話してみます」

「おっとってだれ——?」


 私の膝には物語をお書きになる女性が顔を赤らめていてだいぶ酔っぱらっていた。


 気持ちが悪いと呟いた女性の背中をさすっていると、悪夢の甘い香りが鼻を抜けた。

 どこからだろう。

 辺りを見渡した途端、周りの人達がばたばた床に倒れはじめた。

 あの人も、この人も、先程まで気持ち悪いと呟いていた膝にいる女性も今は力なくだらりと意識がない。

 お酒の飲みすぎで酔って倒れた様子ではない。

 見るからに異常だった。そして、悪夢の甘い匂いは徐々に濃く、強くなっていった。


 床に零れているお酒から黒い煙が出ているのが見えた。

 誰かがお酒になにか入れたのかもしれない。


 倒れ込んだ人の体から黒々とした黒い霧が浮かび上がってくる。

 黒い霧は寄り集まって大きなものの怪に姿を変えた。

 ゆらゆら、どんより渦を巻いている。


「こんな大きな悪夢見たことない……」


 お酒を飲んでいない人々が黒い渦から逃げ惑う中、倒れている輝夜様を見つけて私は拳を握った。

 輝夜様!?

 黒い悪夢の渦を見上げて息を飲んだ。

 一度にこんな大量の悪夢を喰らったことはない、けれど、この場所において大量の悪夢を喰らえるのは私以外いないということもわかっている。私の中に答えはひとつしかなかった。


 今夜は月も大きくて月明かりもある秋の名月でよかった。

 これならお月様の恩恵も受けられる。


 月に手をのばすと月明かりが手のひらに集まり始めた。

 手のひらには小さな満月が出来上がり、次第に私自身に同化するように髪と瞳の色は黒から小さな満月と同じ、金色に変わっていった。この姿は人ではなくものの怪に近いのだろう。周りからひっと搾り出すような悲鳴がそこかしこから聞こえた。


「ものの怪……!」

 

 もう戻れないところにまできてしまった。


 黒い渦に両手を伸ばすと耳を塞ぎたくなるような悲鳴に似た高い音を出しながら私の両手に吸い込まれていった。

 両手に溜まった黒い液体を水を飲むように口に流し込み、悪夢を喰らうと黒い渦はひとかけらもなくなった。

 喉を鳴らして自分の腹の中に悪夢が全て入ったのを感じた。



 誰も犠牲にならなくてよかった。輝夜様はと、彼の方を振り返ったのも束の間、誰かが無情にも私を指さしながら叫んだ。


「あの子! ものの怪よ!! あなたたち早く退治しなさい!」


 叫んだお姫様は輝夜様の側にいた五条様の二のお姫様だった。

 美しい顔を恐怖で歪ませて泣きながら叫んで、隣の具合の悪そうに青い顔をした輝夜様に抱き着いていた。

 輝夜様と目が合って、変わり果てた金色の私に驚いたのか目を見開いていた。


「大人しくしろ! このものの怪!」


 私の元へ駆けつけた陰陽師の方々に無慈悲にも床へ体を押さえつけられた。

「痛い……」

「黙れ! ものの怪!」


 うごうご、わらわらと私を囲うように沸く人達の中で輝夜様私の元へ駆け寄ろうとしてくれているのが見えた。しかし、人垣によって阻まれている。


「みちる!」


 よかった、輝夜様は無事。

 余裕のない状況で私の名前を呼んでくれて嬉しかった。

 今すぐに彼の伸ばしている手を掴みたいと思った。けれど、輝夜様と名前を呼ぶことも、手を掴むことも出来なかった。


 改めて思う。彼は陰陽師なのだ。 


 妻がものの怪などと噂がたっては迷惑をかけてしまうと私の頭の中は至極冷静だった。


「みちる!」


 床に押さえつけられている私と彼の目が合った。

 これで最後だと思うと自然と笑ってしまった。私のこれまでの人生の中で一番自然な笑顔だった。


 さようなら


 声に出せない代わりに、口だけを動かした。彼に伝わったようだった。

 そうして私は指をパチンと鳴らして、ようやく深く呼吸が出来た。

 周りの人達がふわりと意識を飛ばして倒れ、規則正しい寝息をたてながら眠りに落ちていくのを見ていた。


「月の帳を降ろしてくれてありがとう」


 私は目の前には月灯りを纏った獏がふわりとやってきた。私を押さえつけていた陰陽師たちを優しく丁寧に寝かせて獏の背中に乗って、お屋敷を出た。


 秋の名月を獏の背から眺めていると、自然と涙が頬を伝った。

 

「半年か……楽しかったなぁ。本当に、楽しかったぁ」


 涙の数だけ輝夜様と過ごした日々と使用人たちとの賑やかな時間、橘様、竹成様の顔が浮かんでいた。



 私は約一年ぶりに都の端にある静かで年季の入ったひとりぼっちの家に帰ったのだった。




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