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第一章 放置された夢喰い妻

それは、花が咲き乱れる春うららかな温かい日のことだった。

 春はあけぼの、春眠暁を覚えず等の表現がぴったりと相応しい。

 しかし、私だけ季節は極寒の冬真っただ中のようだった。


「離れで過ごしてください。書状の上では夫婦ですが、あなたとはこの先も一生、他人です。祖父からの頼みで仕方なく結婚を了承しただけですので、私に挨拶も気遣いも面会も不要です。私からもあなたへの挨拶、気遣い、面会の予定はありません」

「……はい」

 私の夫となる人はせかせかと巻物を次から次へと広げ、手作業をしながら淡々と告げた。書き物をしている手元から顔をあげることはなかった。私の顏を一度も見ようともしないとても冷たい人だった。

 一瞥もなく部屋を出ていき、部屋に一人取り残された私はまるで、その場所にはいないかのようだった。



 一週間ほど前の事。

 碁盤の目のような都の端っこ。

 静かで古びた狭い屋敷で一人ひっそりと暮らしている私の元へ、祖父が軽快な足取りでやってきた。胸に大事そうに巻物を抱いていた。


「みちるや、おじい様がすごい縁談を持ってきたのじゃ——!」

「縁談ですか……」


 縁談にはいい思い出がない。

 笑った顔が不気味だ。

 話し方が呪詛を吐いているようだ。

 何度破談になったことだろう。

 そんな哀れな私を見かねた祖父がすごい縁談を持ってきたとのことだった。


「お相手はなんと! 藤原輝夜(ふじわらのかぐや)殿じゃ!」


 彼は都で一番有名な陰陽師だった。

 寡黙で冷血、人と群れることなく常に一人で淡々とものの怪を退治する将来有望な陰陽師。

 そして、誰もが息を飲む御伽草子に出てきそうな美丈夫だと評判の殿方だった。


「そんな有名人、私には分不相応ですよ……」

 どこでそのような縁談を拾ってきたのやら。

「いいや! みちるが相応しくないわけがない! こんなに可愛いわしの孫じゃ。それに輝夜殿のおじい様とわし、大親友でのう。むこうからうちの孫の妻に是非にと言ってくださったのじゃ」

「でも、結婚されるのは輝夜様なのでは? そんな勝手に……私みたいな不気味な女を……」

「わしはお似合いだと思うがのう。嫁入り用にほれ、新しい着物も用意したのじゃよ!」

「あ、ありがとうございます……」


 おじいさまから私では選びそうにない明るい色味の着物を手渡された。

 私がおどおどしている間におじいさまは話を進め、成り行きで縁談を受けることになったのだ。

 



 輝夜様のお屋敷内の離れで過ごすことになって一週間。

 彼の言った通り、私に会いに来ることは一切なかった。私の身の回りのお世話は使用人の女性たちが全て行っていて、離れから出ることはなかった。

 しかし、今までの生活で使用人がいたことない私はうまくかかわり合うことが出来なった。それは、使用人の女性たちも同じだった。


「どうして輝夜様は特に取柄のなさそうなみちる様と結婚なんてされたのかしら」

「なんでもおじい様同士で決められたそうよ~。家柄もあまりよくないみたい。そ、れ、に! 輝夜様に放置されてるような人だしね」

「みちる様は名ばかりのお飾り妻ってわけね。まぁ、あの質素な着物に貧相な容姿ですものねぇ」

「そうそう、だから私たちがお世話する必要もないのよ。適当でいいわよね」


 使用人の女性たちは私に聞こえることを想定して大声で話している。

 当初は甲斐甲斐しくお世話をされていたが、今は食事の配膳くらいでしか顔を出さない。


 やっぱり、この結婚も、この生活も分不相応。もう家に戻りたい。



 静かな離れの寝所から煌々と輝く満月を眺めているとふわっと甘い香りがどこからか漂ってきた。

 寝静まったお屋敷内で足音を殺して甘い香りを追いかけた。


「あっ……」


 離れを抜け出して甘いの香りの先に辿り着いたのは輝夜様の寝所だった。

 私は月に向かって手をあげてぱちんと指を鳴らすと月明かりが目の前に集まり、小さな満月を作った。

 小さな満月は動物へ姿を変え、獏が現れた。


「来てくれてありがとう。お屋敷内に月の帳(つきのとばり)を降ろして」


 獏はにっこりと目を細めて長い鼻で月明かりをいっぱいに吸い込むと大きく吹き出してお屋敷全体を包んだ。

 月の帳とは獏が人を眠らせるために月明かりを降らせることで、悪夢を喰らう時に誰にも見られないようにするためのもの。

 私は輝夜様の寝所に音を立てずに入ると想定以上に充満する甘い香りにくらくらした。


「失礼します」


 眠っている輝夜様の綺麗な富士額を中指と薬指二本で触わり悪夢の量を計った。

 指だけでは足りないと計算し、額をすうっと吸うように口づけするとわんさかわんさか彼の悪夢が流れ込んできた。

 それはあまりに濃厚で恨み辛みのこもった味がした。


「こんなに濃い悪夢ははじめてかも……」


 悪夢の量に驚きながら、油灯の明かりに照らされた輝夜様の顔を見るととても険しく、濃いクマがあり、肌が荒れていた。


「こんな悪夢を見ていたらゆっくり眠れるはずがない。お仕事柄ものの怪の呪いをうけやすいのかしら」


 濃厚な悪夢をお腹いっぱい堪能した私はこっそり部屋を出て離れに戻った。

 満腹になったお腹をさすりながら足を止めた。


「どう考えても……あの悪夢は……致死量を越えていた。今日亡くなってもおかしくなかった。お仕事柄呪いを受けてしまっただけ、ではないような」


 ぶつぶつと考えを巡らせる私に寄り添ってくれる獏は私の式神である。


「だからといって、何かお伝えできるようなものでもないんだけどね。お飾りの妻だものね。今日はありがとう、月へおかえり」

 

 獏にっこりと笑って鼻を揺らし、月へ還っていくのを見届けた。


 私は、悪夢を喰らうものの怪『獏』の血と神社の巫女の血が流れる半端もの。

 悪夢を喰らう能力を持った不気味な女。



◇◇◇



 あの夜から私は定期的に輝夜様の寝所へ入り、こっそり悪夢を喰らう生活が半年続いていた。

 相変わらず、使用人の女性たちからの隠す気のない陰口をたたかれながら食事だけ運んでもらっている日々。


「輝夜様! 最近一段と美しくなられましたわよね!」

「えぇ、それに以前よりもたくさんのものの怪を退治されているそうよ」

「最近とても調子がいいんですって」

「まぁ!」


 使用人の女性たちの陰口ではないこういった輝夜様のお話を聞くのは密かな楽しみになっている。

 今まであの量の悪夢に日々苛まれていたのだとしたら、日常生活に支障がでないわけがない。本人は相当苦しかったはずだ。

 調子がよくなっているのであれば私も嬉しい。

 書類上だけの夫婦だとしても夫の力になれるのは妻冥利に尽きるというものだろう。



「みちるさーん、みちるさーん!」


 外から名前を呼ばれておどおど顔を出すとそこにはお会いしたことのないおじいさんが優しく朗らかに手を振っていた。

 どなただろう。


「?」

「初めまして、輝夜の祖父の竹成(たけなり)と申します」


 驚きのあまり数秒程、頭が真っ白になってしまった。

 輝夜様のおじい様ということは私の祖父のご友人でこの縁談を段取りしてくれた方だ。


「輝夜様のお、おじい様! あ、あの祖父がいつもお世話になっております」

「ようやくお会いすることが出来て嬉しいよ。いつも離れにいるのかい?」

「はい。輝夜様からこちらで生活するようにと」


 私がそう告げると竹成様は両拳を握って両手に何度も打ち付けていた。


「全く、輝夜のやつ! みちるさんにこんな生活をさせるとは、けしからん!」

「いえ、あの結婚してくださっただけでも……」

「いいや! あいつは命の恩人になんて恩知らずなことを」

「命の恩人?」

「隠さんでいい。私はみちるさんのおじいさんに若いころ悪夢を喰ってもらって命を助けられた。最近、輝夜の調子がいいのはみちるさんのおかげだろうに」


 竹成様は私が夢喰いであることをご存じなのね。


「そもそも! 私が輝夜の悪夢引き寄せ体質を心配して! みちるさんのおじいさんに相談したのがこの結婚のきっかけであってだな!」


 そうだったのですねという相槌はばさばさばさと箱や絵巻物、反物が落ちる音にかき消されてしまった。

 音を辿って振り返れば、そこには目を見開き、唖然とする輝夜様がいた。


「は? おじい様……何ですか、今の話。それに……あなた」




 いつもしんっと静まりかえっている離れに輝夜様と竹成様がいる。

 使用人の女性たちはいないので、私がお茶を淹れると竹成様がキッと輝夜様を睨んでいた。


「何故、使用人の一人もいないんだ。輝夜、説明せい」

「……」

「あ、えっと。私が! あの、元々使用人のいる家ではなかったので食事を運んでもらえれば充分と……」

「本当か、輝夜」


 輝夜様と目が合って私が何度か頷くと彼はため息をついた。

 使用人の女性たちが私のお世話をしていないというのは輝夜様は全くご存じなかった様子だった。


「……はい」

「みちるさん、本当にすまなかった! 事前に私がしっかり大切にするように言い聞かせておくべきだった。こんなにも特別なお嬢さんを!」


 竹成様は私なんかに深々と頭を下げ謝り倒している。頭をあげてくださいと数回言った後、外から声がかかった。


「竹成様、お時間です。牛車がお待ちです」

「わかった今行く。御所へ向かう道すがらみちるさんを一目見たくて寄ったんじゃが、このぼんくらのせいですまなんだ。では、また近いうちにお茶でもな」

「お忙しい中、私なんかのためにお心遣いを申し訳ありません」

「いいんじゃいいんじゃ。輝夜はみちるさんに話を聞いてしっかり反省せい。今のお前の調子の良さはみちるさんのおかげだ、馬鹿孫が!」


 慌ただしく去っていく竹成様を見送って輝夜様と二人きりなった。とても気まずい無言の時間が流れていた。



「あの、大丈夫ですよ? 竹成様はあぁ仰ってましたけど、今まで通りで問題ありません。お忙しい中、貴重な時間を頂戴してしまって申し訳ありません」


 私が部屋から去ろうとすると輝夜様はがしっと腕を掴んできた。


「全て、話してください。嘘偽りなくお願いします」

「……はい」

 

 私は獏と巫女の血が流れる半端ものだと言うこと。

 自分が夢喰いの力を持つこと、密かに輝夜様の悪夢を喰らっていたことを話した。

 輝夜様の事だから勝手なことをしないでいただきたい、許可なく寝所に入るなどと怒られると思っていた。

 全て私が悪いのだから謝らなければと思った。


「申し訳ありません。身勝手なことを、こんな不気味な女とは離縁してくださって結構です。私は明日にでも実家に戻りますので……」

「は?」


 私の言葉にお怒りの表情で大きな手が伸びてきて、叩かれると目を閉じるとふわっと抱きしめられてしまった。


「えっ、あの輝夜様。えっと、お放し」


 さらにぎゅうぎゅう抱きしめられるといよいよ頭の中が大混乱だった。


「そうですか、あなただったんですか……」


 抱きしめられる力が弱まって慌てて距離を取ろうとすると腕を引かれて押し倒されてしまった。

 輝夜様の整った顔を至近距離で見てしまい、恥ずかしさのあまり顔を逸らすとグイっと目を合わせるように向き直させられた。

 目の前がぐるぐるまわる。


「もっとよく見せてください。あぁ、夢の中のあなたと同じ……とても綺麗だ」

「おやめください、輝夜様。お戯れがすぎます。私をからかっているだけなら」

「夢で何度もあなたとお会いしました。暗闇で彷徨う私の手を毎夜引いてくれた。こんな近くにいるならもっと早く会いに来ればよかった……都中を探しても見つからないわけですね」


 私は輝夜様が口づけをしてくる様子でゆっくり近づいてくるのを必死に手で止めた。


「やめてください! 輝夜様は書類上だけの夫婦で、他人だと仰いました。挨拶も、気遣いも、面会も不要だと……私に興味なんてすこしもないはずです!」

「あれを見てください」

「あれ?」


 輝夜様の目線の先を追いかけると先程彼が抱えていた箱や反物、絵巻物の数々があった。


「祖父が私の夢の中の想い人と今日離れで会うと言ったから、半年前から夢の中でお会いするあなたを思い浮かべながら集めていた贈り物です」

「半年も前から……はっ! 輝夜様、それは気の迷いというものです。悪夢から救われた高揚感からくるものですよ!」

「あなた、見かけによらず手厳しいですね」

「本当にお気になさらず。悪夢自体は美味しかったので! 今まで通りで結構です。私なら全然大丈夫ですから」

「私が大丈夫ではありません」


 輝夜様は不器用に顔を赤らめていた。


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