第2章:はじめまして、私の畑
ヴァイス辺境領の村は、想像以上に活気がなかった。人々は痩せこけ、その瞳には諦めと無気力が宿っている。道端に座り込む老人、泥で汚れた服を着た子供たち。突然現れた、上等な旅装の私を、彼らは怪訝な顔で遠巻きに眺めるだけだった。
村長だという老人に挨拶をし、私がこの土地の新たな領主としてやってきたことを告げると、彼は驚きもせず、ただ疲れた顔で言った。
「お好きになさるがいいですじゃ。どうせ、この土地じゃ何も育たん」
私は、村の外れにある打ち捨てられた小さな家を譲り受け、そこを拠点にすることにした。家の中は埃だらけだったが、掃除をすれば十分に住める。まずは、この土地を知ることから始めなければ。
翌日から、私のフィールドワークが始まった。村の周囲を歩き回り、土を手に取っては、その色や手触り、匂いを確かめる。前世の記憶を頼りに、持参した簡単な道具で土の酸度を測ってみると、やはり予測通り、かなり酸性に傾いていた。植物が育ちにくい、痩せた土壌だ。
「なるほどね……。でも、やりようはいくらでもあるわ」
私は腕まくりをすると、持参金の一部を使って村人からシャベルや鍬を買い、家の裏手の荒れ地を開墾し始めた。石ころだらけの土地を耕すのは重労働だ。大小さまざまな石を一つ一つ拾い上げ、畑の脇に積み上げていく。手のひらはすぐに豆だらけになり、汗が滝のように流れた。
そんな私の姿は、村人たちの目には奇異に映ったらしい。
「あの新しいお貴族様、気でも狂ったのか?」
「一日中、石拾いなんかしなさって」
「どうせすぐに音を上げて、王都に泣きついて帰るに決まってる」
そんな陰口が聞こえてきても、私は気にしなかった。彼らが知らないだけなのだ。この石ころだらけの土地が、いずれ黄金の宝の山に変わることを。
作業を始めて数日経った頃、私は森の近くで大量の落ち葉が積もっている場所を見つけた。これは使える。腐葉土は最高の土壌改良材だ。村の家畜小屋を回り、お金を払って糞を分けてもらい、それらを混ぜ合わせて堆肥作りを開始した。強烈な匂いに顔をしかめながらも、私の心は満たされていた。これが、豊かな土への第一歩なのだから。
さらに、石灰の代わりになる貝殻を探しに川辺へ行ったり、緑肥にするためのマメ科の植物の種を探したりと、私の毎日は大忙しだった。
村人たちは、そんな私を「狂ったお姫様」と呼び、腫れ物に触るように遠巻きにしていた。
そんなある日の午後。いつものように畑で石を取り除いていると、ふいに背後から強烈な殺気を感じた。振り返る間もなく、すぐそばの茂みから、牙を剥いた巨大な狼型の魔物が飛び出してくる。
(まずい!)
咄嗟に身構えたが、農具しか持たない私に勝ち目はない。死を覚悟した、その瞬間だった。
風を切る鋭い音と共に、一陣の風が私の横を駆け抜けた。そして、次の瞬間には、魔物の眉間に一本の矢が深々と突き刺さっていた。巨体は悲鳴を上げる間もなく、ぐらりと揺れて地面に倒れ伏す。
呆然とする私の視線の先に、一人の男が立っていた。
無骨な革鎧を身につけ、背には大きな弓。短く刈られた黒髪に、鋭い眼光。日に焼けた肌と、鍛え上げられた体躯は、一目でただ者ではないと分かった。彼は倒れた魔物に一瞥をくれると、無言のまま、私に背を向けて立ち去ろうとする。
「あ、あの! 待ってください!」
私は慌てて呼び止めた。
「助けていただき、ありがとうございます。私はアリーシャと申します。あなたのお名前は?」
男は面倒くさそうに足を止め、ちらりとこちらを振り返った。その瞳には、深い絶望と警戒の色が浮かんでいる。
「……カイン」
ぽつりと、それだけを呟くと、男は今度こそ森の中へと消えていった。
それが、私と、私の運命を大きく変えることになる男、カインとの出会いだった。




