第1章:偽りの断罪と、希望への旅立ち
婚約破棄と国外追放の宣告から数日後。私は実家であるクライスハイト公爵邸の一室で、旅の支度を整えていた。
父である公爵は、王宮での一件を聞くなり血相を変えて飛んできてくれた。
「アリーシャ! 王太子殿下はどうかされている! 今からでも私が乗り込み、お前の無実を――」
「お父様、お気持ちは嬉しいのですが、もう結構ですわ」
私は父をなだめ、きっぱりと告げた。
「私は、この決定を受け入れます。ヴァイス辺境領へ行きますわ」
私の決意が固いことを知ると、父と母は深くため息をつき、悲しそうな顔で私を抱きしめた。
「……ならば、これを持っていきなさい。クライスハイト家が、お前にしてやれる最後の援助だ」
父が差し出したのは、ずしりと重い革袋。中には、平民が一生遊んで暮らせるほどの金貨と、いざという時のための宝石類が入っていた。さらに母は、私が昔から読みふけっていた書物――その大半が、農業や植物に関する専門書だった――を、頑丈なトランクに詰めてくれた。
「ありがとう、お父様、お母様。必ず、幸せになりますから」
両親の心配を背に受けるのは心苦しかったが、私の心は一点の曇りもなく晴れ渡っていた。前世の知識という最強の武器と、潤沢な持参金。これ以上ないほどの好条件だ。
王都を出発する日。私を乗せたのは、罪人用の護送馬車ではなく、公爵家が用意した簡素ながらも頑丈な馬車だった。最低限の護衛が一人付き、御者が手綱を握る。見送りに来たのは、両親と、幼い頃から私に仕えてくれたメイドのアンナだけだった。
「アリーシャお嬢様……お気をつけて」
アンナは涙をこらえきれずに泣いていた。私は彼女の手を握り、微笑む。
「大丈夫よ、アンナ。私は追放されるんじゃない。新しい人生を始めるために、旅立つのだから」
馬車がゆっくりと動き出す。次第に遠ざかっていく、生まれ育った王都の街並み。私を縛り付けていた、きらびやかで息苦しい世界。
窓から流れ込む風が、私の髪を優しく撫でる。その風は、自由の匂いがした。
「さようなら、窮屈な私。こんにちは、新しい私」
誰に聞かせるともなく呟き、私は馬車の窓から見える青空を見上げた。
ヴァイス辺境領までの道のりは、数週間を要した。豊かな中央の平野を抜け、徐々に道は険しくなり、緑の色も薄くなっていく。
護衛の騎士は寡黙な男だったが、野営の準備や食事の手配など、忠実に務めを果たしてくれた。私はその日の食事として、持参した干し肉と固いパンをかじりながら、頭の中ではすでに辺境での生活計画を組み立てていた。
(まずは土壌の調査。pHを測って、どんな作物が適しているか見極めないと。それから堆肥作り。落ち葉や家畜の糞は貴重な資源になるはず。水路の確保も重要ね。ああ、やることがいっぱいで、わくわくする!)
私の脳内は、さながら研究計画を発表する学生のように、希望と情熱で満ち溢れていた。これが絶望的な追放の旅だなんて、誰が思うだろうか。
やがて、馬車の窓から見える景色が、一層荒涼としたものに変わった。ごつごつとした岩肌が目立ち、木々はまばらで、生命の気配が希薄になっていく。
御者が、前方を指さして言った。
「お嬢様。あれが、ヴァイス辺境領にございます」
その先にあったのは、粗末な木と石で造られた家々が点在する、小さな村だった。
私の新たな人生の舞台。希望に満ちた大地。
私は馬車を降り、深く、深く、辺境の空気を吸い込んだ。




