第8話「職人」
カン、カン、カァン!
重厚なハンマーの音が、リズムよく響き渡る。
運河の向こう側に広がる「職人街」は、水の都セレニアにあって、そこだけ別の国のような熱気を帯びていた。
立ち並ぶ煉瓦造りの煙突からは黒い煙が吐き出され、空気は鉄と硫黄、そして焦げた油の匂いが混じり合っている。
「うわぁ…すごい音!それに何だか暑いね、ルカ!」
アディが煤で鼻の頭を少し黒くしながら、目を丸くして周囲を見回した。
行き交う人々は皆、革のエプロンを締め、腕に火傷の痕がある屈強な男たちばかりだ。
「ここがセレニアの心臓部だよ、アディ。造船に必要な釘、錨、工具…すべてがここで作られているんだ」
ルカは眼鏡の曇りを指で拭いながら、興味深そうに煙突の煙を観察した。
(…煙の色が黒すぎる。燃焼効率が悪いな。ふいごの送風量が足りないのか、それとも炭の質が悪いのか…改善の余地ありだね)
いつもの癖でブツブツと分析しながら、ルカは目的の場所を探した。
ロレンツォから教えられた場所は、職人街のさらに奥。
喧騒から少し離れた、古い石造りの工房だった。
看板には、ただ焼けた鉄の看板に『ビアージョ』とだけ刻まれている。
入口には「貴族、冷やかし、注文の多い客、お断り」という無愛想な木札が下がっていた。
「…ここだね」
「うわぁ、入りにくそうな雰囲気…」
アディが苦笑いする。
ルカはゴクリと唾を飲み込み、意を決して重い木の扉をノックした。
コン、コン。
「すみませーん!金属加工のことで相談があって来ました!」
ルカが声を張り上げると、しばらくして扉が少しだけ開き、中から煤けた顔をした青年が顔を出した。ビアージョの弟子だろうか。
「あぁ?なんだガキか。親のお使いなら他をあたってくれ。師匠は今、機嫌が悪いんだ」
「お使いじゃありません!僕たちは商談に来たんです。マエストロ・ビアージョに見てほしい素材があって…」
「商談だぁ?」
青年は鼻で笑い、ルカとアディの服装を上から下までジロリと見た。
ルカはフェデリコのお下がりの作業着。
アディは活動的な民族衣装。
どう見ても金持ちには見えない。
「悪いが帰んな。ウチは子供の遊び場じゃねぇんだ」
「待ってください!本当にすごい素材なんです!この『赤い宝石』と『純鉄』を…!」
ルカがポケットからサンプルを取り出そうとするが、青年は聞く耳を持たずに手を振った。
「しつこいな!師匠は『本物』しか相手にしねぇんだ。お前らみたいな子供が持ってくるガラクタに用はねぇよ!」
バタン!
無情にも、扉は目の前で閉ざされた。
「あ…」
ルカは呆然と閉じた扉を見つめた。
ロレンツォの言った通りだ。普通に交渉しても門前払いされる。
「ひどい!話くらい聞いてくれたっていいのに!」
「仕方ないよアディ…。職人の世界は厳しいんだ」
ルカは肩を落とし、すごすごと引き返そうとした。
その時だった。
ルカの足が、工房の脇に積まれていた「ゴミ山」に引っかかった。
「うわっと!」
「大丈夫、ルカ?」
よろめいたルカの視界に、ゴミ山の中に突き刺さっている「一本の剣」が入った。
それは、どう見ても完成品に見えた。
装飾こそないが、刃渡りは長く、鋭い輝きを放っている。
市場で売れば金貨数枚はしそうな業物だ。
「…なんで、こんなものが捨ててあるんだ?」
ルカは不思議に思い、その剣をゴミ山から引き抜いた。
ずっしりとした鋼の重み。刃こぼれ一つない。
「わあ、かっこいい剣!これも失敗作なの?」
「見た目は完璧だね。でも…」
ルカは剣を顔に近づけ、眼鏡のレンズ越しに刀身を凝視した。
材料工学者の目が、肉眼では見えない鉄の「肌」を読み取っていく。
(…粒子が荒い。焼き入れの温度が高すぎたんだ。それに、この波紋の歪み…)
ルカは柄を握り、指先で刀身をピン、と弾いた。
キィィィ…ン。
高く澄んだ音が響く。
だが、ルカの耳には、その音の中に不協和音が混じっているのが聞こえた。
「…なるほど。そういうことか」
ルカは納得して頷いた。
その時、再び扉が開き、さっきの青年が血相を変えて飛び出してきた。
「おいコラ!勝手にゴミを漁るな!それは師匠が『失敗作』だと判断して捨てたもんだ!」
「うん、わかってるよ。これは失敗作だね」
ルカはあっさりと認めた。
だが、その口調は子供のそれではなく、研究者が実験結果を報告する時の冷静なものだった。
「見た目は美しいけど、これは剣として機能しない。炭素含有量が不均一で、特に刃の中央部分に0.2パーセントほどの偏りがある。これじゃあ、硬い鎧に当たった瞬間、衝撃が逃げ場を失って真ん中からポッキリ折れちゃうよ」
ルカの言葉に、青年の目が点になった。
「は…?たんそ…なんだって?」
「焼き入れの時の冷却速度も速すぎたんだ。表面だけが硬化して、内部の粘りが死んでる。これは『剣』じゃない。鋭いだけの『ガラス細工』だ」
ルカは悪気なく、事実だけを淡々と述べた。
青年は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「て、てめぇ!知ったような口をききやがって!この剣は師匠が三日三晩かけて打ったもんだぞ!ガキに何がわかる!」
「わかるよ。物質は嘘をつかないからね」
ルカが眼鏡を光らせて答えた、その時だった。
「…ほう」
地響きのような低い声が、工房の奥から聞こえた。
青年がヒッと息を呑んで道を空ける。
暗がりから現れたのは、熊のような大男だった。
煤で汚れた灰色の髪、筋肉の鎧をまとった巨体、そして顔には火傷の古傷。
その眼光は、溶鉱炉のように赤く、鋭かった。
セレニア一の鍛冶師、マエストロ・ビアージョ。
「し、師匠!こいつらが勝手なことを…!」
「黙ってろ」
ビアージョは弟子を一喝すると、ドシドシとルカの前に歩み寄った。
巨大な影がルカを覆う。
アディがとっさにルカの前に立ちはだかろうとするが、ルカはそれを手で制し、真っ直ぐに職人を見上げた。
「小僧。今、なんて言った?」
ビアージョの声には、隠しきれない殺気が混じっていた。
普通の子供なら泣き出して逃げるところだ。
だが、ルカは逃げなかった。
彼にとって、技術への指摘は喧嘩ではない。
真理への探究だ。
「『ガラス細工』だと言いました。マエストロ」
「…俺の剣がか?」
「はい。美しいですが、実用性が伴っていません。あなたが目指したのは『剛剣』でしょうが、結果としてできたのは『脆い芸術品』です」
「…ッ!」
ビアージョの眉がピクリと動いた。
張り詰めた沈黙。
アディが落ち着かなさそうに身じろぎした。
やがて、ビアージョはルカの手から剣をひったくると、無造作に膝に当てて力を込めた。
バキンッ!!
甲高い音を立てて、剣はルカの指摘した通り、真ん中から綺麗に折れた。
「…ふん」
ビアージョは折れた剣を地面に投げ捨てると、ニヤリと凶悪な笑みを浮かべた。
「炭素のムラまで見抜いたか。…気味の悪いガキだ」
「えっと…褒め言葉として受け取っておきます」
「入れ。茶くらいは出してやる」
ビアージョは踵を返し、工房の中へと戻っていった。
弟子が信じられないものを見る目で、ポカンと口を開けている。
「…やったね、ルカ!」
「うん!第一関門突破だ!」
ルカとアディは顔を見合わせ、ハイタッチを交わした。
重い扉が、今度は歓迎の意味を持って開かれる。
その先には、赤々と燃える炉の火と、ルカの素材を待つ「本物」の職人がいた。
(第8話「職人」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「マエストロ・ビアージョ、噂通りの頑固親父だ…。『こんな得体の知れない赤い玉、加工できるか!』って、いきなり怒られちゃった。でも、僕の『純鉄』を見せた瞬間、お爺さんの目の色が変わったんだ。
『…小僧、こいつでお前は何を作る気だ?』
いよいよ始まる共同制作!僕の設計図と、職人の技が火花を散らす!」
「次回、『契約』。そのハンマーは、神の雷か!」




