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錬金術?いいえ、材料工学です。授かったスキルで海洋国家の覇者になります!  作者: 秋澄しえる


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第62話「薔薇の乙女」

 ロレンツォ兄さんは、僕が書きなぐった羊皮紙のメモを覗き込み、腕を組んだ。


「さて、話はわかった。既存の石鹸市場に喧嘩を売らず、むしろ相乗効果で儲ける。…理屈は完璧だ。で?その『リンス』ってのは、どいつだ?」


 兄さんが工房の棚を見渡す。


 そこには、これまで作った様々な試作品が並んでいるが、髪のための水なんてものは影も形もない。


「まだ完成品はないよ。これから作るんだ」


 僕は新しい羊皮紙を引き寄せ、ペンを走らせた。


「材料は、セレニアで手に入る最高級品だけを使うよ」


 僕が書き出したのは、以下のリストだ。


☆白ワインビネガー

☆ローズウォーター(薔薇の蒸留水)

☆アーモンドオイル

☆ハチミツ

☆ドライハーブ(ローズマリー、セージ)

☆リネン(濾過用)

☆クリスタッロ(透明度の高いガラス)の小瓶


「兄さん、倉庫にドライハーブとリネン生地の余りはあったよね?あ、ドライハーブは、いろいろ試してみたいから他の良い香り…ラベンダーもあったら」


「ああ、仕入れた分がまだあるはずだ。ラン、手伝ってくれ」


「了解だ」


 ランさんが腰を上げる。


「じゃあ、残りは買ってきてもらうことにしよう。ここから実験の開始だね。…兄さん、金貨十枚準備して」


「じゅう、枚…?」


 ロレンツォ兄さんが眉を跳ね上げた。


「おいおい、酢と油を買うだけだろ?ボッタクリにも程があるぞ」


「普通の酢じゃないよ。それに、一番高いのは『ローズウォーター』と『クリスタッロ』だ。ブランドを作るなら、器も香りも最高級じゃなきゃダメなんだ」


「…まあ、先行投資か。ほらよ」


 兄さんは懐から革袋を取り出し、金貨を数えて渡してくれた。


「だが、誰に買ってきてもらうんだ?俺たちはこれから倉庫整理だし、お前が一人で大金を持って歩くのは不用心すぎるぞ」


「ヴァレリアさんたちだよ」


 僕は窓の外、警備中のメイドたちの方を見た。


「ヴァレリアさんたちに材料を買ってきてもらって、作ってもらって、出来上がったら使ってもらう。…秘密を守れるし、彼女たちなら、使い心地の感想も聞けるでしょ?」


「…なるほどな。それは良い考えだ。それなら、ウチだけで全部できる」


 兄さんがニヤリと笑った。


「よし、行ってこい!」


「うん!」


 僕は金貨袋を握りしめ、母屋へと駆け出した。



◆◇◆◇◆



「マリア!いる?」


 母屋の厨房に飛び込むと、メイド長のマリアが銀食器を磨いているところだった。


「…おりますよ、ルカ様。廊下は走らないでくださいと、何度申し上げれば」


「ごめん!ちょっと急ぎで、ヴァレリアさんたちを借りたいんだけど大丈夫かな?」


 マリアは手を止め、少し考えた。


「ルーチェにはお使いを頼んでいるのでおりませんが、他の五人は屋敷内の警備か、他の雑用をしてもらっています。…何かあったのですか?」


「ううん、新しい仕事をお願いしたくて。じゃあ、僕の工房に来てもらうよう言っておいて!」


 僕はそれだけ伝えると、返事も聞かずに工房へトンボ返りした。


 数十分後。


 工房の扉が開き、ヴァレリアを筆頭に、リナ、エリシア、ニーナ、アリアの五人が入ってきた。


「お呼びでしょうか、ルカ様」


「みんな集まってくれてありがとう。これから、みんなにそれぞれ『お使い』に行ってもらいます」


 僕はテーブルの上に金貨を並べた。


「まずヴァレリアさん」


「はい」


「ヴァレリアさんは、市場で一番いい『白ワインビネガー』を、これで買える分だけ買ってきてください」


 僕は金貨一枚を手渡した。


 ヴァレリアが一瞬、その金額に目を瞬かせたが、すぐに表情を引き締めた。


「…承知いたしました。最高級の逸品を探してまいります」


「リナさんは『アーモンドオイル』を。エリシアさんは『ハチミツ』を。アリアさんは『ローズウォーター』をお願いします」


 それぞれに金貨を渡していく。


「そしてニーナさん」


「はい」


「ニーナさんは『クリスタッロ(高級デザインガラス)』の小瓶を買ってきてください。香水を入れるような、デザインの良いやつを」


「心得ました」


 ニーナが音もなく金貨を受け取る。


「みんな、急がなくていいから、品質の良いものを選んでね。いってらっしゃい!」


 五人のメイドたちは一斉にお辞儀をし、風のように姿を消した。



◆◇◆◇◆



 約一時間後。


 全員がそれぞれの荷物を抱えて戻ってきた。


 テーブルの上には、琥珀色のオイル、黄金色に透き通ったビネガー、濃厚そうなハチミツ、そして高価な薔薇の蒸留水が並んでいる。


 ロレンツォ兄さんとランさんも、倉庫からハーブの束とリネン生地を持ってきてくれた。


 僕はテーブルの上を片付け、オイルランプを二つ、銅鍋を二つ、大きめの蓋付き瓶、そして水を張ったタライを準備した。


「よし、揃ったね」


 僕は腕まくりをして、全員を見回した。


「では、これから実験を開始します。僕は指示だけするので、実際にはみんなに作ってもらいます」


 え?とヴァレリアたちが顔を見合わせる。


「私たちが、ですか?調合など、素人の私たちがやって失敗しては…」


「大丈夫!うまくいけば、これからのマルチェッロ家を支える商品になるから、作り方をしっかり覚えてほしいんだ。難しくはないよ。じゃあ、やってみよう!」


 僕は手近な銅鍋を指差した。


「まずはヴァレリアさん、その鍋に白ワインビネガーを入れて。量は瓶の半分くらい」


「はい」


 ヴァレリアが慎重に瓶を傾ける。トクトクと薄い黄金色の液体が鍋に注がれる。


「そこに、ローズマリーとセージを投入して」


 乾燥したハーブがパラパラと液面に散る。


「オイルランプにかけて、ゆっくり温めて。…沸騰させちゃダメだよ。『ハーブの魂』が逃げちゃうからね。優しく煮だして」


「承知しました」


 ヴァレリアは真剣な眼差しで、鍋の温度を見守り始めた。


「次はリナさん」


「おう、任せな」


 大剣使いのリナが腕まくりをする。


「別の鍋に、アーモンドオイルとハチミツを同じ量だけ入れて」


 ドロリとしたハチミツと、サラサラのオイルが鍋の中で分離している。


「これを混ぜるんだけど…しっかり混ぜたいから、力一杯練って!」


「力仕事か!そいつは得意だ!」


 リナが木べらを握り、ガシガシとかき混ぜ始めた。


 鍋がガタガタと揺れるほどの勢いだ。


 やがて、工房の中にツンとした匂いが漂い始めた。


 温められたビネガーの酸味が、揮発して空気に広がったのだ。そこにハーブの香りが混ざり、なんとも言えない薬草のような、酸っぱい匂いが充満する。


 ヴァレリアが少し不安そうに鍋の中を覗き込む。


「ルカ様、これはこのまま続けていいのですか?かなり強烈な香りがしますが…」


「うん!もう少しハーブの香りが立ってくるまで続けよう!」


 数分後。


 ビネガーの色が、ハーブのエキスを吸って少し濃くなってきた。


「このくらいでいいかな。リナさんのも、そろそろいいよ」


 僕は準備していたガラス瓶の口に、リネンを適度な大きさに切って十枚重ねたものを被せ、紐で縛った。


 簡易的なフィルターだ。


「ヴァレリアさん、鍋の中身をこの瓶にゆっくり注いで」


「はい」


 ヴァレリアが鍋を持ち上げ、慎重に傾ける。


 リネンの布目を通って、ハーブの葉屑が取り除かれ、綺麗になった液体だけがポタポタと瓶に落ちていく。


 瓶に半分くらい溜まったところで、ストップをかけた。


「よし。じゃあ蓋をして、タライの水につけて冷まそう」


 十分に人肌程度まで冷めたところで、次の工程だ。


「ここに、さっきリナさんが混ぜた『ハチミツオイル』を加えるよ」


 ドロリとした甘い液体が、酸っぱいビネガーの中に注がれる。


 当然、水と油だ。混ざり合わずに分離している。


「蓋をしっかり閉めて。…ここからはニーナさん、お願いできる?」


「はい」


「これを、中身が白っぽく濁るまで、激しく振って!」


 ニーナが無表情のまま瓶を受け取り、次の瞬間――。


 シュババババッ!!


 目にも止まらぬ速さでシェイクが始まった。


 さすが暗器使い。手首のスナップが尋常ではない。


 中の液体が遠心力で渦を巻き、黄色かった液体が、空気を含んで徐々に白濁したクリーム状の液体へと変わっていく。


「ストップ!」


 ニーナがピタリと手を止める。


 瓶の中身は、完全には混ざりきっていないが、トロリとした乳液状になっていた。


「最後に、魔法をかけるよ」


 僕はアリアさんが買ってきた小瓶を手に取った。


 ローズウォーターだ。


「これを加えて、ゆっくり攪拌して」


 トクトク…。


 清らかな水が注がれると同時に、工房内の酸っぱい匂いが、一瞬で華やかな薔薇の香りに塗り替えられた。


 スプーンで静かにかき混ぜると、白濁していた液体が、黄金色に輝き始めた。


 ハチミツの糖分とオイルの油分、そして酢と薔薇水が絶妙なバランスで馴染み、光を反射しているのだ。


「…完成だ」


 瓶を持ち上げ、軽く振る。


 中で揺れる液体は、まるで溶かした真珠のような光沢(パール感)を放っていた。


「おいおい…」


 ロレンツォ兄さんが口を開けたまま近づいてきた。


「この見た目だけでもすごそうだな。さっきまで鼻が曲げそうな酢の臭いがしてたのに、今はどうだ。薔薇の香りしかしねぇ」


「うん、ここまでは成功だね。さて、あとはその効果確認!」


 僕は別のタライにぬるま湯を張り、部屋の真ん中に置いた。


 そこに、完成した液体を数滴垂らす。


 お湯が少しだけ白く濁り、極上の香りが立ち上る。


「まずは僕がやってみるね!」


 僕はタライの前に座り、頭を突っ込んだ。


 お湯の中で髪を泳がせ、指を通す。


 ――するん。


 指先に伝わる感触が変わった。


 水草のように、何の抵抗もなく髪が流れる。


「すごい…!」


 髪全体に馴染ませてから、用意しておいたリネンタオルで髪を拭き、顔を上げる。


 濡れた髪をかき上げると、キラキラと光の粒が散った。


「どう?」


「…信じられん」


 ランさんが呟いた。


「濡れているのに、重くない。それに、その艶…」


 髪一本一本がコーティングされ、照明の光を反射して天使の輪を作っている。


「次、誰かやってみる?」


「私が!」


 真っ先に手を挙げたのはアリアさんだった。


 続いて、ヴァレリアさんたちも恐る恐る手を挙げる。


 僕は女性陣のためにもう一つのタライを用意し、そちらにも数滴垂らした。


 数分後。


 工房は、感動の悲鳴に包まれていた。


「嘘みたい!私の髪、こんなに柔らかかったっけ!?」


「櫛が…櫛が勝手に滑り落ちていきます」


「良い香り…香水なんていらないわ」


 全員が、自分の髪をうっとりと触っている。


 特に、日頃の訓練や家事仕事で髪が傷みがちなヴァレリアさんたちの反応は劇的だった。


 硬い表情が崩れ、年相応の乙女のような顔で互いの髪を触り合っている。


「大成功だね」


 ルカは兄さんに向き直った。


「これの商品名だけど、リンスじゃなくて…そうだな、『ヴィルゴ・ロサルム』にしよう」


「ラティーナ語で…『薔薇の乙女』か!」


 兄さんがニヤリと笑った。


「ピッタリだな。石鹸の『灰』で荒れた髪を、薔薇の乙女が癒やす。…ストーリーも完璧だ」


 僕は濡れた髪をリネンタオルで拭きながら、満足感に浸っていた。


 ――ゴワッ。


「…ん?」


 拭くたびに、タオルの繊維が肌に引っかかる。


 リネン(麻)は吸水性はいいけれど、洗濯を繰り返すと硬くゴワゴワになるのが欠点だ。


(これも気になるなぁ。リネンだから仕方ないんだろうけど…)


 せっかく髪がサラサラになったのに、タオルがこれじゃ台無しだ。


 …待てよ?


 髪のゴワゴワが「アルカリ」のせいなら、洗濯した布がゴワゴワになるのも、石鹸の残りが原因なんじゃ?


 だとしたら、このリンスの原理は、布にも使える…?


「――あああッ!!」


 僕は思わず大声を上げた。


「どうしたルカ!?」


「ロレンツォ兄さん!もう一つ売れる商品思いついた!」


「なんだと!?」


 僕は硬いタオルを握りしめ、目を輝かせた。


 髪だけじゃない。


 この技術は、生活を「柔らかく」変える革命になるかもしれない!



(第62話「薔薇の乙女」終わり)



◆◇◆次回予告◆◇◆


「リンスの大成功で、みんな大喜び!でも、せっかくのサラサラ髪を台無しにする、このゴワゴワのタオル!…兄さん、僕に任せてよ。髪を直せるなら、布だって直せるはずだ。明日、マルチェッロ家の庭に『革命』の風を吹かせてみせるから!」


「次回、『薫り高き雫』。ふわふわは、正義だ!」

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