第61話「ブランド」
僕は机の上に、これまでの商品のリストと、これからの計画書を広げた。
ロレンツォ兄さんとランさんが、興味深そうにそれを覗き込む。
「ロレンツォ兄さん。これからは、これまで販売してきた顔料やアクセサリー、真珠、靴は生産をさらに絞ろうと思うんだ」
「絞る?」
「うん。でも、これから最強の灯台と帆船を作るには、僕の時間と労力をそっちに注力したい。今のままだと、日々の商品生産に追われて開発が進まなくなっちゃう」
兄さんは腕を組み、少し考え込んでから口を開いた。
「…いいんじゃないか。今のウチの商品は、欲しがる奴は山ほどいるが、供給が追いついてねぇ。特にコンペで実質的な勝利を得てから、マルチェッロ家の価値はぐんぐん上昇している」
兄さんの目が、鋭い商人の光を帯びる。
「数を減らした分、値段を上げればいい。それだけのブランド力はついていると思うぜ。安売りする必要はねぇ」
「うん、賛成してくれてありがとう。…で、ここからが作戦なんだけど」
僕は一枚の羊皮紙を指差した。
そこに書かれた文字は『マルチェッロ・ブランド戦略』。
「僕の『最強計画』には、建設費もそうだけど、維持費も莫大にかかる。それに、一番怖いのは対価のない技術流出だ。…だから、単に物を売るんじゃなくて、『仕組み』で稼いで、技術を守る戦略を考えたんだ」
「ほう、仕組みで稼ぐ、か。面白そうだな」
ランさんも身を乗り出す。
僕は二つの柱を説明した。
「一つ目は、『特許制度』の活用」
「コンペの時にドージェも言っていたしな」
「そう。これまではあまり気にしてなかったけど、これからはきちんと特許申請して、もらえるものはもらえるようにしないとダメかなと思って。ただ、どれもこれもすべてというわけではなく、区分けはしておきたいかなと考えてるよ」
「区分け?」
「うん。特許という観点から見た僕の技術には、大きく分けて三つあるのね。僕しか作れないものと、僕が作った材料がないと作れないものと、材料は誰でも揃えられるけど、正しい作り方をしないと使いものにならないもの」
「ああ、なんとなくわかるぞ」
「僕しか作れないものは特許の必要がない。僕が作った材料がないと作れないものは、この先、必要な材料を作ることができるかもしれない。その時のために製法の特許をとっておく」
「できるかもしれないなんていう憶測でいいのか?」
「だって、その材料、他国や他の地域ではすでに一般的かもしれないじゃないか。僕たちは世界のことをすべて知っているわけじゃない。だから、先に特許をとっておくにこしたことはないと思う。そこの見極めは僕がするよ」
「ああ、そうしてくれ。おれには判断つきかねる」
「うん、わかった。もう一つの話は、この先に話したいことと絡むので、その時にお話するね」
「わかった」
堂々と技術を公開することで、セレニア全体の技術レベルを上げつつ、特許料で稼ぐ。理想の形だよね。
「最初は、技術に関する各ギルドとの独占契約も考えていたんだけど、共和国の『技術顧問』として活動できるなら、それぞれのギルドを相手にするよりは、公的な制度とドージェを相手にした方がいいしね」
「違いねぇ」
「そして二つ目。商品の絞り込みと、シフトチェンジ」
僕は既存の商品リストにバツ印をつけ、新しい項目を書き加えた。
「アクセサリーみたいな嗜好品は、超高級路線にして数を減らす。その代わり、大量生産して安定的に稼ぐ商品を一つ作る」
「なんだ?そんな都合のいい商品があるのか?」
「あるよ。…名付けて『リンス』だ」
「リンス?」
「髪を洗った後に、髪を美しくする代物さ」
僕は身を乗り出して説明した。
「兄さん。セレニアには『サポーネ・ディ・セレニア』という、世界に誇る高級石鹸がある。…でも、あれで髪を洗うとどうなるか知ってるよね」
「あ?そりゃあ…キシキシするし、乾くとゴワゴワになるな。櫛も通りにくくなる。だから貴族の女性たちは、髪を洗うのを嫌がって香油で誤魔化してるな」
「それってね、石鹸に含まれる『灰』の力が強すぎるからなんだ」
僕は羊皮紙の空いたスペースに、『サポーネ・ディ・セレニア』の作り方と材料を書いた。
「石鹸は、油と灰を煮込んで作ってる。この灰の成分は汚れを落とす力が強いけど、髪の毛にとっては強すぎて、髪の表面が荒れてしまうんだ。だからゴワゴワになる」
「ふむ…なるほど。汚れは落ちても、手触りが悪くなるわけか」
「そこで、僕が作るのはこれ。…荒れた髪を、本来のツヤツヤ、サラサラに戻す魔法の水『リンス』。これまで実験を繰り返してきて、ようやく理論がまとまった。材料もそこまで特別なものでなくてもいけそう」
僕は、さらに書き込んだ。
「材料は、ワインビネガーやレモンに含まれる『酸味』を主成分に使う。石鹸の『灰の力』は、この『酸の力』と出会うと、お互いに打ち消し合って水に戻る性質があるんだよ」
中和反応。
ルカは心の中でそう補足したが、口には出さない。
「これで石鹸で洗った後の髪を濯げば、荒れた髪が、驚くほど滑らかな手触りになる。…一度これを使ったら、もう二度とこれ無しでは髪を洗えなくなるよ」
「打ち消し合って、元に戻す…?」
ロレンツォ兄さんがゴクリと喉を鳴らした。
商人の勘が、その商品の「立ち位置」の絶妙さを嗅ぎ取ったようだ。
「おいルカ。それってつまり…『サポーネ・ディ・セレニア』の敵になるんじゃなくて…」
「そう!『最高の相棒』になるんだ!」
僕は自信たっぷりに言った。
「石鹸ギルドにはこう持ちかけるんだ。『うちのリンスと一緒に使えば、あなたたちの石鹸の評判はもっと上がる』って。そうすれば、敵を作らずに世界中に売ることができる」
「…ハッ!恐ろしいガキだ!」
兄さんが膝を叩いて笑った。
「敵を作らず、既存の巨大市場にタダ乗りしようってのか。…最高だ。石鹸が売れれば売れるほど、ウチのリンスも売れる。濡れ手に粟だな」
「それに、製造も簡単なんだ。僕がつきっきりじゃなくても、材料を準備して手順通りの作業をすれば、誰でも大量生産できる。これなら僕の時間を奪わずに、安定して稼げる『尽きることのない金脈』になる」
これが一番大きい。
僕の役割は、最初の設計と品質管理だけ。
「僕がもし倒れても、技術と収入が残るようにしないとね。…マルチェッロ家のために」
僕がそう言うと、ロレンツォ兄さんは少し複雑そうな顔をして、それからガシガシと僕の頭を撫でた。
「縁起でもねぇこと言うな。…だが、理屈は通ってる。お前一人に負担をかけすぎないための仕組みだな」
兄さんは立ち上がり、拳を掌に打ち付けた。
「特許で、勝手にお金が入ってくる仕組みを利用し、『リンス』のような商品で安定的に稼ぐ。…そして、その金でまた新しい製品を作る」
無限の回転。
技術が富を生み、富が技術を加速させるサイクル。
「多数の特許をとれば、マルチェッロ家はただの商家じゃなくなるぞ。…共和国の技術の心臓になれる」
ロレンツォ兄さんの顔に、野心的な笑みが浮かぶ。
それは、弟を利用しようとする悪人の顔じゃない。
弟の夢を、全力で支えて世界を変えようとする、頼れる共犯者の顔だ。
「よーし!やったろうじゃねぇか!どうせやるなら、セレニアを世界で一番富んだ国にするつもりでやろうぜ!」
兄さんの言葉に、僕の胸が熱くなる。
そう、僕の望みはそれだ。
この美しい水の都を、もっと豊かに、もっと強くしたい。
「そう!僕はセレニアが好きだもん!世界一の国にしよう!」
僕たちは顔を見合わせ、力強く頷き合った。
ランさんも、「やれやれ、退屈しなさそうだ」と口元を緩めている。
「ところで、この『リンス』ってやつは特許申請しないのか?」
ロレンツォ兄さんが不思議そうな顔を向けた。
「これはまだしない。市場の動向と売れ行きを見て申請するか決めるよ。仮に模倣品がでてきたら、それならそれで品質次第で対策を考えればいいかなと」
「まあ、確かにな。全部を縛っちまうこともない」
方針は決まった。やることは山積みだ。でも、不思議と不安はなかった。
最強のブランド『マルチェッロ』。
その伝説が、今ここから本格的に始まろうとしていた。
(第61話「ブランド」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「ブランド戦略は決まった!次はいよいよ新商品『リンス』の実践だ。街中で材料を買い集め、実際に作って…あ!ヴァレリアさんたちに手伝ってもらおう!『女の命』をかけた実験の結果はいかに!?」
「次回、『薔薇の乙女』。その輝きは、宝石よりも美しく!」




