第58話「青写真」
ふと、手のひらに感じる温かい感触で目が覚めた。
目を開けると、窓から優しい朝の光が差し込んでいる。
まぶしさに少し目を細めて、自分の右手を見る。
そこには、椅子に座ったままベッドに上半身を預けて、僕の手を両手で大事そうに包み込んで眠っているアディの姿があった。
「…アディ?」
彼女の寝顔は安らかだけど、少し疲れているみたいだ。
動かそうとした手に、アディが寝ながらギュッと力を込めた気がした。
恥ずかしいけど、それ以上に愛おしさがこみ上げてくる。
起こさないように、空いている左手でそっと彼女の髪を撫でようとした、その時。
部屋の扉が音もなく開いて、ルーチェさんが顔を出した。
手には水差しとタオルを持っている。
きっと、何度も様子を見に来てくれていたんだ。
ルーチェさんは僕が起きていることに気づくと、ハッと目を見開いて、声を上げそうになった。
「あ…」
「(シーッ!)」
僕は慌てて人差し指を口に当てて、目でアディを指した。
ルーチェさんはすぐに察してくれたみたいで、口元を手で押さえて、コクコクと頷いた。
僕は身振り手振りで、「アディを部屋に連れて行って、ベッドで寝かせてあげて」と伝えた。
ルーチェさんは優しく微笑むと、音もなくベッドサイドに近づいて、熟睡しているアディをふわりと抱き上げた。さすが、頼もしいなぁ。
アディは「ん…ルカ…」なんて寝言を漏らしたけど、起きる気配はない。
ルーチェさんは僕に一礼して、大切な宝物を運ぶように部屋を出て行った。
静かになった部屋で、僕はゆっくりと体を起こした。
首を回して、腕を伸ばしてみる。
パキポキと関節が鳴るけど、痛みはないし、だるさも消えている。
たぶん丸一日、寝てたんだろうなぁ。若い体ってすごい。
「さてと…」
ベッドから降りて大きく伸びをしていると、廊下からドタドタドタッ!と慌ただしい足音が聞こえてきた。
「ルカッ!」
バン!と扉が開く。
そこには、少し髪が乱れたアディが立っていた。
運ばれている途中で目が覚めて、慌てて戻ってきたみたいだ。
僕たちは一瞬、見つめ合った。
次の瞬間、昨夜のプロポーズの記憶がフラッシュバックして、カァッと顔が熱くなる。
アディも同じだったみたいで、頬を真っ赤に染めて、モジモジと視線を泳がせている。
「あ、あの…おはよう、アディ」
「お、おはよう…ルカ」
うう、なんか照れくさい。でも、嫌な感じじゃない。
アディは深呼吸を一つすると、いつもの元気な顔で僕に詰め寄ってきた。
「もう!心配したんだからね!」
「あはは…ごめん。ちょっと張り切りすぎちゃったみたい」
「本当に…無理しないでよ!ルカが倒れたら…」
アディの瞳が潤んでいる。僕は思わず彼女の手を取った。
「大丈夫だよ。もう元気いっぱいだから!…心配してくれて、ありがとう」
「…うん」
アディは小さく頷いた。
その時、僕のお腹がグゥ~と情けない音を立てた。
アディがぷっと吹き出す。
「ふふっ、元気なのはお腹だけみたいね」
「う…丸一日食べてないからね」
「行こ!マリアさんが美味しいスープを作って待ってるよ!」
僕たちは手を繋いで、食堂へと向かった。
温かいスープと、家族の笑顔。
うん、これがあれば僕はどこまでも頑張れる気がする!
◆◇◆◇◆
お腹いっぱい朝食を食べた僕は、すぐにまた工房に籠もった。
体調は万全。頭の中にはアイデアが溢れてる。
机の上には、真新しい羊皮紙と製図道具。
さあ、描くぞ。未来の青写真を!
「場所は…ここしかないよね」
僕はセレニア周辺の地図を広げた。
水の都セレニアの周辺には、広大なラグーナ(潟)が広がっている。水深が浅くて、複雑な水路が入り組んだ天然の迷宮だ。
そして、そのラグーナと外海を隔てるように横たわっているのが、細長い島――エスト島だ。
エスト島は、外海からの荒波を防ぐ防波堤の役割も果たしている島。
北の端の海峡は、セレニアへ向かう主要な入り口になっている。
ここは水深がかなり深いため、大型船がセレニアの港に入るためには唯一のルートといっていい。
「建設予定地は、エスト島北岸」
僕は地図上のポイントを指でトントンと叩いた。
外海に面していて、視界を遮るものがない絶好のロケーション。
僕はペンを走らせて、具体的な形を描き始めた。
まずは防波堤。
岬から南東の沖合に向かって、突き出すように建設する。
幅は約三十メートル、長さは百メートルくらいかな。
「灯台は、この防波堤の先端に建てる」
高さ五十メートルを超える巨塔。
そこに、三十キロ先まで届く光があれば…。
遠く帰ってきた交易船の船乗りたちは、水平線の彼方にその光を見つけた瞬間、「ああ、帰ってきたんだ」って安心するんだろうな。
「…そういえば」
僕はふと、窓の外の空を見上げた。
この空の下、遠い海にいるはずの人のことを思う。
アレッサンドロ兄さんだ。
我が家の次男で、コグ船で交易の旅に出ている兄さん。
今は冬待ちしているだろうから、春になれば帰ってくるはず。
無事に帰ってきてほしいな。スパイスと土産話を山ほど抱えてさ。
「よし、考えを戻そう!」
僕はパンと頬を叩いて気合を入れ直した。
設計図に向き合う。
この巨大な防波堤と灯台。
これらを短期間で、しかも波の荒い外海に建設するには、従来の石積み工法じゃ無理。
波に洗われて基礎が流されちゃうし、強度も足りない。
「ここはローマン・コンクリートが一番だろうなあ」
古代ローマ人が開発し、二千年経っても現存する驚異的な耐久性を持つコンクリート。
「地政学的に見ても、今、僕がいるセレニア共和国は、中世のヴェネツィア共和国と酷似している。だとすれば、ローマが近くにあってもいいんだけど…」
壁に貼り付けた粗末な地図を見つめた。
「…ないんだよなぁ、それっぽい名前が。この世界ではシチリア島もないから、シチリア王国もないし」
半島の真ん中あたりに山々が連なっている箇所がある。
「ナボリタニア王国か。港に行ってナポリタニア王国の船を探そうかな」
ローマン・コンクリートを作るのに必要なのが、石灰と火山灰と砕石などの骨材。
石灰はモルタルとか普通に使われてるからたくさんあるはずだし、砕石もなんとかなる。
問題は火山灰。
セレニア周辺には火山はなさそうだから、火山がありそうなナボリタニア王国の人に聞くのが一番かな。
火山灰は使い道があまりないから、船のバラスト(船の安定性を高めるための重り)に使われてるかもしれないしね。
「港に行ってみよ」
僕は立ち上がった。
設計図は頭の中にある。
まずは材料の確保だ。そして、現地調査もしないと。
最強の灯台と、最強の帆船。
二つの巨像を築くための第一歩。
休んでいる暇はないよ。僕の新しい挑戦は、もう始まっているんだ!
(第58話「青写真」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「海中で固まるコンクリート。その鍵を握る『火山灰』は、火山のないセレニアには存在しない。…普通なら諦める場面だ。でも、僕には心当たりがある。港に停泊する、南の国から来た船。彼らにとってはただの『ゴミ』でも、僕にとっては宝の山なんだ。いざ、港へ宝探しに出発だ!」
「次回、『調査』。船底に眠る灰色の砂!」




