第56話「赤面」
コンペティションの興奮から一夜明けた、朝。
マルチェッロ家の敷地にある工房に、奇妙な叫び声が響いた。
「あーーっ!!うあぁぁぁぁっ!!」
僕、ルカ・マルチェッロは、作業台に突っ伏して頭を抱えていた。
顔が熱い。いや、全身が沸騰しそうだ。
昨夜の光景が、鮮明な映像となって脳裏をリピートしている。
『僕が十六歳になって、アディが十五歳になったら…』
『…結婚、しよう』
言っちゃった。
言っちゃったよ、おい!
勢いって怖い!勝利のテンションって恐ろしい!
もちろん本心だ。
アディのことは大切だし、大好きだし、ずっと一緒にいたいと思ってる。でも、まさかあんなキザな台詞でプロポーズするなんて!
しかも、星空の下で手を取り合って…。
「うぅぅ…恥ずかしい…穴があったら入りたい…いや、埋めてくれ…」
僕は十三歳だ。
前世としての中身はともかく、体は思春期真っただ中の少年なのだ。
冷静になって振り返っても、恥ずかしさで心臓が破裂しそうになる。
アディは今頃どうしてるだろう。どんな顔をして「おはよう」って言えばいいんだ…。
バタンッ!
突然、工房の扉が勢いよく開いた。
「うわぁっ!?」
僕は驚いて椅子から転げ落ちそうになった。
心臓が口から飛び出るかと思った。
まさかアディなの!?
「…なんだルカ、朝から変な声を出して。虫でもいたか?」
入ってきたのは、ロレンツォ兄さんだった。後ろにはランさんもいる。
「ろ、ロレンツォ兄さん…ランさん…。驚かせないでよ」
「悪い悪い。お前がここにいると思ってな」
ロレンツォ兄さんはニヤリと笑い、近くの椅子に腰掛けた。
僕は、努めて平静を装った。昨夜のことは絶対に悟られてはいけない。
「ど、どうしたの?二人とも朝早くから出かけてたみたいだけど」
「ああ。ちと、エンリコの旦那のところへ顔を出してきたんだ」
その名前を聞いて、僕の思考は一気に現実に引き戻された。
「エンリコさんのところへ?…まさか、何かあったの?」
僕の脳裏に不安がよぎる。
昨日のコンペで、エンリコさんは公衆の面前でヴィットーリオ・コルナーロに恥をかかせた。あのプライドの高い男が、黙っているはずがない。
報復。
暗殺。
営業妨害。
コルナーロ家なら何でもやりかねない。
「僕たちに味方したせいで、嫌がらせを受けてるんじゃ…」
「俺たちもそれを心配して行ったんだがな」
ロレンツォ兄さんはランさんと顔を見合わせ、肩をすくめた。
「杞憂だったよ。…むしろ、逆だった」
「逆?」
「ああ。エンリコの野郎、ピンピンしてるどころか、我が世の春を謳歌してやがった」
兄さんは興奮気味に身を乗り出した。
「いいかルカ、驚くなよ。エンリコの旦那、銀行ギルドの中に新しい派閥を作っちまったらしい」
「派閥?」
「ああ。これまでも裏で手を組んでた仲間の銀行家五人と、ガッチリと組んだんだ。名付けて『真理の組合』だとか。…今やセレニア最大の銀行家集団だ」
僕は目を丸くした。
六人の有力銀行家が手を組んだ?
それだけで、コルナーロ家に対抗できるほどの力になるのか?
「決め手は、アレだ」
ランさんが、顎で作業台の隅をしゃくった。
そこには、試作品の『真理の天秤』が置かれている。
「…天秤?」
「そうだよ。ルカ、お前あの時、借金をチャラにする条件として、追加で五台の天秤を納品しただろ?」
ロレンツォ兄さんがニヤリと笑う。
「エンリコはそれを、仲間の五人に配ったんだ。『これを持てば、偽金のリスクから解放される』ってな。…結果、どうなったと思う?」
僕は想像した。
偽金を見抜ける銀行家と、見抜けない銀行家。
商人はどちらに金を預けるか。
答えは明白だ。
「…信用の一極集中」
「ご名答。今、セレニア中の真っ当な金貨が、エンリコたちに集まり始めてる。逆に、偽金を掴まされたくない商人は、コルナーロ家に縁のある銀行家を敬遠し始めた」
兄さんは愉快そうに笑った。
「金が集まるところに、力は宿る。今やエンリコたちは、共和国の経済を左右するほどの力を持っちまった。…ヴィットーリオの野郎も、迂闊に手を出せば自分の首が絞まるってんで、手出しできねぇのさ」
なるほど。
僕が作った天秤が、単なる検査機器を超えて、政治的な盾になっていたとは。
エンリコさん、転んでもただでは起きない人だ。
「で、だ。ここからが本題だ」
ロレンツォ兄さんの表情が、商人のそれに変わる。
「エンリコから提案があった。…『真理の天秤』の保守管理料として、毎月、金貨一千二百枚を支払いたいと言ってきた」
「は…?」
僕は耳を疑った。
一千二百枚…毎月!?
一般市民の年収の何十倍もの額だ。
「そ、そんなに!?だって、メンテナンスなんて、たまに調子を確認するくらいで…」
「バカ言え。これは『技術料』であり、『口止め料』だ」
兄さんは指を振った。
「エンリコは言ってたぜ。『この天秤の価値は、金貨の山よりも重い。他には絶対に渡さないでくれ』とな。…つまり、独占使用権の更新料みたいなもんだ」
さらに、と兄さんは続ける。
「『今後、マルチェッロ家が何か新しい事業を始めるなら、我々が全力で支援する。資金の心配はするな』とも言ってたな」
僕は呆然とした。
借金地獄で明日をも知れぬ生活をしていたのが、嘘のようだ。
安定した莫大な収入。そして、無尽蔵に近い資金調達能力。
ドージェから得る予定の「技術顧問料」と合わせれば、マルチェッロ家の財政は盤石どころか、共和国でも指折りの資産家になれる。
その事実を噛み締めた瞬間。
僕の頭の中に、ある「野望」が稲妻のように走った。
(…できる)
金がなくて諦めていたこと。
夢物語だと封印していたアイディア。
それらが、現実味を帯びて目の前に立ち上がってくる。
「…ロレンツォ兄さん」
僕は顔を上げた。
恥ずかしさはもう消えていた。
そこにあるのは、技術者としての熱情だけだ。
(第56話「赤面」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「資金の心配はもういらない。エンリコさんたちのおかげで、マルチェッロ家は盤石になった。…だからこそ、僕は動く。ずっと温めてきた、この国の形を変えるほどの巨大プロジェクト。最強の灯台と、最強の船。兄さんは呆れるかな?それとも笑ってくれるかな?」
「次回、『秘かな野望』。設計図は、頭の中にある!」




