第54話「コンペティション」
会場のざわめきを切り裂くように、ロレンツォ兄さんのよく通る声が響いた。
「諸君!我々マルチェッロ商会が提案するのは、船ではありません。…『光』です」
壇上の中央。黒い布を取り払われた巨大な装置――『エンピレオの光』が、秋の日差しを受けて鈍く輝いている。
その異様な姿に、聴衆は息を呑んだ。
二メートルを超える漆黒の放物面鏡。
金属ともガラスともつかない、濡れたような光沢を持つその鏡面は、見る者を吸い込むような深淵を湛えていた。
「航海の安全を脅かす最大の敵は何か?嵐?海賊?…いいえ、『見えないこと』です」
ロレンツォ兄さんは力強く語る。
「暗礁、浅瀬、そして濃霧。見えなければ、どんな堅牢な船もただの棺桶です。ならば、我々がすべきことは一つ。…闇を払い、道を示すこと」
兄さんは僕に合図を送った。
僕は緊張で震える手を抑えながら、装置の背面に回った。
アディが、準備しておいた覆い(カバー)を鏡の周りに展開し、簡易的な暗室を作る。
昼間の屋外だが、こうすることで光の軌跡を分かりやすくする演出だ。
「実演をご覧に入れましょう。…ルカ、点火を」
「はい!」
僕は鏡の焦点位置にある台座に、一本の蝋燭をセットし、火を灯した。
ポッ。
小さな、頼りないオレンジ色の炎。
会場から失笑が漏れる。
「なんだあれは?蝋燭一本?」
「おままごとでも始める気か?」
だが、次の瞬間。
僕が鏡の角度を微調整し、焦点距離を完全に合わせた刹那。
カッッッ!!!!
会場全体がどよめいた。
蝋燭の小さな光が、黒い鏡に反射した瞬間、爆発的に増幅されたのだ。
いや、増幅ではない。拡散していた光を、極限まで「平行」に揃え、一点に集中させたのだ。
鋭い光の束が、覆いの隙間から飛び出し、はるか後方の倉庫の壁を強烈に照らし出した。
昼間の明るさの中にあっても、その光は白く焼き付くほどに鮮烈だった。
「な、なんだあの光は!?」
「蝋燭一本だぞ!?信じられん!」
ロレンツォ兄さんが、勝ち誇ったように腕を広げた。
「ご覧ください!これが我々の開発した『反射鏡』です!これはただの金属ではありません。ある特殊な加工により、光を一粒たりとも逃さず、そして永遠に曇ることのない鏡へと昇華させました。…たった一本の蝋燭でこれです。もし、これを灯台の光源に使えばどうなるか?」
兄さんはドージェ(総督)の方を向き、問いかけた。
「水平線の彼方まで、希望の光が届くでしょう。…外洋の霧も、もはや障害ではありません」
一瞬の静寂。
人々は、目の前で起きた奇跡のような現象に言葉を失っていた。
やがて――。
ワァァァァァァァァァッ!!
爆発的な歓声が沸き起こった。
拍手の音が、波音を消し去るほどに響き渡る。
「すばらしい!魔法のようだ!」
「これがあれば、夜の航海も安全になるぞ!」
「マルチェッロ家、万歳!」
興奮した商人たちが帽子を投げる。
評議員たちも身を乗り出し、感嘆の声を漏らしている。
ドージェ、フランチェスコ・グリマーニも満足げに頷き、隣の側近に何かを熱心に語りかけている。
その表情は、明らかに好意的なものだった。
一方、コルナーロ家の陣営は静まり返っていた。
ダンテは口を半開きにし、信じられないものを見る目で光の筋を凝視している。
ヴィットーリオは青ざめ、職杖を持つ手が小刻みに震えていた。
勝った。
誰の目にも明らかだった。
最新鋭の船という「既存の延長」に対し、マルチェッロ家は「世界を変える概念」を提示したのだ。
この熱狂、この興奮。
会場の空気は完全にマルチェッロ家一色に染まっていた。
「やったな、ルカ!」
ランさんが僕の背中をバシバシと叩く。
「うん…!みんなのおかげだよ!」
アディと手を取り合い、喜びを分かち合う。
ロレンツォ兄さんも、壇上で誇らしげに胸を張っている。
誰もが確信していた。
このコンペの勝者は、マルチェッロ家であると。
だが。
その熱狂の頂点で、冷ややかな声が水を差した。
「…待たれよ」
評議員席から一人の男が立ち上がった。
会場の喧騒が、波が引くように収まっていく。
その男は、保守派の重鎮であり、コルナーロ家と懇意にしている議員だった。
「技術は認めよう。素晴らしい発明だ。…だが、忘れてはいないか?今回のコンペの目的は『ミョウバンの交易権』を与えるに足るパートナー選びだ」
議員は冷ややかな目で僕たちを見下ろした。
「鉱山開発には、坑道の整備、労働者の確保、輸送路の建設…莫大な初期投資が必要となる。技術があるのは結構だが、マルチェッロ家にその『資金』はあるのか?」
会場の空気が一変する。
熱狂が冷め、現実的な計算の空気が流れ込む。
痛いところを突かれた。
コルナーロ家の陣営にいるダンテが、ハッとしたように顔を上げ、そして口元を歪めて笑った。
(そうだ…まだ負けていない!)
ダンテは勝ち誇った顔で、積み上げた金貨の袋を撫でた。
技術で負けても、資本で勝つ。
それが彼らの最後の砦だ。
「我々には…」
ロレンツォ兄さんが言葉に詰まる。
コンペに参加するための準備金はある。
だが、鉱山開発に必要な巨額の資金となると、今のマルチェッロ家には逆立ちしても出せない。
「答えられんようだな!ならば話にならん。国益を考えれば、安定した資本を持つコルナーロ家に任せるのが筋というものだ」
議員が断定し、会場の流れが一気にコルナーロに傾いた。
歓声は消え、失望の囁きが広がる。
父ジョヴァンニが不安げに僕を見る。
アディが祈るように手を組む。
ここまでか。
技術だけでは、やはり巨大な資本の壁は越えられないのか。
ヴィットーリオが高笑いし、ダンテが勝利を確信して一歩前に出る。
その時だった。
「資金ならば、ここにある」
野太い声が、会場に響き渡った。
観衆を掻き分けて、一人の男が悠然と歩いてくる。
上質な服に身を包み、自信に満ちた笑みを浮かべる男。
銀行家、エンリコさんだ。
「…エンリコ!?」
ダンテが素っ頓狂な声を上げた。
父ヴィットーリオの顔色が変わる。
エンリコさんは壇上の下に立つと、ドージェに向かって一礼し、高らかに宣言した。
「私、銀行家エンリコが、マルチェッロ商会に対し、鉱山開発に必要な資金の『全面出資』を約束しよう!」
「なっ…!?」
会場が騒然となる。
(エンリコといえば、コルナーロ家とも太いパイプを持つ有力な銀行家だ)
(敵対するマルチェッロ家に付いた?)
「ば、馬鹿な!エンリコ、貴様、裏切る気か!」
ヴィットーリオが立ち上がり、怒号を飛ばす。
だが、エンリコさんは涼しい顔で肩をすくめた。
「裏切り?人聞きの悪い。私は商人として、より将来性のある投資先を選んだだけですよ。…彼らの技術は、金貨の山よりも価値がある。それを見抜けないようでは、銀行家は務まりませんな」
エンリコさんが僕たちにウインクを送る。
ロレンツォ兄さんが、驚き、そして満面の笑みを浮かべて頷き返した。
技術力に加え、資金力まで手に入れたマルチェッロ家。
もはや、死角はない。
(第54話「コンペティション」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!エンリコさんの助太刀で、風向きは変わった!…はずなんだけど、ドージェ様の表情は真剣そのもの。交易権を手にするのは、コルナーロか、私たちか。ついに審判が!そして、戦いが終わった港で、ルカが改まって私に…」
「次回、『結果発表』。一番欲しいものは、ここにある!」




