第53話「前夜」
そして、運命の日の前夜。
日付が変わる数時間前。
すべてのパーツが組み上がった。
高さ二メートルを超える、巨大な反射鏡装置。
ビアージョさんが作った真鍮製の堅牢なフレームに、僕が作り上げた漆黒の放物面鏡が鎮座している。
主鏡の周りには、光を無駄なく集めるための補助鏡が配置され、幾何学的な美しさを放っている。
「…完成だ」
工房の中に、静寂が落ちた。
全員が息を呑んで、その黒い怪物を見上げている。
ロレンツォ兄さん、ランさん、ビアージョさん、アディ、そして僕。
全員、顔は煤と油で汚れ、目の下には濃い隈がある。
でも、その目はギラギラと輝いていた。
「試すぞ!…窓を開けろ!」
「おう!」
ランさんが工房の窓を全開にする。
外は完全な闇。新月の夜だ。
はるか遠く、数キロ先に、港の時計塔のシルエットが微かに見える。
「アディ、火を」
「はい」
アディが震える手で、中心に配置した蝋燭に火を灯した。
ポッ。
小さな、頼りないオレンジ色の炎が揺れる。
次の瞬間だった。
カッッッ!!!!
工房内が、昼間のような明るさに包まれた。
いや、散乱する光ではない。
放物面鏡によって捕らえられた光は、恐ろしいほど真っ直ぐな「光の柱」となって、前方へと射出されたのだ。
「うおっ!?」
「なんだこりゃ!?」
全員が手で目を覆う。
光のビームは窓を抜け、闇夜を切り裂き、一直線に伸びていく。
そして――。
数キロ先の時計塔が、まるでスポットライトを浴びたように、白く浮かび上がった。
「…届いた」
僕の声が震えた。
「たった一本の蝋燭だぞ…?それが、あんな遠くまで…」
ロレンツォ兄さんが呆然と呟く。
従来の灯台なら、大量の薪を燃やしても、光は拡散してすぐに弱まる。
それが、蝋燭一本で数キロ。
この効率なら、焚き火程度の光源でも、水平線の彼方まで届くはずだ。
「成功だ…!大成功だぁぁぁっ!!」
ビアージョさんがハンマーを放り投げて叫んだ。
ランさんが僕の肩を力任せに抱く。
ロレンツォ兄さんがアディの手を取って踊り出す。
やった。
やり遂げた。
二週間という不可能な期限の中で、僕たちは奇跡を起こしたんだ。
「…ルカ」
アディが僕の前に立った。
その瞳には涙が浮かんでいる。
「お疲れ様。…本当にお疲れ様」
「アディもね。…みんな、ありがとう」
緊張の糸が切れた瞬間、強烈な睡魔が襲ってきた。
立っているのがやっとだ。
「…寝よう。明日は早い」
「そうだな。…勝負は明日だ」
僕たちは泥のように工房の床に倒れ込んだ。
毛布を引っ張り合う力さえ残っていない。
重なり合うようにして、深い眠りへと落ちていく。
◆◇◆◇◆
翌朝。
セレニア港の特設会場は、異様な熱気に包まれていた。
海からの風が吹き抜ける中、共和国の有力者たちが続々と集まってくる。
中央には、総督フランチェスコ・グリマーニと、評議員たちの席。
その周りを、商人、ギルド関係者、そして野次馬たちが取り囲んでいる。
港には、すでに数隻の船が停泊していた。
その中で一際目を引くのが、コルナーロ家の最新鋭ガレー船『レヴィアタン』だ。
巨大な船体、威圧的な黒塗りの装甲。
デッキには、自信満々のダンテ・コルナーロと、その父ヴィットーリオが立っている。
「…フン。マルチェッロの姿が見えんな」
ダンテが双眼鏡で会場を見渡しながら嘲笑う。
「まさか、恐れをなして逃げたか?」
「あるいは、金策に走り回ってそれどころではないのかもしれん」
ヴィットーリオが冷酷に笑う。
彼らはまだ知らない。エンリコが裏切り、マルチェッロ家が借金を完済し、さらに軍資金を得たことを。
「まあいい。どちらにせよ、勝負は見えている。…この圧倒的な技術と資金力の前では、小手先の道具などゴミ同然だ」
開会のファンファーレが鳴り響いた。
ドージェが立ち上がり、手を挙げる。
「これより!北の鉱山の採掘権を懸けた、公開コンペティションを開催する!テーマは『航海を安全にする道具』。…各商会、存分にアピールせよ!」
まずは中小の商会がプレゼンを行った。
新型の錨、防水加工の帆、保存食の改良…。
どれも悪くはないが、会場の反応は鈍い。誰もが「決定打」ではないと感じていた。
そして、コルナーロ家の出番が来た。
ダンテが優雅に壇上へと上がる。
「諸君。…航海の安全とは、すなわち『強さ』だ」
彼は背後の『レヴィアタン』を指差した。
「嵐に耐え、海賊を蹴散らす不沈の船。それこそが究極の安全だ。我々コルナーロ家は、造船ギルドの粋を集め、この怪物を生み出した。…さらに!」
ダンテは懐から、分厚い金貨の袋を取り出し、積み上げた。
「鉱山開発には莫大な資金が必要だ。技術だけでは道は拓けない。…我が家には、その資金力がある。共和国の未来を託すに足る力があるのだ!」
会場がどよめき、そして割れんばかりの拍手が巻き起こる。
圧倒的だ。
船の性能と、それを支える資本力。
誰もがコルナーロの勝利を確信した。
「…勝負あったな」
評議員の一人が囁く。
ドージェも満足げに頷いている。
その時だった。
「お待たせしましたァァッ!!」
会場の入り口から、一台の馬車が飛び込んできた。
御者台にはランさんとニーナさん。
そして荷台には、巨大な黒い布を被った物体と、ロレンツォ兄さん、アディ、アリアさん、ルーチェさん、そして僕。
「マルチェッロ商会、ただいま到着!」
ロレンツォ兄さんが叫び、荷台から飛び降りる。
会場がざわめく。
ダンテの笑顔が引きつる。
「…来たか。道化め」
僕たちは息を切らして壇上の前へ進んだ。
ギリギリだった。
寝坊して、慌てて積み込んで、全速力で駆けてきたのだ。
服は煤で汚れたままだし、髪もボサボサだ。
でも、僕たちの目は死んでいない。
「遅刻だぞ、マルチェッロ!」
「失格にしろ!」
野次が飛ぶ中、ロレンツォ兄さんはドージェに向かって深々と一礼した。
「閣下、遅れまして申し訳ございません。…しかし、我々は持参いたしました。この国の海を、未来永劫照らし続ける『光』を」
ドージェが興味深そうに眉を上げた。
「…よかろう。見せてみよ」
僕とアディ、ラン兄さんが布に手をかけた。
一斉に引く。
バサァッ!
現れたのは、妖しく黒光りする巨大な放物面鏡『エンピレオの光』。
その異様な姿に、会場が静まり返る。
さあ、反撃の開始だ。
僕たちの二週間の結晶を、世界に見せつける時が来た。
(第53話「前夜」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「コルナーロ家のガレー船『レヴィアタン』が鎮座している。すごい迫力だ…でも、僕たちが作ってきたのは『未来』だ!兄さんの演説と共に、黒い幕が下ろされる。さあ、見てください!これがマルチェッロ家の『光』です!」
「次回、『コンペティション』。僕たちの戦いの行方!」




