第52話「時間勝負」
エンリコさんの屋敷を出た僕たちは、一刻の猶予もなくビアージョさんの工房へと直行した。
手には、エンリコさんから投資してもらった軍資金。
だが、その重み以上に、僕の肩には鉛のようなプレッシャーがのしかかっていた。
「…あと二週間と少し」
僕は歩きながら、指を折って数えた。
「コンペ当日までに、僕たちがやらなきゃいけないことは二つある」
一つは、エンリコとの約束である『真理の天秤』の量産。あと五台。
あの一台を作るのですら死ぬ思いだったのに、それをさらに五台。しかも同じ精度で。
そしてもう一つは、コンペの本番用アイテム――『エンピレオの光(反射鏡)』の制作だ。
「…正気じゃないな」
大荷物を抱えたランさんが、呆れたように呟いた。
「普通なら半年はかかる仕事量だぞ。それを二週間で?」
「やるしかないんだ。借金は消えたけど、約束を守れなきゃエンリコさんはすぐに敵に回る。それに、コンペでコルナーロに勝てなきゃ、結局僕たちの未来はない」
ロレンツォ兄さんが、ニヤリと笑って僕の背中を叩いた。
「ここからが本当の勝負所だ。…頼むぜ、ルカ」
「…うん。僕の『スキル』と、みんなの力があれば、きっと不可能じゃない」
◆◇◆◇◆
工房に到着するなり、僕はビアージョさんに事情を説明した。
頑固な鍛冶師は、僕の話を聞き終えると、呆気に取られた顔で天を仰いだ。
「…あのな坊主。俺は鍛冶屋だぞ?魔法使いじゃねぇんだ。あのクソ細かい天秤をあと五台?それに加えて、ドでかい鏡だと?」
「お願いします、ビアージョさん!鏡本体は僕が作ります。でも、それを支える頑丈なフレームや、角度を調整する台座は、どうしてもビアージョさんの腕が必要なんです!」
僕が頭を下げると、ビアージョさんはガシガシと頭を掻きむしり、やがて諦めたように息を吐いた。
「…チッ。乗りかかった船だ。とことん付き合ってやるよ!その代わり、俺が倒れたら酒の一杯も供えろよ!」
「ははっ!ありがとうございます!」
こうして、マルチェッロ家とビアージョ工房の総力を挙げた、極限の二週間が始まった。
◆◇◆◇◆
最初の三日間は、記憶が曖昧になるほどの激務だった。
まずは『真理の天秤』だ。
これが終わらないと、反射鏡に掛かれない。
僕はスキル『圧縮』をフル稼働させ、カーボン繊維を鉄芯に巻き付ける作業に没頭した。
均一な圧力。ミクロン単位の太さ調整。
少しでも気が緩めば、アームのバランスが崩れて使い物にならなくなる。
「ルカ、水だ。飲め」
ランさんが、作業の手を止めない僕の口元に水差しを運んでくれる。
彼は意外にも手先が器用で、ビアージョさんの指示で細かい部品の研磨を手伝ってくれていた。弓使い特有の、優れた動体視力と集中力が活きているらしい。
「ありがとう、ランさん…。ロレンツォ兄さんは?」
「必要な材料の買い付けだ。街中の問屋を走り回ってる」
僕は頷き、目の前の歯車に視線を戻した。
この歯車がまた厄介だ。
浮力によるわずかな上下動を、針の回転運動に変換する。
通常の鋳造では精度が出ない。
僕はスキル『粉砕』を応用し、金属の塊から不要な部分を削り取ることで、狂いのない歯車を削り出していた。
疲労からか、指先には痺れが走る。
でも、止まるわけにはいかない。
五日目。
なんとか五台の天秤が完成した。
精度テストは一発合格。
ロレンツォ兄さんがすぐに馬車に積み込み、ニーナさんが運転して、エンリコさんのもとへ走った。
これで、後顧の憂いは断たれた。
「よし…!ここからが本番だ!」
僕はフラつく足で立ち上がり、作業台の上の図面を入れ替えた。
『エンピレオの光』設計図。
従来の灯台に使われている反射鏡は、青銅や錫を磨いただけの重い金属板だ。
だが、僕が作るのは違う。
素材は「炭素」。
軽くて、熱に強く、絶対に歪まない素材。
「計算式は…y = x² / 4f。焦点距離fを光源の位置に合わせて…」
僕は羊皮紙に計算式を書き殴った。
この世界には電卓もCADもない。
すべて手計算だ。
灯台の光源となる焚火の光量は知れている。
だからこそ、その光を「一粒たりとも逃さない」完全な放物面が必要になる。
「ビアージョさん!この大きさのフレームをお願いします!鏡は僕が作ります!」
「おうよ!嵐でもビクともしねぇ頑丈なヤツを組んでやる!」
ビアージョさんが真鍮のパイプを叩き始める横で、僕は大量の炭素粉末と向き合った。
今回の鏡は巨大だ。
直径二メートル近いお椀型。
これを、つなぎ目なしの一枚板で作る。
金属では重すぎて不可能だし、叩き出しでは精度が出ない。
だが、カーボンならできる。
「…圧縮!」
僕は右手を広げ、イメージした。
無数の炭素原子が整列し、強固に結びつき、滑らかな曲面を描いていく様を。
ギチチチ…。
空気が軋むような音がして、黒い粉末が凝縮していく。
放物面のカーブは、計算通りでなくてはならない。
焦点が数ミリずれただけで、光は拡散してしまう。
「…もっとだ。もっと滑らかに、もっと硬く…!」
十日目の夜。
巨大な黒いお椀――カーボン製の基盤が完成した。
叩くと、金属よりも高く、硬質な音が響く。
だが、これだけでは「鏡」ではない。表面はまだ炭素の黒いままだ。
「ここからが仕上げだ」
僕はフラつく体を支えながら、最後の工程に取り掛かった。
アディが心配そうに水差しを持ってきてくれる。
「ルカ、大丈夫?少し休んだ方が…」
「平気だよ、アディ。…これから、この黒い塊を『魔法の鏡』に変えるんだ」
DLCコーティング。
カーボンの表面に、さらに硬く、緻密な炭素膜を形成する。
ナノレベルで平滑化されたその表面は、光を吸収する黒でありながら、同時にすべての光を反射する「黒い鏡」となる。
錆びず、曇らず、熱にも強い。
永遠の輝きを持つ鏡。
僕は指先を鏡面に走らせた。
広大な面積を、ムラなくコーティングしていく。
意識が遠のきそうになる。
…でも、やめるわけにはいかないんだ!
(第52話「時間勝負」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「地獄のような二週間だった。指先の感覚なんてとっくにない。でも、止まるわけにはいかないんだ。僕たちが作っているのは、ただの鏡じゃない。闇を切り裂き、未来を照らす『エンピレオの光』なんだから!コンペまであと数時間。頼む、間に合ってくれ!そして…僕の計算通りに『光』よ、届いてくれ!」
「次回、『前夜』。光の先に希望があるはず!」




