第51話「驚愕」
「――っ!?」
エンリコが絶句し、目を見開いたまま固まった。
彼は震える手で、切断された金貨を拾い上げた。
厚いメッキの下から覗く、紛れもない鉛の合金。
彼の三十年の経験とプライドが、粉々に砕け散った瞬間だった。
「そ、そんな…まさか…。音も、重さも完璧だったのに…」
「最近の偽造技術は、人間の感覚を超えています」
僕は静かに説明した。
「この天秤のアームを見てください。…これは、鉄の芯に炭素繊維を巻き付けて圧縮した、特製の複合素材です」
黒く細いアームを指差す。
「羽毛のように軽く、鋼鉄のように硬い。だからこそ、水の中でのわずかな重さの変化も、アームがたわむことなく正確に歯車へ伝えられるんです。…これは、僕のスキルと老練な鍛冶師の技術がなければ作れない、世界で唯一の測定器です」
エンリコは天秤を凝視し、ゴクリと喉を鳴らした。
そして、青ざめた顔で僕を見た。
「…私の金庫には、このレベルの偽金が何千枚眠っているんだ?」
彼は気づいてしまった。
もし、自分の金庫の中身が鉛だらけだったら?
預金者たちが殺到し、取り付け騒ぎが起きる。銀行は一夜にして崩壊する。
彼は今、破滅の縁に立っている。
瞬時に理解したエンリコから、傲慢な態度は消え失せていた。
「この道具があれば…見抜けるのか?全て?」
「ええ。物理法則は嘘をつきません。水一杯あれば、誰でも、確実に」
ここで、ロレンツォ兄さんが前に出た。
商人の顔だ。
「この『真理の天秤』があれば、あんたはセレニアで唯一『真実を知る銀行家』になれる。他の銀行家が偽金に怯え、疑心暗鬼になる中で、あんたの店だけが『絶対に安全な金』を保証し、確実に富を蓄積できるんだ」
兄さんはニヤリと笑った。
「その価値…分かるよな?」
エンリコの目に、恐怖に代わって強烈な光が宿り始めた。
欲望だ。
この装置があれば、偽金のリスクを回避できるだけではない。
他店から顧客を根こそぎ奪える最強の武器になる。
「…これを、私に売るのか?」
「いいえ。独占使用権の譲渡です」
僕は釘を刺した。
「このアームと歯車を作れるのは、世界で僕たちだけです。僕を投獄して無理やり作らせようとしても無駄です。繊細な調整が必要なので、僕の協力なしでは維持できません」
エンリコは押し黙り、僕と天秤を交互に見た。
マルチェッロ家の借金は莫大だ。
それを帳消しにする損害。
対して、この天秤がもたらす未来の利益と、偽金による破滅リスクの回避。
計算している。
彼の額に脂汗が浮く。
もし偽金で銀行が潰れたら、誰も守ってはくれない。
自分の城を守れるのは、自分だけだ。
長い、長い沈黙。
部屋の空気が張り詰める。
やがて、エンリコは深く息を吐き、机の引き出しを開けた。
取り出したのは、マルチェッロ家の借用書。
彼はそれを両手で持ち――。
ビリッ、ビリリッ!
豪快に破り捨てた。
紙吹雪のように舞い散る契約書。
「…負けたよ」
エンリコは力なく、しかしどこか憑き物が落ちたような顔で言った。
「いいだろう。マルチェッロ家の借金は帳消しだ!…その代わり、条件がある」
「…条件?」
「この『真理の天秤』をあと五台、二週間以内に作れ。主要な取引先にも配備する」
五台…!
あの繊細なアームと歯車の調整をあと五回?
気が遠くなりそうだったが、やるしかない。
「…分かりました。やります」
交渉成立だ。
ロレンツォ兄さんが拳を握りしめ、アディがほっと息をつく。
僕たちは一礼して、部屋を出ようとした。
「待て」
背後から呼び止められた。
振り返ると、エンリコが立ち上がり、壁際の金庫へと歩いていくところだった。
彼は重厚な扉を開け、中からずっしりと重い革袋を二つ掴み出した。
そして戻ってくると、それをテーブルにドン!と叩きつけた。
「持っていけ」
「えっ…?」
袋の口が緩み、中から金貨が溢れ出る。
僕たちは目を丸くした。
「これは…?」
「コンペの軍資金だ」
エンリコは不敵に笑った。
「借金は消してやった。だが、金がなきゃ戦えんだろう?材料費、人件費、工作費…好きに使え」
「でも…いいんですか?コルナーロ家に知れたら…」
「知ったことか!」
エンリコは吐き捨てた。
「私は商人だ。儲かる方に賭ける。…こんな化け物じみた道具を作る少年に投資しないで、何が銀行家だ」
彼は僕の目を真っ直ぐに見据えた。
「お前たちが勝てば、あのヴィットーリオも少しは青ざめるだろう。…痛快じゃないか。これは私からの『投資』だ。絶対に勝てよ!」
◆◇◆◇◆
エンリコの屋敷を出ると、空は突き抜けるように青かった。
手には、ずっしりと重い軍資金。
そして何より、背中にのしかかっていた「借金」という巨大な重石が、跡形もなく消え去っていた。
「終わった…いや、始まったんだな」
ロレンツォ兄さんが、眩しそうに空を見上げた。
「へっ、見たかあの狸の顔!一生忘れられねぇ傑作だったぜ!」
「すごかったよルカ!本当にかっこよかった!」
アディが僕の手を握りしめてブンブンと振る。
ランさんも、満足げに頷いている。
「これで憂いはなくなった。…あとは本番だけだな」
そう。
これはまだスタートラインだ。
僕たちの本当の目標は、コンペティションでの勝利。
この軍資金を使って、世界を変える「光」を作り出すことだ。
「帰ろう!すぐに『エンピレオの光(反射鏡)』の制作だ!」
「おう!」
僕たちは走り出した。
足取りは軽い。
絶望の淵から這い上がり、僕たちは今、最強の追い風を受けていた。
コンペまで、あと二週間と少し。
ここからが、本当の時間勝負だ。
(第51話「驚愕」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「借金は消えた!軍資金も手に入れた!残る敵は時間だけだ!僕たちは、『真理の天秤』を量産しながら、本来の武器である『エンピレオの光(反射鏡)』の製作に取り掛かる。
角度、枚数、曲率…すべてを完璧に計算し、ビアージョさんの工房で火花を散らす。眠気なんて関係ない!みんなで一つの『光』を作り上げるんだ!」
「次回、『時間勝負』。極限の集中力が、奇跡を生む!」




