第48話「借金」
期限まで、あと十日。
マルチェッロ家の屋敷には、重苦しい沈黙が張り付いていた。
食堂のテーブルには、売却可能な家財道具のリストが広がっている。
父ジョヴァンニの愛用していた銀食器、母イザベッラの嫁入り道具のタペストリー、そして倉庫に眠る古い交易品。
「…ダメだ。全部売っても、借金の二割にも届かねぇ」
ロレンツォ兄さんが、リストにペンでバツ印をつけながら呻いた。
その顔には濃い疲労の色が滲んでいる。
この数日、彼は金策のために街中を走り回っていた。
だが、結果は惨敗だ。
落ち目のマルチェッロ家に、金を貸す酔狂な商人はどこにもいなかった。
「私のドレスも売りましょう。あの夜会のために仕立てたものだけど…少しは足しになるはずよ」
母さんが気丈に言うが、その声は震えている。
父さんは何も言わず、ただ頭を抱えていた。
家族が少しずつ、追い詰められていく。
その光景を見るのが辛くて、僕は逃げるように庭の工房へと向かった。
◆◇◆◇◆
工房のランプに火を灯す。
作業台には、白い紙が散乱していた。
そこには、この数日で僕が書きなぐった「金儲けのアイデア」が並んでいる。
『高純度ガラスの量産』――設備投資に時間がかかりすぎる。
却下。
『新型の自動織機』――試作だけで一ヶ月はかかる。
却下。
『強力な合成接着剤』――軍事転用できるが、買い手を探す時間がない。
却下。
「…くそっ!」
僕は紙を握りつぶし、壁に投げつけた。
何を作っても間に合わない。
僕にあるのは「技術」だ。時間をかければ世界を変えられる力だ。
でも、今必要なのは「時間」を無視した「即金」なんだ。
「…何か、ないのか。短い期間で、膨大の価値を生み出すものが」
頭を掻きむしる。
思考が空回りして、熱を帯びる。
焦りが胃を焼き、吐き気がこみ上げてくる。
もし間に合わなければ、アディは売られる。家族は路頭に迷う。
僕のせいで。僕がもっとうまく立ち回っていれば。
「ルカ…」
背後から、遠慮がちな声がした。
アディだ。
お盆に夜食のスープと、水差しを載せて立っている。
ランさんも一緒だ。
彼は入り口の柱に背中を預け、腕を組んで黙っている。
「…ごめん、アディ。今は一人にしてほしい」
「ダメだよ。ルカ、昨日から何も食べてないじゃない」
アディは強引に作業台の端を片付け、お盆を置いた。
温かいスープの湯気。
でも、今の僕には砂を噛むようで、食欲なんて湧かない。
「…僕が無力なばかりに、みんなを巻き込んでしまった」
「ルカのせいじゃないよ。悪いのはあの銀行家だもん」
「でも、解決策がないんだ!」
僕は声を荒らげてしまった。
アディがビクッと肩を震わせる。
自己嫌悪で胸が張り裂けそうになる。
「…ごめん。…本当に、何も思いつかないんだ。金を作る魔法なんて、僕には使えない」
僕は机の上に転がっていた「金貨」を手に取った。
先日、ロレンツォ兄さんが見せてくれた偽金のサンプルだ。
鉛に金メッキをしただけの、粗悪な偽物。
だが、見た目は輝く黄金だ。
「これさえ本物なら…。鉛を金に変える賢者の石があれば…」
僕が弱音を吐くと、ランさんが静かに口を開いた。
「金そのものは作れんが…金と同じくらい『重い』ものならあるんじゃないか?」
ラン兄さんの言葉に、僕は力なく笑った。
「重いもの?鉛のこと?…だめだよ。鉛は金よりずっと軽い。重さが同じでも、価値は雲泥の差だ。銀行家が欲しいのは『価値』なんだから」
「…その銀行家だがな」
ランさんは、僕の手にある偽金を見つめて言った。
「奴らが一番恐れているのは、金がないことじゃない。『金だと思っていたものが、実は価値のないゴミだった』と気づくことだと言っていたな」
その言葉が、僕の脳裏に引っかかった。
――数日前、ロレンツォ兄さんとの会話が蘇る。
『奴らにとって、貨幣の信用は命だ』
『偽金をつかまされたと知れれば、銀行の信用に関わる』
『だから奴らは、金貨を弾いた音の余韻を聞き分けたり、秘中の秘の検査法を持っている』
銀行家エンリコ。
彼は金を持っている。腐るほどに。
だが、彼は常に怯えているのだ。
自分の金庫にある金貨が、本当に本物なのかどうか。
もし、コルナーロ家のような権力者が、精巧な偽金を大量に持ち込んできたら?
断れば睨まれる。受け取れば破綻する。
彼は「真実」を知る術を持っていない。
「…待てよ?」
僕の心臓が、ドクンと大きく跳ねた。
お金を作ることはできない。
でも、「お金の価値を保証するもの」を作ることができれば?
銀行家が一番欲しがっている「安心」と「真実」を、形にして売ることができれば?
「…見抜くんだ」
僕は偽金を握りしめた。
「鉛、銅、錫…。どんなに精巧に作っても、元素が違えば、絶対に誤魔化せない物理法則がある」
密度(比重)だ。
純金の密度は19.32g/cm³。
この世界にあるどんな物質とも違う、固有の数字。
鉛(11.34)や錫(7.3)をどれだけ混ぜても、決して純金と同じ重さにはならない。
アルキメデスが王冠の真贋を見抜いた、あの原理。
「水に沈めれば分かる…!」
僕はガバリと顔を上げた。
アディが驚いたように僕を見る。
「ルカ?何か思いついたの?」
「うん…いや、まだだ。理論だけじゃダメだ」
僕は羊皮紙を引き寄せ、猛然と計算を始めた。
水に沈めて体積を測る。理論は簡単だ。
だが、金貨一枚の体積なんてごくわずかだ。
水を押しのける力(浮力)の差は、数ミリグラムにも満たない。
今の天秤で、それを測れるか?
いや、無理だ。
支点の摩擦、竿のたわみ、皿の空気抵抗。
それらが誤差となって、正確な数値を消してしまう。
だから銀行家たちは、不確かな「勘」や「音」に頼るしかないのだ。
「…普通の天秤じゃダメだ。針が動かない」
再び壁にぶつかる。
既存の技術では、精度が足りない。
コンマ以下の数値を正確に指し示す、究極の感度が必要だ。
摩擦をゼロにする支点。
髪の毛一本の重さにも反応するアーム。
そんなものが、この世界で作れるのか?
「…作れる」
僕の目が、作業台の隅にある「黒い粉」を捉えた。
タイヤに使ったカーボン。
そして、ベアリングに使った加工技術。
鋼鉄よりも硬く、摩擦係数が極限まで低い素材。
ダイヤモンド。
いや、炭素を結晶化させた人工ダイヤモンドなら、宝石よりも自由に加工できる。
「支点を、カーボンで作る…!」
イメージが爆発した。
脳内で、設計図が高速で組み上がっていく。
鋼鉄の支点じゃない。
炭素原子を『圧縮』し、ダイヤモンド構造を持たせた、黒く鋭い刃。
それを受け止める、同じくダイヤモンド構造のV字ブロック。
硬度と硬度がぶつかり合い、摩擦を極限まで殺した「点」の接触。
それならば、空気の重さすら量れるはずだ。
「いける…!これなら、どんな偽金も一発で見抜ける『真理の天秤』が作れる!」
僕は羽ペンを走らせた。
手が震える。恐怖じゃない。武者震いだ。
これは革命だ。
銀行家の喉元に突きつける、最強の交渉材料になる。
「アディ!ランさん!手伝って!」
僕は二人を振り返った。
その目には、もう絶望の色はなかった。
「材料を集めてほしい。炭素の粉末、純度の高い水、それと…ビアージョさんの工房を借りる!」
「分かった!何を作ればいいの!?」
アディが目を輝かせて立ち上がる。
「分からんが、お前のその顔を見るのは久しぶりだな」
ランさんもニヤリと笑った。
僕は設計図を握りしめた。
まだ完成していない。
加工の難易度は、これまでの比じゃない。
ミクロン単位の誤差も許されない、神のような細工が必要になる。
期限はあと一週間。
失敗は許されない。
「やるぞ…。僕たちの未来を、この天秤で量り取るんだ!」
工房の空気が変わった。
絶望の澱は消え、熱狂的な創造の熱が渦巻き始める。
眠れぬ夜は、まだ続く。
だが、それはもう悪夢ではない。
希望への道を切り拓く、戦いの夜だった。
(第48話「借金」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「原理は分かった。設計図もできた。でも、実際に作るのは地獄のような作業だった。でも、僕にはスキルがある。アディの応援がある!完成させなきゃ、全てが終わるんだ!」
「次回、『真理の天秤』。 銀行家の常識を覆す!」




