第39話「貝殻」
総督主催の夜会から一夜明けた、マルチェッロ家の朝。
食堂には、いつになく興奮した空気が漂っていた。
「アディちゃんから聞いたぞルカ!昨夜、あのコルナーロの小倅に一歩も引かずに言い返したそうじゃないか!『僕には家族がいる!』とな!父さんは感動で涙が止まらんぞォォッ!」
父ジョヴァンニが、アディからの「報告」を聞いて、朝からパンを片手に絶叫している。
母イザベッラは「はいはい、コーヒーが冷めますよ」と苦笑しながらも、その表情は誇らしげだ。
ルカは少し照れくさそうにハムをかじった。
昨夜の出来事――ダンテ・コルナーロとの遭遇は、ルカの中に強烈な印象を残していた。
だが、それ以上に気になっていることがあった。
「…ねえ、ロレンツォ兄さん」
「ん?どうした」
ロレンツォは新聞を読みながら、優雅にコーヒーを飲んでいる。
二日酔いの気配すら見せないのは流石だ。
「昨日の夜会で、泣いていた女の人がいたよね。真珠のネックレスが曇ってしまったって…」
「ああ、コンタリーニ伯爵夫人だな」
ロレンツォは新聞を畳み、少し声を潜めた。
「あの真珠は、亡くなったご主人の形見らしい。ジェンティーレとの貿易が盛んだった頃に手に入れた、最高級の東方産だ。…湿気と汗で『風邪をひいた(曇った)』らしいが、あれじゃもう値打ちも半減以下だな」
「直せないのかな?」
「無理だ。宝石商も匙を投げたらしい。表面を磨いても、一度失われた真珠の照りは戻らねぇよ」
商人の常識として、ロレンツォは断言した。
だが、ルカは眼鏡の奥の瞳を光らせた。
「僕なら直せるかもしれない」
「…は?」
「ううん、直したいんだ。…もっと強くて、絶対に泣かない真珠を、僕なら作れると思うから」
ロレンツォの目が、商人の鋭い光を帯びた。
彼はカップを置き、ルカをじっと見据えた。
「…相手は大貴族だぞ。半端な期待を持たせて失敗しましたじゃ済まされねぇ。商会の信用に関わる」
「わかってる。だから、まずは試作品を作るよ。それを見て、兄さんが『いける』と思ったら、夫人に連絡してほしい」
ルカの真剣な眼差しに、ロレンツォはニヤリと口角を上げた。
「へっ、いい度胸だ。…面白ぇ、乗った。今日の夕方までに『証拠』を見せてみろ。話はそれからだ」
「うん、任せて!」
◆◇◆◇◆
朝食後、ルカとアディは魚市場へと繰り出した。
護衛には、リナとルーチェがついている。
活気あふれる市場には、アドリア海で獲れた新鮮な魚介類が並び、威勢のいい掛け声が飛び交っている。
「へいらっしゃい!今日は良いムール貝が入ってるよ!」
「タコはどうだい!茹でたてだよ!」
アディは慣れた様子で、貝を売っている屋台を覗き込んだ。
「おじさん、この夜光貝と、あとアコヤ貝ちょうだい!あと、もしあれば、そこの積みあがってる貝殻も欲しいんだけど」
「毎度!ん?貝殻も?嬢ちゃん、変わった注文だなぁ」
店主は首を傾げながら、大量の貝殻も別の麻袋に詰め込んでくれた。
リナがその重い袋二つを軽々と担ぎ上げる。
「若旦那、こいつで何作るんだ?新しい鎧の材料か?」
「ううん、宝石だよ」
「はあ?ゴミがか?」
リナが信じられないという顔をする。
ルカは歩きながら説明した。
「真珠も貝殻も、主成分は『炭酸カルシウム』なんだ。それがレンガみたいに規則正しく積み重なって、その間を『タンパク質』が接着剤として繋いでいる。この構造が光を反射して、あの虹色が生まれるんだよ」
前世の知識。
真珠とは、貝に入り込んだ異物を、貝が自分の殻と同じ成分で包み込んだ「棺桶」のようなものだ。
天然の真珠は、その層が偶然、球状に重なった奇跡に過ぎない。
「偶然に頼る必要はない。…僕の『圧縮』があれば、意図的にその構造を作れるはず」
◆◇◆◇◆
市場を後にした一行は、職人街にあるビアージョの工房――通称『秘密基地』へと向かった。
到着すると、マエストロ・ビアージョが「また何か始めたのか」と興味津々で寄ってきた。
「まずは、一番綺麗な『真珠層』だけを取り出します」
ルカは集めた貝殻を作業台に広げ、左手をかざしてスキル『粉砕』を発動した。
ただし、今回はただ壊すのではない。
貝殻の外側の汚い層と、内側の美しい真珠層を、分子レベルの結合を解いて「剥離」させるイメージだ。
貝殻の表面が砂のように崩れ落ち、後に残ったのは、キラキラと輝く薄い螺鈿のような欠片たち。
「綺麗…まるで宝石の欠片だね」
アディが目を輝かせる。
「これをさらに細かく粉砕して、パウダー状にします」
ルカは虹色の粉末を作り出すと、それを球形の金型――以前、ベアリングを作るために作った超硬タングステンの型――に入れた。
そして、接着剤となるタンパク質(今回は貝から抽出したコンキオリン)をわずかに混ぜる。
ここからが本番だ。
ただ押し固めるだけでは、チョークの粉を固めたような白い玉にしかならない。
真珠の輝きを生むには、ミクロの層を、光の波長に合わせて並べる必要がある。
(イメージしろ…薄いガラスの板を、千枚、一万枚と重ねるように)
ルカは右手をかざした。
スキル『圧縮』。
圧力だけでなく、方向性を持たせる。
炭酸カルシウムの結晶を、玉の中心に向かって同心円状に、かつ規則正しく配列させる。
――ピキィン。
頭の中で、何かが噛み合う音がした。
手の中で熱が発生する。
ルカは汗を拭い、金型を開いた。
コロン。
作業台の上に転がり出たのは、直径一センチほどの球体。
窓から差し込む陽光を受け、それは深みのある、濡れたような乳白色の輝きを放った。
(第39話「貝殻」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「夜会で見かけた悲しそうな伯爵夫人…。曇ってしまった真珠は、もう元には戻らない。でも、だからこそ僕は作りたいんだ。汗にも酸にも負けない、永遠に輝く新しい真珠を!材料は市場のゴミ!?いや、これこそが宝の山だよ!」
「次回、『真珠の涙』。科学の力で、その涙を笑顔に変えてみせる!」




