第35話「黒い刃」
翌朝。
ルカは朝食のパニーノ(サンドイッチ)を急いで頬張ると、すぐに工房へ向かう準備を始めた。
体調は万全だ。たっぷりと寝たおかげで、魔力回路の巡りもすこぶる良い。
「ルカ、私も行く」
アディが腰に革袋を提げてついてくる。
中には水筒に入った冷たいレモン水が入っている。
季節も初夏に移り、強烈な陽射しの日も増えてきた。
護衛役のヴァレリアも、無言で頷いて後に続いた。彼女の腰にある双剣は、鞘の中でカタカタと頼りない音を立てている。刃こぼれが酷く、研ぎ直してももう限界なのだ。
◆◇◆◇◆
マエストロ・ビアージョの工房。
熱気が立ち込める中、頑固な鍛冶師はルカが持ち込んだ「黒い粉」を睨みつけていた。
「…おい坊主。こいつはただの煤じゃねぇのか」
「ただの煤じゃないですよ。タイヤに使った『カーボン』です。これを鉄に混ぜます」
ルカは作業台の上に、純鉄のインゴットと、カーボンの粉末を並べた。
ビアージョは呆れたように鼻を鳴らした。
「鉄に炭を混ぜて鋼にするのは当たり前だ。だが、こんな粉を大量に混ぜたら、脆くて使い物にならねぇぞ。鋳物みたいにパキンと割れちまう」
「普通に混ぜたら、ね。だから、構造を変えるんです」
ルカは羊皮紙を広げ、木炭で図を描いて説明した。
「ビアージョさん、ダマスカス鋼は知ってますよね?鉄を何度も折り返して層にする」
「ああ」
「あれをもっと細かく、目に見えないレベルでやるんです。鉄という筋肉の中に、カーボンという極細の繊維を縫い込むイメージです」
ルカの説明に、ビアージョの職人魂がピクリと反応した。
「…繊維だと?」
「はい。このカーボンは、引っ張られる力には無類の強さを持っています。これを鉄の粒子がガッチリと掴んで離さないように、僕のスキルで『圧縮』します。鉄そのものを接着剤にするんです」
専門用語を避け、職人に伝わる言葉を選んで説明する。
そしてルカは、もう一つの重要な素材を取り出した。
以前、ハンマーを作った時に余っていた、銀灰色に輝く重い金属片。
「そして、刃先にはこれを使います。タングステン鋼」
「…なるほど。芯は軽くて折れないカーボン鉄、刃は焼き入れの効くタングステン鋼か。三枚下ろしみてぇな構造だな」
「その通りです。その境目を、僕が原子レベルで繋ぎ合わせます」
ビアージョはニヤリと笑い、愛用のハンマーを握った。
「面白ぇ。…やってやろうじゃねぇか!」
◆◇◆◇◆
作業は困難を極めた。
炉の温度を極限まで上げ、ドロドロに溶けた鉄にカーボンを投入する。
通常なら炭素は燃え尽きてしまうが、ルカが「圧縮」のイメージで酸素を断ち、瞬時に鉄と融合させる。
「今だ、ビアージョさん!」
「おうらぁッ!!」
タングステンのハンマーが振り下ろされる。
ルカは左手でカーボンの配列を整え、右手で鉄原子を『圧縮』して食い込ませる。
金属の悲鳴のような音が響く。
普通の鉄とは違う、反発力。叩けば叩くほど、素材が「強情」になっていく感覚。
「硬ぇ!だが…粘っこい!」
ビアージョが汗だくになりながら叫ぶ。
数千回の打撃。アディが甲斐甲斐しく汗を拭き、レモン水を二人の口に流し込む。
やがて、一本の剣の形が打ち出された。
芯材のカーボン鉄を、タングステン鋼で包み込んだ複合剣。
だが、まだ完成ではない。
ルカは荒熱が取れた刀身に手をかざした。
「最後仕上げだ…!」
ルカは残ったカーボンを霧状にして刀身に纏わりつかせた。
イメージするのは、ダイヤモンドの表面構造。
極薄の炭素膜を、刀身に蒸着させる。
DLCコーティング。
ジュッ…という音と共に、銀色の刃が、光を吸い込むような「漆黒」へと染まっていく。
研磨していないのに、その表面は濡れたように滑らかで、怪しい光沢を放っていた。
◆◇◆◇◆
夕暮れ時。
工房の裏庭に、ヴァレリアが立っていた。
その手には、完成したばかりの二振りの剣が握られている。
『双黒』
。
ルカがそう名付けた剣は、闇夜の一部を切り取ったかのように黒い。
「…軽いです」
ヴァレリアが静かに呟く。
見た目の重厚さに反して、その剣は羽根のように軽かった。
これなら長時間の戦闘でも腕が疲れない。
彼女は目の前に立てられた、実験用の丸太を見据えた。
太さは大人の太ももほどある、乾燥した硬い樫の木だ。
「試してみてください」
「はい」
ヴァレリアが構える。
呼気と共に踏み込み、双剣を交差させて振るった。
風を切る音さえ、どこか鋭く、短い。
ヴァレリアが通り過ぎ、残心をとる。
丸太は…動かない。
失敗?アディが首を傾げた、その時。
ズズッ…。
丸太の上半分が、斜めに滑り落ちた。
切断面は、まるで鏡のように平滑で、木くず一つ出ていない。
「な…ッ!?」
冷静なヴァレリアが、目を見開いて絶句した。
「手応えが…ありませんでした。水を斬ったかのような…」
「表面をダイヤモンドに近い膜でコーティングしてあるんです」
ルカが得意げに解説する。
「摩擦がほぼゼロだから、抵抗なく通り抜ける。それに、刃先はタングステン鋼だから、鉄の鎧だって紙切れみたいに切れますよ」
ヴァレリアは震える手で、黒い刀身を見つめた。
彼女は知っている。
こんな武器は、海の民の伝説にも、東方の秘宝にも存在しない。
これは、戦いの概念を変えてしまう「魔剣」だ。
彼女はゆっくりとルカに向き直り、その場に片膝をついた。
騎士の礼。
「…若旦那様。この『双黒』、我が命に代えても使いこなし、必ずやあなた様をお守りします」
「うん、頼りにしてるよ、ヴァレリアさん」
その様子を物陰から見ていた他のメイドたちが、ざわめき立った。
「ちょっと!ヴァレリアさんだけズルい!」
「私のもお願いします!」
「私のも…!」
リナ、エリシア、ニーナたちが飛び出してきた。
ルカは苦笑しながら、ビアージョと顔を見合わせた。
「…さあ、これからが本番ですよ、ビアージョさん」
「へっ、とんだ人使いの荒い坊主だぜ。…だが、悪くねぇ!」
工房の火は、まだ消えそうにない。
少女たちのための、最強の武装開発は始まったばかりだ。
(第35話「黒い刃」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「ヴァレリアさんの剣、すごいのできた!でも、リナさんたちも黙ってなかった。『私の剛剣はもっと重く!』『私の針はもっと鋭く!』。わかったわかった、みんなの分もちゃんと作るから!それぞれに合わせたオーダーメイド。僕とビアージョさんの技術が、常識外れの武器を次々と生み出す!」
「次回、『乙女たちの武装』。エリシアさんの弓が、とんでもないことになっちゃった!?」




