第33話「月下の攻防」
「動くな。次に動いたら、眉間を射抜く」
エリシアの声は、いつもの穏やかな響きとは別人のように冷徹だった。
窓枠に立つ彼女の弓は、弦が張り詰められ、次なる矢が侵入者の急所を狙い続けている。
「ぐっ…!」
右肩を射抜かれた男は、苦痛に顔を歪めながらも、左手で懐からなにかを取り出そうとした。
だが、それより速く、部屋の扉が蹴破られた。
「させるかッ!」
飛び込んできたのは、小柄な影――ルーチェだ。
彼女は矢のような速度で男の懐に飛び込むと、残った左腕を掴み、自身の小柄な体を回転させて遠心力を乗せた一本背負いを決めた。
床板が悲鳴を上げ、男が叩きつけられる。
「アディの旦那様に何すんのよ!」
「ルカ!」
ルーチェに続いて飛び込んできたのは、寝間着姿の母イザベッラだった。
普段の穏やかな姿からは想像できない形相で、ベッドの上のルカに覆いかぶさるようにして抱きつく。
「無事なの!?怪我は!?」
「お母様…僕は大丈夫…。エリシアさんたちが守ってくれたから」
「よかった…本当によかった…!」
イザベッラは震えていた。
その背後には、父ジョヴァンニが古い剣(儀礼用のものだが)を震える手で握りしめて立っていた。
「お、おのれ、私の家に土足で…!ルカ、下がりなさい!」
ジョヴァンニの声は震えていたが、息子を守ろうとする意志だけは確かだった。
「旦那様、奥様、どうか落ち着いて。ここは制圧しました」
そう言って入ってきたのは、メイド長のマリアだ。
彼女の手には武器こそないが、その凛とした態度は、賊の侵入にも動じていない。
「ルーチェ、その男を縛り上げて。エリシアは引き続き警戒を。…ヴァレリアたちが外で迎撃しています」
「はいっ、マリアさん!」
マリアは武装メイドたちにとって「家事の師匠」であり、この屋敷の司令塔だ。
彼女が両親の安全を確保していたからこそ、ルーチェたちは迷わずルカの元へ走れたのだ。
その時、廊下からヴァレリアの声が響いた。
「敵は庭から包囲網を敷いています!リナは正面玄関、アリアは裏口を固めて!ニーナは遊撃!」
◆◇◆◇◆
アディは寝間着のまま、二階の窓から中庭を見下ろしていた。
月明かりに照らされた庭園が、戦場と化している。
「…すごい」
アディは息を呑んだ。
メイドたちの動きが、あまりにも鮮やかだったからだ。
正面玄関では、リナが剛剣を振るっていた。
ガァン!!
侵入者の盾ごと敵を吹き飛ばす一撃。
メイド服の袖を捲り上げ、好戦的な笑みを浮かべる彼女の周囲には、すでに二人の男がのびている。
「オラァッ!温いんだよ、お前ら!」
屋敷の裏手は、静寂そのものだった。
だが、木々の陰から様子を窺っていた侵入者が、一人、また一人と音もなく消えていく。
ニーナだ。
彼女の姿はアディにも見えない。ただ、倒れていく敵だけが、彼女の存在を証明していた。
二階のバルコニーへと鉤縄をかける部隊がいた。
彼らが手すりを乗り越えようとした瞬間――。
「そこは通り抜け禁止です~」
アリアがふわりと手を振った。
瞬間、空中の水分が凝縮し、水の鞭となって敵の足を絡め取った。
「えいっ」
彼女が軽く手を引くと、男たちは中庭の植え込みへと落下していった。
「…よし」
アディは窓を開け、身を乗り出した。
落下した男たちが起き上がろうとしている。
アディは窓枠に手をかけ、軽々と飛び降りた。
二階から、だ。
普通なら足を挫くが、鉄のドレスを着たアディは違った。
着地の衝撃を装甲がいなし、彼女は無傷で地面に降り立つ。
シャララ…ッ!
金属音と共に現れた銀色の少女に、男たちが目を剥いた。
「な、なんだ!?」
「ここは私たちの大事な家よ。勝手に入らないで!」
アディが腰を落とす。
二人の男が左右から同時に襲いかかってきた。
だが、アディは恐怖に竦むどころか、目を輝かせた。
右の男が剣を突き出す。
アディは半歩踏み込み、その腕を流れるように掴むと、相手の突進力を利用して背負い投げの要領で宙を舞わせた。
同時に、左から迫る男の足元へ、体を沈めるようにスライディング。
鮮やかな体術。
海の民に伝わる、波のような戦い方。
その背後に、ヴァレリアが音もなく着地した。
「お見事です、お嬢様」
「ヴァレリアさん!」
アディが振り返ると、ヴァレリアは静かに頷いた。
彼女の周囲には、すでに三人の侵入者が倒れている。
「敵は撤退を始めました。深追いは不要です」
ヴァレリアの声が、夜の庭に響く。
リーダー格の男が叫んでいた。
「くそっ、退くぞ!」
黒い影たちは、一斉に撤退していった。
メイドたちは追わず、警戒を続けながら屋敷を固める。
やがて、庭に静寂が戻った。
◆◇◆◇◆
一時間後、マルチェッロ家の居間。
父ジョヴァンニ、母イザベッラ、兄ロレンツォ、アディ、そして疲労困憊のルカが集まっていた。
壁際にはマリアが控え、ヴァレリアたちも警戒態勢を維持しつつ控えている。
「…怖かったでしょう、ルカ」
イザベッラはまだルカの手を放そうとしない。
「ごめんなさい、お母様。僕のせいで家に危険が…」
「何を言うんだ!」
ジョヴァンニがテーブルを叩いた。
「悪いのは暴漢どもだ!我が家の誇りであるお前を害しようなどと…許せん!だが…」
ジョヴァンニは悔しそうに肩を落とした。
「私には、お前たちを守る力がない。情けない父親だ」
「そんなことないよ」
ルカは首を振った。
「お父様もお母様も、みんなが無事だったことが、僕には一番大事だから」
ジョヴァンニの目が潤んだ。
だが、その涙は決して弱さではなく、家族への愛情から来るものだった。
ロレンツォが重い口を開いた。
「…へっ、これだけの騒ぎで無傷とはな。大したもんだぜ」
ロレンツォの視線に、ヴァレリアが一礼する。
「マリアさんの的確な誘導のおかげで、私たちは戦闘に集中できました」
「いいえ、私は何も。あなたたちの働きには、感謝してもしきれません」
マリアもまた、メイドたちに深々と頭を下げた。
二つの異なるメイドたちの間に、確かな信頼関係が見える。
しかし、根本的な解決にはなっていない。
ルカはソファの上で拳を握りしめた。
「…みんなを守りたい」
ルカの言葉に、アディが頷く。
「私も。自分の身は自分で守れるけど、ルカや、お義父様やお義母様たちを守るには、もっと力が必要…」
ルカは顔を上げた。
その瞳には冷徹な光が一瞬灯ったが、疲労感の方が勝ったようだ。
「でも、今はもう少し休ませて…」
ルカは意識が遠のいていくのを感じた。
(第33話「月下の攻防」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「アディです!ルカが目を覚まさないの。丸三日も!よっぽど疲れてたんだね…ごめんね、ルカ。 ロレンツォ兄様も『俺が間違っていた』って青い顔をして、ペトロさんの工房へ走っていっちゃった。『パッソ』はもっと大切に売るべきだって。そんな中、ヴァレリアたちがボロボロになった剣を見ながら怖い顔をしてる。『これでは次は守りきれない』って…どういうこと!?」
「次回、『休息と反省』。 ルカ、お願い、ゆっくり休んで。みんなルカが大好きだから」




