第25話「封鎖」
バンッ!!
マルチェッロ家の食堂のテーブルが、拳で激しく叩かれた。
叩いたのはロレンツォだ。
普段は冷静な彼が、珍しく顔を真っ赤にして声を荒げている。
「…全滅だ」
ロレンツォが絞り出すように言った。
「今日、市内の得意先を10軒回った。だが、どこも門前払いだ。『FUTURO』の赤も青も、銀細工も、商品は最高なのに『仕入れられない』の一点張りだ!」
「な、なぜだ!?あんなに飛ぶように売れていたのに!」
ジョヴァンニが悲痛な声を上げる。
「コルナーロだよ」
ロレンツォが忌々しそうに吐き捨てた。
「奴らが裏で手を回したんだ。『マルチェッロ商会と取引した店には、今後一切、東方からの輸入品を卸さない』とな。…香辛料を止められたら飲食店も薬屋も商売あがったりだ。誰も逆らえねぇよ」
経済封鎖。
それは、商人を殺すには刃物はいらないという、残酷な現実だった。
資金繰りがショートすれば、借金の返済も滞り、屋敷も技術も全て差し押さえられる。
「マンマ・ミーア…!なんて汚い手を使うんだ!」
ジョヴァンニが頭を抱える。
アディも心配そうにルカを見た。
「どうしよう、ルカ。このままじゃ、何も売れないよ…」
部屋に重い沈黙が流れる。
だが、ルカは冷静に眼鏡の位置を直した。
「…セレニアで売れないなら、他で売ればいいんじゃないかな」
「あ?」
「コルナーロの力が及ぶのは、あくまでこのセレニア共和国の商圏内だけだよね。だったら、隣町や、もっと遠くの都市に行けば関係ないはずだ」
ルカの提案に、ロレンツォは溜息をついた。
「簡単に言うなよ。一番近い交易都市『ヴィチェンツァ』までだって、馬車で片道三日はかかる。往復で一週間だ。そんな時間をかけて少量を売り歩いてたんじゃ、コスト倒れで赤字だぞ」
従来の常識ならそうだ。
ガタガタ揺れる馬車で、商品を痛めないようにゆっくり進めば、行商は効率の悪い商売になる。
だが。
「三日もかからないよ」
ルカは不敵に笑った。
「僕たちが作った『最強の馬車』なら…片道半日だ」
「…!」
ロレンツォがハッと顔を上げた。
そうだ。あの馬車がある。
「ベアリングによる超低摩擦と、板バネによる衝撃吸収。馬の負担は最小限で、速度は三倍出せる。…朝に出て、向こうで商売をして、夜には帰ってこられる」
「日帰り行商…だと?」
ロレンツォの目が、商人の色に変わった。
それは物流革命だ。
もし実現すれば、商圏の概念そのものが変わる。
「面白ぇ…!やってやるぜ!コルナーロの鼻先を掠めて、外貨を稼ぎまくってやる!」
◆◇◆◇◆
翌朝。
朝霧の中、マルチェッロ家の屋敷の前に、一台の馬車が停まっていた。
ニーナが御者台で手綱を握り、荷台には『FUTURO』シリーズの商品が満載されている。
「では、参ります。…皆様、舌を噛まないように」
ニーナが涼やかな声で告げ、鞭を一閃させた。
ヒュンッ!
馬車が見たこともないような速度で加速した。
石畳の街路を、信じがたい速度で駆け抜ける。
だが、車内は静寂そのものだった。ルカとビアージョが開発した「板バネサスペンション」が、路面の凹凸をことごとく貪り食っているからだ。
「は、速ぇ…!なのに揺れねぇ!」
ロレンツォが窓の外を流れる景色に釘付けになる。
アディも「わぁっ!飛んでるみたい!」と大喜びだ。
だが、街道に出たところで、行く手を阻む影が現れた。
検問所だ。
コルナーロ家の私兵たちが、バリケードを築いて待ち構えていた。
「止まれ!臨時の検問だ!」
「チッ、街道封鎖か!やっぱり来やがったな!」
ロレンツォが舌打ちする。
ここで止められれば、時間を浪費させられ、因縁をつけられて商品を没収されるのがオチだ。
だが、御者台のニーナは、速度を落とすどころか――笑ったように見えた。
「…おつかまりください」
ニーナが手綱を操る。
馬車は減速せず、むしろ加速してバリケードへ突っ込んでいく。
「なっ!?止まれ!ぶつかるぞ!」
兵士たちが慌てて槍を構える。
衝突寸前、ニーナは馬車を街道の脇――舗装されていない荒れ地へと逸らせた。
そこは岩や木の根が露出した、馬車なら車軸が折れるほどの悪路だ。
「バカめ!自滅したか!」
兵士たちが嘲笑う。
この時代の細い木の車輪なら、泥にめり込み、木の根に乗り上げればスポークが砕けるのが常識だ。
しかし、ルカは窓からそれを見て、ニヤリと笑った。
「残念だったね。…荒れ地も走れるように、車輪自体も強化して改造しておいて良かったよ」
ドガッ!ズザザザッ!
激しい音と共に、泥飛沫が上がる。
だが、馬車は止まらない。
ルカが設計した車輪は、従来の倍以上の幅を持つ「ワイドタイヤ(鉄輪)」だ。
接地面積を広げることで、ぬかるみでも沈み込まないよう計算されている。
さらに、スポークは木ではなく、強靭な「純鉄」製なうえ、車輪表面も強化してある。
岩にぶつかっても決して折れない壊れない。
「な、なんだあの動きはァァァッ!?」
「沈まねぇ!あんな悪路を滑るように走ってやがる!」
呆然とする兵士たちを尻目に、ニーナの馬車は砂塵を巻き上げて街道へ復帰した。
車内のロレンツォは、少しもこぼれていない紅茶を見て、震える声で言った。
「…化け物だ。この馬車も、あのメイドも」
「えへへ、すごいでしょ!」
「ニーナはすごいんだよ!」
ルカとアディは誇らしげに胸を張った。
技術が、権力の壁を越えた瞬間だった。
◆◇◆◇◆
昼前。
交易都市ヴィチェンツァの広場は、見たこともない「赤」と「青」を求める人々で溢れかえっていた。
コルナーロの圧力が届かないこの街では、商品は純粋に品質で評価される。
「なんだこの美しい赤は!」
「この青い顔料をくれ!金貨ならある!」
ロレンツォの巧みな口上と、アディの笑顔の売り込み。
いつもよりかなり高い値段を設定したにもかかわらず、商品は飛ぶように売れ、昼過ぎには完売した。
ずっしりと重い金貨袋。
それは、単なる売上以上の意味を持っていた。
「見たか、コルナーロ!俺たちはもう、お前らの檻の中にはいねぇんだよ!」
ロレンツォが快哉を叫んだ。
そして、夕暮れ時。
帰路につく馬車の窓から、再びあの「検問所」が見えてきた。
行きに突破されたことで、兵士の数は倍に増え、街道を完全に塞ぐように太い丸太のバリケードが組まれている。
「…うわぁ。兄さん、見てよ。本気で待ち構えてるぜ」
「ちっ、懲りねぇ連中だ。流石にあれを突破するのは骨だぞ」
ロレンツォが顔をしかめる。
だが、ニーナの声が天井から降ってきた。
「ご安心を。…道なら、他にもあります」
ニーナが手綱を引くと、馬車は街道を大きく外れ、何もない草原へと舵を切った。
「お、おいニーナさん!?そっちはさすがに!」
「この馬車に、道は不要です」
馬車は速度を落とさず、雑草が生い茂る平原を疾走した。
板バネサスペンションが唸りを上げ、強化された幅広の車輪が草を踏みしめる。
遠くの街道で待ち構えていた兵士たちが、呆然と立ち尽くしているのが見えた。
彼らの目の前ではなく、矢も届かない遥か遠くの平原を、謎の馬車が土煙を上げて爆走していくのだ。
追いかけようにも、普通の馬車や荷車ではあの荒れ地に入った瞬間に車輪が砕ける。
騎兵でさえ、足を取られずにあの速度についていくのは不可能だ。
「あははは!兵隊さんたちがポカーンとしてる!」
アディが窓から手を振る。
馬車は悠々と検問所を迂回し、セレニアへの帰路を急いだ。
ルカは揺れない車内で、心地よい眠気に包まれていた。
経済封鎖も、物理的な検問も、この「足」の前では無意味だ。
最強の馬車は、希望を乗せて風のように駆け抜けていった。
(第25話「封鎖」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「行商大成功!ニーナさんの運転と新型馬車のおかげで、私たちはどこへだって行けるよ!…でも、帰りの広場で変な人に出会ったの。全身黒ずくめで、なんだか怖い雰囲気…。『その青い石、どこで手に入れた?』って。えっ、ただのお客さんじゃないの?まさか、この石の秘密を知ってる人!?」
「次回、『黒い客』。商売繁盛の裏に、怪しい影!」




