第24話「板バネと車輪」
「…ありえねぇ」
ビアージョの工房「秘密基地」に、しわがれた驚愕の声が響いた。
作業台の上で、ひとつの「車輪」が回っている。
ルカが指先で軽く弾いただけの車輪だ。
だが、それは止まらない。
シャー…ッという、絹を撫でるような微かな音だけを立てて、まるで永久機関のように滑らかに回り続けている。
「おい小僧、なんだコリャ。何分回ってやがる?魔法でもかけたんじゃねぇだろうな」
「魔法じゃないよ。これが『ベアリング』の力だ」
ルカは回転する車輪の軸を指差した。
「軸と車輪の間に、僕が作った『真球』の鋼球が挟み込んであるんだ。これが転がることで、金属同士が擦れ合う『滑り摩擦』を、圧倒的に抵抗の少ない『転がり摩擦』に変えている」
ルカは胸を張った。
このベアリングの中身は、炭化タングステン並みに硬化させた鋼球だ。ルカがスキル『圧縮』でミクロン単位の誤差もなく真ん丸に成形し、それをビアージョが『神の金槌』で鍛え上げたレース(軌道輪)に封入したのだ。
この世界なら、今のどんな時計職人も作れそうもない、超精度の回転体。
「これなら、馬一頭の力でも、荷物満載の馬車を軽々と引けるよ」
「ケッ、呆れたもんだ。…だが、これだけじゃ『最強』とは言えねぇぞ」
ビアージョが金槌を担ぎ直した。
「いくら車輪が良く回っても、石畳の上を走ればガタガタ揺れる。その衝撃で、この精密なベアリングもすぐにイカれちまうぞ」
「うん。だから、これが必要なんだ」
ルカは、床に並べられた長さの違う数枚の鉄板を指差した。
幅5センチ、厚さ1センチほどの細長い板だ。
だが、ただの鉄板ではない。
ルカが成分調整し、ビアージョが焼き入れを行った「バネ鋼」だ。
「マエストロ、これを長い順に重ねて、弧を描くように束ねてください」
「ほう…こうか?」
ビアージョが言われた通りに鉄板を重ね、中央をボルトで固定する。
出来上がったのは、弓のような形をした鉄の束。
「これが『板バネ(リーフスプリング)』です。車軸と車体の間にこれを噛ませることで、鉄の『しなり』が路面のデコボコを吸収します」
「鉄が衝撃を吸うだと?…試してみるか」
ビアージョは板バネを床に置き、その上に全体重をかけて飛び乗った。
グンッ。
「おっ!?」
硬いはずの鉄の束が、ビアージョの巨体を受け止め、柔らかく沈み込んだ。
そして、ふわりと押し返す。
「すげぇ…!鉄なのに、まるで生き物みてぇな弾力だ!」
「板同士が擦れ合う摩擦が、振動を減衰させるダンパーの役割も果たすんです。これなら、石畳の上でも船のように走れますよ」
ビアージョの目に、職人の火が灯った。
「面白ぇ!全部の車輪にこいつを仕込むぞ!ニーナ嬢ちゃん、馬車をドックに入れな!」
◆◇◆◇◆
それから数時間。
改造は完了した。
外見は、ニーナが持ってきた地味な箱馬車のままだ。
だが、その足回りは一変していた。
車軸には銀色に輝くベアリングハブ。
そして車体を支えるのは、黒光りする四組の板バネサスペンション。
「よし、試運転だ!」
ルカ、アディ、そして、たまたま様子を見に来たロレンツォが面白がって客車に乗り込む。
御者台にはニーナが座り、手綱を握った。
「では、参ります」
ニーナが涼やかな声で合図し、鞭を振るった。
パシィッ!
馬がいななき、石畳の道を駆け出す。
「うわっ…!?」
ロレンツォが思わず身構えた。
いつもの馬車なら、発進と同時にガタン!と激しい突き上げが来るはずだ。お尻へのダメージを覚悟した。
だが。
――スゥゥゥゥ…。
「…は?」
ロレンツォは目を見開いた。
揺れない。
窓の外の景色は飛ぶように流れている。ゴロゴロという車輪の音もしている。
なのに、車内はまるで静止した部屋にいるかのように静かだ。
「な、なんだこれは!?本当に走ってるのか!?」
「すごいよルカ!氷の上を滑ってるみたい!」
アディが窓にへばりついて歓声を上げる。
石畳の継ぎ目を越えても、板バネが「グンッ」といなしてしまい、車体には不快な振動が伝わらない。
ベアリングのおかげで転がり抵抗がゼロに近いため、馬もほとんど力を入れずに疾走している。
「これぞ『板バネ』と『ベアリング』の力さ」
ルカが得意げに解説しようとした時、御者台から小窓が開いた。
「皆様、速度を上げます。…少し挙動が変わりますので、お気をつけください」
ニーナの声だ。
次の瞬間、景色が一変した。
ニーナが本気を出したのだ。
馬車は矢のような速度でカーブに突っ込んでいく。
「ちょ、おい!速すぎだろ!」
ロレンツォが叫ぶ。
普通の馬車なら遠心力で横転する速度だ。
だが、この馬車は違った。
外側のバネが踏ん張り、内側のバネが伸びることで車体が安定し、レールの上を走るようにカーブをクリアしていく。
「ヒャッホー!すごいすごい!お父さんの船より速いかも!」
アディが大はしゃぎする横で、ルカは座席に深々と体を預けた。
成功だ。
これなら、どんな悪路でも商品を無傷で運べるし、万が一の襲撃でも、敵の騎兵をぶっちぎれる。
「…こいつはとんでもねぇな」
ロレンツォが興奮冷めやらぬ顔で呟いた。
「ただの逃走用じゃねぇ。この馬車があれば、ウチは『特急便』ができる。鮮度が命の魚介類や、割れやすい工芸品を、どこよりも速く、安全に運べるんだ。…革命だぞ、これは」
商人の勘が、この技術の生み出す莫大な利益を弾き出していた。
ルカは微笑んだ。
「うん。同じ形で数を揃えれば物流も確保できるね。…あとは」
ルカの視線が、車内のテーブルに置かれたティーカップに向いた。
激走中だというのに、ニーナが淹れてくれた紅茶は、波紋ひとつ立てずに静まり返っていた。
「…あとは、この技術を守り抜くだけだね」
最強の足を手に入れたマルチェッロ商会。
だが、その驚異的なスピードは、敵対する者たちの焦りをさらに加速させることになる。
◆◇◆◇◆
その夜。
セレニア共和国の一等地にある、コルナーロ家の壮大な屋敷。
その執務室で、一人の男が報告書を握りつぶしていた。
次期総督の座を狙う野心家、ヴィットーリオ・コルナーロだ。
「…たかが没落商会の小僧どもが。ジェンティーレの追撃を振り切るほどの馬車を作っただと?」
ヴィットーリオは不快そうに鼻を鳴らした。
ジェンティーレの兵を使った物理的な排除は失敗した。
ならば、次の手は決まっている。
彼は商人だ。商人を殺すのに、剣はいらない。
「いいだろう。足が速かろうが、行く場所がなければ意味はない」
ヴィットーリオは冷酷な笑みを浮かべ、執事に命令を下した。
「市内の全ギルドに通達しろ。『今後、マルチェッロ商会と取引した店には、我が商会のスパイスを一切卸さない』とな」
それは、死の宣告だった。
セレニアという檻の中で、マルチェッロ商会を干上がらせる「経済封鎖」。
「金のない商人に何ができるか、思い知らせてやれ」
(第24話「板バネと車輪」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「すごいよ!完成した新型馬車は、石畳の上でも全然揺れないんだ!これなら商品をいっぱい積んで、遠くの街まで行商に行けるね!…えっ、どうしたのロレンツォ兄さん、そんな怖い顔して。…『市場から締め出された』?どこの店も、ウチの商品を置いてくれないって!?これも敵の仕業なの!?」
「次回、『封鎖』。見えない壁を打ち破れ!」




