第18話「青い石」
ビアージョの工房の片隅を借りた「マルチェッロ研究出張所(仮)」は、静寂に包まれていた。
作業台の上には、アディが「海の民」の船から持ち出した、握り拳ほどの大きさの「青い石」が置かれている。
「…どう?ルカ。これ、使える?」
アディが心配そうに覗き込む。ルカは眼鏡の位置を直し、石にランプの光を当てながら唸った。
「うーん…。これは『ラピスラズリ(瑠璃)』だね。でも、質が良いとは言えない」
石の表面は青いが、所々に白い斑点や、金色の粒が混じっている。
顔料として使うには不純物が多すぎるのだ。
「これを砕いても、灰色がかった鈍い青にしかならない。ティツィアーノ先生が求めている『深淵の青』には程遠いよ」
「そっかぁ…。やっぱりダメかぁ」
アディががっかりして肩を落とす。
だが、ルカの目は死んでいなかった。
むしろ、難題を前にして怪しく光っていた。
「普通ならね。…でも、成分として見れば話は別だ」
ルカは石を手に取り、熱っぽく語り始めた。
「いいかい、アディ。ラピスラズリが青いのは、中に『ラズライト(青金石)』という鉱物が含まれているからだ。そして、その青色の正体は、結晶構造の中に閉じ込められた『硫黄』の原子なんだ」
「いおう?あの変な匂いがするやつ?」
「そう!その硫黄原子が特定の並び方をした時だけ、光を吸収してあの鮮やかな青が生まれる。…つまり」
ルカは不敵に笑った。
「不純物を完全に取り除き、硫黄と他の原子を『理想的な形』に並べ直してやれば…天然石を超える、100%純粋な『ウルトラマリン』が作れるはずだ!」
「難しくてよくわかんないけど…ルカ、すごい!」
アディの賛辞に照れながら、ルカは深呼吸を一つすると、青い石に左手を添えた。
意識をミクロの世界へとダイブさせる。
(スキャン開始…。主成分は珪酸塩。不純物の炭酸カルシウムと黄鉄鉱を分離。…抽出対象は、ナトリウム、アルミニウム、珪素、そして硫黄…!)
(粉砕)
硬い石がサラサラと崩れ落ちた。
作業台の上に、数種類の色の違う粉末の山ができる。
白、金、そしてくすんだ青。
ルカはそこから必要な成分だけをピンセットと磁石でより分け、新たな皿に移した。
「ここからが勝負だ。天然のラピスラズリは、生成される時の熱や圧力のムラで、どうしても色が濁る。でも、僕の『圧縮』なら…」
ルカは粉の山に右手をかざした。
イメージするのは、自然界では奇跡的な確率でしか起きない、完璧な結晶構造。
原子一つ一つの隙間を詰め、硫黄原子をその檻の中に正確に配置していく。
(圧力、均一化。温度補正、断熱圧縮熱を利用して500度をキープ…結晶格子、整列…!)
ルカの額に玉のような汗が浮かぶ。
今までで一番繊細なコントロールだ。
少しでも圧力がズレれば、青色は消え、ただの白い粉になってしまう。
「…固まれ、青くなれ…!圧縮!」
ルカの手のひらの空間が、青白く発光したように見えた。
そして。
「…ふぅっ!」
ルカが大きく息を吐き、手を退けた。
皿の上には、さらさらとした微細な粉末が残っていた。
アディが息を呑んだ。
「…わぁ」
それは、ただの青ではなかった。
吸い込まれそうなほど深く、それでいて発光しているかのように鮮やか。
まるで、夜明け前の成層圏の色を、そのまま切り取って粉にしたような――「至高の青」。
「で、できた…。『合成ウルトラマリン』。不純物ゼロの、完璧な青だ」
「すごいよルカ!見てるだけで目が吸い込まれそう!」
騒ぎを聞きつけたロレンツォとビアージョもやってきた。
二人は皿の上の青を見て、言葉を失った。
「…おいおい。こいつはヤベェな」
ロレンツォが、珍しく真面目な顔で呟いた。
「金を砕いても、こんな色は出ねぇぞ。…これを絵に使ったら、他の色が全部霞んじまう」
「ああ。宝石を溶かしたみてぇな色だ」
ビアージョも同意する。
ルカは疲労困憊だったが、満足げに笑った。
「これを『FUTURO・ウルトラマリン』として製品化しましょう。…ティツィアーノ先生、腰を抜かすかな?」
翌日。
宮廷画家ティツィアーノのアトリエ。
ルカたちから渡された小瓶の中身を見た老画家は、腰を抜かすどころか、狂喜乱舞してアトリエ中を走り回った。
「これだァァァッ!ワシが夢にまで見た青はこれだァァッ!」
彼は震える手で筆を取り、キャンバスの空の部分にその青を乗せた。
一筆。
ただそれだけで、絵画の世界が無限の奥行きを持った。
「素晴らしい…!神よ、感謝します!この青があれば、ワシは海も空も、聖母のマントさえも、真実以上に美しく描ける!」
ティツィアーノは涙を流さんばかりにルカの手を握りしめた。
「少年!いや、マエストロ・ルカよ!お前は色彩の神の使いか!?」
「い、いえ、材料工学者です」
「なんでもいい!約束通り、この青は言い値で買おう!そしてワシの名前において、この顔料の安全と価値を保証してやる!」
その様子を見ていたロレンツォが、眼鏡の奥で計算高く笑った。
「へっ、商談成立だな。…おいルカ、覚悟しとけよ。この青が世に出たら、もうギルドどころか、国中の貴族がお前を放っておかねぇぞ」
「うん。…でも、僕たちには『FUTURO(未来)』があるから」
ルカはアディと顔を見合わせた。
赤と青。
二つの「奇跡の色」を手に入れたマルチェッロ商会。
その資金力と名声は、もはや一介の没落商会のレベルを超えつつあった。
だが、それは同時に、より巨大な敵――「既得権益」を持つ者たちの本気を呼び覚ますことを意味していた。
アトリエの窓の外、路地の影で、ルカたちを監視する鋭い視線があることに、彼らはまだ気づいていなかった。
(第18話「青い石」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「顔料ビジネスも軌道に乗って、資金も潤沢!これでやっと、あの『純鉄』の加工研究に戻れるよ!ビアージョさんのハンマーと、僕の科学知識があれば無敵…と思ったのに、問題発生!?『炉の温度が足りない』?鉄を溶かせなきゃ、製品なんて作れないよ!どうするルカ、熱を使わずに熱を生み出せ!?」
「次回、『加工研究』。鍛冶場の炎より熱い情熱を!」




