第17話「画家の評判」
画材屋「パレット・ドーロ」の店内は、殺伐とした空気に包まれていた。
店の棚には、ルカたちが納品したばかりの『FUTURO・ヴァーミリオン』が並んでいるが、その前には黒いローブを着た顔料ギルドの役人たちが立ちふさがっていた。
「…聞こえなかったのかね?『販売停止』だと言ったのだ」
役人のリーダー格、鷲鼻の男が冷ややかに告げた。
店主の老人はオロオロとするばかりだ。
「そ、そんな殺生な!この赤は飛ぶように売れておるのです!お客さんも待っているのに…」
「黙りなさい。成分不明の顔料など、何が入っているかわかったものではない。市民の安全を守るのが我々ギルドの務めだ」
もっともらしい理屈だが、その目は明らかに「既得権益」を守るための欲に濁っている。
ルカは一歩前に出た。
「毒なんて入ってません!これは珊瑚を加工したカルシウムと、天然の油だけでできています。舐めても平気なくらい安全です!」
「ふん、口ではなんとでも言える。分析結果が出るまで――そうだな、半年ほどは販売を凍結させてもらう」
半年。
そんなに止められたら、せっかくついた客が離れてしまうし、商会の資金繰りもショートする。
明らかに、誰かの息がかかった妨害工作だ。
「さあ、在庫を全て没収しろ!」
役人が部下に顎でしゃくる。
アディが「ダメ!」と飛び出そうとするが、ロレンツォがその肩をガシッと掴んで止めた。
「待ちな、アディ。…暴力じゃ解決しねぇ」
「でも兄さん!悔しくないの!?」
「悔しいさ。…だから、もっと『効く』手を用意したんだ」
ロレンツォは不敵に笑い、懐中時計を見た。
「…3、2、1。…時間だ」
――その時だった。
バーン!!
店の扉が蹴破る勢いで開かれた。
入ってきたのは、絵具まみれの作業着を着た、白髪の狂気じみた老人だった。
髪はボサボサ、目はギラギラと血走り、手には描きかけの筆を握りしめている。
「ど、どこだァァァッ!!」
老人が雷のような大声で叫んだ。
「ワシの『赤』はどこだ!あの魂を焦がすような赤は!あれがないと続きが描けんのじゃァァァッ!」
その剣幕に、ギルドの役人たちがビクッと縮み上がった。
「な、なんだ貴様は!我々は公務執行中で…」
「うるさい!ワシを知らんのか!」
老人は役人の胸倉を掴み上げた。
「ワシは宮廷画家のティツィアーノだ!総督閣下の肖像画を仕上げるために、あの赤が必要なんじゃ!邪魔をするなら、その首を絵筆でねじ切ってくれるわ!」
「ひぃっ!?ティ、ティツィアーノ先生!?」
役人たちが青ざめた。
マエストロ・ティツィアーノ。
「色の魔術師」と呼ばれ、セレニア共和国だけでなく、諸外国の王族からも依頼が殺到する、生きる伝説のような画家だ。
その発言力は、一介のギルド役人など足元にも及ばない。
「へっ、お出ましだ」
ロレンツォがニヤリと笑った。
そう、これがロレンツォの「秘策」だった。
市場に出す前に、あらかじめティツィアーノの工房に『FUTURO』のサンプルを送りつけておいたのだ。
「これを使えば、あなたは歴史を変える絵が描ける」という挑発的な手紙を添えて。
そして今、その「餌」に見事に食いついた芸術家が、ギルドを喰らいに来たわけだ。
「せ、先生、落ち着いてください!我々はこの顔料の安全性が確認できないため…」
「安全性だと?バカを言え!」
ティツィアーノは、没収されそうになっていた瓶をひったくると、蓋を開け、指で赤をすくい――あろうことか、そのまま口に含んだ。
「!?せ、先生!?」
「んむ…うん、変な金属の味はせん。油の味だけだ。…ほら見ろ、安全だ!」
彼は真っ赤になった舌を出して吠えた。
めちゃくちゃな論理だが、この場においてはどんな証明書よりも強力な「安全宣言」だった。
「さあ、この赤はワシが買い占める!文句があるなら総督府へ来い!芸術の完成を遅らせた罪で、全員縛り首にしてやるからな!」
「そ、そんな…」
役人たちは狼狽し、互いに顔を見合わせた。
宮廷画家を敵に回せば、自分たちの立場が危うい。
しかも、相手は「総督の肖像画」という切り札をチラつかせている。
「…わ、わかりました。ティツィアーノ先生がそこまで仰るなら、今回は特例として…」
「特例じゃない!『認可』だ!今後、このマルチェッロ商会の顔料には手出し無用!わかったな!」
「は、はいぃっ!」
役人たちは逃げるように店を出て行った。
嵐が去った店内。
ティツィアーノは荒い息を吐きながら、ロレンツォに向き直った。
「…おい、若造。お前が送り主だな?」
「いかにも。お気に召しましたか、マエストロ?」
「ふん。…礼は言わんぞ。お前のおかげで、ワシはこれなしじゃ描けない体にされてしまったんだからな」
老画家はニカっと笑い、ルカの頭をガシガシと撫でた。
「作ったのはこの坊主か。いい腕だ。既存の顔料とは『粒子の細かさ』が違う。光が内側から溢れてくるようだ」
「ありがとうございます!…実は、珊瑚をナノレベルで粉砕して…」
「理屈はどうでもいい!とにかく、この赤は最高だ!」
ティツィアーノは大量の瓶を抱え込むと、満足げに頷いた。
だが、店を出る間際、彼はふと思い出したようにルカを見た。
「…そうだ、坊主。もう一つ頼みがある」
「頼み?」
「赤は極まった。…だが、光があれば影があるように、赤があれば対となる『青』が必要だ」
画家の目が、真剣な探求者の色に変わった。
「今の市場にある青は、高価すぎて使いにくい。かといって、安い青はすぐに黒ずむ。…作れないか?海の深淵のような、永遠に澄んだ『青』を」
ルカはハッとした。
青。
人類が最も再現に苦労した色の一つ。
だが、心当たりはある。
「…アディ」
「うん!」
アディが巾着袋から、一つの石を取り出した。
以前解析したマンガン団塊と一緒に、麻袋に入っていた石だ。
「これのことですね?」
「ほう…?」
ティツィアーノが目を細める。
それは、深い群青色をした鉱石――ラピスラズリ(瑠璃)に見えたが、ルカの解析では少し成分が違っていた。
「やってみます。マエストロが腰を抜かすような『青』を、必ず!」
「期待しているぞ、少年!」
ティツィアーノは高笑いと共に去っていった。
店には平和と、新たな課題が残された。
「…へっ、また忙しくなりそうだな」
「うん!でも、望むところだよ!」
ルカは青い石を握りしめた。
ギルドの妨害は退けた。だが、これはまだ序章に過ぎない。
技術で世界を変えるルカの戦いは、今度は「色彩」の世界へと広がっていく。
(第17話「画家の評判」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「マエストロ・ティツィアーノからの新たなオーダーは『究極の青』!アディが持っていたこの青い石、ラピスラズリに見えるけど…成分が違う?硫黄とナトリウムの結合…これってまさか、人工的に合成できる『ウルトラマリン』!?でも、合成には高温の炉が必要だ。どうする、ルカ!?」
「次回、『青い石』。深海の青を、その手に掴め!」




