第11話「商談」
水の都セレニアの港湾地区の中心に、威風堂々とした石造りの建物が鎮座している。
「セレニア船主組合会館」。
この国の経済を動かす海運業者や、大商人たちが集う、まさに富と権力の伏魔殿だ。
「…うわぁ。いつ見てもデカい建物だね」
建物の前で、ルカはごくりと唾を飲み込んだ。
今日の彼は、いつもの作業着ではない。母イザベッラが夜なべして仕立て直してくれた、少しサイズの大きい正装用のジャケットを着ている。
隣のアディも、海の民の民族衣装ではなく、清楚な白いワンピース姿だ。褐色の肌に白い布地がよく映えている。
「ビビってんじゃねぇぞ、ルカ」
二人の背中を、ロレンツォがバンと叩いた。
彼はパリッとしたスーツを着こなし、鼻眼鏡の位置を直しながら不敵に笑った。
「いいか。今日の主役は俺たちの『商品』だが、それを演出するのは俺たちだ。ナメられたらそこで負けだと思え」
「う、うん!わかってるよ兄さん」
「よし。…行くぞ!」
ロレンツォを先頭に、三人は重厚な扉をくぐった。
会館の中は、紫煙とざわめきに満ちていた。
高い天井、磨かれた大理石の床。
そこここにある商談テーブルでは、恰幅のいい男たちが海図や契約書を広げている。
ルカたちが足を踏み入れると、数人の視線が彼らに注がれた。
「ん?あれは…マルチェッロ家の三男か?」
「ああ、あの『沈没商会』の…。まだ生きていたのか」
「また借金の延期でも頼みに来たんだろう。貧乏神が移る前に追い返せ」
あからさまな嘲笑と、冷ややかな視線。
かつての名家の没落ぶりは、この街では周知の事実だった。
ルカが悔しさに拳を握りしめる。
だが、ロレンツォは涼しい顔で嘲笑を受け流し、ホールの中央にある一番大きなテーブルへと歩み寄った。
そこには、組合の長老格である大物船主たちが陣取っていた。
「よう、ご歴々。今日は極上の『儲け話』を持ってきてやったぜ」
ロレンツォはいきなり、馴れ馴れしい口調で切り出した。
長老の一人、白髭の老人が不快そうに眉をひそめる。
「…ああ、マルチェッロ家のロレンツォかね。我々は忙しいのだ。ガラクタを売りに来たのなら、市へ行きたまえ」
「ガラクタ?へっ、アンタらの目は節穴か?」
ロレンツォは挑発的に笑うと、懐から黒いビロードの布を取り出し、テーブルの上に広げた。
そして、ルカに目配せをする。
ルカは緊張で震える手を押さえ、布の上にそっと「それ」を置いた。
――瞬間、ホールの空気が変わった。
薄暗いホールの中で、そこだけスポットライトが当たったかのように、鮮烈な「赤」が輝いたのだ。
マエストロ・ビアージョが施した繊細な銀の蔦が、燃えるような深紅の宝石を抱き込んでいる。
「な、なんだこれは…?」
「ルビーか?いや、これほど深く、透明な赤など見たことがない…」
長老たちが身を乗り出す。周りの商人たちも、ざわめきを止めて集まってきた。
「こいつは宝石じゃねぇ」
ロレンツォが芝居がかった仕草で言った。
「これは『未来』だ」
「未来、だと?」
「ああ。アンタらも知ってるだろう。海の民に伝わる伝説を。『深海にある紅は、嵐を鎮め、迷える船を導く』ってな」
ロレンツォはアディの肩を抱き寄せた。
「こいつは、海の民の長の娘が、命がけで深海から持ち帰った『守護石』だ。それを、我が商会独自の技術と、あのマエストロ・ビアージョの腕で加工した。…名付けて『FUTURO』」
その名前の響きに、商人たちがどよめいた。
「ビアージョだと?あの偏屈な天才が加工したのか?」
「海の民の守護石…。確かに、この赤を見ていると、体の奥から力が湧いてくるようだ」
ロレンツォの弁舌は止まらない。
単なるアクセサリーではない。
これは航海の安全を買うための「保険」であり、船乗りの命を守る「希望」なのだと。
「ど、どういう理屈でそんな力が?」
一人の商人が尋ねる。ここでルカの出番だ。
ルカは一歩前に出ると、眼鏡を光らせて解説した。
「か、科学的な根拠があります!この素材は、鋼鉄と同等の硬度と、海水に浸けても絶対に腐食しない耐性を持っています!つまり、『永遠に砕けず、輝きを失わない』んです。その不変性こそが、過酷な海で戦う船乗りたちの心の支えになるはずです!」
ルカの熱弁(早口)に、商人たちは圧倒されたように頷いた。
「鋼鉄並みの硬度…永遠の輝き…」
「確かに、船首像の代わりに、船長にこれを持たせれば…」
空気が完全に変わった。嘲笑は消え、そこにあるのは貪欲な「購買意欲」だ。
ロレンツォはニヤリと笑い、勝負に出た。
「さて、今回は試作品として『三つ』だけ用意した。…早い者勝ちだ。金貨20枚から!」
「25枚!」
「50枚だ!私の船団の旗艦に乗せる!」
怒号のような競り合いが始まった。
ルカとアディは顔を見合わせ、信じられないという表情をした。
原価ゼロの珊瑚が、今、家一軒分に近い価値を生み出している。
「80枚!」
「110枚!」
値が次々とつり上がり、ロレンツォがハンマー代わりのコインを机に叩きつけようとした、その時だった。
「…お待ちなさい」
凛とした、しかしどこか粘着質な声が響いた。
人垣が割れ、一人の男が進み出てくる。
仕立ての良い紫色の服に、細い目。
その胸元には、ライバル国家「ジェンティーレ共和国」の商会の紋章が光っていた。
「あれは…ジェンティーレの商務官、パオロか?」
誰かが囁く。
パオロと呼ばれた男は、テーブルの上の『FUTURO』を、手袋をした手でつまみ上げた。
「美しい。確かに美しいですね。…ですが」
パオロは細い目をさらに細め、ルカをじろりと見た。
「おかしな話だ。海の民との交易は、我がジェンティーレも長年試みてきましたが、彼らは決して心を開かない。…没落したマルチェッロ家ごときが、どうやってこのような希少な素材を入手したのですかな?」
「ッ…!」
ルカが息を呑む。
パオロの目は、「商品」ではなく「出所」を疑っていた。
もしここで「実はゴミから作りました」なんてバレれば、詐欺罪で捕まるどころか、技術ごと消される。
「…へっ」
張り詰めた空気の中、ロレンツォが鼻で笑った。
彼はパオロの手から『FUTURO』をひったくると、挑発的に言い放った。
「没落した?だからだよ、パオロさん」
「…何?」
「俺たちには失うものがねぇ。だから命がけで懐に飛び込んだのさ。…それに、こいつの輝きを見ればわかるだろ?これは金や権力じゃ買えない、『信頼』の証だってな」
ロレンツォはアディの肩をポンと叩いた。
「ここにいるのは、海の民の長の娘だ。彼女がここにいることこそが、俺たちの『契約』が本物である証拠だろ?」
アディは緊張しながらも、パオロをキッと睨み返した。その瞳の強さは、まさに海の民のそれだった。
パオロはしばらくアディとロレンツォを交互に見ていたが、やがてフッと薄い笑みを浮かべた。
「…なるほど。確かに、『本物』のようですね」
彼は一歩下がった。
「失礼しました。商売敵として、少々嫉妬してしまったようです」
「わかればいいんだよ。…さあ、商談再開だ!」
ロレンツォの声で、再び会場が熱気に包まれた。
結果として、三つの『FUTURO』は、合計で金貨580枚という破格の値段で落札された。
帰り道。
重たい金貨袋を懐に入れたロレンツォは、上機嫌で口笛を吹いていた。
「見たかあいつらの顔!金貨580枚だぞ!?大勝利なんてもんじゃねぇ、奇跡だ!」
「すごかったね兄さん!これで当面の利子どころか、元金の一部まで返せちゃうよ!」
「…でも、怖かった」
アディがぽつりと言った。
「あのパオロって人…笑ってたけど、目が笑ってなかった。蛇みたいだった」
「…ああ」
ロレンツォの表情が引き締まる。
「奴は気づいてやがったな。この素材が、ただの『海の民の土産』じゃねぇってことに。…これからは気をつけろよ、ルカ。俺たちは今日、派手に狼煙を上げすぎたかもしれねぇ」
ルカは振り返り、遠ざかる組合会館を見上げた。
夕陽に染まる建物は、先ほどよりも巨大で、威圧的に見えた。
光が強くなれば、影もまた濃くなる。
金貨の重みと共に、ルカは「大人たちの戦場」に足を踏み入れたことを実感していた。
(第11話「商談」終わり)
◆◇◆次回予告◆◇◆
「やったよ母様!父様!ロレンツォ兄さんの活躍で、なんとか借金の利子分は稼げたよ!これで屋敷を取られずに済む…と思ったら、銀行家がやってきた!?えっ、『方針が変わった』?『今すぐ全額返せ』だって!?そんなの約束が違うよ!この裏には絶対、誰かの思惑がある…!」
「次回、『返済』。大人の世界って、汚い!」




