6.プロポーズの返事
今日はデート。勘違いでも思い込みでもなくデート。「デートしたいな」と誘われ「はい」と返事をしたやり取りがあるので間違いない。
私はうきうきしながら待ち合わせ場所に向かっている。すると大通りの向こうに見知った人がいた。思わず立ち止まる。
あれはエドガーだ。隣にはナタリーがいて、彼の腕に自分の腕を絡ませ寄り添っている。誰が見ても恋人同士。二人が上手くいっているようでよかった。友人の幸せそうな顔を確認すると、私は一度空を見上げ再び歩き出した。
アンリちゃんから呼び方を改め、アンリが私より先に待ち合わせ場所にいた。ラフな格好をしているのに王子様のように格好いい。周辺にいる女性たちが見惚れている。でもアンリは私しか見ていない。なんだか心がむず痒い。
「アンリ、もう来ていたの? 遅くてごめんね」
「リーゼは遅くないよ。私が楽しみすぎて早く来てしまっただけだ」
「まあ、ふふふ。私も楽しみで早く来たのよ。それなのにアンリがいるから待ち合わせ時間を間違えて遅れてしまったのかと思ったわ」
「ごめん。じゃあ、行こうか」
「うん」
アンリが差し出した手に自分の手を重ねる。
目的地は見晴らしのいい丘。お弁当を持ってピクニックに行く。そして景色や空を眺めて過ごす。アンリはアズールさんという画家でもある。彼は景色を見ながら描くのではなく、脳裏に焼き付けた景色を屋敷で思い出して描くそうだ。記憶力が良すぎるのでは? と驚いた。記憶だけであの素晴らしい絵が生まれてくることに感動を覚えた。
アンリと再会してから三か月が経っている。
アンリからのプロポーズの返事は保留にしている。さすがに即答で「はい」と言えるまでの勢いはなかった。
催促されてはいないけれど、そろそろ返事をしようかな……。
プロポーズをされた日、昔のアンリちゃんは大好きだけど、私は今のアンリを知らない。だからあなたのことを教えてほしいと頼んだ。
アンリははにかんで頷いた。その顔が麗しくて、この時点でもう恋をしちゃっている気がしたけれど、さすがにチョロすぎると心を落ち着けた。
アンリはまずは私の家族に挨拶をしたいと申し出た。
「私はアンリ・ルサージュと申します。自国では伯爵位を得ています。リーゼさんとは昔サナトリウムで知り合いました。その頃からリーゼさんを想っていました。私はリーゼさんに会いたくてこの国に来たのです。そして昨日プロポーズをさせていただきました。ご両親へのご挨拶が後になったことをお詫びいたします」
彼は隣国の公爵子息だった。次男ですでに家を出て自分で事業を起こしている。公爵家で保持していた伯爵位を継いでいるので伯爵様だ。隣国はわが国よりも大きく国力がある。たとえ伯爵位でも実家が公爵家であることも踏まえると、この国では侯爵と対等と言ってもいい。私の父は子爵なので伯爵であるアンリのほうが身分が高い。でもアンリは私の家族に丁寧に接してくれている。
「リーゼに会いたくて? いつから来ていたのですか?」
「四年前です。こちらの国での仕事が安定したら会いに行こうと思っていたのですが、遅くなってしまいました」
「四年前から? 知らなかったわ」
「なんか……格好悪いな」
アンリが眉を下げて情けなさそうな顔になる。
「格好悪くなんかないわ。アンリはとっても素敵よ」
この擁護ではアンリを好きだと言っているも同然で、言ってしまったあとに顔が赤くなった。横にいた姉がにやにやしていたことは視界に入っていた……。
父が咳払いをすると真剣な声でアンリに問いかけた。
「それでルサージュ伯爵様はどんなお仕事を?」
「はい。文具店を営んでいます。店の一番の売り出し商品は紙です。私の実家では製紙工場がありそこで作った紙を扱っています。他にも色々な国の珍しい文具品を仕入れています。売り上げも伸びていますし、リーゼさんを養っていけるだけの経済力はあります」
「そうなのですね。私はリーゼの気持ちを尊重します。どうか娘をよろしくお願いします」
「えっ!」
お父様! まだ私、結婚を受けるとは言っていないのだけど? よろしくしちゃうの?
「はい。お任せください」
アンリがいい笑顔で請け合ってしまった。ほぼ外堀を埋められているとしか思えない。でも、嫌ではないのが悩ましい……。
実はプロポーズの後にアンリを連れて文具屋さんに行った。アンリに私の仕事を説明したかったから。結婚しても私は代筆屋の仕事を続けていきたい。それを理解してもらう必要があった。あれ? 思い返したら私、結婚する気満々じゃない?
この時点で私はアンリを平民だと思い込んでいたので、反対はしないと思っていた。平民は女性も立派な働き手とされているので、結婚後も共働きをしている人が多い。
ブロワさんに紹介しようとお店に入った。するとブロワさんはアンリを見るなり「坊ちゃん。やっとリーゼさんに告白したのですか?」と言ったので私は衝撃を受けた。
そうなのだ。お世話になっている文具屋さんはアンリが経営していた。そして画廊にいたエマさんはアンリの乳母さんでブロワさんはエマさんの夫だった。ブロワさんは私がアンリの想い人だと知っていて、色々助けてくれていた。もちろんそれはアンリの意志でもあって、それだけ真剣に私を想ってくれていた。アンリ自身は仕事で色々な国を移動していたので、私のことはブロワさんに任せ話を聞いていたらしい。この説明でようやく私はアンリが隣国の貴族であることを知った。そしてずっと守ってもらっていたのだ。
ちなみにブロワさんの話だと、アンリはこの国に地盤ができるまでは私に告白できないと言って仕事に邁進していたらしい。
それなのに再会する前にブロワさんから、私がエドガーに恋していることを聞いてしまい、私のことを諦めるつもりでいたそうだ。だけど個展で熱心に自分の描いた絵を眺める私に、我慢できずに声をかけてしまった。どうせなら想いを告げようとしたら、私が失恋の話をしたので咄嗟にプロポーズをしたそうだ。
その話を教えてもらった時に、これはもうめぐり合わせなのではと思った。私たちは再会するべきタイミングで会えた。
家族全員が誠実なアンリを受け入れ歓迎した。とくに両親は私が貴族に嫁げることに涙を浮かべ安堵していた。やはりそこは無理をしていたのか……。プロポーズの返事は保留にしているのに、家族が「おめでとう」と喜んでいる。もう、結婚が決定している?! まあ、いいかな。
アンリは毎日私に会いに来る。お互い仕事があるので一緒に過ごせる時間は長くて一時間。短い時間でも私の顔が見たい、声が聞きたいと言うのだ。私だってアンリと会えたら嬉しい。
我ながら調子がいいけれど、あの日失恋したのはアンリに恋をするためだった。そう思っている。
そうです。もう認めちゃいます。私はアンリが好き。好きなるのは仕方がないと思う。だってずっと好きでいてくれて、私を守ってくれていた。わざわざ隣国まで来てお店を出して、再会する前から私と結婚するための準備までしちゃう。そこまでしてくれる人はアンリしかいない。それにアンリと一緒に過ごしていると穏やかで幸せな気持ちになれる。
だから私は今日、アンリにプロポーズの返事をしようと思う。
目的地の丘の上についた。敷物を広げ二人で寝ころび静かに青空を眺める。
(綺麗な青空……)
この空がアンリの手でキャンバスに描かれると思うと楽しみだ。
私はドキドキと胸を高鳴らせながら口を開いた。
「ねえ、アンリ。私----」
「!!」
私の言葉にアンリがガバッと起き上がると泣き笑いの顔になった。
そんな顔をするなんてずるい……つられて私も泣きそうになる。
この日、私は人生を共に歩む素敵なパートナーを手に入れた。