1.告白予定が失恋確定
よろしくお願いします!
私の名前はリーゼ。アンドル子爵家の次女で個人で代筆屋の仕事をしている。開業して一年経つが、、固定のお客様がたくさんついてくれたおかげで安定した収入を得ている。
そんな私はデートのために朝から念入りにおしゃれをした。真新しいワンピースに袖を通してお化粧も丁寧に施す。出来上がりはいつもの私より二割増しで可愛くなれていると思う。
もっともデートだと思っているのは私だけかもしれない。いやいや、彼だって私に少なからず好意を抱いてくれていると思う。根拠? それは先日髪飾りを贈られた。誕生日や特別なイベントはなく「似合うと思ったから」という理由で。その前はお花をもらった。「綺麗な花だったから」と言って。こういったことが何度かあった。普通興味のない女性に贈り物はしないだろう。だからこれは期待していいはず。
とはいえお互いに気持ちを明言したことがないので、今のところ彼とは友人以上、恋人未満の関係だ。私は今日、その関係を一歩前進させようと決意をした。
本当は彼から告白してほしかったけれど、待ちきれなくなってしまったので今日のデートの最後に勇気を出して私から行動を起こすつもりでいる。彼は喜んでくれるだろうか? まさか……断る? 不安はあるけれど……でもきっと大丈夫! そう信じられるだけの時間を二人で過ごしてきた。私たちは子供の頃からの付き合いで、積み重ねてきた思い出があり、それらが私の背中を押してくれる。
彼と待ち合わせ場所で合流すると、昼食を摂るためにカジュアルな食堂に入った。告白のことを考えるとドキドキして食べられなくなりそうだけれど、私が緊張していることは彼に悟られたくないのでしっかりと食べている。食事の後は私の大好きな画家の個展を一緒に見に行くことになっていて、それもすごく楽しみにしていた。絵を見て高揚した気持ちの勢いに乗って帰り道で告白する。何度もイメージトレーニングをしてあるので計画は完璧だ。
「エドガー。今日は付き合ってくれてありがとう」
「リーゼはアズール? とかいう画家が本当にお気に入りだな」
「ええ、だってとっても素敵な絵なのですもの!」
エドガーは絵に興味がないのに、私が個展に行くと言ったら同行を申し出てくれた。それは私と一緒に過ごしたいと思ってくれている証拠よね。ほら、両思いの可能性が強くなったでしょう!
彼はシモン伯爵家の四男エドガー。四男なので当然家は継げず、学園を卒業して貴族籍を抜けて王宮で下級文官として身を立てている。エドガーとは子供の頃からの付き合いで、何かと一緒に過ごすことが多かった。学園を卒業してしまうと接点がなくなる。しかもエドガーは文官としての仕事が忙しく、私も代筆屋の仕事を軌道に乗せるために四苦八苦していたので会う機会がなかった。
そんなある日、エドガーが訪ねてきてくれた。私はそれがとても嬉しかった。そして今に至るのだ。
「俺は絵とか芸術のことはさっぱりだ」
「私だってそれほど詳しくないわ。ただアズールさんの絵は特別なの。彼の風景画は、こう……胸に響いて。見たことがない景色なのに懐かしさを感じられたり、穏やかな気持ちになれたりするのよ」
「はいはい。わかったよ」
エドガーは私がアズールさんの絵の感想を言い出したら、また始まったよという表情を浮かべて苦笑いをした。だって本当に私にとって大切な絵なのだ。でもエドガーが私を見るその目の奥に、優しいものがあるように感じ胸が温かくなった。
食後のお茶が飲み終わったところで、私はエドガーに声をかけ、椅子から立ち上がった。
「そろそろ行きましょう」
「ああ」
エドガーは奢ってくれると言ったが割り勘にしてもらった。お金のことで友情にひびが入ると嫌だし、今日の個展は私が付き合ってもらうからだ。
食堂を出て個展会場への道をゆっくりと進む。エドガーは私の歩調に合わせてくれている。
(これは間違いなくデートよね?)
自問自答しながら確信を強め私の足取りはとても軽い。大げさに言えば背中に羽が生えていそうなくらい。時折エドガーの顔を見上げながらニコニコと歩く。
その途中である女性と会った。といっても声をかけられたのはエドガーだ。
「ねえ、もしかしてエドガー? やっぱりそうだ。元気だった? 会いたかったわ!」
「っ?! ナタリー……ナタリーか?」
声の主は色っぽくて綺麗な女性。赤い巻き毛と口元のホクロが印象的で、溌溂とした笑顔が眩しい。エドガーは名前を呼ばれると目を見開き、次にうっとりと魅入られたようにその女性を見つめた。
私は嫌な予感に一瞬で心が凍った。
彼女のことを知っている……。ナタリー・マルタン男爵令嬢。話をしたことはないがエドガーと同じクラスにいた女性だ。学園では美人で有名だった。明るい性格で話し上手で男子生徒のマドンナ的存在。ナタリーは女優になるために大きな劇団のオーディションを受けに、隣国に行ったという噂を聞いていた。
エドガーは目元を赤く染めながら上擦った声で言った。
「ナタリー。いつこっちに戻ってきてたんだ?」
「先週よ」
「そうか……オーディションは?」
「残念ながら。でもやるだけやったわ。だけどまだ諦めてないわよ。近いうちに国内の劇団のオーディションがあるのよ。それを受けるつもり」
「そうか。さすがナタリーだな。今度はきっと上手くいくよ」
「ええ。絶対に人気女優になって私を落としたことを後悔させてやるわ」
二人は見つめ合ったまま会話を続けている。まるで私がここに存在していることに気づいていないかのよう。楽しそうな二人に口を挟めず私は黙って二人の会話を聞くしかない。まるで幽霊になった気がする。
「その意気だ」
「ありがとう、エドガー。そうだ。今から一緒にカフェにでも行かない? 久しぶりですもの。色々話をしたいわ」
「ああ、いいよ。どこに行こうか?」
私はエドガーの返事を聞き思わず絶句した。いや、絶句も何もずっと黙ったままだったけれど。それよりも私が先に約束をしているのに、それを無視してナタリーに即答するなんてあんまりじゃないか。エドガーは私のもやもやした憤りに気づかないままどこに行くか思案している。本当に私が隣にいることを忘れている……信じられない。
ナタリーがエドガーの目を見つめたまま、甘えるように上目遣いをして首を傾げた。すると赤い髪がふわりと揺れた。髪からも色気が漂っている。それはたぶん私にはないもの。
「エドガーと昔一緒にケーキを食べたカフェ、まだあのお店あるかしら? あそこのケーキが食べたいわ」
「あるよ。じゃあそこに行こう」
二人にしかわからない会話。それってどこのカフェなの? 一緒にケーキを食べた? それはデートをしたということよね。学生時代に二人が付き合っていたなんて知らない……。ナタリーに返事をするエドガーに躊躇う様子はない。
私は我慢できず縋るようにエドガーの腕を掴んだ。エドガーはそこで私の存在を思い出したようだ。はっとすると次の瞬間ばつが悪そうな顔になった。私の心にはナイフで切り付けられたような痛みが走った。酷く惨めですごく悲しい。
「あ……えっと、リーゼ。彼女はナタリー。ナタリー、彼女はリーゼ……リーゼさんだ」
「……」
ナタリーのことは呼び捨てで、急に私に『さん』付け? 今までそんな風に呼ばれたことはなかった。まるで私たちは特別な関係ではないと一線を引かれた気がした。私が縋るように掴んだ手をエドガーはやんわりと引きはがした。
「はじめまして。リーゼさん。ナタリーです。よろしくね。あっ! もしかして二人はお付き合いしているの? 私ったらデートのお邪魔をしてしまったのかしら?」
ナタリーが私に向かって眉を下げごめんなさいとばかりに両手を合わせた。その姿をわざとらしいと感じたのは気のせいではないだろう。だってエドガーと話しながら私のことをチラチラ見ていたもの。
エドガーが慌てて言い訳をするように説明をした。
「いや、リーゼ、リーゼさんとは……その、友人……。そう、ただの友人なんだ。それで偶然会って話をしていただけ。そうだろう?」
エドガーに同意を求められたことに唖然とした。口裏を合わせろというのか。エドガーはナタリーを優先した。選んだのだ。
私たちはただの友だち? それは現時点で正しい。でも偶然会ったわけじゃない。待ち合わせをして食事もしたのに嘘を吐く意味は? その意図を理解した途端、心の中がスッと冷めた。エドガーがこんな人だったなんて。告白する前に知ることができてよかった。おかげで私の失恋の痛みは一瞬で終わった。私はにっこりと微笑んだ。
「ええ。そうね。私たちはただの友人。偶然会っておしゃべりをしただけなのよ。お二人は久しぶりの再会なのね」
「ええ、学園を卒業して以来よ。同じクラスで親しくしていたの」
「親しく……ね。それなら積もる話もあるでしょう? 私はここで失礼するわね」
「お気遣いありがとう」
ナタリーは満足そうに頷くとエドガーの腕に自分の腕を絡めた。ナタリーは自分が優先されることに慣れているようだし、当然だと思っているのだ。ナタリーに寄り添われエドガーは満更でもなさそうな顔だった。
「じゃあ、リーゼ……さん、またな」
いつもエドガーは別れ際に「またな」と言う。私も「またね」と返していた。
「エドガーさん。さようなら」
私がエドガーを『さん』付けで呼び『さようなら』と言うと、エドガーは顔を引きつらせたが、それでも何も言わずに私に背を向けナタリーと歩いて行った。
その姿を冷ややかな目で少しだけ見つめた後、私は踵を返し個展会場に一人で向かった。




