すること、すべきこと
すること、すべきこと
「会社って何のためにあるのだろう」
「またあの話か。株主のため、社員のため、社会貢献のため、云々かんぬん」
「で、何のため」
「馬鹿げているよ。質問自体が」
「なぜ」
「りんごは何のためにある」
「さあ」
「りんごにとっては子孫を残すため。人にとっては食べるため」
「そうだね」
「会社が何のためにあるかなんて判断する主体によって違って当然さ。株主は株で儲けるため、社員は給料をもらうため、政府・自治体・近隣住民は何らかの利を得るため」
「それってすり替えじゃないか」
「どうすり替えている」
「この問いは主体を定めていないのさ。会社はその会社以外の主体を総括した実体にとって何のために存在するかという答えを求めているんじゃないか」
「極めて日本人的な問いだな。それなら簡単さ。何のためでもない。ただ会社と関係する主体が夫々利を得んがためにたまたまその会社が存在するだけさ」
「じゃ会社を構成する主体は何をするのだろう」
「それはもちろん主体によって変わるだろう。株主は株価や配当を上げるように要求し、社員は待遇を上げるように要求し、社会は何かにつけて利を得ることを見つけ出しそれを要求する」
「それは目的だよね。で、何をする」
「株主は株主総会で圧力をかける、社員も同様会社に圧力をかける、社会もとても単純に言えば圧力をかける。つまり我々の要求を呑まなければこんな目に遭うがそれでも呑まないのかというふうに」
「法と刑罰に近いな」
「かもしれん」
「君の話はおそらくこう続く。圧力のかけ方もその成果をいつ、どのような形で得るかによって変わってくると」
「そういうことだね。明日なのか、一ヶ月後か、一年後か、十年後か。変わってくるな」
「君は今日何をする」
「明日クライアントへの新規案件のための提案書を作らなくっちゃならない」
「それはいつごろ売り上がる案件なのかな」
「おそらく期末だろう」
「週末は何をする」
「提案書作成、説明会実施、提案する先の会社の各利害関係者への根回し等で今週は忙しいからね。おそらくゆっくり休むだろう」
「君にはプランがあるわけだ」
「ああ、もちろん」
「どこまで先のプランを描いているんだい」
「そりゃ君、ものによって違うだろうに、仕事かプライベートか、いつまでにやるべきことなのかなんかによって変わってくるさ」
「君は死ぬほどくたびれているとしよう。さあ何をする」
「眠るね」
「でも一仕事すれば明日大金が入り込む。さあどうする」
「大金か。俺は大金をもらうぞ」
「でも〔死ぬほど〕と言っただろう。死ぬかもしれんよ」
「命には代えられんな。やっぱり眠るよ。でも何だってこんな馬鹿単純な質問を」
「人が〔すること〕つまり私的なこと、そして〔すべきこと〕義務についてちょっと考えたくて。まあ付き合ってくれたまえ」
「ああ、いいとも」
「たとえば、朝目覚めて酷く疲れていることに気づく。でも仕事に行かなくっちゃならない。その日は休んでいる暇がない。休めば僕は会社、ひいては社会の中でのある身分、あるいは金を失う」
「ふむ」
「することが対価に値しなければ、もちろん人はそれをやらない」
「そうだな」
「対価を何で計るか、することのコストを何で計るか」
「我々は給与取得労働者だから、金と時間だろうな」
「そう、そしてコストと対価がいつ発生するかが問題だ」
「100年後に得られる1憶円に誰も興味は無いからね」
「若い人の中には首になる寸前まで寝坊で遅刻を繰り返す人もいる」
「若いうちはまだ将来のことまで考えない人もいるからね」
「単純に行こう。したいことだけをする。ひたすらに。もちろんその対価としてその人はどんどん失っていく」
「失って、失って、行き着く先は社会のセーフティーネット」
「それでもやり続ける。とうとう失うものは何も無くなり。もちろんしたいこともできなくなる」
「じゃ次は逆を行こう」
「社会の為にひたすら働き、働き、働き続ける」
「勝利の美酒に酔うことも無く」
「戦い、戦い、戦っていつか敗れてうまくすればそれまでの蓄えで生涯を食いつなぐ。それに失敗すればそこで生涯は終わりだ」
「君はすべきことを崇めている。そうだろう」
「欲望が殆ど無い人のすることは〔食っちゃ寝〕だからね。でもその人の頭の中は〔食っちゃ寝〕じゃ無いさ」
「すべきことをやり遂げて成功した自分を夢見ていると言うのかい?」
「そう、そして欲望が強い人のやること。これは徹底して肥大した自分の欲望の充足だ。そしてその人の頭の中は」
「さらなる肥大した欲望だろ。君は明らかに〔すること〕と〔すべきこと〕をごちゃ混ぜにしたね」
「なぜ」
「読み返してみたまえ。〔すること〕と〔すべきことは〕同じ欲望から発していることがついにこれで露呈した」
「乞食とて社会のリーダとて、おのが欲望を充足せんとした結果に過ぎずというのか。僕の言っているのはそうじゃない。両者の区別は他者の要請を酌んでいないのか、酌んでいるのかと言う点さ」
「やはり君はごちゃ混ぜにしている。他者の要請は自分の尺度で計るのさ。自分の欲望という尺度でね。君が〔すること〕と〔すべきこと〕を区別する理由が分からない」
「教えてあげよう。僕は〔すべきこと〕に酔いしれている。無償の愛なんて安っぽいものじゃない。僕は自身を他者やある集団に埋没させたいのさ。僕が愛する他者や集団にね。そうすれば僕は〔すること〕のコストを計ることができなくなる。もはや僕が〔すべきこと〕をすることを止めるものは何も無い。考えても見たまえ。自分が存在せず、自分の成果のみを鑑賞してまわれる世界を。僕じゃない、世界がそう僕に要請したのさ」