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第3章 異端の挑戦と葛藤

入学式の日、アルカディアの講堂は宝石のような光で満ちていた。貴族の子弟たちは家紋の刺繍が施された外套を纏い、魔力のほのかな煌めきが空気に虹を散らす。特待生として壇上に名を呼ばれたエリスに、幾つもの視線が収束した。驚き、嫉妬、嘲笑、興味。彼女は微笑み、首筋を流れる髪を耳にかける。堂々と前へ歩き出す姿は、誰の評価にも絡め取られていない糸のようにまっすぐだった。

実技の授業では、現実が容赦なく姿を現した。広間で風の訓練が始まると、他の生徒たちのローブがふわりと舞い、軽快な笑い声が風に流される。エリスの銀髪も容赦なく乱れた。彼女は指先で整えながら、唇を噛んだ。術式が空気を掴み、捻り、放す。その連続に、彼女の身体は何ひとつ反応しない。背中を過ぎる陰口。「飾りだね、あの子」「特待生って、顔も含まれるのかしら」エリスは顔を上げ、笑った。笑顔はやわらかいが、瞳の奥の青は冷たい湖水のように静かだ。

学生寮での夜は、最初こそ孤独だった。廊下を行く足音は彼女の部屋の前でわずかに速くなり、共用スペースの談笑は彼女が入ると一瞬だけ沈黙する。それでもエリスは、誰にでも同じように挨拶をした。朝食時、皿を運ぶ寮母の手を助け、図書目録の整理を手伝い、迷っている新入生の肩を軽く叩いて道を示す。彼女の社交性は、計算ではなく自然だった。笑顔に守られた心の奥で、孤独が風鈴の音のようにときどき鳴った。

やがて変化が生まれる。座学の授業で、エリスのノートが回覧されるようになった。彼女の文字は細く正確で、図は美しく均整が取れている。魔法陣の分析は、詠唱の発音記号の修正、音節の省略案、媒体の共鳴曲線の描き直しに至るまで、徹底していた。「ここ、すごくわかりやすい」「この線を引く意味、初めて腑に落ちた」彼女の机に置かれる小さな礼状が増え、教員の中には研究室への出入りを許す者も現れた。彼らは既存の視座を揺さぶるエリスの指摘に、胸のどこかが疼くのを感じていた。

大図書館は、石と木と革の匂いの聖域だった。高い窓から落ちてくる光は埃を舞わせ、棚は天井の暗闇に吸い込まれるほどに積み上がる。ある午後、積み上がった書物の塔がふいに崩れた。エリスがとっさに手を伸ばし、落ちてくる一冊を抱え込む。装丁は粗末で、背表紙は黒ずみ、題名は剥げて読めない。頁を開いた瞬間、彼女の呼吸が止まった。「外部魔素に依存する擬似魔術」——世に忌避され、忘れ去られた理論が、古い言葉で綴られていた。

心臓が指先にまで脈打つ。頁の数式は古い表記にまみれていても、内容は鋭い。「術者の魔力を前提としない」「環境魔素の回収と偏在化」「地脈の可聴化」——彼女の脳はその音楽をすぐに解読し始めた。なぜ失われたのか。危うさゆえに。再現するために必要なものは何か。高度な計算、精緻な陣式、一体化された協働。エリスはその夜、すべてを暗記した。紙の手触りが掌に残り、インクの匂いが眠りの縁までついてきた。

それからの夜、彼女は小さな実験を繰り返した。キャンドルの炎を媒体に見立て、糸と金属片で簡易の共鳴回路を組む。水面に落とした砂粒が描く波紋の干渉を、陣式の重ね合わせに置き換える。失敗すれば、静かに片付け、また組み直す。指先がかすり傷だらけになり、寝不足の朝に鏡の中の青い瞳がほんの少し赤みを帯びる。誰も知らない孤独な努力。その背骨に沿って、鋼の意志だけが熱を保っていた。

時折、夜が重く落ちることがあった。自分のベッドの縁に座り、窓の外の星を見上げる。「私は本当に、正しい道を歩んでいるの?」胸の真ん中を指で押されるような不安が、呼吸を浅くする。魔法が使えない自分への絶望が、古い傷のように疼く。枕が静かに濡れる夜は、誰にも見せない。朝が来れば、彼女は立ち上がる。鏡に向かって髪を梳かし、唇に微笑みを乗せる。その笑顔の裏に潜む孤独を、彼女だけが知っていた。


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