第1章 絶望と微かな希望
Copilotさんに作ってもらいました。
ヴェール家の屋敷は、赤い石を積み上げた重厚な壁面が朝焼けを拒むようにそびえ、代々の先祖の肖像画が廊下の影から炎の系譜を見下ろしていた。暖炉の火はいつも高く、魔素に親和した薪は嘶く馬のように火花を散らす。火こそが権威であり、血に刻まれた印だった。そんな家で、エリス・ヴェールは、まるで別の季節から落ちてきた葉のように扱われていた。
父はいつでも炎のしぶきを纏っていた。視線は熱く、言葉は乾いている。「期待していたのだがな」と一度だけ言ったその声は、燃え尽きた灰の匂いがした。母は優しい微笑みを保つ術を知っていたが、その微笑みは薄い氷の膜のように、触れればひび割れそうだった。兄たちは訓練場で火の槍を遊戯のように投げ、エリスを見ると、ただ肩をすくめ、視線を逸らした。使用人たちは礼儀正しく彼女を避け、足音を消して通り過ぎる。誰も露骨ではない。それが余計に、見えない壁の存在を確かなものにした。
幼いエリスは、いつも屋敷の影に座っていた。朝の露で湿った苔が石壁に張り付き、そこに背を預けて、色あせた絵本のページを捲る。彼女の瞳は、夜明けの空のような青。光の角度ごとに淡い紫や灰を含み、世界を静かに写し取る。その眼差しが描くものは、絵本の中の竜や魔女ではなく、ページの縁の欠け、紙の繊維、インクのにじみ。彼女は既に、世界を現象として観る子どもだった。
ある日、使用人が落とした木箱が廊下で割れ、古い書物が床に散らばった。すべり落ちた一冊が、表紙の革を裂きながら、エリスの足元で止まる。手を伸ばすと、革は冷たく、埃は甘苦い匂いを持っていた。古い魔術書。頁の余白には、見知らぬ手による注釈が踊っている。彼女はそれを抱え、誰にも見られぬよう庭の片隅へ走った。
彼女が魔法を「現象」として捉え始めたのは、その頃だ。友人のひとりが小さな火種を掌に灯した時、エリスは火ではなく、友人の呼吸のリズムに目を奪われた。詠唱の抑揚、指先の角度、視線の焦点。火が生まれる前に、世界がどう整えられていくのか。彼女は無意識にパターンを抽出し、因果の糸を結び直していった。
夜の館は、炎の家系にふさわしく赤い陰影を持つ。エリスの部屋のカーテンは薄く、月光を編んで床に落とす。明かりをつけず、ベッドの縁に腰掛け、古い魔術書に目を落とす。複雑な陣式は、幾何学の抽象画に見えた。詠唱は音楽であり、媒体は回路であり、魔素は流体だ。一行ごとに脳が熱を帯び、孤独が静かな喜びに変わる。彼女は欠陥を見つけはじめる。陣の線が不要に交差している箇所、詠唱の冗長な部分、媒体と術者の同調の無駄。「きっと、もっと早く、もっと軽くできるはず」
特待生試験の告知が屋敷に届いた日、執事の声は誇らしげだった。「アルカディアが今年も特待生を募っております。旦那様、坊ちゃま方の出願を…」その場にエリスは居合わせなかったが、噂はすぐに彼女の耳に届いた。胸の奥で、何かが跳ねた。「無謀だ」「笑われるだけだ」——自分の中の声がささやく。だが、それでも、と彼女は静かに言い返す。「それでも、私にしか見えないものがある」
翌日、王立魔術学院アルカディアの受付に立ったエリスは、白い石造りの柱と高いアーチに包まれていた。銀の髪は腰まで滑り、肩の開いた簡素なチュニックが風を孕む。動きやすいキュロットと脚に寄り添うブーツは、彼女の機敏さを強調し、成熟を予感させるしなやかな肢体は、年齢以上の凛とした印象を与えた。受付官は一瞬、彼女の美しさに言葉を失い、次の瞬間、エリスの冷静な声に居住まいを正した。「特待生試験の出願を。必要書類はすべてこちらに。筆記試験の出題範囲について、昨年度の傾向の偏差をお伺いできますか?」視線の重みは、彼女の外見にだけではなく、言葉の確かさに引き寄せられていった。
三日間にわたる試験は、緊張と苛立ちの匂いが廊下に漂うものだった。初日は筆記。書字の音が雨のように並ぶ中、エリスは速度を上げながらも一字一画を整えた。設問は陣式の最適化、詠唱理論、媒体共鳴、魔素流動学。彼女はただ答えるのではなく、改善案を示した。「第六式の交差は、彼我の魔素圧差を利用して省略可能。詠唱の第三句は拍を一つ削り、波形を整えるべし」教授陣の目が紙の上で止まり、いくつかの眉が上がる。彼らは言葉を失い、赤ペンの蓋を閉めるしかなかった。
最終日、実技。訓練場に現れたのは、魔力障壁を纏うゴブリンキング。唸り声が土を震わせ、黄いろい瞳が挑発的に光る。他の受験生は火球と雷矢で挑むが、障壁は曇りひとつない鏡のようにそれらを弾いた。エリスは一歩下がり、土の匂いを吸い込んだ。彼女は最初から、ここに至るまでの準備を終えていた。前日の夜、訓練場の周囲に小さな魔石をいくつか埋め込んでおいたのだ。位置は陣式の頂点となるよう計算され、深さは足音でわからぬほどに浅く。
「魔力を使うのは私ではありません」エリスは静かに言った。周囲に笑いが起こる。だが、彼女は足先で砂を払い、指先で見えない線を結ぶ。風が一瞬変わり、空気の温度が僅かに上下する。埋められた魔石が周囲の魔素と共鳴し、臨界点に向けて圧を高めた。エリスは掌をかざし、詠唱ではなく、合図を送る。次の瞬間、訓練場の空気が収束し、灼熱の火矢が彼女の背後から生まれた。火矢はまっすぐに、障壁の脆弱点へ。ゴブリンキングの胸を貫く音は、硬い果実が割れる音に似ていた。
砂埃が落ち着くと、誰も口を開けなかった。試験官の一人が前に出て、眼鏡を外し、目頭を押さえる仕草をした。別の試験官は唇を噛み、そして微笑んだ。老教授はゆっくりと頷いた。「合格だ。歓迎しよう、異端の少女よ」その言葉は、エリスの中で長く閉じられていた扉の蝶番に油を注いだ。重く、しかし確かな音を立てて、扉が少しだけ開いた。
推敲などしていません。




