3. 女神の足跡
「はじめまして、クロエさん。
ル・メイエン大聖堂所属の宣教師、ゼノロスと申します」
若い男性神官が笑顔で名乗り、頭を下げる。
シンプルなデザインながら仕立ての良い法衣に、線の細い体つき。
都市暮らし特有の、清潔で綺麗な男の人だ。
「は、初めまして! 私は旅の薬師見習い、クロエです!
あらためて、本日は宜しくお願いします……!」
私はスマートに礼をしたゼノロスさんと対照的に、これでもかと言うくらい深々とお辞儀した。
対人担当なのに人と話すのが苦手で、初対面だとまず緊張しちゃうのだ。
そんな私を嗤うことなく、ゼノロスさんは「はい、よろしくお願いします」と返してくれる。
ル・メイエン大聖堂。
フォストレア教で最も大きな教会でもあるこの聖堂は、信者以外の観光客も多く訪れる。
そのせいか宣教師が何人か常駐していてガイドのような仕事をしているらしい。
ゼノロスさんもその一人だ。
私は見習いとはいえ、薬師。つまり癒しの道を歩む者。
それでフォストレア教に興味を持ったと伝えたら、あっさり大聖堂への入場許可とガイドがついてきた次第である。
事実ではあるのだけれど、正直この国の薬学って遅れてるから、宗教的排除があるのかと思ってた。
癒しの神秘以外の癒しは認めない、みたいな。
実際にこの国の薬は美容関係か清掃関係ばかりで、治療薬の類は売ってなかったし。
「意外と正攻法の正面突破が出来るもんですねー」
「? なにかおっしゃいましたか?」
「いっ、いえいえ! おかまいなく!」
踏み入れた大聖堂の第一印象は、『綺麗』だった。
美しいとかではなく、単純に清潔なのだ。
道は広く、天井は高く、窓も大きくて屋内でも薄暗さは感じない。その上で、塵や埃が見当たらない。
手入れが行き届きすぎている。
そこらに飾られている女神像や宗教画も美しいものが殆どで、『癒しの奇跡』を描いた絵ですら血の色が目立たなかった。
こうなると綺麗さを売りにしているのかと思うけれど、もちろんフォストレアは清掃の神ではない。
神様が言ってた「女神はだいたい美人って言われるもんだ。その方が信仰が集まるからな」というのがジョークに聞こえなくなってきた。
わざわざ肉体の無い神に成ってまで『女神』と呼ぶあたり、本当にそういう戦略があるのかも知れない。
……世知辛いなあ。
「いかがですか? クロエさん。ずいぶんと熱心にご覧頂けているようですが」
ゼノロスさんが振り返って尋ねる。
一瞬、立ち止まってばかりで案内しにくいから嫌味でも言って来たのかと思ったけれど、その言葉に悪意は感じられなかった。
純粋に、自分の神に興味を持ってもらえるのが嬉しいのだろう。
……その気持ちは、私にもよくわかる。
でも神様は布教しようとすると「ハズイからやめて」と言うのだ。
「そうですね」
と、言いながら改めて『作品』を見る。
やっぱりどう見ても後世に作られた宗教芸術だ。
神様との思い出の魔法にして、師匠との会話したさに覚えた魔法、『意思疎通の魔法』。
それをひたすら鍛え続けた私には、『明確な意思』であれば物体からさえ意思を読み取れる。
ここにある物から読み取れるのは……『より美しく、より神秘的に』という作家の願望ばかり。
残念ながら『神を描こう』と本気で考えられた作品は無かった。
飽くまでフォストレアは『モチーフ』といった感じだ。
ということは、全部実物とはかけ離れているんだろうなぁ。
「……どれも綺麗で、フォストレア様がどれだけ多くの人に分け隔てなく接していたかがよくわかります」
ちょっと嫌味っぽくはなるけれど、でも事実であり、作家の努力の賜物だ。
心の美しさを可視化するためか、美術品で描かれる『癒される側の人々』は、傷付いた兵士や年端もいかない子供など多岐に渡る。
今は王侯貴族と金持ちばかりが恩恵に与る、と聞いていなければ、もっと優しい気持ちで見られただろう。
ゼノロスさんも今と昔の乖離に思うところがあるのか、ほんのわずかに肩を揺らして言葉と笑顔を作る。
「実はフォストレア様自身が庶民の生まれでして。荒れた地上に定住の地を求めて旅していた一族の一人だったと伝わっています」
「そうなんですか?」
旅人仲間だ。それは知らなかった。
旅は思いのほか苦しい。大人数で当てのない旅を続けるのはよほどだろう。
そう思うと、急激に親近感がわいてきた。私も旅の初めは本ッッッ当にきつかったから!
「初めは傷付いたり病に罹ったりした仲間やご両親の治療をしていたそうです。そして、早く癒えることを強く祈っていた時に、『奇跡』が宿ったと」
「それは、どこかの神の神秘ですか?」
「周囲は最初そう思ったそうですが、違うだろうと結論づけました。
フォストレア様は旅の中で生まれた幼き少女、地上を滅茶苦茶にした神々の中に『癒しの神々』が居ることを知らなかったそうです」
「だから授かったものではない、と」
神が与える『神秘』は、時に『神託』よりも先に授かることがあるという。
要するに『知らない神から一方的に与えられた神秘』の可能性も有るには有る。
癒しを祈る純粋な気持ちにどこかの神が応えたのかとも思ったけれど、その裏付けは今後も出てこなさそうだ。
当時の神々は『戦殺しの大神』から逃げ回っている最中で、そのまま地上に戻ってこない者が大半だった。
癒しの女神フォストレアが一大宗教になれたのも、他の癒しの神々が誰も帰ってこなかったからと考えられる。
ただでさえ貴重で便利な癒しの力だ。ライバルが少なければ、そりゃあ一気に広まるよね。
「薬師見習いとしては、美術品より社務所の方に売ってた『癒しの聖水』が気になりますね」
若干急カーブ気味に話題を曲げた。
神秘の話は気になるけど、おそらく深掘りは望めない。
なら私的にはそっちの方が聞きたい。
治療薬が出回ってなくても、代わりに『聖水』が出回っているのなら健全だ。
売れてるのを見ていたけど、そこまで高額でもなさそうだった。
あとは効能、どんな怪我や病気に効くのかが重要なんだけど……。
でも『癒しの女神』の聖水だ。
『癒し』という概念を用いているのなら、普通の薬と違って副作用は無い。
種族差や個人差を無視して『癒し』を与えられるチートアイテムのはず。
「詳しい薬効を訊いても良いですか?」
わくわくしながらゼノロスさんに尋ねてみる。
しかし、訊いた途端、ゼノロスさんの肩が落ちた気がした。
「ああ、あれですか。はは……あれに薬効なんて……」
ゼノロスさんの笑顔が曇る。
視線も合わず、床の方を向いていた。
「聖水は癒しの力を込めた水、と言っていますが、『癒しの神秘』を掛けた水でしかありません。
薬効もご利益もありませんよ」
ありがたがる人は多いですがね、と語るゼノロスさん。
……もしや、彼は信者の気持ちを利用した信仰商法を嫌っているのだろうか。
総本山とも言うべき皇都で暮らし、大聖堂で常駐宣教師なんて一番楽で美味しいポジションに就いているのに。
意外だ……。
「癒しの神秘を『込められる』のであれば、ぜひ人の身体に込めて頂きたい。
そもそも水なんかに掛ける余裕があるならもっと人々を癒して頂けないものか……」
「そうですね。その通りです!」
同調しつつ、聖堂を進む。
残念だけど、そんなことだろうとは思っていた。
やっぱりゼノロスさんは純真な信者らしい。そして頭も回る。
最初はガイドとして宛がわれた時『神秘以外の癒しを排除する活動の一環で、薬師見習いを懐柔しようとしている』と思ったけど、違うのかも知れない。
それと、今の言い方だと彼はまだ神秘を授かっていないのだろうか。
もしフォストレア教上層部が聞いたとおりに歪み切ってしまっているのなら、純粋で利他的な彼にこそ神秘は与えられないのだろう。
ううむ、わかっちゃいたけど、なんて醜悪。闇が深いなあ。
ぜひゼノロスさんには幸せになって頂きたい。
神様曰く、賢くて優しい奴が一番傷付き苦しむという話だけれど。
――何と言うか。
宗教というより、商業。
金と利権の臭いしかしない。
癒しの女神の大聖堂でこんなに疲れるとは思わなかった。
まだ美術品くらいしか見てないのに……。
「クロエさん、血は平気ですか?」
「え?」
ゼノロスさんが扉の前で立ち止まって言う。
大聖堂はここまで扉があんまり無く、長い廊下の両端に美術品が並んでいる構造だった。
扉の先は、入り口で見た案内図によれば、『聖遺物』の展示コーナーのはず。
癒しの女神の聖遺物。
……なるほど、血が付いた衣服とかかな?
「はい、平気です。見習いとはいえ薬師、止血剤を患者に塗布した経験もあります」
「それは良かった。あなたは私よりよほど人々を癒していらっしゃるようですね」
ちょいちょい闇を見せないでゼノロスさん。
にっこり笑顔に自己嫌悪が透けてて怖い。
「では、こちらへ」
ゼノロスさんが扉を開き、恭しく私を迎え入れる。
室内は相変わらず広く、天窓から差す陽光がキラキラと舞っていた。
「御存じの通り、フォストレア様は苦しい時代を生きた御方。
生前に残された聖遺物はいずれも生々しく息苦しい逸話と共に保存されております」
「はあ……」
「例えばこちらはフォストレア様が記された日記片です。
紙もインクも貴重な時代、フォストレア様はその貴重な資源を費やしてまで癒すべき人々を記録し、『癒しの術』を磨いておられました。
その事が、この日記片から分かります」
「へぇー!」
――おっと。急にテンションが上がってしまった。
というのも、日記片から読み取れた意思が鮮烈なまでの『癒したい意思』だったから。
具体的には、癒したい、治したい、どうにかしたいという切実な想い。
とんでもない年月を経て今なお残っているのは、昇神の影響だろうか。
少なくともこの日記片からは金銭への執着は感じられなかった。
それと、どうやらフォストレアは努力の人らしい。
癒し方の工夫が必要だったと言うことは、つまり、何でもかんでも完璧に癒せたわけじゃないってことだ。
そこで限界とせず、どうにか癒そうと研究していたのだろう。
晩年は力不足になる場面も増えたと聞くし、この癒しの研究は心血を注いだに違いない。
つい奇跡頼りの才能人だと思い込んでしまっていたけれど、そんなことはなかったのだと確信できた。
「薬師を志すクロエさんには共感できる部分もあるでしょう。
フォストレア様は、癒しを求める人々が増えすぎて手が回らなくなると、奇跡に縋るしかない重篤な患者を優先して診るようにしていたとの逸話もあります」
「となると、癒しの失敗談が増えたのは、それだけ重篤で手遅れな患者ばかりを診ていたからってことなんですかね」
さすがに死者は蘇生できないだろうし、それにほど近い致命傷も『癒し』が間に合わなかったりしただろう。
これは医療従事者にとってかなり難しい問題だ。
確実に治せる人だけ診るのが効率的で合理的かもしれないが、しかし私たちはどうしても可能性を捨てきれない。
その捨てられた可能性は、患者の命そのものだから。
だけどその結果として失敗が増え、信用が失われる。
最初から癒そうとしなければ少なくとも『癒しの奇跡でも癒せなかった』とは言われなかったのに。
そうして、『聖女はインチキだ』と疑われ始めたのだろう。
「っ! わ、私はそう思っています! 決して聖女様の力が衰えたわけではないと!」
私の言葉に猛烈な反応を見せるゼノロスさん。
この人は、本当に良い宣教師なんだろうなあ。
……なんだか無関係な私まで心が苦しくなる。
「しかし癒せなかったのは事実。
目の前で力尽き亡くなられる人々が増えるにつれ、聖女様は心を痛め、無力であることを嘆き続けたそうです。
この日記片にも研究と共に悔恨の言葉が綴られているとか……」
「……そう、ですか」
悔恨。焦燥。無力感。
確かに、日記片の『癒したい意思』の裏側に、そういった負の感情も感じ取れる。
そういったものが、ゼノロスさんの現状と重なる、というのは、言わない方が良いのだろう。
聖女は神に成った。無力な人の身を捨て去って。
でもそれはゼノロスさんには辿れない道だ。
いやでも、フォストレアも結局、神に成って悩みが解決したわけじゃない。
神秘を神官に授けて、人手不足は解消したはず。加護を信徒に授けて、怪我や病自体も減ったはず。
それでも悩みが全部解決したわけじゃないはずだ。
なのになんで『降臨』していないんだろう。
調べた感じ、フォストレア教には『降臨祭』すら存在しない。
皇族が神の代弁者にして代行者となって教団を導いているから必要ない、という実務の話なら聞いたけど。
でも神が人の世に現れ、言葉や奇跡を授けて下さる、というのは、実務以上の価値がある。
これだけ女神をマスコット化して売り出しているのに、一番のビッグイベントを開催しないなんておかしな話だ。
そもそも、権能持ちの女神本人が姿を現さないというのは、『とにかく癒したい』というフォストレアの性格とは合わない気がする。
たとえ全能ではなくても、神が居るか居ないかじゃ癒せる人も数も段違いのはずなのに。
「ゼノロス宣教師」
不意に、低く、それでいてよく通る声が背後からかけられた。
私とゼノロスさんが同時に振り返ると、そこには壮年の男性が立っていた。
上質な法衣、胸元で輝く豪奢な聖印。一目で高位の神官だとわかる。
その顔には、作り物めいた笑みが張り付いていた。
「デリング枢機卿猊下……!」
ゼノロスさんが慌てて姿勢を正し、深々と頭を下げる。
デリングと呼ばれた枢機卿は、そんなゼノロスさんを一瞥すると、値踏みするように私のことを見た。
「このような場所で油を売っているとは、感心しないな。ましてや、見慣れぬ旅人を連れて長話とは。
君の時間は信徒たちのためにあるはずだが」
「も、申し訳ありません!
こちらはクロエさん。薬師見習いの方で、フォストレア様の教えに深く興味を持たれておりましたので、私がご案内を……」
「薬師、だと?」
デリング枢機卿の眉が、ほんのわずかに動いた。
蔑みと、ほんの少しの警戒が混じったような、嫌な視線だ。
「ふん。神の神秘に及ばぬ人の業か。他国の間者ではないようだが……。
まあ良い。もう十分見て回ったのだろう?
私はこれから『敬虔なる信徒』との面会の約束がある。邪魔にならぬよう、早々に立ち去りたまえ」
それだけを一方的に告げると、デリング枢機卿は私たちに背を向ける。
聖遺物展示室のさらに奥、関係者以外立ち入り禁止となっている扉の方へと歩いて行ってしまった。
残されたゼノロスさんは、悔しそうに唇を噛み締めている。
「すみません、クロエさん。お見苦しいところを……」
いや、それは言っていいの? ゼノロスさん。
枢機卿ってたぶんすごく偉い人だったはず。
トップが教皇として、枢機卿はたぶんトップ10くらいには入るんじゃないかな。
そんな人に帰れと言われてしまったのだから、長居は避けた方が良いだろう。
他国の間者というのに間違われても困るし。
ただその前に、さっき浮かんだ疑問を訊いておきたい。
「フォストレア様は降臨しない。それだけ、今の人や皇族を信頼しているんですか?」
やっぱり疑問だ。
フォストレアは慈悲深いというのが、虚飾なのか。
それともやっぱりフォストレアは歪んでしまっているのか。
「……いいえ」
ん?
ゼノロスさんが、私の言葉を否定した。
それはどういう、と聞き返す前に、ハッとした顔のゼノロスさんが笑顔を作って話し始めた。
「いえ、それだけではないんです!
フォストレア様は、神としてより高みを目指すため、自ら神域へ昇り、大神へと至る修行に入られた、と伝わっています。
つまり地上は信徒に任せ、自らは神域にてより大いなる存在へと昇ろうとしておられます」
それがフォストレア様が地上に顕現しない理由です、と締めて、ゼノロスさんが笑う。
……フォストレアのことは信じている、だけど地上を任されている信徒たちには不満がある。そんな感じかな。
まあ、ゼノロスさんの誤魔化しはさておき。
それが事実なら納得できる部分はある。
「そしてもう一つ。
これは恥ずべき話ですが、信徒同士が『癒しの神秘』を巡って争いを起こしたことがあるのです。
それを悲しんだ女神は教皇に神秘の全権を託し、自らは火種とならぬよう姿を隠した、と」
すべては人が愚かであったから。
『人のために』は、『人のせいで』と言い換えられる。
なるほど。
つまりフォストレアは自身の権能を高めつつ、地上の争いを避けるために神域に籠っている、と。
理屈は通っているし、実際にフォストレア教皇国は在界ではかなり平和な国だ。
神の力も、噂に聞く限りは強まっている。なんでも致命傷や四肢欠損すら一瞬で癒せるそうだから。
とはいえ、今のデリング枢機卿の態度を見た後では、その公式見解もどこか胡散臭く聞こえてしまう。
あまりにも人間側に都合が良すぎるから。
「……詳しく教えてくださって、ありがとうございます」
「いえ。あなたの助けになれたのなら幸いです」
そう笑うゼノロスさんに、きっと嘘はない。
この人はただ純粋にフォストレアを信じ、その意思に殉じたいと願っているのだろう。
だからこそ、女神を神域に追いやり、地上で好き勝手やっている信徒たちに反発しているのかも知れない。
それならそれですぐ爆発しそうなものだけど、ここまで耐えてしまっているのにも事情が有りそうだ。
賢くて優しい人が、一番深く傷付き、一番長く苦しむ。
……なるほど。こう言うことですか、神様。




