19. 底無しの地獄へ
「いやー、やっぱりマッハ移動は危ないですね! フィアンマさんが伏せていてくれて良かったです!」
ニッコニコでクロエさんが頭を掻く。
そのあまりに普段通りの姿に安心して涙が零れ、『マッハ移動』という謎の単語に涙が引っ込んだ。
「マッハとは隣界語で『音速』を意味し、マッハ移動とは音速超過の爆速移動を指します。
それだけ速いと空気抵抗がとんでもないことになるので、無理矢理押しのけられた大気が衝撃波を生むそうです」
部屋突入前に減速してたにも拘らず、こんな感じです。と、クロエさんが室内を指差す。
例の暴風は移動の際の衝撃波だったらしく、その破壊力は『暴風魔法』そのものだった。
この子、体当たりだけで大抵の魔獣を爆散できるのでは……?
だが、今はその『トンデモ』が心強い。
バックドアの影響でシューデイルのマナリンク範囲に入っただけで負ける私では、もう彼を止められない。
「やあ、ご挨拶だね。クロエく」
バゴンッ!
と、立ち上がったシューデイルが再度壁に叩きつけられる。
クロエさんのローブの袖口から生えた黒檀が、その幹と枝でシューデイルを捕らえ、壁へ押し付けていた。
しかもドカドカと追加で黒檀が伸びていき、最終的には蔓や根で覆い尽くしてしまった。
これがクロエさんの魔法……?
植物を成長させる魔法。いや、使っているのが黒檀ということは、ただ単に魔力を注ぎ込んで急成長させているだけ?
黒檀にまさかこんな使い方があったとは……。
しかも黒檀に覆われれば魔力を吸収されるので弱体化は免れない。
脱出が遅れればそれだけで魔力枯渇を引き起こす。
恐るべき魔法殺しの技だ。
「さ、フィアンマさん、立てますか?」
「! え、ええ!」
言われて、私は既に身体が自由になっていることに気付き、立ち上がる。
手も差し出さない彼女の信頼が、少しだけ心地良い。
そんな仕草から、「導くということは、手を引くということではない」と言われた気がした。
「ックロエさん!」
と、緩んだ空気が、爆炎の熱気で焼け付いた。
壁一面をシューデイルごと覆い尽くしていた黒檀が、一部が焼け崩れ、そこから炎が噴き出し始めた。
だがクロエさんはそれを追加の黒檀であっさり封じ込める。
「距離を取りましょうか」
いつも通りの冷静さと明るさで、クロエさんが振り向いた。
途端に、身体を抱き上げられ、一瞬で部屋の外、廊下の中ほどまで退避させられた。
「くくくクロエさん!?」
急に持ち上げられてバタバタする私を、クロエさんはあっさり降ろす。
「ごめんなさい、でもフィアンマさん足遅いから……」なんて笑うクロエさんに熱くない火の玉をポコポコと当てる。
「さて」
振り返る魔女。
そのローブの袖口から、真っ黒い水晶玉が転がり出た。
しかしその水晶は床にあたって柔らかく弾み、そのままぽよぽよと弾んで移動する。
「『マリ』、『スフィア』、シューデイル先生を抑えて」
ぽよぽよんっ、と、名を呼ばれた黒水晶たちが大きく弾む。
その後、『スフィア』の中から黒檀の種が飛び出し、『マリ』の中からクロエさんの魔力が溢れ出す。
魔力を得た黒檀が急成長し、廊下の先、シューデイルへと向かって殺到した。
頭が一瞬真っ白になった。
「この子たちは仮称『スライム』、意思を持つ『魔力』、のようなものです。
この子たちは自分が食べたものを分解吸収し概念として記憶し、いずれ逆に生成できるようになります。
スフィアは『黒檀の種』を、マリは『私の魔力』を生成できるんですよ」
「いやいやいや聞いたことない聞いたことない聞いたことないですわ!!?」
なにその生き物!
いや生き物なんですの!?
えっと、「吸収したものを再現する魔法生物」と解釈すれば良いのかしら。
だとしても『黒檀の種』と『クロエさんの魔力』って、どっちも生き物か生き物由来じゃないですの!?
そんなの「魔法で命を生み出している」のと同じですわ!
「やっぱり、焼かれてますね」
クロエさんが、混乱しすぎて硬直している私を無視して呟く。
そうだ、未知の生物(?)にパニックを起こしている場合ではない。
廊下の向こうを見ると、あれだけの物量を押し返さんと炎がちらちらと踊っていた。
「どうなってますの?
クロエさんの魔法で強化されたものは、合体魔法でもほとんど傷を付けられなかったのに……」
この黒檀には魔法が掛かっていないのだろうか、と考えたが、クロエさんが「そうですね」と頷いたのを見て、やはり魔法は掛かっているのだと分かる。
「詳しい説明は省きますが、私の魔法は、『復元魔法』です。
その復元速度は音速を超えています。つまり、音速を超えた攻撃でなければ、どんな攻撃も薄皮一枚しか傷付けられません。
例え音速を超えダメージを与えたところで、そのダメージも復元します。
つまり、物理的には無敵なんです」
「省かれた説明が今すぐ欲しくて仕方ないのですが、ならなんで先生は黒檀を燃やせますの?
あの炎はどう見ても音速を超えて対象を焼き尽くすようなものではありませんわ」
それに焼いたところで復元するはずだ。
だが見た限り、焼かれた黒檀は灰となって散っており、復元の兆しすら見えない。
「授業で弓に付けられた焼き跡と同じです。
あれは、物理を超えて、概念をも焼き焦がしていました」
「概念……?」
理解に苦しむが、要するに『復元魔法』自体を焼き、部分的に破壊していた、ということだろうか。
それは私も魔法を組み上げる上で意識していたが、それをシューデイルは単身で出来ている?
「普通、概念攻撃なんて出来ないんですよ。
出来るとまずいんです。それは世界中のあらゆる概念を破壊出来るってことですから」
それはそうだ。
だが、実際にシューデイルは概念攻撃を成しているはず。
「概念攻撃は、普通じゃなきゃできますの?」
問う。
それに、クロエさんはあっさり頷く。
「予想していると思いますが、『神』は概念攻撃を行えます。
神自身が概念ですからね。概念が他概念に影響を与えるのは自然なことです。
自然すぎて、自覚が無いことすらあり得ます」
「自覚が……?」
神。
概念攻撃。
無自覚。
……と、ピースが並んで、全て繋がった。
「まさか、シューデイル先生は『昇神の儀式』に成功していた!?」
私の予測に、クロエさんは振り返って頷いた。
加えて、弓に焦げ跡が付いたのもシューデイルが参加したからだと言う。
クロエさんは弓が傷付けられたことに驚いていたが、あれはそういう意味だったのか。
傷付くはずがない、傷付いても直る、そんな弓が、直らない傷を負っていた。
あの瞬間から、クロエさんは、あの参加者の中に概念攻撃が出来る人間がいると気付いていた。
「神が人の身を取って降臨した姿を『現人神』と言いますが、人が神に成った直後もこの『現人神』になります。
この後、人の身を捨て、概念の領域『神域』に至ることで、完全な『神』になります。
おそらくシューデイル先生は儀式を繰り返して少しずつ『神』という概念に成っていったので、自分が神であるという自覚がまだ無いんです」
「だから無自覚……」
自覚していたら、まだ儀式の実験をするなんて言わないだろう。
あそこで嘘を吐く意味もない。
それに、それこそ今すぐ神域に上がれば、それでシューデイルは逃げ果せるのだから。
「気付かれたら逃げられます。
同時に、殺すのも無しです」
死。
それは、肉体の損失。
既に神であるシューデイルが死ねば、それでもシューデイルの意思も力も残り、直ぐに自分が神に成っていることに気付くだろう。
そのまま神域に逃げ去るか、それとも『継ぎ火』を受けた者に乗り移るかは不明だが、間違いなく被害は拡大する。
どうにか、まだ肉体が有る内に、概念ごと消し去らねばならない。
と、言外でクロエさんは語っていた。
そんなこと、出来るのか?
「『神殺し』……『概念殺し』は、『概念攻撃』だけでは成し得ません。
概念的な死を用意するのは難しいですし、私も考えていましたが、思いつきませんでした」
と、言ってから、クロエさんが首を振る。
「……いえ。正直に言えば、殺す手立ては有ります。
信徒が居なければ神は死ぬ。シューデイル先生を抑え込んでいるうちに、全ての『継ぎ火』を消すことが出来れば……」
その方法なら、例えシューデイルが神域に逃げても、今度はそこから出られなくなる。
自分の支配下であり依り代である『継ぎ火』が無ければ、自分を『降臨の儀式』で呼び出してくれる人もいないのだから。
でも、それは、『継ぎ火』に侵された者全員を殺す、ということ。
当然、私も含まれるが、そんなことはどうでも良い。
私の大切な教え子たち全員を手に掛けねばならないということではないか。
「そんなこと出来るわけがないでしょう!!」
怒りが沸き上がる。
それでも、堪え、クロエさんより前には出ない。
万が一でもシューデイルに今の私の記憶を読み取られれば、即神域に逃げられて、詰んでしまう。
ここは激情に身を任せていい場面じゃない。
「クロエさん……」
思わず、縋ろうとしてしまった。
その小さな背中を。
支えたいと願ったはずの、女の子を。
違う。
そうじゃないでしょう、フィアンマ・フィオロオウラ・フェルマ。
考えろ。
何故クロエさんはこんな話をした。
何故クロエさんはシューデイルを抑え込むに留めている。
抑えている間に私に『継ぎ火』を消して回って欲しいから?
そんなわけがない。
そもそも間に合わないだろう。
数十年に渡ってばら撒き続けた『継ぎ火』が、今どこにどれだけあるのかなんて、把握しようもない。
加えて黒檀が焼け落ちるスピードが少しずつ上がっている。
ではクロエさんは何が言いたい。
別れの言葉でも待っているのか。
そんなわけがない。
思い出せ。
クロエさんは言っていた。
そう、「誰かの知恵を借りたって良い」、と。
「私が考えます。『継ぎ火』の攻略法を」
「――お願いします!」
振り返ったクロエさんが、嬉しそうに笑った。
私もその笑顔に笑顔で返した直後、廊下の奥から爆炎が迸った。
咄嗟に屈む私の前にクロエさんが立ち塞がり、その身で炎を受け止める。
嫌な臭いがした。
散々嗅いだ服が焼け焦げる臭いと、食卓でしか嗅いだことの無い、焦げた血肉の臭い。
悲鳴を上げそうになった私に、真っ黒なクロエさんが「大丈夫」と手振りで示す。
が、直後に全身から血が噴き出し、肉片がずるりと滑り、
その次の瞬間には、元通りのクロエさんが立っていた。
「自覚が無くて助かりました。表面だけを焼く『炎』なら対応できます。
飽くまで概念攻撃を受けて破壊されてしまうのは焼けた部分だけ。そこを『復元魔法』の『失敗』で切除し、概念的に乖離してから『復元』すれば、この通り」
説明しながら笑顔でコートを翻す。
クロエさんは、あの涙が消えた時と同じく、全くのフラットに戻っていた。
ああ、この子はずっと、こうして生きていたのだ。
飲まず食わずなのも、眠らず休まずなのも、こうして常に復元し続けているからなのだ。
だとしても、痛くはないのか。
いや、痛くないはずがない。
記憶が連続している以上、少なくとも「痛かった」記憶は残っているはずだ。
なのにこの子は、笑って見せた。
私は地獄というものを安く見積もっていた。
自分の地獄を。
そして、それ以上に、クロエさんの歩む地獄を。
その話をしている最中にも黒檀は焼かれ、シューデイルの炎がクロエさんを焼き焦がす。
概念破壊された部分を復元魔法の『失敗』で切除し、それから再度復元させるクロエさん。
まさに地獄だ。
あまりに凄惨な戦い方なのに、クロエさんは一切躊躇しない。
旅人であるクロエさんからしてみれば、本当はシューデイルの陰謀なんてどうでも良いはずなのに。
教師だから。
それとも、友達だから?
もしそうなら、応えたい。
だって私も教師で、賢者で、クロエ・エヴォニアのお友達だから。
「クロエさん! 『意思共有の魔法』ですわ!」
叫ぶ。
ほんの少しでも解決の糸口があるとすれば、それは私とクロエさん、二人の知恵を合わせなければならない。
その知恵を合わせる上での最短最良のズルを、私は提案する。
だがクロエさんは振り返って、躊躇した。
その理由も分かっている。
「大丈夫、もう知っていますわ。あなたが不飲不食で不眠不休なのを。
そして、在界人でありながら『無尽蔵の魔力』を持っていることを」
そうとしか考えられないことばかりだった。
マリの生む『クロエさんの魔力』は、飽くまで黒檀の餌だろう。普段から使っている様子なんて無かった。
分かりやすいのが弓だ。あれに掛けられた魔法も、流れていた魔力も、無尽蔵でなければ授業途中に解けていたはずだ。
隠していたはずなのに妙に詰めの甘いクロエさんは、私の言葉に「ええ!?」と驚き慌てだす。
そんな様子につい笑ってしまうが、そのまま笑顔で続ける。
「だから、大丈夫。
そこにどんな秘密が隠れていても、あるいは他にどんな秘密があったとしても、私はあなたの味方ですわ」
在界人が無尽蔵の魔力を得る方法なんてものがあると知れれば、『クロエの授業』なんて目じゃないほどの禁忌となる。
もはや封印なんて出来もしないだろう。
間違いなく世界は混沌と化す。
だから、この秘密は最初から墓まで持って行くと決めていた。
シューデイルがどこまで私の記憶を覗いたか知らないが、あの反応からは、全てを知っているわけではないだろう。
私の記憶を全て『想起』すれば、思想の混濁が起こり得る。それはシューデイルが最も避けるはずの現象だ。
「でも、私の秘密を片鱗でも知ってしまえば、きっとフィアンマさんも私と同じ地獄に落ちることになります」
泣き出しそうな顔で、クロエさんが振り返った。
業火で骨まで焼かれ、その上自傷魔法でボロボロになっても、ケロッとしていたくせに。
なんで誰かが苦しむ時だけは、そんなに泣きそうな顔をするんですのよ。
……だから、ほっとけないんですのよ。
「聞くまでもない。――と、言いましたわよ?」
私は微笑んで、クロエさんを抱きしめる。
マナリンク範囲ゼロのこの子と、思いと、魂を通わせるために。
そして、
一緒に地獄の底へ落ちていくために。




