18. 金と朱の交わり
シューデイル・マーシュウォート。
少し手入れを怠った朱色の髪。フィールドワークで培った体力。細身なのに意外とがっしりとした体格の男性。
厚めのまぶたと、下がり気味の目尻、そしていつも絶やさない微笑みが、柔和な表情と空気を生み出している。
御年は46歳。魔法学校を卒業後、数年ほど旅をしたのち、魔導院で『神聖魔法』の研究者となる。
とは言え目立った成果は無く、その研究は常に「神聖魔法は実在しない」と立証し続けていた。
「昇神の儀式や降臨の儀式は、魔法の一種、神聖魔法である」という説を掲げて研究していたが、現実はその反対の証拠ばかりを突き付けてくる。
しかし、そんな意に反する研究結果でも誠実に向き合い、隠すことも誤魔化すこともなく公表することから、研究者としては評価と信頼を得ていた。
ザルバミダス魔法学校で教師をやらないか、という話が来たのも、その実績があってこそ。
その発展性の無さから魔導院からの支給研究費が少なかったシューデイルは、自身の生活と研究のため、教師として働くことにする。
それが二十年以上前の話。
以来、シューデイルは教師として魔法学校に務め、研究室を借り、授業の無い日を利用してフィールドワークに勤しんだ。
相変わらず成果は上がらなかったものの、教師としての能力は評価され、生徒たちにも人気になる。
そうして教師としての生活を続けるうちに、生徒を支え導く魔法、『継ぎ火の魔法』を作り出す。
その『継ぎ火』は、初めの内は普通の『炎強化魔法』だった。
少しずつ効果時間が伸びていき、いつしか微々たる効果ながら永続的に残る『奇跡』になっていた。
それは『継ぎ火』を何十年も掛けて数十・数百人の人間に付与してきたことによる『最適化』か、あるいは『奇跡』が宿ったのだと、そう思われていた。
『継ぎ火』を受けて、後に大成した魔法使いは多い。
飛脚連と協力し、『炎魔法式噴射推進魔導機構』を開発した、飛脚連推薦の元賢者、セイオン・グラート。
北に連なる『火竜山脈』ことテュースターヴ。その周辺一帯を溶岩化させ、事実上の封じ込めに成功した戦闘系魔導士、ジア・ブラナマイフラー。
魔道具師となり近年では魔法のランタン『妖精燐光』を製作・販売し、一躍時の人となったカサンダラ・アリアンラーヴァ。
そして、最年少で魔法学校卒業後、魔導院へ所属後も独専独学を極め、我が道を突き進んだ果てに賢者となったフィアンマ・フィオロオウラ・フェルマ。
いずれの魔法使いたちも、魔法に魅入られ、生き急いでいた頃にシューデイルと出会い、その穏やかさと温かさで正気に戻してもらったと語っている。
魔法使いの大半は、現実の壁にぶつかり、その衝撃に心が折れ砕ける。
現実を書き換えるのが魔法なのに、魔法を生み出すのがどうしようもない自分という名の現実だからだ。
自分を書き換え、才能溢れる自分を作り出す魔法。そんな物はない。だから、魔法使いは生き急ぎ、そして直ぐに絶望する。
シューデイルという根気強く意思の揺るがない、まるで登山家のような精神性の魔法使いは、他の魔法使い、特に若く、つい焦って気が逸りがちな子供たちにとって、得難い大人だった。
宥めて、落ち着かせ、優しく理を説き、現実に絶望する必要なんてないと教えてくれる。
そのことがどれほどの救いになるかは、想像に難くない。
――だって、私自身が、そうして救われたのだから。
「先生……」
恩師だった。
年の離れた兄か、年の近い父のように思っていた。
有体に言ってしまえば、好きだった。
あのゆっくりとした話し方が好きだった。
最初は遅くて退屈だった。でも、その内容はとても興味深くて、気付けば授業が終わっていた。
遅いのに早く感じる、まるで魔法のような話術に、のめり込んでいった。
難しい学説も、先生に要約して話してもらうと、すごくすんなり頭に入った。
どうでもいい談笑さえ、あのころ初めて「楽しい」と思えたのだった。
用意するのに時間が掛かるから、と言って、自分で飲食物を用意するのが嫌いだった。
食事はなるべく一食で済ませたかったし、味なんてどうでも良かった。
だから、先生に貰った『クムユ』が、初めての好物になった。
「先生……」
長い階段を下りる。
魔法学校の校舎、その地下は広い。
現役魔法使いである教師陣に与えられた研究室があるからだ。
私はその研究室の内、シューデイル先生に与えられた部屋を目指していた。
時間はもう夜遅い。月も真上を通り過ぎた頃だ。
魔法お馬鹿となった教師たちはまだ残っているのか、時々そこらの部屋から音が聞こえる。
先生の研究室は、それらを通り過ぎた、かなり奥まったところにある。
魔法使いは大半が生き急いでいる。
特に研究心に火が点いている魔法使いは、寝食を忘れ、一分一秒を惜しんで研究に没頭する。
だから研究室は地上に近い部屋から順に埋まっていく。
だから、先生は他の魔法使いに席を譲るようにして、奥まった部屋を借りたのだ。
「先生……」
でも、それすらも計画を誤魔化すためのものだったのですか?
本当は他者に知られたくない研究を続けるために、譲ったふりをして、一番人気のない場所を貸し切ったのですか?
穏やかで、優しくて、暖かい先生。
そんな先生が作り出した『継ぎ火の魔法』。
それがもし私の仮説通り『魂の移植魔法』なのだとしたら、どうしてそんな魔法を作ったのですか?
ただ『永続する炎強化魔法』を作りたかっただけ、なんでしょう?
でも『魂の浸食』や、魔力不干渉性を突破する『バックドア』の存在が広がらないよう、秘匿したのでしょう?
例え公になれば大問題になるとしても、先生はただただ生徒たちを支え、導き、力になってあげたかった。そうなのでしょう?
「そう言って下さい……先生……」
涙が、廊下に点々と跡を残す。
どうしても止められなかった。
ただの悪い妄想で、悲観的になり過ぎていると自分を叱咤しても。
そもそもこの仮説があっているかも分からないのに。
本当に先生に悪意が無い可能性の方が高いのに。
なのにどうしてか、私は、心のどこかで確信してしまっていた。
嫌だ。
聞きたくない。
確かめたくない。
でも、辿り着いてしまった。
先生の研究室。
なんの飾り気もない、ただ先生の名前が書かれた札が下げられただけのドア。
それが、私には、『地獄の門』に見えていた。
――生徒のためなら、地獄に飛び込むことが出来ますか?
頭の中でこだまする、クロエさんの声。
私は、聞くまでもない、と答えた。
地獄を、あまりにも安く見積もったままで。
この先が地獄なら、私のこれまでの人生は天国だった。
スランプでさえ今は微笑ましい日常としか思えない。
もう既に引き返せない地獄への道を転がり落ちてきた私には、もう、この扉を開くことしかできないのだ。
当然、そのドアの向こうに地獄が広がっているなんてことはない。
部屋の中は広く、薄暗い、何かの儀式場のようだった。
おそらく『儀式魔法』の研究と実験のためのものだろう。床には魔法陣、方々に魔道具、それらに干渉しない位置に荷物や本棚などが置かれている。
「これは……」
神聖魔法学では、『昇神の儀式』と『降臨の儀式』は儀式魔法だとしている。
ただし、先生の研究では山ほどの仮説が実験失敗により否定されていた。
この部屋の魔法陣や魔道具は、その実験の名残だろう。
たしか魔導院に提出されていた研究結果のレポートでは、実験対象を『昇神の儀式』に絞っていた。
理由は、『降臨』だと神側の協力を得られるが、『昇神』は人だけの力で成している文献があるため、だとか。
つまり『昇神』ならば人の力、魔法の力だけで、再現可能かも知れない、ということ。
「そういえば、レポートでは『昇神』させるのはシューデイル先生ご自身だったはず……」
文献にある昇神の一例では、人が神に成る時、既に持っていた能力が強化され、昇神時の願いに応じた権能を得るという。
順当にいけば先生は『教育の神』や『火の神』になるはずだったという。
結果、数十年研究しても神には成れなかったが。
「やあ、フィアンマ君。『昇神の魔法』に興味が湧いたのかい?」
と、先生が奥の小部屋から現れた。
あちらは準備室か、物置か。先生が湯気の立つクムユを手にして現れたところを見ると、私室のようになっているのかも知れない。
私は一瞬泣き顔を見られるのを警戒したが、部屋が薄暗いからか、先生は何も言わずに傍まで歩いて来た。
「クロエ君の『意思共有の魔法』があっただろう? あれをね、次の実験では使ってみたいんだよねえ。
クロエ君も言っていたけど、「信仰が意思の共有を生むから儀式魔法が成立する」とすれば、『意思共有の魔法』を使えば信仰が無くても儀式を成立させられるんじゃないかな?ってさ」
今はその準備として、どんな意思を共有すべきか、全く同じ意思ではなく役割分担をすべきか、などなどを研究思案中だと、先生は語る。
楽しそうだ。
奥の私室から漏れる明かりに照らされて、先生の目の下のクマと、それをものともしない笑顔が映る。
確かに、次の実験の成功率は、高そうに思えた。
だからこそ、「どんな神に成るか」は重要だ。
一人で実験するなら好きに想像できるが、『意思共有』を使って複数人で儀式魔法を使うなら、「神のイメージ」を共有しなければならない。
でも、ただの『教育の神』や『火の神』なら、悩む必要はないのではないか。
悩んでいるのは、もっと別の神に成ろうとしているからではないのか。
それは例えば、『浸食の権能』を持つ、『継ぎ火の神』とかに。
「……フィアンマ君?」
声を掛けられ、はっと気が付く。
一度は抑えた涙が、また止め処なく流れ出していた。
悪夢だ。どうしてこんなにも、先生を疑わなければならないのだ。
恩師の研究室に訪れた。
先生の研究の一端に触れた。
昨日までの私なら、そんなささやかなイベントにドキドキしていたはずなのに。
「先生、聞きたいことがあるんです……」
涙を拭い、鼻をすする。
まるでクロエさんと同じだ。
私には即座に真顔に戻れる魔法なんて無いから、取り繕うことも出来ずに、ぐしゃぐしゃの顔のまま先生に向き直る。
「うん……そっか。
クロエ君に教えてしまったんだね?」
「……え?」
優しくて神妙な顔の、いつもの悩み事を聞くときの先生のまま、頷く。
でも、その言葉に違和感があった。
クロエさんに教えた?
「まいったな。さすがにクロエ君には敵わない。早く撤退しなきゃ」
「――ッて、撤退!? 先生、いったい何を……!?」
「だから、君はもう、クロエ君に教えたんだろう?
監視役に「継ぎ火に関する考察メモ」と手紙を預けて、さ」
「――……」
意味が解らず戸惑う私に、先生が言う。
変わらずいつもの顔で、一言も言っていない事実を、つらつらと。
監視役の話なんて、していない。
その内の一人に手紙を託したことも言っていない。
手紙に関してはついさっきの出来事だ。まだ、クロエさんにも手紙は渡っていないはず。
なんで?
「『想起の魔法』だよ」
脳裏の疑問に、先生が答える。
「元々は忘れたことを思い出すための自己対象魔法。当然、他人には使えない。
でも『継ぎ火のバックドア』があれば他人にも使えるんだよ。
そうするとね、相手の記憶を盗み見ることが出来るんだ。こっそりと、ね」
いつもの、ゆったりとして耳に心地良い話し方で、先生が説明する。
そして証明する。『継ぎ火』が『バックドア』であり、それを使えばあまりに無抵抗に魔法を掛けることが出来ると。
「魔法を掛けられたことにも気が付かなかっただろう?
そりゃそうだよね。神経に電気信号が伝う感触なんてないのと同じだよ」
面白いくらいに、都合が良いんだ。
そう言って笑う先生。
ああ、その話し方は、授業を受けていた頃と同じだ。
「ね? 面白いだろう?」と、そう言って笑っていた頃と、何一つ変わらない。
変わるわけがない。
あの頃から、いや、その遥か以前から、
先生は、変わらず、先生のままなんだから。
出会った時からずっと変わらず、裏で魂の浸食を進めていた、先生のままなんだから。
「先生は、どうして『継ぎ火』を作ったんですか……?
この魔法は、先生の計画は、どんな結末を迎えるんですか……?」
涙が零れる。
床に落ちて、音を立てる。
でも、聞かなきゃいけない。
「先生の理想は、なんですか?」
どうしてこんなことをしたんだ、と、問い詰める気力は無かった。
なにもかもが終わってしまった、そんな気持ちで支配されていた。
こんな形で、私の中の『思い込み』が、崩れていくなんて。
それは、特別講師期間でどんな思い込みが壊された時よりも、ただただ悲しく、虚しかった。
「別に僕は、他人を好き勝手したいわけじゃないんだよ」
先生が答える。
手に持っていたクムユ入りの水筒を、近くの本棚の上に置いて。
「僕はね、教師として、魔法使いとして、有望な才能が消えていくのが嫌だったんだ。
老いて死ぬのも、怪我や病で倒れるのも、精神を病んで壊れてしまうのも全部、嫌だった」
「……先生」
シューデイル先生の目は、真剣だった。
「とはいえ、不老不死を目指したいわけじゃない。
何も成せず、何も遺せない。そんな死を、否定したかった」
「それで、『魂の継承』を……?」
私の問いに、先生が頷く。
私も魔導院に所属する賢者だ。先生が言う『死』は幾つも見てきた。
研究者の死は、その研究ごと葬られることがある。
魔導の探求は常に危険と隣り合わせだ。新しい魔法が世界にどんな影響を与え、それが魔法使いにどのような影響を与えるのかは、全くの未知数だからだ。
禁忌とされた魔法は大抵は悲惨な事件などの逸話がある。
『復元魔法』なら、全身がバラバラになった事件や、僅かな復元ズレで少しずつおかしくなっていった事件、復元魔法発動直前への無限ループ事件など、触れるべきでないとされるに足る歴史がある。
だから研究者が死ぬと、「死人が出る研究」として、研究そのものが危険視されるのだ。
結果、魔法使いは研究中に死ぬと、何も成せず、何も遺せなくなる。
仕方ないこととはいえ、研究者からしてみれば、これ以上ないほどの非業の死と言えるだろう。
「僕の故郷の霊峰信仰、それに纏わる『継ぎ火』の文化。そこからヒントを得て、僕は『魂の継承』を試みた。
魂は僕たちの特性を写し取った魔力。言わば僕たちのコピーだ。意思や記憶、そして適正など、人生そのものを継承できる」
「でも、『継ぎ火』にそこまでの力は有りませんでした」
「それは部分的だからさ」
先生が教師の顔で微笑む。
いつも通り、穏やかな先生のまま。
「僕たちは魔力の拡張を「手を伸ばすように」行うだろう? つまり僕らが使ってる魔力は、元は手足などの末端の魔力なんだよ。
そこに意思は通えど、意思の根源たる記憶はない。記憶を継承するなら、脳の魔力を継承しないとね」
「では、『継ぎ火』は?」
「記憶の継承を完全なものにするための下準備。魂の拒絶反応を回避する、君が言う所の『バックドア』を仕込むためのものさ。
その後に、改めて『脳の魂』を『継ぎ火』にして付与する。それで継承が出来る筈さ。試してはいないけどね。
更にこのバックドアと『想起の魔法』を組み合わせれば、『脳の魂』から死者の記憶を読み取ることも出来る。何も遺せない、という悲劇を、回避できる可能性が有るんだ」
「それは……」
すごいことだ。
死んで間もない内なら、死者の記憶を読み取れる。
とすれば、どうして死んだのかも含め、研究の引継ぎが可能だ。
更に死因が他殺であった場合は犯人が分かる可能性も高い。
でも、その為には「常に先生に記憶を読み取れる状態」でなければならず、その条件を飲んでなお「継承者は先生のみ」となる。
これは複数人の『継ぎ火』を受け、複数の『後継者』を用意することである程度解決できる。
バックドアの悪用も、『後継者』を増やし相互監視状態に置くことである程度は抑制できる。
しかし、問題もある。
「……脳の容量は有限です。継承が成功したとして、いずれは脳容量が不足する可能性が有ります。
更に言うと記憶継承による人格の変化も無視できません。この方法では『他者の記憶』として継承できるかが不明だからです」
「鋭いね。さすがフィアンマ君。
だから僕は、『継ぎ火の管理者』に成りたいんだ」
「管理者……?」
そう、管理者だよ。と言って先生が掌に小さな炎を生む。
「有体に言えば、神さ。
神に肉体は無い。脳容量の限界もない。
彼らは概念であり、つまるところ、システムだ。
継ぎ火を、魂を、正しく管理し、正しく継承させる。
誰に継承させなくとも、継ぎ火は神の御許に在り、決して「成せず遺せず」の死は訪れない」
「……」
先生は手のひらに生み出した幾つもの小さな火を、頭上でひとまとめにする。
そこから、再び手元の小さな火へ、別の小さな火を送り込み、混ぜ合わせた。
たしかに、それならば問題は解決する。
もし『継ぎ火の管理者』が、継承すべきでない個人の思い出を選り分けられるのなら、プライベートは守られつつ、後継者の脳の負担も削減出来る。
この『継ぎ火システム』の管理者として、システムそのものでもある神を用意するのは、ごく自然なことだろう。
「……驚きました。確かにこれは、『魂の継承』です。
意思を継ぎ、記憶を継ぎ、研究を継ぐ。魂の不死。
火を継ぎ繋げることで得られる、炎の不死性に着想を得たというのも、納得ですわ……」
初めに考えていたマイナスイメージ。
他者を意のままに操れるのではないか、というのは、おそらく間違っていない。
だが先生はその権利を神というシステムに移譲することで、公平性と安全性を確保しようとしている。
その計画が完遂されれば、世界に『継承の神』が生まれることになるだろう。
死者の思い、記憶、力、果ては姿形に至るまで。
この世の『非業の死』の幾許かを救い給う神が。
「僕の教え子は、大成した天才ばかりじゃない。
何十年も務めているとね、そうした『非業の死』に見舞われる教え子だって多いんだ」
魔法使いは若い内から活躍するものも多い。
だからこそ、若い内に大きな失敗をして、命を落とすものも多い。
先生が特に子供たちに気を掛けるのは、その事を痛いほどよく知っているからだ。
ああ。
やっぱり。
先生は、先生なんだ。
先生がやっていたことは、決して許されるようなことではない。
だが、その根底には紛れもない善性があった。
先生の気持ちを考えれば、たとえ許されなくとも、悪と断じる事など出来ない。
「協力してくれないかな、フィアンマ君」
先生が周囲の火を消して、私へと手を伸ばす。
優しく、大きな掌だ。
何度も私の手を引いてくれた。何度も私の手を包んでくれた。そんな暖かい手が、再び私へと向けられた。
私は半ば『非業の死』を受け入れていた。
魔法使いとしての覚悟の一環で、そういうものだと。
だから私がいつか自分で生み出した炎で焼け死んだとしても、私はそれを受け入れる。
もちろん悔しいし、悲しいが、それも含めて、受け入れて、この世を去るだろう。
だが、継承の神を否定する気はない。
そういう信仰、そういう神が居たって良いだろう。
悲劇が減る。それだけで価値が有る。
私はそう考え、先生に向かって喜んで首を縦に振った。
――私が、ただの「フィアンマ・フィオロオウラ・フェルマ」という『個人』であったなら。
「すみません、先生。私にはその手を取ることは出来ません」
私は生徒たちを教え導く『教師』であり、民と国を守る国会議員たる『賢者』だ。
先生の非道は、賢者としては勿論、教師として到底受け入れることは出来ない。
国のため、民のため、生徒たちのために、私は、恩師にして怨敵と相対することを宣言する。
「あなたの理想に嘘偽りが無いのなら、『継ぎ火』を撒くのではなく、理想を語って聞かせて同志を募るべきでした。
それをせずこそこそと『無抵抗化』の仕込みをしていたあなたは、ただの魔法犯罪者でしてよ!」
突き付ける指先。
その視界の中に、涙が舞った。
ああ、クロエさん。
やっぱり私は、言うまでもなく地獄を選ぶ女でしたわ。
引き返すチャンスなんて幾らでもあったのに。
どうしてこうなってしまったのでしょう。
私は考えてしまったのだ。
先生が『継ぎ火の管理者』に成ったとして、正しく適切に管理するだろうか、と。
先生が神に成れば、間違いなく先生の意思が介入する。
かつての私ならばそこに何の問題もないと『盲信』していたはずだ。
でも、クロエさんの授業が、問いを投げかけることの意義を教えてくれた。
そしてその問いを解き明かす方法も教えてくれた。
クロエさんが言ってくれた。
「今の私なら、きっとわかる」と。
分かってしまう。
先生は絶対に、『システム』になんて成らない。
神に成って『継ぎ火』そのものと化せば、自分を他者に継承し、乗っ取るだろう。
『継ぎ火』自体がそうだった。混じり合わず、一方的に汚染するだけの魔法だった。
先生が考え、誰にも告げずに実行し、何十年も掛けてばら撒き続けたもの。
そもそもそれだけの数をばら撒く必要がどこにあった?
私が言ったように『継承の神』を作り、信仰し、布教した方が良かったはずだ。
少なくとも、たった一人でこそこそと実験を続けていた意味が分からない。
どうしても阻止されたくなかったんだ。
どうしても歪められたくなかったんだ。
どうしても自分の意思だけを貫き通したかったんだ。
だって、先生はきっと、「自分の『非業の死』」だけを回避したいんだから。
「――残念だよ」
シューデイルは苦笑し、差し出していた手の平を返し、手をかざす。
瞬間、私の身体が床に叩き付けられた。
「ッ!?」
受け身も取れず、全身が凄まじい力で床に押し付けられる。
抵抗しようにもまるで動けず、魔法さえ使えない。
「これは『操作魔法』だよ。よくある物体操作だね。
魔力拡張範囲内の物を持ち上げたり動かしたり、まあ、風魔法の一要素、みたいなものかな」
誰だって魔法使いなら無意識に使っている程度の魔法さ。と、シューデイルは語る。
その顔は、気持ちが悪いほどにいつも通りだった。
穏やかな表情。ゆったりとした動き。
そんな彼の目の前で私が床に押し付けられている、という非日常が、頭を混乱させていた。
バックドアの危険性は知っていたはずだ。
だが、『想起の魔法』と言い、『操作魔法』と言い、超低レベル魔法で制圧されるとは思っていなかった。
魔法が使えないのは、おそらく、シューデイルが私の魔力に「魔法を使うな」という意思を送り込んでいるからだろう。
――そうだ。
『継ぎ火』に『魔力吸収』が含まれるなら、私の魂は常にシューデイルの意思に従い続けていたことになる。
私は時々しか魔法を使わない。この頻度と期間の差が、魂の中に「従う意思の優先順位」を作っていたとしてもおかしくない。
それすらも計算して『継ぎ火』を設計していたのだとしたら、シューデイル・マーシュウォートは、紛れもない『天才』だ。
「どうして……先生ッ!」
「あはは。まだ先生と呼んでくれるのかい?
大丈夫だよ。フィアンマ君も『僕』を継げば、必ず理解できるようになるから」
微笑んで、シューデイルが私に一歩近づく。
違う。
そんな方法であなたを理解したいんじゃない。
でも『操作魔法』の圧力で、満足に口を開くことさえできない。
悔しさと悲しさとどうしようもない無力感で涙が溢れる。
どうしてですか、先生。
あなたはいつから、泣いている教え子を、笑いながら捻じ伏せるような人になってしまったんですか。
また一歩、シューデイルが近付いてくる。
その足先が私の涙を踏みつぶし、ぴしゃ、と音を立てた。
「お待たせしました」
優しい、暖かな声がした。
刹那、途轍もない暴風が吹き荒れ、部屋中の物を吹き飛ばす。
シューデイルも後方に弾き飛ばされ、壁や本棚に激突した。
「――クロエさん……っ!」
私の前に立つ、見慣れた魔女ルックの女の子。
その子は顔だけ振り向いて、いつもの愛らしい顔で笑って見せた。




