5. 恩師との再会
「固定観念……固定観念って……なんですの……」
うわ言のように呟いて廊下をフラフラと歩く。
スランプ入りたての焦燥感、それを超えた先の八方塞的絶望感。あれらに似ている。
もちろん原因はクロエさんだ。
なんでスランプ脱却の立役者がスランプ同等の苦悩を押し付けてくるんですのよ。
すごいかと思えば大したことない。
大したことないかと思えばやっぱりすごい。
やっぱりすごいと思い直したのにやっぱり大したことない。
私は何度認識を改めれば良いんですの?
もう認識しない方が良いんじゃなくって?
――そうですわ、それがいいですわ!
と言うわけでクロエさんの事を忘れて心機一転。
監視役としてどうなんだ、という正論も無視した上で、私は考える。
クロエさんが居なかったとしたならば、私はこの学校で何をしていたのだろう、と。
一カ月かけて最新鋭の魔法をどや顔で披露する賑やかし教員になっていたのは間違いない。
更に、教師業もそこそこに、結局自室にこもって研究に明け暮れていた気がしないでもない。
クロエさんと出会って、授業を聞いて、既にひと月分以上の成果が出ているので、今更焦る必要はないけれど。
こもってばかりでは『作業』は進めど『研究』は進まない、と思い知りましたわ。
こういう所で人生経験の不足が響いてきますわね。古今東西、子供が侮られるわけですわ。
では考え直しまして。
クロエさんを横に置き、スランプを乗り越えた新生私が一特別講師として何をすべきか。
……うーん。先生方の授業を見学にでも行きましょうか。
あるいは先生方がよく詰めている、学校提供の研究用地下施設を訪ねても良いですわね。
特別講師にはありませんが、常勤講師は研究室が与えられていると聞きます。そこでなら授業より濃く、論文より新鮮なお話を聞けるかも?
と、そこまで考えて、私はほんのり避けていたことに行きついた。
……いい加減、腹を括りませんといけませんわね。
「失礼いたします! シューデイル先生はおられますか?」
少し逡巡したものの、すぐさま向かったのは職員室だ。
学生時代のくせで、職員室に首だけ突っ込んでひょこりと顔を出す。
研究室もあって他教師の授業見学もできるこの学校では、職員室の利用率はかなり低い。
居るのは、魔法使いとして一線を退き、教師に専念している人方ばかり。だからこそ生徒も何かあれば職員室に居る教師を頼る。
結果、職員室は閑散としている。そのおかげでお目当ての人は直ぐに見つかった。
「やあ、フィアンマ君! よく来たねぇ!」
ゆっくりとした動きで朱色の髪が持ち上がる。
シューデイル・マーシュウォート先生。御年46歳、男性。記憶通りに柔和な笑顔の、穏やかな先生だ。
私と同じく炎の魔法使いで、私が炎の魔法使いになった切っ掛けの人だ。
所謂、恩師、と言うべき人。
「どれくらいかなぁ。もう君の在学期間より長く会ってない気がするよ」
「ちょうどそのくらいですわね。三年ぶりです、先生」
「うん、久しぶり。おかえり、フィアンマ君」
嬉しそうに目を細める先生。
嬉しいのは私の方だ。
恩師の呼びかけに答え、特別講師として恩を返せる。
こんなに嬉しいことはない。
「いやぁ、ダメもとでも声を掛けてみるものだね。ほら、去年は『異彩』の賢者様がいらしただろう? なら『新鋭』の賢者様にも来てもらえるんじゃないかと思ってさ」
先生が人差し指を振りながら言う。
『異彩』は魔導院が擁立する賢者の一つ。選出基準は「他に無い特別な魔法を持つ」か、「あらゆる魔法を修めている」のどちらか。
残念ながら前者の基準で賢者となる方はなかなか居らず、今の『異彩』も、後者である。だからこそ、魔法学校の特別講師として適任だったとも言える。
「今年は事情がありましたから。例年であれば「新鋭は人に教えるより学ぶべき」と一蹴されるところでしたわ」
それが『新鋭』の務め。
魔法界に新たな風を呼び込み、新たな境地を切り開く。それが新鋭の新鋭たる所以。
新しく、そして鋭い事こそ、私の求められている役割であり、私が賢者として誇示すべき価値。
後進育成とは真逆とも言えますわね。
「ありゃ。それは運が良かったなぁ」
あはは、と、柔らかく笑う先生。
この軽い感じ、変わりませんわね。
「僕も特別授業行きたかったんだけどねぇ。ちょうど一週目は出張でね。こんなことなら「ダメもと」なんて言わず、ちゃんとスケジュール組んでおけばよかったよ」
とほほだね。なんて言って両手を軽く上げてみせる。
こんなところまで変わっていない。
先生は魔法使いとしては珍しく、かなりゆったりとした方だ。
ディズィジーア翁のような長命な種族でもないのに。
種族、というより、故郷が山岳地帯なのが影響しているのだろうか。
焦らず、急がず、山道を一歩一歩踏みしめながら、それでも着実に登り、上を目指し続ける。そんな先生だ。
ゆったりしていても、停滞しているわけではない。小さな頃の私は、そんな先生に感銘を受けた、そんな気がする。
同じくゆったりとしたディズィジーア翁と仲良くなれたのも、もしかすると先生の影響かも知れませんわね。
とにかく生き急いでいた『天才』の私は、ともすればゆったりしている人たちを怠慢として見下していた可能性すらありますわ。
「でも私は先生に聞いていただくような内容では……」
と、先生のことを思うと、急に今の自分が恥ずかしくなってきた。
生徒たちにはあれで良い。そこは胸を張れる。
でも先生には、卒業後にも成長した私を見ていただいて、見違えたと言って頂きたかった。
会いに来るのを躊躇っていたのも、それが原因だ。
スランプだとか、謎の薬師に振り回されているとか、そういう姿は見せたくなかったのだ。
「基礎魔法学でしょ? いいじゃないか」
少しバツが悪い私に、先生はにこっと微笑みかける。
「魔法使いは誰だって一度は基礎に立ち返るものさ。君は成長が早かったから、立ち返るのも早かったんだね」
「……そうなのでしょうか」
「きっとね。
現に君の授業は教師陣も楽しめていたんだろう?
改めて基礎を学び直すってね、実は簡単な事じゃないんだ。既に内容を熟知している、と言う思い込みが、どうしても集中力を欠き、脳の働きを鈍らせるからさ」
例えばそれは、百回読んだ本をもう一度読む感覚に似ている。そう言って、先生は擦り切れた表紙の教科書を示した。
その例えに倣うなら、私の授業は、「百回読んだ本を、他者の口から、他者の考え付きで語られている」のと同じ。
退屈だとしても、それでも自分で読むだけの百一回目よりは気付きを得やすくなっている。……はずだ。
「勉強になります」
「あは。また先生ぶっちゃったかな?」
「ぶるだなんて。私は今でも、先生の教え子ですわ」
二人で小さく笑い合う。
学生時代に戻ったようですわ。
そして、感じていた恥や、見栄が、絆されていく。
そう、私はこの人の前では、いつでも『教え子』で良いのだ。
「私の授業は目新しくはありませんが、クロエさんの方はきっと先生にも気付きがあると思いますわよ?」
「クロエ君? あぁ、授業割で見たなぁ。空想魔法学。なるほど、新発見が有りそうだ」
ちょっとした照れ隠しで、話をクロエさんへと反らす。
授業割を見ながら応じる先生は、どうもクロエさんにはあまり興味が無かったようだ。
勿体ないので、私はクロエさんの授業内容をかいつまんで伝えた。
振り返ってみれば、クロエさんの授業は従来のものとまるで違っていた。
まず積み重ねが無い。
歴史が無く、展望も無い。
考えてみれば当たり前だ。クロエさんはそもそも「魔法を教えていない」のだから。
「すごいなぁ!
想像力を鍛える、何より重要だけど、それは魔法に限らない。だからって、魔法を一切教えていないのに魔法学を名乗っちゃうなんて、大胆だねぇ!」
「全くですわ。もはやその発想力自体が学ぶべき点とすら言えます」
アプローチは真逆でも、やっていることは同じ。
私は魔法の基礎を教え、クロエさんは創造の基礎を教えている。
今にして、私があまりにも大きな影響を受けていることを知った。
「面白そうだ。ぜひ見学させてもらうよ。もちろんフィアンマ君の授業もね」
先生は笑う。
あの頃の、学ぶのが楽しくて仕方がなかった私のように。
……そっか。
スランプになった時、すぐ先生に会いに来ていれば。
きっとそれだけでスランプは解けて消えていたのだろう。と、そう思えた。




