4. 基礎魔法学一限目「魔法概念と魔力」
上に向けた指先に、炎を灯す。
その指をゆっくりと前に倒しても、灯った火は重力などないかのように、指の先を『真上』として立ち昇り続ける。
そのまま魔力を注ぎ、火力を増していくと、熱に煽られたのか、廊下の窓ガラスが微かにカタカタと揺れ始めた。
「横向きの火柱、行けそうですわね」
盲点でしたわ。
炎にはもともと、上方向への指向性がある。ならば、『上』の定義を変えてしまえば良い。
燃料にも酸素にも縛られない魔法の炎は、遂に重力にさえ縛られなくなった。
そして、「こんなこと」で私のスランプは終わった。
クロエさんの授業の後、『想像力鍛錬法』を使って試したことは、全て成功した。
青い鉱石を見ながら作った青い炎。暗闇を眺めながら作った光のない炎。物質化した炎の魔法も、鋼材に触れ、叩き、その感触を写し取りながら作れば驚くほど強固になり、水を弄びながら作れば、ばしゃばしゃと液体のように飛沫を散らす炎になった。
ディズィジーア翁に言わせれば、こういうのを『ブレイクスルー』と言うらしい。私にはピンと来ませんでしたが、翁は「スランプブレイクは、さすがに初めて聞いたのぉ」と腹を抱えて笑っていましたわね。
「私はもう少し、自分を見詰め直さなければなりませんわ」
固定観念。魔法使いにとって、成長を阻害する最大の敵。
知っていた。恐れていた。けれど、知らず知らずのうちに、その檻に囚われていた。
固定観念、つまり『思い込み』と言えば、特別講師の役割もそうですわ。
「何か特別で、目新しいことをしなければならない」という決め付けが、私の中には確かにあった。
でもよく考えれば、私が担当するのは新一年生。春に入学してからまだ三ヶ月ほど。日々の授業で、新しい知識と出会い続けている時期ですわ。
であれば、私が彼らに示すべき『特別』や『新しさ』は、最新鋭の理論の中にはない。
私が、そして私自身が向き合うべき新しさは、古く、当たり前とされてきた常識の中にこそある。
教室の扉に手を掛け、開く。
中には席に着いて待つ生徒たち。そして、教室後方には他の教師陣の姿も見える。
緊張する。私にとって『注目』は、自身の特別さを見せつける、望むべくもない幸福な舞台であったはずなのに。
手にした資料へと目を落とす。
「基礎魔法学」第一回 テーマ:魔法概念と魔力
それが、私が選び直した、『特別』な『常識』。
「……時間ですわね。始めますわよ」
教壇の前に立ち、生徒たちを見渡す。
授業名を見たからか、何人かは不安そうにしていて、一人二人は既に退屈そうな顔をしている。
分かりますわよ、その気持ち。ですが、そんな態度では困りますわ。
「あなた方は皆、このザルバミダス魔法学校の入学試験を突破した実力者たち。教わるまでもなく、魔法の基礎程度できて当然。既に得意な魔法を見付けている方もいるでしょう。
そんなあなた方に、今更基礎を教えることの意味は分かりますわね?」
私の問いに、頷く者はいない。
彼らはまだまだ生まれたての魔法使い。
基礎や初心なんて「おさらい」程度にしかならないでしょう。
ですが、それこそが固定観念。彼らは既に、囚われている。
それを打破するためにも、先ずは一つ、鈍った脳みそをたたき起こさなければなりません。
「いずれ、この基礎すら破壊するためですわ」
微笑みを浮かべて、そう告げる。
まだ話が飲み込めない者、ハッとした顔をする者。反応は様々だ。
教師陣に混ざって立っているクロエさんは……無反応。でも、その目は真剣そのものですわね。
「いつかどこかで聞いたことがあるでしょう。『魔法に限界はないが、人間が限界を作る』、と。
事実、歴史上、魔法の基礎は何度も破壊されてきましたわ。基礎なんてものは、先人たちが作り上げた、ただの限界でしかないのです」
そう、基礎こそが固定観念そのもの。礎さえ破壊する。前提すらひっくり返す。それこそが魔法の神髄。
「それでも、あなた方はまずこの基礎を知らなければなりません。知らなければ、挑むことも、利用することも出来ないのですから」
私の演説で、ようやく生徒たちの心に興味の火が灯ったようだ。
それでよろしくてよ、生徒たち。何事にも貪欲でありなさい。無駄と切り捨て退屈に浸るなんて、百年早いですわ。……これはディズィジーア翁の受け売りですけど。
私の演説なんてただの理想論でしかない。
だが、理想に生きられないのであれば、魔法になど頼るべきではない。
摂理に異を唱えること、現実を曲げてでも理想を通すこと、それこそが魔法なのだから。
「さて。魔法の基礎、その基礎の基礎と言えば、『魔法とは何か』から始めるべきですわね」
資料として持ってきた古い教本を開く。読み書きの学習と並行して読んでいた、年季の入った思い出の本。その名も「はじめてのまほう」だ。
「私たちの世界には『魔力』というものが在ります。万物と万象の根源。あらゆる概念の源ですわ。世界のどこにでも存在し、私たちの身体の内にも存在します」
目に見えず、触れられない。でも、確かにそこにある。
思えば、魔力とはそれ自体が不思議なものだ。
「私たちは魔力に、意思と想像を伝える。
魔力はそれを受けて、概念を生み出す。
これが『魔法』ですわ」
たったこれだけ。
基礎の基礎、変えようのない部分は、これだけなのだ。
「かつて必須とされた詠唱も、儀式も、意思や想像を『パターン化』することで魔力へ伝えやすくする技術でしかありません。
あなた方も魔法使いとして幾度となく魔法を使い続けるうちに気付くでしょう。初めの頃と違い、集中せずとも魔法が使えるようになっていると。
これもまたパターン化、あるいは最適化の結果ですわ」
私もそう。そして、黙って聞いているクロエさんもそうなのでしょう。
三つしか使えない魔法とは、つまり、クロエさんが「たった三つの魔法に、極限まで最適化している」ということなのでしょうから。
「脳裏に焼き付いたイメージがあれば、いちいち思い浮かべる必要はない。
詠唱も同じ。魔力に言葉で「意思とイメージ」を伝えることで、考え事をしながらだって魔法が使えますわ。
そうでしょう? 後ろで見学なさっている、クロエさん?」
きっとこれが正解。あなたは、さぞや熟達した魔法使いなのでしょう。
円卓と商会に認められ、師にも己を超えていると評される、特別講師に相応しい魔法使い。
もしかすると、「三つの魔法」も極限まで研ぎ澄ませ、無数に派生させ続けた結果、「何の魔法か」を一言で言い表せなくなっているのかも知れませんわね。
過剰とも言える評価。そして固定観念をたった一度の授業で何度も叩き壊し、私を停滞から引っ張り出して下さった聡明さ。
すべて、魔法使いとして揺ぎ無い事の証明。
やはりクロエ・エヴォニアは知られざる大魔法使いだったというだけのこと。
そう思い、見学する教師たちに交じったクロエさんに同意を求めた。
「……クロエさん?」
返事がない。
というか、なぜそんなに目をキラキラさせて……?
「知りませんでした!」
クロエさんの笑顔が、教室中に響き渡るほど明るく弾けた。
「詠唱! それに、呪文もですか?
パターン化、なるほど、魔法陣やジェスチャーも!? すごぉい!」
「え、知らなかったんですの!?」
本気で「初めて聞いた」という純粋な感動に満ちたリアクションに、学生たちさえ「嘘だろ……」という顔をする。
「『詠唱』は古くから多くの魔法系統で重要視され、宗教儀式では祝詞、邪教ならば呪言と、名前を変えて様々な使われ方をしていますわね? 言霊信仰と言って、言葉自体が信仰の対象になるほどですのよ?
こんなのは常識で、もちろんクロエさんも……」
「へぇー!」
「へぇー!ではありませんわ!」
あなた、もしかして、本当に「何も知らない」……?
では初回の授業や周囲の評価から私が想像していた「きっと凄い魔法使い」こそが固定観念で、自称していた「ろくに魔法使えないし知識も無い薬師見習い」が正解でしたの!?
そっ、そんな方にスランプを破壊していただいた私っていったい……!
……こほんっ。
「し、仕切り直しますわ!」
資料「はじめてのまほう」を、バンッ、と少し乱暴に教卓へ置く。
ここに書いてあることさえ知らないなら、クロエさんはどうやって魔法を……?
いえ、仕切り直すと言ったのだから、考えてはいけませんわ、私。
「と、兎角、魔法の基礎の基礎は『魔力に意思を伝え、想像通りの概念を創り出す』こと。それ以外は、いくらでも変えていける可能性がありますわ」
導入から随分とズレたが、今日の授業は『常識』を学び直し、そしてそれを覆すことが重要なのだと伝えることが目的だ。
その偉大なる前例、「いかにして人が常識を覆してきたか」。その実例の中で、最も近代で身近な例がある。
「『魂』の説明は次回にいたしますが、魂を通わせ魔力を繋ぐ『魔力接続』も、昔は不可能とされた技術ですわね。
魔力は個々人で全く別の性質を持ちます。だから自分の魔力は使えても、他人の魔力は操れない、というのが常識。
しかし、マナリンクは対象がアイテムとはいえ、魔力を対象間と循環させ、対象の魔力を操るシステムですわ」
魔法は他人には掛けられない。
掛けても相手の魔力に飲み込まれ、掻き消されてしまう。
でも、生物以外なら、一方的かつ一時的なら掛けられる。
それを安定させ、より容易にしたのがマナリンクという技術。
そこから派生して、「魔獣の素材を用い、その魔獣固有の魔法を発現する」なんてことまで可能になった。これは近代魔法界において革命と呼ばれる、世界規模の『ブレイクスルー』だ。
「今度こそ、あなたも分かりますわね? クロエさん」
私はさっとクロエさんへ手の平を向ける。
魔法は使えなくても、知識がなくても、便利な装備品はまた別の話だ。
「あなたの素敵な魔女帽子。顎紐とツバの飾り、それはマナリンクで起動できる物。
特にツバの飾りは『灯の眼のアダンヴァール』という希少な魔獣の……」
「へー」
「知らないんですの!?」
嘘でしょう!? 明らかに高名な職人が手掛けたオーダーメイドの一級品なのに!?
魔獣素材の内、固有魔法が発現可能な素材は、それだけで価値が跳ね上がる。
アダンヴァールは強さや生息地、固有魔法の希少さと利便性、と、あらゆるステータスにコストが掛かりまくり、とんでもない金額になっているはず。
まず間違いなく市場に流通しない。
その価値がわかる者だけが、手を尽くし、大金を積んで、ようやくお目に掛かれるような代物だ。
「なんとなく使えるから使ってるだけで、実は仕組みまではわかってないんです」
「便利だからって、そんな一般人みたいな……!」
魔女帽子を手に取り、にこにこしているクロエさん。お気に入りの帽子を褒められて嬉しい、とでも言いたげな顔ですが、あなたそれ、マニアに売り付ければ一等地に豪邸建てられますわよ……?
――はッ!?
「あなた、まさか……なんとなくで魔法を使ってるんじゃ……!?」
「ちっ、違います! さすがに魔法はちゃんと理解して使ってますよ!」
私の本気のドン引きを見て、クロエさんがワタワタと両手を振り回す。
「ほら! フィアンマさんも言ってたじゃないですか! 魔法には意思と想像が必要だって!」
「……! ええ、そうね! そうですわよね!
なんとなくでは魔力も応えてくれませんですわよね!」
言い訳めいてはいるものの、的を射た発言に、私の疑念がどうにか吹き飛ぶ。
マナリンクは感覚で使えても、魔法はそうではない。そうでしたわ!
「そう! 魔法には意思と想像が不可欠!」
調子を取り戻し、私は意気揚々と授業を再開する。
さっきまで引き込まれていた真面目な顔の生徒たちが、今はなぜかにこやかですが、気にしません。
「赤ん坊が魔法を使えないのは、想像力が知識や経験に裏打ちされておらず、ふわふわとしているからですわね。
老魔術師は逆に、習得済みの魔法の扱いは上手く、新たな魔法はなかなか……あら?」
しかし、気を取り直して語り始めた途端、鐘の音が響いた。
「……もう時間ですわね。なぜでしょう。ひどく疲れた気がしますが……」
ゴーン、ゴーン、と鳴る鐘は終業を告げる音。その音を聞くと、生徒たちは脊髄反射で集中が解けてしまう、ということを、私は経験で知っていた。
しかたない。少し半端ですが、今日はここまでですわね。
「良いですか、皆さん。あなた方は常識を破壊する者でありなさい。あなた方は、魔法使いなのですから」
締めの言葉を紡ぐ私に、生徒たちと、そしてクロエさんが、背筋を伸ばして頷く。
いい子たちですわ。だから、警告を一つ。
「常識を破壊される側になると……疲れますわよ」
クロエさんの元気いっぱいな「はい、先生!」が教室に響き渡り、私の第一回基礎魔法学は、幕を閉じたのだった。




