1. 新鋭の賢者
賢者。
その地位について二年目の夏。
私は久しぶりに、研究塔の黴と古紙の匂いとは違う、生きた空気を吸い込んでいた。
「夏ですわね……」
じり、と肌を焼く日差しに思わず目を細める。
空調管理された塔内とは違う、纏わりつくような熱気。それでも、澱んでいた思考が少しだけ晴れるような感覚があった。
空を悠々と横切っていく純白の飛行船が、磨かれたガラス窓に光を反射させてキラキラと輝いている。
「まだまだ初夏だがなぁ」
背後から聞こえたのは、聞き慣れた朗々たる声。振り返らずとも誰かは分かる。
私が見上げていた空をちらりと横目で見て、「今日は涼しくなりそうだぁ」と大柄な老人がこともなげに言った。
……既に汗ばむほど暑くありませんこと?
「フィアンマ嬢ぉ、随分と痩せたなぁ。また研究塔に籠っておったのかぁ?」
「ディズィジーア翁。あなたこそ、一段と溌溂としていますわね」
ディズィジーア翁は竜鱗種のアラングレータ。硬質な鱗に覆われた横顔は厳めしいが、その瞳は常に悪戯っぽく輝いている。冬場は常に眠そうな分、夏場は常に楽しそうだ。
去年ぶりに見るウキウキした様子の翁。本当に夏が来たのだと実感する。
「そいで嬢よぉ。スランプだぁ言っとるんじゃろぉ。調子はどうじゃぁ」
「良ければ翁と一緒に溌溂としてますわ。もう二か月、インク瓶の底を眺めるような毎日ですわよ」
「二か月! 呵々々! 二十年行き詰ってからがスランプじゃろがい!」
「私の人生より長いスランプなんて御免ですわよ!」
かっかっか!と豪快に笑う翁と並んで、壮麗な国会議事堂の廊下を歩く。メルクラム石の床には私達の姿がぼんやりと映り、高い天井の大きな窓から光が差し込んでいた。
今日は会議のはずだが、どうにも静かだ。行き交う議員の数もまばらで、どこか弛緩した空気が漂っている。
「今日の議題はなんでしたかしら……」
はしたなくも欠伸を噛み殺しながら翁に尋ねる。
翁はふむ、と見事な顎髭を撫でつけながら思案し、口を開いた。
「飛脚連の遣使が既に全員来ておるなぁ。ならば手続き絡みが面倒なものじゃろぉ。時期も考えるなら、魔法学校の特別講師かぁ?」
「特別講師! ありましたわねぇ。そういえば、恩師から打診の手紙が来てましたわ」
研究に没頭するあまり、塔の自室に配達された手紙の山を放置していたのを思い出す。読んだのは今朝、慌てて部屋を出る直前だ。
ごめんなさいシューデイル先生……。私は恩知らずな教え子ですわ。
ザルバミダス魔法学校。
飛脚連の飛行船ネットワークと、騎士団が維持する治安により、海外からも安心して多種多様な生徒を受け入れている、世界トップクラスの魔法学校だ。
卒業生は、国内はもちろん、故郷に戻っても大役を担うことが多い、エリート養成学校と言っていい。
その魔法学校では年に二回、夏季と冬季にそれぞれ一カ月ずつ、学外から特別講師を招いた特別授業が開かれる。
どんな授業かは講師に一任されるが、その講師に誰を招くかは国会で決定されている。
「……あら、そう言えば先生の手紙以外にも何か来ていたような」
「それが今日の議題の事前連絡じゃろぉ。騎士団の方から来ておったわ」
騎士団から。
出掛けに先生の手紙しか見ていませんでしたが、確かに騎士団の紋章が入った封筒があったような気がしますわ。
騎士団がわざわざ事前連絡を寄越すということは、何かしら要望が有るということ。律儀の化身みたいな方々ですから、分かり易くて助かりますわ。
「今回はどんな要望でしょう?」
もし議題が特別講師絡みであるのなら、騎士団から何か要望が有るとは考えにくい。
魔法騎士育成支援として騎士学校の生徒を転入させたい、という要望は過去何度かあったが、それは「所定の手続きを踏めば許可する」と法改訂がなされたし、そもそも今回決めるのは生徒のことではなく教師のことだ。
「まぁ何時も通り、個人的な要望っちゅー名の人助け案件じゃろぉ」
私はディズィジーア翁の言葉に頷く。
騎士団ですからね。分かるのは、そのくらいですわ。
「前回は飛行船航路開拓でしたかしら?」
「山岳地帯のなぁ。あれで国一つ救われとるのに、飽くまで個人の頼みだと言うて憚らんからのぉ」
「剣豪ロゥベンシア、堅物かと思いきや情に厚い女騎士でしたわ」
今年も確か剣豪の位に就いていたはず。
彼女の『個人的な要望』で飛行船の航路が開拓され、孤立していた国一つが救われた。今でもその国からは、お礼代わりに格安で鉱石類が輸入されている。
そんなロゥベンシア様は、騎士団擁立の、確か軍師枠だったはず。
「有難う御座います、フィアンマ様」
凛、と澄んだ声が背後から掛けられ、心臓と足の裏が2センチほど飛び上がった。
振り返ると、廊下の向こう、そこそこ離れた位置に、噂の女騎士が立っている。
白と青で統一された軽やかな鎧姿は、去年と髪の長さくらいしか変わっていない。麗しのロゥベンシア・アーリア・シュルツその人。ザルバレオン騎士団が有する五つの議席の内、『軍師』の席を賜った『剣豪』……即ち、国会議員。
「礼を言われるとは思いませんでしたわ」
「そうですか。ですが、騎士道を歩む者は「正義ではなく情こそを尊ぶ」と知って頂けるのは、有難い事なのです」
「「正しさなど法に任せる。騎士たるは悪でなく障害を討つ者なり」、かぁ。貴殿の騎士道はいつ聞いても痛快よなぁ」
「恐縮です、ディズィジーア様」
ロゥベンシア様が、私達の三歩程後ろに付く。
ディズィジーア翁の太い尻尾がぶつからない絶妙な位置取り。さすがですわ。
「今回の要望は少し特殊です。もし手紙をご覧でないのなら、説明させて頂きたく」
「あら。それは助かりますわ。なにせ引き籠っていて、手紙が届いていた事にも気付きませんでしたので」
「魔導院の賢者様方は皆様そう仰います。皆様お忙しい方々だと理解していますので、こうして移動時間を選んでお耳に入れさせて頂きに参りました」
「……申し訳ございませんわ」
「? なにへの謝罪でしょうか」
きょとん、と小首を傾げるロゥベンシア様の顔からは、嫌味の意図など微塵も感じられない。
でも、魔導院の賢者(国会議員)は揃いも揃ってろくに手紙も読まない、と思われているのは恥ずかしいですわ!
「儂ぁ読んだぞぉ」
「く……! 翁だって冬場は読まないでしょう!」
「あぁ? 読むわい。暖炉脇で身体を温めてから、ゆるりとなぁ」
優雅……!
さすが魔導院『老師』枠の『賢者』、ディズィジーア・パケロロスス。最高齢魔法使いだけあって、人生の余裕が違いますわね。
『新鋭』枠の賢者である私によく話しかけてくださるのも、この小娘を何かと気に掛けて下さっているのでしょう。本当に有難いことですわ。
「それで、ご要望はなんですの?」
話を本題に戻すと、ロゥベンシア様が胸元から手紙を取りだした。
おそらく内容は完璧に頭に入っているのでしょうけど、取りこぼしをしないよう書面を確認しながら話すのが、いかにも彼女らしい。
「今回の議題、ザルバミダス魔法学校の夏季特別講師選定について、推薦したい人物がおり、事前要望させて頂きました」
「あら、特別講師絡みですの?」
たまに魔導院が推薦することはあっても、騎士団からの推薦は初めて聞く。
ザルバトゥーレ共和国の国議三党の中でも、騎士団はあまり魔法学校に関与しない。飛脚連は商会の絡みなのかたまに推薦を寄越すが、魔法使いとして実績が無いと却下されることも多い。
「珍しいですわね。騎士団の中に、講師になれるほどの魔法使いなんていましたの?」
「いえ、居りません」
「おりませんのね……」
あまりに潔い断言。
魔法騎士も居るでしょうに、やはり魔法は剣技の補助程度なのかしら。
じゃあ一体、誰を推薦するんですのよ……。
「実のところ、推薦は騎士団からではなく、円卓からなのです」
と、ロゥベンシア様が淡々と、しかし確かな重みを持って告げた。
円卓。
世界的な騎士連盟にして、人類の守護者。
「円卓に非ずんば騎士に非ず」とまで謳われる、騎士が選ぶ騎士の名に恥じない、高潔なる者たち。
彼らは特定の国や種族に決して過度の肩入れをしない。その高潔さこそが、円卓の円卓たる所以。
ザルバトゥーレ共和国では、ザルバレオン騎士団の五つの議席全てに「円卓に所属していること」を条件としている。それは、公平な議員である証明であり、彼らを通して国が民を蔑ろにしていないかを測る、良い試金石になっているからだ。
そんな、決して内政干渉をしないはずの円卓が、一国の、それも国立魔法学校の、たかが一介の特別講師人事に、推薦を出している……?
「どういうことですの?」
思わず足を止め、振り返っていた。
これは異常事態だ。
円卓に限って内政干渉する気はないだろうが、だからこそ、何の心算なのかが気にかかる。
「あくまで『個人的な要望』です」
ロゥベンシア様は私の動揺を見透かしたように、静かに繰り返した。
「円卓の? ……一体、どなたからですの」
「クロウ・クロムウェル様です」
「……円卓最強と謳われる、『黒鉛の騎士』様が?」
はい、と力強く頷いて、ロゥベンシア様が手紙に視線を落とす。
「クロウ様より、今年の魔法学校夏季特別講師枠に『クロエ・エヴォニア』を推薦したい、と。理由は、彼女への『個人的な恩』を返したいから、とのことです」
「絶対に個人的な恩じゃないのでしょうね」
「じゃろぉなぁ。クロエなどという名前は、魔法学界ではまず聞いたことがないぞぉ?」
私も聞いたことがない。
けれど、『エヴォニア』の名は聞き覚えがある。
確か、円卓が定めた『禁じ名』のはず。
禁じ名は、円卓が「なりすまし」などを避けるために、高名な騎士や著名人の名を騙ることを禁じる制度である。この禁を破ったものは円卓により処罰され、円卓支持派の国では法的に裁かれることも有る。
ザルバトゥーレ共和国でも禁じ名を騙ればそれだけで詐欺罪が成立しますわ。
そして逆に言うと、禁じ名を持つ者は円卓からの信頼を得ている人物である証明となる。
「なるほど。円卓にとって返すべき恩があり、かつ、学校と生徒にとっても間違いなく有益な人物、と言ったところですわね」
「じゃなけりゃぁ、円卓が掟を曲げてまで推薦なんぞせんわなぁ」
「……私も同意見です」
三人揃って、うんうんと頷き合う。
円卓とはそういう組織だ。だからこそ、世界的に信用されている。
地に落ちた『騎士』の名を、かつての黄金期以上の輝きにまで磨き上げた彼らの実績は伊達ではない。
「それでしたら、私にも協力できそうですわね」
「それは、どういうことでしょうか」
再び前を向いて歩きだした私に、ロゥベンシア様が尋ねる。
重要なのは、クロエ・エヴォニアが何者か、その実績が全く知られていないということ。円卓の推薦という、この上ない信用の保証があったとしても、未知は未知。事前調査の暇がない以上、慎重な魔導院と飛脚連は、まず『監視役』を付けることを提案するだろう。
ならば、協力の仕方は一つしかない。そしてそれは、今の私にとっても渡りに船だ。
「私が『クロエ・エヴォニア』と共に、今年の特別講師枠に立候補しますわ」
そうすれば、円卓が推薦する謎の人物を間近で監視できる。恩師からの打診にも応えられ、恩返しも出来る。
そして何より、この停滞した空気を打ち破るきっかけになるかもしれない。
一石三鳥ですわ!
私は高揚感を胸に、目前に迫った会議場の重厚な扉を、勢いよく開け放った。




