11. 救いようがない者たち
その日の午後、皇都中のフォストレア神像が破壊された。
さすがに他人事では済ませなくなったのか、平穏な皇都の風景は一気に様変わりした。
鈍感で臆病な国民たちは、火の付いたように騒ぎ出し、悲鳴を上げながら逃げ惑う。
どこに『犯人』が居るかもわからないはずなのに。
「これがパニックですか」
放っておくと転んだ人が踏まれたりして死んじゃいそうだ。
師匠が『国中の神像を破壊する』なんて単純作業に三日も掛かったのは、たぶんパニックで怪我する人を助けたりしていたからだろう。
あ、ほら。人混みで圧し潰されそうになってた人が、するっと抜け出して誰もいない所に移動してる。たぶんあれ師匠のケアだろう。
あんまり師匠の意思を読み取ろうとすると『呪い』が進行するので、ほどほどにして歩き出す。
パニックは気になるけど(特に泣いてた子供とか)、そっちは師匠が何とかしてくれる。
私は私の仕事に集中しよう。
破壊されず残されたのは、大聖堂の大神像だけ。
これで『フォストレアの居場所』は一か所に絞られた。
……現実的に考えれば「そんなわけないでしょ」って思うんだけど、概念そのものである神は、この手の概念利用に影響を受けやすいのだ。
状況を整えてくれた師匠は、今度は次の備えに向かったと連絡があった。
神様を介した信徒ネットワークである。
次の備え。……それが活きるのは、決戦の後だろう。
「どさくさに紛れて『フォストレアの日記片』読んじゃいます?」
私は私の中で待機している神様に話し掛ける。
日誌片は意思しか確認できていないので、一度見てみたいという話が出ていた。
実際に触れてページを捲ったわけではないし、そもそも私は自が読めないから内容が確認できないのだ。
もしかしたら日誌片には『癒しの魔法』のことが書かれているかも知れない。
「いや、要らん。残しといてやんな」
にべもない。
『残しとく』という言い方は、たぶん、日誌片が古すぎて読もうとしたら崩れちゃうかもしれないからだろう。
だって既に『日誌の破片』だし。
「良いんですか?」
「どうせ『癒しの魔法』使えないしな。
使えるなら信者共が先に使えるようになってるだろ」
「……確かに」
もちろん、才能や修練が必要で易々と習得できず、『神秘』という安価な薬に逃げた可能性も有るわけだけど。
でもそれならそれで『癒しの奇跡』を習得した『聖人』の伝説が残ってないのは違和感だったり。
「と言うか、フォストレアに直接聞けばいいじゃん。
女神だし、たぶん当時のこと忘れてないぞ?」
「……たしかにッ!」
盲点!
なんか宗教の腐敗をどう思っているのか聞かなきゃって気持ちで頭がいっぱいになっちゃってた。
皇都に来た当初は直接訊く気満々でチャンス窺ってたのに……!
「おそらく、信者共はフォストレアを神にすることで自分たちが自由に使える『神秘』を手に入れようとした。
聖女を都合良く使っていたとはいえ、いちいち頼むのも面倒だったんだろう。
そのためにわざと人のままではフォストレアの力が足りないと思わせるようにしたんじゃないかな」
「それは、どのくらいの確率で真実ですか?」
「98%」
「きゅっ!?」
神様の推理は必ず2%の不明を残す。
自分は『知恵の神』であって『全知の神』ではないとの自戒と、『予想外』に対処するための慢心回避策だ。
なので、神様が言う98%は、『他に考えようがない』と同義である。
「神々の大戦後の荒れ果てていた時代に、毎日毎日手が足りなくなるだけの患者がどこに居る。
大戦中ならまだしも、大戦後だぞ? そもそもの人口数がかなり減っていたはずだ」
「う……」
それはそうだ。
人類は滅びかけていたとまで言われている。
なのに、どうしてフォストレアさんが休むこともままならないほどの患者が……?
少なくとも、旅の一族だけなら手は足りていた。
村や町に着く度に外部の人間を癒していたくらいなんだから。
なのにいつしか追い詰められるほどに癒しの手が足りなくなっていた。
「搔き集めていたんだ、怪我人や病人を。
わざと噂を広めて、わざと大きな町や集落へ旅をして、わざと誰かを傷付けて、な」
内輪もめで傷付け合ったって? どこまで事実だろうな。
最初は本当でも、使えると思えば八百長で何度でも再現しただろう。
どうせ、傷は癒えるのだから。
……神様は耳を塞ぎたくなるような推理を重ねた。
決戦前だからだろうか。
神様が今まで黙っていたことをつらつらと述べる。
神様はずっと前から、この宗教が『歪んだ宗教』ではなく『歪みから生まれた宗教』だと知っていたんだ。
それでも神様は私に調べさせてくれた。
神様は何度も、何度でも、私に考える時間をくれた。
私の知恵を育んでくれていた。
フォストレアさんを殺すと決めたのは私だ。
きっと私がフォストレアさんを殺したくないと言えば、神様は「おっけー」とゆるく返して受け入れただろう。
師匠も同じだ。「自業自得」と最初に言った通り、心にもない正論を並べて、私の味方をしてくれたはず。
「……もしかして神様。私が罪悪感を感じずに済むようにしてくれます?」
ちょっと気になった。
いつもならこの手のネタ晴らしは、ことが済んでから明かされる。
でも今回は今まさに大仕事だ!ってタイミングだ。
考えられるのは、神様なりの優しさ。
フォストレア教の歴史を悪辣に語り、フォストレアさんへの同情を強めることで、『神殺し』を断罪かのように扱う。
そうすれば私が大勢の顔も知らない人達の人生をグチャグチャにする罪を、ほんの少しでも感じずに済むだろうから。
「――俺はさぁ、最初から反対なんだよ」
間を置いて、観念したように神様が零す。
溜息混じりに、諦めと苛立ちを吐き出して。
「この国が腐敗したのも、あの女神が囚われたのも、全部そいつらのせいだろう。
なのに奴らは罪の一つも自覚せず、きっとクロエちゃんを責めるだろう。
この国でただ一人、何の責もないはずのクロエちゃんをだ。
『殺して』って言ったのが女神なんだから、せめて全ての罪を女神に背負わせりゃ良いのに……」
はぁーッ!と、溜息と怒気がどんどん強くなる。
普段飄々としている神様は、その実、悲しいほどに情に厚い。
だから、一度堰を切ると止まらない。
「そもそも『覚悟の復元』ってなんだよ。
立ち止まってしまうほど苦しいのなら、立ち止まって良いんだよ。
それをどうして『より大きな苦しみで背中を押そう』なんて発想になるんだ」
「うっ……ごめんなさい……」
「良いか? クロエちゃん。
俺は君が泣き、傷付いている限り、絶対に幸せにはなれない。
俺を救いたいと願うのなら、先ず君が誰よりも幸せになってくれ」
「はいぃ……」
期せずして、ガチ怒られ案件が発生してしまった。
決戦前にこれは堪える。
同時に、どうしようもなく嬉しい。
この人は、知恵者として繰るべき論理すら超えて、私はただ愛してくれていた。
神として。兄として。親として。
私が苦しみ傷付くのが、そこにどんな理由があろうとも許せないと、憤ってくれていた。
ようやく吐き出し切って落ち着いた神様に、心の中で感謝を述べる。
そして、この『愛しさと嬉しさ』を、魂に刻む。
何よりも優しくて暖かい『叱責』は、『覚悟』と同じくらい、――あるいはそれ以上に――忘れたくなかったから。
「止まれ!」
突如、怒号が響いた。
見れば前方にはフォストレア教の神官たち。
大聖堂の廊下に神官たちが更に押し寄せてきた。
神像破壊事件発生中につき、大聖堂は閉鎖中。
なのに相変わらず施錠もしてなかったので、堂々と侵入したのがざっくり五分前。
気付かれるのが遅いくらいだ。
数だけは多いけど、きっと事件があったから神官に招集が掛けられていたのだろう。
魔女ルックの私を見て、露骨に警戒……いや、敵意を向けている。
――さあ、いよいよだ。
覚悟を決めろ、クロエ・エヴォニア。
腐った患部に刃を入れるのだ。躊躇いは傷口を広げ、より多くの血を流す。
腹を括れ。そのための覚悟は刻んできた。
神殺しを成すのなら、『魔女』に成れ。
成れなくても、なりきるんだ。
「何処から這入った! いや、何の用だ!」
「フォストレアを、殺しに来ました」
「な……ッ!?」
怒鳴る神官に目的を告げ、そのまま歩き続ける。
腰の妖刀二振りを抜き放ち、ブーツの踵を鳴らしながら。
神官たちは各々武器を抜く。
私はその一団を、『黒檀の爪』で薙ぎ払った。
折角構えた武器を盾にすることもせず、四人ほどが鮮血を撒き散らしながら廊下の壁に激突する。
私の武器は、同郷の黒檀。
ブーツの『ヒール』や、羽織外套の袖口に付けた『爪型装飾』など、黒檀製の装飾やパーツを持ち歩いている。
これに魔力を注ぎ込み、『成長の魔法』を使わせることで、急成長を引き起こせる。
更に『復元魔法』を組み合わせることで、『急成長』を抑え込んで『爆発的急成長』にしたり、成長する方向を制御することさえできる。
こんな風に。
「な、なにが――ぁガ!?」
急に吹き飛んだ仲間に狼狽える神官たちを、黒い槍が貫いた。
前方に突き出された外套の袖。その中から伸びた、槍のように鋭い『黒檀の枝』に。
「おぐ……ッ!」
「ぎッ……」
「やめ……――!」
次々に貫かれ、体中を穴だらけにされる神官たち。
盾にした武器も、法衣の下の防具も、易々と穿たれる。
ほとんど無抵抗でバタバタと倒れていく神官たちを見ながら、私は歩き続けた。
やがて、ブーツの先が血溜まりを踏んだ。
引き抜かれた槍はスルスルと私の外套の袖口に吸い込まれていく。
足元を一瞥すれば、血溜まりの中で神官たちが蠢いていた。
他のまだ無事な神官たちは、何が起きたのか分からないという顔で固まっている。
ただ武器を握りしめ、今にも踵を返して逃げだしそうなへっぴり腰で。
さすがに逃げ出されるのは困る。
……本当はもっと『極悪な魔女』を演じたかったんだけど、仕方ない。
「この人たち、早く治さないと死にますよ?」
言った直後、悲鳴が廊下を埋め尽くし、神官たちが一斉に動き出す。
がむしゃらに突っ込んでくる人が三人。その隙に神官たちを癒しに行ったのが四人。
逃げ出した人もいたけど、良し。
概ね作戦通りだ。
私の心も、まだ、大丈夫。
『意思疎通の魔法』でズタズタにした神官たちの痛みを受け取り、保存する。
痛み自体は復元魔法でぐちゃぐちゃになるよりはかなりマシ。でも『感情』は、それより遥かに私の心を抉る。
精神は相手を傷付ける度に削られる。
対して、私は『物理的には無敵』だ。
攻めかかる神官たちの攻撃、避けも防ぎもせずに受けているが、何ともない。
傷も付かず、よろめきもしない。
槍で突き刺そうとも穂先が食い込むばかりで貫けず、そのまま歩くスピードすら落とさず押し込まれる。
そんな私の異常さに怯え、手を止めて後ろに下がった神官を、黒檀で引き裂いた。
決して即死はさせない。
傷も治しやすいように打撲やミンチは避ける。
だから『癒しの神秘』が間に合い、どの神官たちもすぐ戦線復帰する。
けど、心の傷までは癒せない。
攻撃の手が減ってきた。
折角の挟み撃ちを活かせず、前方の神官たちは道を空け、後方の神官たちも襲い掛かって来ない。
何度か後ろから殴りかかってきたのも効かなかったり、返り討ちに遭って二度目の瀕死を体験したからだろう。
「うろたえるな、愚か者どもが!」
甲高い怒声が、神官たちの恐慌を無理やり鎮めた。
人垣をかき分けるようにして現れたのは、デリング枢機卿だった。
その顔にはいつかの作り笑いではなく、剥き出しの苛立ちと傲慢さが浮かんでいる。
いや、あれも演技だ。
理知的な枢機卿は一目で状況を把握したらしい。
癒され、死者はいないとはいえ、まだ消えずに残った夥しい間での血痕がそこら中に有るからだ。
「いつぞやの薬師か……。
女神を奪いにでも来たのか? 珍妙なのは格好だけにしておけ」
軽い挑発を交えるが、私は反応しない。
それだけなのに、枢機卿は嫌そうな顔をした。
やっぱり、彼は有能だ。
この国の腐ったシステムを誰よりも使いこなしている為政者。
私欲を貪らず、国益を優先し、常に働き続けている。
教皇に次ぐ権力者でありながら、最前線に立ち続けているのだ。
ふと、考えてしまう。
彼は、善人だったのだろうか、と。
最大多数を救う道は、最も過酷な道だ。
それを選び、歩み続けるデリング枢機卿が、ただの腐った悪徳政治家だとは思えない。
だからつい、考えてしまう。
彼がもし、『フォストレアの声』が聞こえたのなら、どうしたのだろうかと。
「たかが小娘一人に何を怯えることがある! 冒涜者め、ただで済むと思うなよ!」
デリング枢機卿は、私の無反応を見てやり方を変えた。
相手を見下し、上からものを言う、でかすぎる態度。
それを後ろから見ると『大きな背中』に見え、頼りがいがあると勘違いを生む。
そしてその勘違いは安心と信頼、そして士気にまで変貌する。
わざわざ前線まで出てきたのは士気を上げるため、そして指揮を執るためだろう。
歩き続ける私と近付き過ぎないように位置取りを調整しながら、デリング枢機卿が拳を振って周囲を鼓舞していた。
「おのれ……冒涜者め! 捕まえろぉ!」
「手荒で構わん! 四肢は切り落とせ!」
「安心してください、殺しはしません! 『癒しの神秘』で死なせてあげませんよ!」
デリング枢機卿の登場で息を吹き返したのか、神官たちが口々に罵声を浴びせてきた。
こっちは甘い汁啜りたいだけの神官が多いのだろう。
枢機卿と違い、本当に相手を見下す『意思』が読み取れてしまう。
それでも、傷付けるのは辛い。
『人を傷付ける感触』。
『傷付けられた人の感情』。
一方的に蹂躙しているはずなのに、私は既に涙を零し、嘔吐していた。
それが表に出ていないのは、『復元魔法』で抑え込んでいるからだ。
医療行為とは違う。
あの止むを得ない痛みと、今私が与えている痛みは全くの別物。
誰かを傷付けるのはそれだけでものすごいストレスになる。
でも、演じ切ると決めた。
神は概念。
『神降ろし』で殴れるようになっても、命が無い者を殴り殺すことは出来ない。
せいぜいが弱らせるくらいだろう。
だから重要なのは、神官たち、信徒の方。
彼らが『神は死んだ』と信じれば、それが事実になる。
信仰による神格の歪みを利用した『概念殺し』だ。
「『黒檀の槍衾』」
低く呟く。
本来不要な『技名』も、神殺しを演出するツールになる。
既に喉を貫かれた同僚を目撃した神官たちが、狙い通りにたじろいだ。
たじろぎは、反射的な防御姿勢。
そんなもの易々と食い破って、無数の黒い杭が神官たちを穴だらけにする。
ぶちまけられた血と臓物を前に、流石のデリング枢機卿も言葉を失う。
外套の袖から黒檀の枝が顔を覗かせた。
『復元魔法』で黒檀の『枝以外の成長』を封じ込める。
その状態で『急成長』を解き放てば、枝は音速に迫る超高速で迸る。
「『漆黒迅雷』」
適当な技名。
ただし効果は折り紙付き。
再び私を取り囲み襲い掛かろうとしていた神官たちは、無数の枝分かれした黒檀に撃ち抜かれていた。
「ぼッ……!?」
「ひぃ! み、見えないッ!?」
「なんだこの速度はぁ!」
私が踵を鳴らす度に足元から槍が生え、私が外套の袖を向ける度に穴が空く。
デリング枢機卿の参戦で『癒し手』は更に分厚くなった。おそらく聞いている通り『致命傷さえ瞬時に癒す』だろう。
でも、彼らは今、痛感している。
死なないからと言って、勝てる道理などない、と。
伸びた黒檀の枝が、無数に分岐する。
黒檀を覆う復元魔法を部分的に開放し、黒檀の成長ルートを制御する。
やっていることは槍も雷も全部おんなじ。こんなのただの虚仮威しだ。
私が『技名』を呟けば、次の瞬間には神官たちが串刺しにされている。
見せ付けるようにスルスルと戻っていく『黒檀』が、大聖堂の綺麗過ぎる廊下に紅い紅い線を引く。
幾重にも、何処までも。
「な、なんだあれはぁ!」
「防げ! どうにかしろぉ!」
「無理だッ……盾も壁も薄紙みたいに突破される!」
逃げ惑う神官たち。
即死さえ避ければ次々回復してくれるから手加減もほどほどで良い。
皮肉なことに、『癒しの神秘』の拷問化を、自分たちで体現していた。
その拷問を『意思疎通』で私も受けているけれど、でも、私には『覚悟』がある。
「ええい、役立たずどもめ!
総員でかかれ! あやつを殺せ!
女神の御前で塵一つ残さず消し去ってくれるわ!」
デリング枢機卿が金切り声を上げる。
その顔は怒りと屈辱で真っ赤に染まっていた。
『魔女ロール』を信じてくれてはいるのだろう。
ただ、怒りや屈辱で我を失っているようにも見えなかった。
「貴様らも神を失えば職を失うのだぞ!? 『癒しの神秘』という黄金の価値が分からんのか!
女神は金の卵を産む不老不死の家畜だ! あんな小娘一人に奪われてたまるか!」
怒り狂い怒号を飛ばすデリング枢機卿。
その醜悪な言葉に奮起する神官たちを見て、これも腐敗の弊害だと思った。
もう誰も、『癒しの麻薬』から逃れられない。
それにしても、『神は人の家畜』かぁ。
――誰かを救いたくて、救えなくて。
それどころか破滅させていたと知って。
泣きながら殺してくれと頼んできた『女の子』の顔を思い出した。
「ぐ……ぬぅ!
ッははは! 効かぬわ、小娘!」
半身を『黒檀の槍衾』で吹き飛ばされたデリング枢機卿が、自分と神官たちの神秘で瞬時に再生する。
興奮しすぎで痛みを感じていないのか、全くひるまない枢機卿の存在が神官たちの心的な支えになってしまっていた。
それでも、残忍な仕打ちをすればするほど私の心にもダメージが入る。
それも復元魔法で黙らせる。
脳裏に復元される、フォストレアさんの涙。
平和な街並み、幸福な情景。
全てを天秤にかけて、痛みの中で『神殺し』を引き受けた、私の『覚悟』を取り戻す。
『復元魔法』が何度でも私の心を抉り、覚悟の重みと痛みを思い出させてくれる。
魔女は泣かない。
神殺しは謝らない。
ただ、無機質に容赦なく、障害を排除する。
「くそっ本人を狙え!」
「狙ってる! 効かないんだよ!」
「なんだよ……なんなんだよお前ぇえ!!」
復元魔法は最強だ。
私に勝つには、私の魔法強度を上回り、その上で即死させるか、神秘や権能で概念ごと捻じ伏せるかしかない。
どちらも出来ない物理一辺倒じゃ私を止められないし、私を防げない。
「『家畜泥棒』めが……! その『無敵』が魔法であれ何であれ、無尽蔵には使えまい!
だが我等は違うぞ! こんな時のために『温存』していたのだからなぁ!!」
「――うるさい」
「ぶぐッ……」
その『温存』のために、どれだけの人を見捨ててきたんだ。
それがどれだけ合理的でも、枢機卿自身にとって『苦渋の選択』だったとしても、許せない。
この場で公言することが神官たちへの鼓舞だというのも分かってる。
それでも、だ。
「ッガハハハ! 効かん! 死なん! この程度ッ!
我が神秘の足元にも及ばんわッ!!」
私は、デリング枢機卿ただ一人を見据えた。
さすがに、強い。
何度も致命傷を負わせ、壁や床に叩き付けた。
なのに枢機卿は笑っている。
私でさえ本当に敵わないんじゃないかと思ってしまうほど、自信たっぷりに。
でも実際にはそうじゃない。
『意思疎通の魔法』は、既に彼から怒りが消えたことを読み取っていた。
あれだけズタズタにされて怒っていられる人なんていないだろう。
ただ、代わりに生まれた『恐怖』と『絶望』は、『強烈な意志力』で捻じ伏せられている。
聖堂勤めで皇都暮らし。枢機卿に戦闘経験はほとんどないだろう。
なのに、折れない。
痛いはずなのに。この短時間に何度も致命傷を負っているのに。
恐怖やトラウマまでは癒せないはずなのに、デリング枢機卿は立ち塞がり、笑っている。
デリング枢機卿は神官たちの精神的支柱。
あれを砕かなければ『次』に進めない。
足元から生やした黒檀の幹に乗って、私は神官たちの頭上を飛び越えた。
「私も、生半可な覚悟でやってきたわけじゃないんです」
二振りの妖刀を構える。
狙うは、喚き散らす枢機卿、ただ一人。
「来るが良い化け物が。貴様如きの暴力では、我らが神の神秘には届かんと知れい!」
デリング枢機卿が目を見開いて嗤い、豪奢な飾りのついた重そうな杖を振りかぶる。
借り物の力に胡坐を掻き、貸してくれた神は家畜扱い。
その醜悪で悍ましい姿に、私は何の感情も抱かない。――フリをした。
デリング枢機卿は『強者』を演じる。
私は『魔女』を演じる。
ならばもう、本心は要らない。
騙り合おう。最後まで。
通り抜け様に、振るう刃。
二振りの『菜切り包丁』は、枢機卿の手足を刎ね飛ばした。
「ッぎゃああああああああああッ!!?」
デリング枢機卿の絶叫が聖堂に響き渡った。
手足を斬り飛ばされ、彼は床を転げまわる。
先程までとは全く違う反応に、周囲の神官たちに動揺が広がった。
これが妖刀に宿る『妖術』。
二振りの菜切り包丁『生作り』と『生殺し』。
その妖力は、『癒えない傷』を刻み込む。
癒えない傷とは、斬られた直後の状態を維持する傷だ。
いくら興奮状態でも、斬り飛ばされた瞬間の激痛が永続するとなれば無視できなかったようだ。
「いいイタイイタイイタイイタイイタイ……ッ!
誰かッ! 誰か早く神秘を……!」
藻掻き苦しむ枢機卿に、周囲の神官たちが『癒し』を施した。
直ぐに癒えない傷は癒え、四肢も元通りに再生し、枢機卿も落ち着きを取り戻した。
そう、『妖術』も『神秘』には敵わない。
神秘を使えば癒えない傷も癒せてしまう。
でも、痛いだろう。
なら、怖いだろう。
黒檀で貫き、妖刀で斬る。
吹き出す血、零れる腸、脳を劈く激痛。
戦闘の余波で崩れ始めた大聖堂に、悲鳴と破壊音がこだまする。
怖いだろう。
怖いでしょう?
怖いと言え。
「――怖い――」
震える神官の言葉に、笑みが零れた。
ようやく『次』に進めた安堵。
うっかり漏らした本音も、『魔女』演出に利用する。
「ッ――撤退だ!」
笑う私と目が合った瞬間、デリング枢機卿が逃げ出した。
神秘で癒した両手足を懸命に振り回し、尻尾を巻いた獣のように無様な姿で聖堂の奥へと姿を消す。
「魔女だ! 魔女が攻めてきた!」
「助けてくれぇ! 死にたくない!」
「もう痛いのは嫌だぁ! 置いてかないでくれぇ!」
指導者を失った防衛線は、あっけなく崩壊した。
廊下を埋めていた神官達が我先にと逃げていく。
デリング枢機卿のことだ。怖くなって逃げた、なんてことはないだろう。
戦線の立て直しか、それとも『女神の大神像』くらい捨てても良いと判断したか。
どちらにせよ、『次』だ。
「スフィア」
懐から黒い球体を取りだし、肩に乗せる。
球体はぷにぷにと弾んで、『黒檀の種』を吐き出した。
黒檀は回収するから減りはしないけど、もう少し手数が欲しい。
種を袖の中に収めて、妖刀の血を払う。
生作りと生殺しも、ここまでかな。
薬草採取に用いて鮮度を保つことにしか使っていなかったけど、人に使うと危な過ぎる。
改めて『妖刀』なんだなぁ、と実感しつつ、包丁を鞘に納めた。
「ありがと、スフィア」
黒い球体がぷるぷると揺れて、自発的に懐の中に戻っていく。
廊下の終わり。
大聖堂で最も巨大な扉が有る。
ここが祈禱室。
国で一番大きな女神像がある場所。
「神秘開帳――『肉体の神秘』」
大鐘楼を突くような音が響いた。
なんてことはない。
私の裏拳が、扉をぶっ飛ばした音だ。
「……うん。筋トレの効果出てるかも」
人が人のまま獲得できる神秘は幾つかある。
私の『肉体の神秘』はマイナーだけどその一つ。
似て非なる『筋肉の神秘』は『筋肉教』が出来るくらいメジャーだ。
健康の土台は肉体だ。
一見ふざけてるように見えても、あの師匠が手放しで推奨したほどの神秘。弟子として軽んじるわけにいかない。
なにより、その効果はこうしてまざまざと見せ付けられている。
「っうわああ! バケモノだぁああ!!」
中に居た神官たちがすごい勢いで逃げ回る。
その中に神官たちを肉壁にしてるデリング枢機卿もいた。
どうやら『指揮官』ではなく『治療師』にロールを変えて、隊列を変更したようだ。
さっきよりも怖がられているのを見ると、『肉体の神秘』がいかに脅威かがよく分かる。
……私の演技が下手だった可能性もあるけど。
「ま、いいや」
はぁ、と溜息。
努めて軽く、適当に。
人間など眼中に無いという態度を貫く。
最後に一瞥だけくれて、神官たちに『恐怖』を刻んだことを確認する。
……襲ってこない。
暴言の一つもない。
ただただ『見逃して欲しい』という意思ばかりが伝わってくる。
ごめんね。
ありがとう。
そのまま部屋の隅で震えながら、神に助けを乞うていて。
あなたたちのその願いと信仰が、神殺しを実現するのだから。
「……さて」
祈祷室の奥を見る。
長椅子が何列にも並ぶ、広い部屋だ。
奥には、円形の花壇があった。
屋内に花壇。それも、咲いているのは全てフォスの花。
そして花畑の中に立つのが、フォストレアの大神像。
天井のステンドグラスを通った七色の陽光が、汚れなき純白の女神を鮮やかに彩っていた。
なんでだろう。
美しいはずなのに、白を穢す七色が、毒々しくも禍々しくも見える。
「夢で逢った時より華奢だけど、これで我慢してね。フォストレアさん」
大神像に触れて、『神降ろしの魔法』を発動する。
練習したけど、そこまで強い強制力を持たなかった。でもそれで良い。
呼ぶ力さえあれば、抵抗はされないはずだ。
それに舞台は整っている。
各地の神像は破壊され、神の居場所はここにしかない。
そして神官の抱いた恐怖が救いを、神を求めてしまう。
そのためにも神官相手に魔女を演じたんだ。
本当は、『神降ろし』は私と愛用品以外に掛けられない。
だからこそこれ以上なく整えられた舞台が仕事をする。
『ここに神が降りなければおかしい』というほどの大舞台に、高まりきった信徒たちの期待に、私の『神降ろしの魔法』が強化される。
「さあ、おいで。――殺してあげるッ!」
大神像が、光を纏った。
女神の伏せていた目が開く。
祈りのために組んだ手を解き、地に付けていた膝を伸ばして、立ち上がった。
予想はしてたけど、やっぱり動くかぁ。
これだから『概念』は侮れない。
「うおぉおおおお!
神だッ! 神が降臨なされたぞぉ!」
後ろで盛り上がる神官たち。
その神を好き勝手に利用してきた人たちが、何を今更縋ってるんだ。とも思う。
一人だけ、デリング枢機卿は信じられないという顔をしていたけれど。
「ッ!」
大神像の掌が、私の身体を打ち払った。
ただの神像なら効くはずがない。のに、私は吹っ飛ばされていた。
一撃で『クロエ』という概念が揺るがされ、それが内臓破壊と複雑骨折として肉体に現れる。
「ッ――危なかった」
『復元魔法』を極めつつある私は、即死以外無効。
でも、神を降ろし、半概念融合体となった大神像は、『クロエ』や『復元魔法』といった『概念そのもの』を破壊する。
もし、さっきの平手が私の頭を直撃していれば、即死していただろう。
どれだけ備えても、鍛えても、人間離れしていようとも。
結局私は『人間』なのだ。
神官たち相手に無双できたところで神相手にはこの様だ。
しかも戦いの神でもなければちゃんとした顕現でもないのに、だ。
神域は遠く、理想はその更に遥か彼方。
「思えば、理想の高さも似てますね、私たち」
私は大神像に向かって、微笑んだ。
概念ダメージは復元できない。
復元魔法自体が概念ごと破壊されてしまうから。
でもダメージを受けた部分を切り捨てて復元することは出来る。
簡単だ。
首から下をわざと『復元』失敗で切り離し、全く新しい肉体を『復元』で作り出せばいい。
私は私を瞬時に復元し、壁に両足を叩きつけて、吹っ飛ばされて開いた分の距離を詰めた。
「『黒檀の突撃槍』!」
槍状に押し固めた黒檀の根で神像を貫き、間髪入れずに肉体の神秘を宿した拳で打ち砕く。
耳が馬鹿になるほどの轟音が大聖堂に響き渡った。
撒き散らされた大神像の破片が更に大聖堂全体へ破壊の波紋を広げていく。
それでも、大神像は倒れない。
穿たれた穴も、砕かれた溝も、歩くたびに入る亀裂も、全てが癒え、塞がっていく。
「向こうも即死以外無効ですか」
呟きは大神像の平手が掻き消した。
今度は『肉体の神秘』で『概念防御』した。
のに、受けた左腕が肩ごと潰れて吹き飛んだ。
それを復元失敗で切り捨てて、復元する。
慣れ親しんだ激痛も、夢の中でのように癒してはもらえない。
泣いても、もらえない。
――ああ、嫌だ。
癒しの権能が、大神像を癒す。
だけど動くたびに、殴られ貫かれるたびに、悲鳴のような音を立てて崩れる。
崩れては、癒される。
癒して、癒して、癒して、癒して。
その果てが、こんなだなんて、嫌なんだ。
もういい。
もう十分だ。
大神像が動き出した時に復活した神官たちの士気が、激闘を目の当たりにして再び消沈し始めている。
神であっても敵わないと、神の勝利を疑い始めている。
だからもう、終わりにしよう。
「神様――」
「――ああ、微調整は任せろ」
髪と瞳が漆黒に染まる。
同時に、外套の袖口から黒檀の種がばら撒かれた。
神を殺せる魔法。
考えてきたよ、フォストレアさん。
あなたとの約束を果たすために。
「『黒茨』」
種が弾けた。
黒い蔓が、根が、大神像に一瞬で絡まりつき、無数の棘が食らい付く。
それだけじゃない。『神降ろし』と『復元魔法』で物理的にも概念的にも強化された茨は、例え神を宿す大神像でも簡単には振り解けない。
フォストレアさんは癒すことはできても、自壊はできない。ならこの戒めは解けない。
それでもいずれ『概念攻撃』で捻じ伏せられてしまうかも知れない。
だからその前に。
「『神殺し』の、『黒杭』――ッ!!」
大神像を、下から上へ『黒檀の幹』が貫く。
地割れのような轟音と地響き。大神像の全身に亀裂が走り回る。
種数十個分の黒檀の木々が捻じれ、絡まり合って、巨大な黒い柱と化し、大神像を串刺しにした。
もろともにぶち抜かれた天井から、淡い七色のガラス片が降り注ぐ。
幻想的とも呼べる光の中で、大神像は真っ黒な茨に囚われ、杭に串刺しにされていた。
その衝撃が、女神の首を圧し折り、地に落とす。
女神の頭は割れ砕け、私の前で額を地に押し付ける。
残った身体も茨と杭に蝕まれ、ガラガラと崩れていく。
そして、大神像は、動かなくなった。
「――……嘘だ」
神官が言う。
その手が震えていた。
「し、死んだのか? フォストレアが?」
「う、うそだろ? だって、神だぞ?」
困惑が広がる。
私はその間に、神像の足元に咲いていたフォスの花に近寄った。
こんな屋内で咲いているということは、わざわざ神秘で咲かせていたのだろう。
大部分は戦闘の余波で散ってしまっていたが、無事なものの中で、花弁を閉じて項垂れていたものを一輪摘み取る。
「魔女……」
神官が私を見る。
よく見れば血塗れのデリング枢機卿だった。
私も背筋を伸ばし、デリング枢機卿を見る。
「い、癒しの神秘が、使えないのだ……」
枢機卿はお腹を押さえていた。
大神像の破片でも浴びたのか、全身ボロボロだ。
それを癒さないのは、癒せないからだという。
「殺したのか? 癒しの女神を? なんで? どうして!」
「俺たちはどうなるんだよ! 俺は! この傷は!?」
「痛いよぉ……! なんでだよぉ……!」
呻き、苦しむ神官たち。
もう彼らに手を差し伸べる者は居ない。
なぜなら、
「神は、私が殺した」
だからもういない。
都合よく使われ、物言わず従うだけの神は、死んだ。
デリング枢機卿は絶望に顔を歪め、神官たちはへたり込み、受け入れられない現実から目を逸らす。
「『黒檀の魔女』」
誰かがそう言ったのを聞いて、私は祈祷室を後にした。
大聖堂は荒れ果てていた。
さすがにこれだけの大暴れ、外にも音が聞こえていたらしく、様子を見に来た信徒たちでごった返していた。
それらを無視して歩き去る。
荒れ果て、消し切れなかった血痕が残る大聖堂。
崩落の轟音が響いた祈祷室。
そこから出てきた、明らかに異質な存在である私を、呼び止められる者は居ない。
「クロエさん!?」
――という考えが外れた。
でも呼び止めた人物を見て、納得する。
やっぱり来ていた。ゼノロスさん。
「こ、これはいったい……!? 怪我は? ご無事ですか?」
「ええ、はい。まあ」
はは、と笑ってしまう。
本当は魔女ロールを完遂したかったんだけど、ダメだった。
ゼノロスさんは相変わらずだ。
立ち入り禁止の大聖堂に私が居ても、疑念より先に心配が口を突いて出る。
緊張がほぐれた気がする。なんだか涙が出そうになった。
復元魔法で精神を安定させるの、まだまだ完璧じゃなさそうだな、私。
それとももうだいぶ限界だったんだろうか。
それはいいや。練習頑張ろう。
今は、ゼノロスさん。
「はい、これ」
私は、心配と混乱でおろおろしているゼノロスさんに花を差し出す。
神像の足元で摘んだ花だ。
「これは……」
フォスの花。
神秘を受け、神の名を頂き、聖印に描かれた『フォストレアの象徴』。
それをゼノロスさんへ受け渡す瞬間に、『神降ろし』を発動した。
「ッ!? フォスの花が――!」
淡く光り、花が咲く。
質素でささやかで、清廉な花が。
それはまだ、フォストレアさんが生きている証。
良かった。
まだ、居てくれた。
「クロエさん、これはいったい――」
「その女を捕まえろぉ!」
廊下の奥でボロボロのデリング枢機卿が叫んだ。
祈祷室から出てきたのか。私を捕まえるために。
下手に追い縋ったって返り討ちに遭うだけだとわかっているだろうに。
それでも、たった一人で、部下も連れずに私を睨む。
恐怖と絶望と、揺るがぬ意思を宿した瞳で。
「その女が神を殺したぁ! 私の『神秘』を奪ったんだぁ!
どうしてくれるんだこの怪我を! 私の命を! 人生をぉぉ!!」
わめく枢機卿に、周囲の信者たちがどよめく。
私が奪った。
それは事実だ。
彼が命と人生を捧げた『最大多数を救済するシステム』を破壊した。
もう取り返しが付かない形にまで。
もしもデリング枢機卿の心根が善良であったなら。
覚悟と使命を帯びて、腐敗と罪を背負った人だったなら。
私は、それを横から全て台無しにした最低最悪のテロリストだ。
でも、これで良い。
どうか私を恨んで欲しい。
私が払う犠牲は、魔女の汚名。
背負うよ。名乗ったって良い。
本当に救いたいものが救えるなら、どうなったって構わない。
「その『魔女』を――」
「魔女などどうでもいい!!」
「ッ」
ゼノロスさんが叫んだ。
デリング枢機卿も怯み、怒号が止む。
信徒たちまで動きを止める中、ゼノロスさんだけ動き出した。
枢機卿に向かって。
「デリング枢機卿猊下、魔女なぞよりあなたのお怪我です! すぐに癒しと治療の準備を!」
「い、いや、神秘はもう……」
「神秘ならばここに在ります」
ゼノロスさんが花を手に、祈る。淡い光が一瞬強く瞬いた。
それだけで、デリング枢機卿の怪我が殆ど無くなっていた。
「これは、まさしく……!
何故だ? 私にはもう使えないのに!?」
「それはあなたの神が死んだからでしょう」
「――ッ!」
ゼノロスさんが、フォスの花を示す。
花開くそれは、微かな神性を宿している。
「私の神はまだ心の中に在り、あなたを癒せと叫んでいる」
その言葉は、確信に満ちていた。
手渡し時に感じた『デリングを救いたい』という意思を、ゼノロスさんもハッキリと聞いたのだろう。
そして彼は、その言葉通りに『癒しの神秘』を施した。
彼にとっては腐敗の象徴でもあったはずの、デリング枢機卿を。
「あ、……あぁ、ああぁあぁぁ……」
デリング枢機卿が崩れ落ちる。
その姿からは、神の生存を確認した安堵も、神秘を取り戻した喜びもない。
ただ、今まで彼が信じてきた『信仰』と『絶望』が、同時に崩れた音がした。
私はそのやり取りの隙に聖堂を後にする。
今度こそ、そんな私を誰も呼び止めたりはしなかった。
……魔女に成り損ねたかなぁ。
でも、
「私の神秘は今しがた宿ったもの、完治とまではいきません。
早く来訪中の医者と薬師に連絡を! 急いで!」
ゼノロスさんはもう、私のことなど眼中にない。
これで良い。
こっちの方が、きっと良い。
外はまだ明るい。
神は殺したけど、世界はまだ、こんなに明るいんだなぁ。
「さあ、仕上げだ」
と、感慨に耽っていた私の口が、何事かを呟いた。
えっ?
あれ。そう言えば私、神降ろし解除してな
「『黒の世界樹』」
頬が引きつり、笑顔を作った。
瞬間、
皇城が爆散し、山のように巨大な『黒檀の巨大樹』が出現した。




