10. 魂に刻む
「隣界人曰く、『果報は寝て待て』、かぁ」
とはいえ私は寝てられない女。
神殺しを決意してから三日、私はひたすら『神降ろしの魔法』の鍛錬を続けていた。
神は概念。
神降ろしは一時的な概念融合状態。
右手に神を降ろせば、その手で神を殴ることだってできる。
つまり師匠は神様を宿した拳で神様を殴っていたということ。
殴るのも殴られるのも神様。惨い。
しかしこれだけでは概念を殺すには至らない。
神様が『真実の神』を殺した時、あの時はどうしてたんだっけ。
当時の私は十一歳。天涯孤独の薬草売り。
あの時、神様と師匠が、何を思い何をしていたのか、実のところよくわかっていない。
神様が神様に成ったのは『真実の神』を殺すためじゃない。
しかも神様は『知恵の神』だ。神に成っても神殺しの力を得られるわけじゃない。
じゃあ、どうやって?
神を殺す。
神に、致命的な影響を与える。
それは、やっぱり、『信仰』なのだろうか。
「神殺しは信仰殺し。『神は死んだ』ってやつだ」
私は言う。
いや、私の口が勝手に言う。
今のはたぶん『神降ろし』で私に入ってる神様が喋ったのだろう。
「ってやつ、と言われても、そんな言葉知らないです」
「ん、そうか。在界にも似た逸話か創作くらい有りそうだけどな」
私が喋ると、私が返事をする。変な感じ。
「しばらく『神降ろしの魔法』を練習してみましたけど、どうですか? 強くなってます?」
「おー、なってるぞ? そこそこ拒否してても引っ張り込まれる」
そこそこレベル。
でも十分だ。
足りない部分は状況が味方してくれる。
「それより見てみろよクロエちゃん。ほら、髪と眼、真っ黒」
「ほんとだぁーーー!! え、すごい! 綺麗!」
取りだした手鏡に映る自分の姿に大興奮してしまった。
どういう理屈かは分からないけど、私の髪と眼が神様と同じ漆黒に染まっていた。
隣界はヒノモト人の特色。太陽の光をたくさん浴びられる、黒い眼と髪を持つ人たち。
実はちょっと憧れてたんだー。
「俺はクロエちゃんの赤茶の髪と水色の眼も好きだぞ? クロエちゃんの元気さと純粋さがよく表れてる」
「私の声で言わないでくださいっ! 自画自賛みたいでぞわぞわします!」
「いや鏡見て『すごい! 綺麗!』って叫んでんのもかなりナルシあーあー! 聞こえません! 知りませんッ!」
神様から口の操作権を横取りしつつ叫ぶ。
こんなことして遊んでる暇はない。
機は熟した!
ここ数日、国のあちこちで『フォストレア神像』が破壊される事件があった。
発生順はバラバラ。ほぼ同時に国の正反対で神像が倒壊する事例まである。
犯人は不明。
その意図も不明。
分かるはずがない。
師匠の『呪い』は、まだ私だって回避できないんだから。
師匠のもしもの備えが始まっていた。
国中の神像の破壊。
マッハ移動と呪いを併せ持つ師匠にしか出来ない荒業だ。
神像は「神はここに居て、ここから見守っている」というシンボル。
それが破壊されるということは神の居場所が失われるということ。
それだけで神を殺すことにはならない。神像なんて後でいくらでも作れるし。
でもこれは必要な事。
神殺しの舞台作りだ。
フォストレアさんの居場所を限定し、追い込むための。
「師匠……」
師匠の考え通り、フォストレアさんは「不健康な子供」だった。
それが分かってから、師匠の『備え』は凄まじい。
まるで、怒りを叩き付けるように、国中の神像をぶち壊していった。
ほら。やっぱり師匠も優しい。
本当は救いたいんだ。『未来』じゃなくて、『今』直ぐに。
でも師匠には呪いがある。
どれだけ追い詰められ、苦しんでいる人も、師匠に助けは求めない。
師匠に痛みを打ち明けない。
師匠の差し伸べた手を、差し伸べられているとさえ気づけない。
誰よりも救いたがりな師匠が、永遠に背負わなければならない『業』。
そんな師匠に代わって、とは言えないけど。
師匠の分も上乗せで、頑張ろう。
対人関係と対神関係は私に一任されてますしね!
「今日、これから始めます。――『神殺し』を!」
そう告げると、神様は何も言わず、私の身体から出ていった。
髪が元の色に戻ったのを目の端で捉え、私は決戦の地である大聖堂へと歩き出した。
大通りに出ると、柔らかな陽光と活気が私を迎えた。
石畳の道を、着飾った人々が楽しげに行き交う。
露店からは焼きたてのパンの香ばしい匂いが漂い、噴水広場ではしゃぐ子供たちの甲高い笑い声が、街角の楽団が奏でる陽気な音楽と混じり合っていた。
花屋の店先には、色とりどりの花が並んでいる。
その中には、国中でよく見かける小さな白い花もあった。
皇都は、相変わらず平和だった。
デリング枢機卿のような人間が支配する、歪んだ体制の上にある平和。
それでも、ここで生きる人々の笑顔は本物だ。
幸せそうな家族の姿も、仲睦まじい恋人たちの囁きも、偽物なんかじゃない。
――これを、私はこれから壊すんだ。
胸が、ぐさりと痛んだ。
私が神を殺せば、この平和は間違いなく揺らぐ。
混乱が起き、悲しむ人も、路頭に迷う人も出るだろう。
その光景を想像するだけで、足がすくみそうになる。
でも、だからこそ、私はこの光景を目に焼き付ける。
パンの匂いも、子供たちの笑い声も、恋人たちの幸せそうな顔も、この街の温かい空気も、全部。
これから私が負う傷と痛みを、フォストレアさんの涙を、忘れないために。
歪んだ平和の先にある、本当の健やかな未来のために。
この『覚悟』を『復元』し続ける限り、私は止まらない。
国中で神像が破壊されている事件は皇都にも届いている。
それは今日も、この皇都でも起こるだろう。
しかし人々はどこか他人事のようで、危機感も現実味も無いようだった。
今はまだ、この平和を信じていられる。
……いや、そんな平和を信じられない、私の方が歪んでいるのかも。
「クロエさん!」
「わあビックリした!」
自分の世界に入りかけていたところに声を掛けられて飛び上がる。
振り返れば、随分と顔色が良くなったゼノロスさんが居た。
「すみません、驚かせてしまいましたね」
「いえ、ぼーっとしてた私が悪いんです。それより、どこか楽しそうですね?」
「ああ、楽しいん、ですかね。でも充実はしています」
ゼノロスさんは笑う。
そして、数日前に別れてからのことを少し語って聞かせてくれた。
ちょっとだけフォストレアさんから聞いていたけれど、やっぱりゼノロスさんは宗派分けを目指しているらしい。
この数日の神像破壊事件もあって大聖堂は混乱中。宗派分けの話が出来る状態ではない。
なので今は宗派分けの説得材料として同志を募っているのだとか。
「考えたんです。今のフォストレア教は、それはそれで必要なんだと。
でもこのままではフォストレア様の意思が失われてしまう。
万人を癒したい、その意思を継ぐために、私は宗派を分けようと思います」
「神秘は宿らないと思いますよ?」
「良いんです。私は神フォストレアではなく、一人の人間であったフォストレア様に感化され、信仰したいと願ったのですから」
ならば、私も人として歩もうと思います。と、ゼノロスさんは言う。
「……薬師になってみますか? ただの人間でも人を癒せますよ?」
「それも良いですね。前向きに検討します」
爽やかに笑う。
曇りは晴れたようだった。
「知ってますか? クロエさん。国のあちこちに咲くこの白い花を」
言いながら、ゼノロスさんは花壇の小さな花を一輪摘まみ上げた。
広場や店頭でも見た花だ。
薬効は無いので詳しく覚えていないのだけれど、たしかすごく貧弱な花だったはず。
「これはメルテリオレ。細雪草。日が強くても弱くても咲かない繊細な花。この国では、フォスの花とも呼ばれます」
由来は御存じですか? と問うゼノロスさんに首を振る。
にこ、と笑って話を続けるゼノロスさんは初めて会ったとき以上に宣教師をしていた。
「咲かないか弱い花。この花を、フォストレア様の『癒しの権能』は咲かせることが出来たのです。
以来、この国ではフォストレア様の花、フォスの花として定着し、あちこちに植えられています。
……まあ、品種改良のおかげで、昔ほどか弱くはありませんが」
それもまた良し、とゼノロスさんが一人頷く。
実は聖印の意匠もフォスの花デザインなんですよ、と見せてくれた。
「癒しは命を繋ぎ、未来を残す。フォスの花は生き残り、強くなり、今や自立しました。人もそうあるべきなのです」
フォストレアさんにもたれかかっていた人々。
「健康に努めよ」と、自立を促したフォストレアさん。
今一度そこまで立ち返り、ゼノロスさんは、今こそ過ちを正そうとしている。
「それで宗派分けですか?」
「はい! 認められなければ、それでも良いのです。異端者扱いでも構いません。
もはや宗教である必要もない。これは、ただ、フォストレア様の意思と考えを教え伝え広めるだけの宗派ですから」
胸を張るゼノロスさんは、輝いて見えた。
「それを宗教と呼ぶんですよ」
なんとなく、隣界の宗教事情が分かった気がした。
『神秘』も無いのに何を信じるのか、と思っていた。
その答えはきっと、『教え』なんだ。
教えが人を救い、導く。人が人として、幸せになるための道筋を。
信仰はどこにでもある。
私が神様を信じるのは勿論、師匠を信じる気持ちだって信仰だ。
そしてその二人を否定し、私が私自身を信じるのも、信仰。
――なんだ。
ゼノロスさんは、可哀そうな人じゃなくなったみたいだ。
とっても健康そうでなにより。
「花のこと、教えてくれてありがとうございます。ゼノロスさん」
「いえ。こちらこそ、話を聞いてくれてありがとうございます。クロエさん」
私たちは笑い合う。
向き合って、握手まで交わして。
そして私たちは別れた。
手を振るゼノロスさんに背を向けて、私は向かう。
フォストレア教皇国、ル・メイエン大聖堂。
最も巨大なフォストレア大神像がある、決戦の地へ。
でも、ごめんなさい、ゼノロスさん。
私はあなたの神を、殺します。




