第一話 仁獣にはできないこと
爆炎が村を焼き尽くしていた。夜の闇を裂くのは、悲鳴、叫び、呻き、泣き声。肉が裂け、骨が軋む、死の音。その響きは、まるで狂気の交響楽。その絶望の調べの中で、夜空の高みに、ひとつの黒い影が怯えたように震えていた。
聖王を選ぶとされる“麒麟”。
この村の住人、黒麒麟の黎麟。
漆黒の毛をまとい、煌めく小さな角をいただく聖獣が、まるで捨てられた子馬のように空にしがみついている。
「どうして……ほんの少し、星を見に行ってただけなのに……」
その言葉は、まるで喉奥から絞り出されたようだった。
星に惹かれて飛翔した彼の鬣が雲を裂き、風を切り、夜空を舞い踊っていたその頃――地上では地獄の門が開いていた。
家は焔に呑まれ、子供の骸が炭と化し、老婆の手が無残に突き出た柱の下から、ひくひくと震える。
音が、色が、臭いが。異常を訴えていた。空気は焼けた血の匂いで満ち、空にまで死臭が立ち上っている。
その中心に立つのは、紅蓮の化け狐。
九つの尾が狂ったように踊り、全身から焔を吹き出しながら、楽しそうに笑う。
そしてその爪先で、村人たちがジリ……ジュウ……と音を立てて焼かれ続けていた。皮が溶け、脂が弾け、骨の中まで火が通る――。
「……っ!……ッ!」
黎麟の喉は張りつき、声が凍った。
目は見開かれ、震える脚を抑えられない。闇に身をひそめ、ただただ恐怖に沈黙する。
彼は、見た。
村人が呻きながら焼かれ死ぬその全てを。――そして死を目の当たりにする恐れから、家族を探すこともままならず、空に逃げた。
火炎の向こう、黒々と翻る『龍旗』。
それは、現王の軍が掲げる紋。つまり――これは王の命令。
(……なんでだ……どうして、麒麟が生まれる聖地を襲った?なぜ、俺が“麒麟の力”に目覚めた頃に!?)
視界の端に、もう一つの旗がチラついた。――この村とも付き合いがある、隣村の村長の私兵の旗。
「……あいつが……連れてきたのか……」
黎麟の胸の奥が、ドロリと黒く染まる。
(殺す。焼く。焼き殺す。潰す。引き裂く。肉片にして、火にくべる。皆殺しだ。皆、地獄で焼かれてしまえ――!!)
その想いは、神聖なる麒麟の枠を逸脱していた。
まるで復讐の獣。彼の心に渦巻くのは、黒い灼熱の、怒りそのもの。
脳裏に甦るのは、村に居たはずの妹・黎珠の声。
「黎麟兄ちゃん、わたしも星を見に行きたい」
黎麟の裾を掴んで離さなかった、小さな手。「危ないから」と、振り解いた自分――それが、最期だった。
心が、鉛のように沈み、怒りと後悔で脳が焼けたその時――空が裂けた。天が、雷鳴とともに大地を揺るがした。
バリィイイイイイン!!!
その稲妻が直撃したのは黎麟の小さな角。その衝撃に記憶が刺さる――前世の記憶。
黎麟はかつて、異世界の特殊急襲部隊の一員だった。
任務に生き、戦術を知り、生を奪い、死を跨いだ。感情ではなく、命令に従う“兵器”だった。
(……天啓だ。神の啓示だ。仁獣ではできないことを、前世の記憶を思い出した今なら――できる)
(子供じゃ、できなかったことを、俺はもう知っている)
雲のない空から、冷たい雨が降り始め、焼ける死臭と血の匂いに混じる。
涙と雨の区別がつかない顔で、黎麟は、笑った。――それは、復讐者の微笑み。
「復讐してやる。仁獣にはできない、残虐な方法で」
視線の先、まだ業火に揺れる“私兵の旗”。――まずはそこから、始める。
ご覧いただきありがとうございます!
もしこの物語を少しでも気に入っていただけたら、ブックマークや評価をしていただけると、とても励みになります。