捌品目 卑弥呼
今から五年以上前の夕暮れ時。
小学生時代の陸徒は、学校から帰ってしばらく友達と遊んだあと、村を見下ろす高台の公園にやってきていた。
あの夢に見た女性と会える時間帯は、彼女が不審者情報に登録されて以来監視が厳しくなったとかで、微妙にずれたのだ。
そこで訊いた。
「お姉さん、なにしてるの?」
「やあ少年」
彼女はいつものローブ姿で、ジャングルジムの上に座って天を仰いでいたのである。そして回答した。
「星を眺めていたんだ」
「どんな星?」
少年は隣の滑り台に登って、女性の視線を追いながら問う。夕焼けと夜の狭間の天には、確かにもうまばらに星が出ていた。
「肉眼じゃ見えやしないがね、ヒミコっていう巨大な天体さ」
女はそう明かした。
「地球の歴史からすればついこないだ、二〇〇九年に発見された。およそ一三〇億光年の彼方にある。宇宙の始まりは一四〇億年前くらいとされるから、宇宙最速の光がようやく到達した程度ってことだね。ヒミコからなにかが最大の速度で接近してきたとしても、同じくらいの時期に地球に着いたことになる」
「……へー」難しい内容だ。陸徒少年はそんな印象で応じた。「よくわかんないけど、昔話だけじゃなくて新しいことにも詳しいんだね。おれなんかぜんぜん知らなかったよ」
「ふふ。学んだというより教えられたからね」
謎めいた笑みで、女性はジャングルジムを飛び降りた。首を傾げる少年を尻目に、ベンチの上に束にして置いてあった数本の野草をつかむ。
「さて、それよりもう飯だ。こないだの件で最近は警察が見回りを増やしてるようだし、あまりここには出ていられない」
「ごはんって、それ草じゃないの?」
女性の発言に対して、滑り台を滑って降りた少年は言う。
「あたいは草食動物でもヴィーガンでもない。生きるためにあるもの食わなきゃいけない、選り好みなんてできない身分だが」
呆れたように、女は植物の束を掲げた。
「これは野草だよ、食えるんだ。山菜の方が好きだけどね。ガキの頃はよく、家族でそういうのを採ったもんさ。ま、あんたは若いから仕方ないか」
そこでこのときも、彼女は少し恐ろしげな表情で述べたのだ。
「問題は、こうやってありのままの自然で生きることもできやしないくせに、自分たちが勝手に作った環境で生きれない人間は価値がないかのように扱う連中だよ」
「ふ、ふーん」
また女性に恐怖を垣間見て、少年はごまかしたくなって話題をそらした。
「――あ、このタンポポ。おいしそうだよ!」
声を発し、公園を囲う草むらに入って目についたのを採る。
「たぶん」摘んだ花を披露して、得意げに宣言した。「お姉さんが採ったのよりおいしいんじゃないかな」
――途端だった。
女は花を視認するや、むしろいっそう顔つきを険しくして尋ねたのである。
「……少年、どうしてそう思ったんだい」
「え?」予想とは逆の効果に、少年は正直に告げた。「な、なんとなく。おいしそうだからだけど」
「……いいかい」
歩み寄った女性は少年の両肩に手を置き、真剣に言い聞かせた。
「もし食い物に困ったら、もっと注意深く観察して食べられそうな草と手段を探りな。そうすれば、あんたは磨かれるよ」
「は、はあ」
どうにか少年が頷くと、ようやく彼女は穏やかな面差しを取り戻した。
「じゃあそろそろ帰りな」女性は、公園の後ろの藪に向かいだした。「わらわにはあんたに奢る余裕はないからね、あはははっ」
彼女はいつもその付近で消えてしまった。どうやってどこで暮らしていたかは、ついに不明なままだった。
でもいつもの様相になった恩人へと、少年は安心して意見する。
「えー、おれも料理した草食ってみたかったなぁ」
「味はいずれ自分で確かめるんだね、ははははっ」
高笑いしながら、彼女は山林の深みに去ったのだった。
「だいだらぼっち~、だらぼっち~」と、いつまでも歌唱しながら。