拾捌品目 土蜘蛛
明くる日。
陸徒は山爺と香奈美と共に、翌日に控えたバトルのために昨日と似た服装で山菜採りの訓練をしていた。
場所は飯盛山。
かつて旧政府に抗った会津藩の少年たちによる部隊、白虎隊が敗北を悟って自刃したところだ。そう捉えると縁起がよくないのかもしれないが、後世まで伝承されてきた生命力と山界政府への抵抗という形で肖る意味もある、とは山爺の弁だった。
白虎隊の墓へと延びる階段と坂道。かつては土産物屋などが並んでいたが、もはやそうした価値が失われ廃墟となったそれらの周辺は、山菜の宝庫へと変貌していた。
「……だめじゃな」
「ええっ、そんな!?」
小一時間吟味して採った山菜を山爺に駄目だしされて、少年は悲鳴を上げた。
「この程度では究極ウドには敵わん」
「けど、自信あるんですよ! おれには素質があるんじゃなかったんですか!」
味わいもせずに観察しただけで判断した達人に、陸徒は反発する。
「ハイエナのウドと直接比較はできないんですか? あいつが、おれの山菜と比べたみたいに」
「無理よ」
横から口添えしたのは香奈美だった。
「ならぬことにされてるの。山主は、何でもできるボッ娘を通して山魔王が許す範囲での決まりごと――前時代の条例みたいなのを支配地域に定められる。ハイエナの情報にアクセスするには本人の許可が必要ってことになってるわ」
「そんな! けどこれじゃ、納得できないだろ」
不満を述べる陸徒の心気に、影が差した。
彼の一番弟子である香奈美に自分は勝ったのだ。なのに、自信作を批判されるとはどういうことなのか。みなからは尊敬されているようだったが山主でもない、この二人にいったいなにが見抜けるというのだろう、と。
「失礼ですけど」そこを、つい言葉にしてしまう。「山左衛門さんは、どれくらい味の比較ができてるんですか」
「あんた、何様よ!」
香奈美がキレた。
「とんだおんつぁね、あたしに勝ったからって調子に乗って――」
「やめよ」
詰め寄ろうとした弟子を、師匠自らが腕で制した。それから提案する。
「会って間もないのじゃ、疑うのも無理はない。わしも実力を披露しよう」
「え?」
反射的に、陸徒は老人の脚を注視してしまった。
「といってもこのざまじゃ」本人も言及する。「まともにぶつかれはせん。ここでは、わしの心眼を披露しようかの」
「心眼、ですか?」
頷いた山爺は、一帯に広がる山林を腕で扇ぐように示す。
「そこらにある山菜から、適当に一つを採ってみよ。味も見てくれも考慮しなくてよい」
いきなり指示された陸徒は、戸惑いつつもどうにか動きだした。
「え、……と。じゃあ」
二人の先輩に見守られながらもいくらか吟味し、ごくごく普通のコゴミを一本採取する。特に、うまそうというわけでもない。
「これで」
「どれ」
提示されたコゴミを、山爺は丹念に観察した。 触れ、眺め、嗅ぐ。約一分ほど経過した頃。
「なるほどな。では、少し時間をくれ」
告げて、彼はコゴミを弟子に渡した。そうして車椅子を漕ぎ、足場の悪い草むらの手前に至る。
途端、異変が発生した。
ボゴッ! ボゴッ! っと、山爺の腕の筋肉が二倍以上に膨らんだのである。
あまりの光景に目を見開き、口も開ける陸徒。そんな反応をよそに、老人は呟いた。
「採取スキル。〝土蜘蛛腕脚〟!!」
次の瞬間。彼は草むらに飛び込んだ。そう、文字通り跳び込んだのである。車椅子で!
ギュオオオオオオ!
それどころかドリフトやウィリーは当たり前、たくましい腕を用いて前転やバック転さえやってのける。手を地表についたときは、指が土に埋没してさえいる。
でいながら――。
「山菜が傷ついてない、だとォ!?」
発見したのは陸徒だ。
植物は傷めず、さらりと撫でるように倒しながら、山爺はアクロバットな動きで目標を吟味しているのだ。
「ええ」腕を組んで師を観賞しつつ、香奈美は囁く。「あれが車椅子であろうともうまく体重を分散し山の幸を傷めないよう、かつ素早く目標を探索する彼の業、土蜘蛛腕脚」
「ま、まるでミステリーサークルだ!」
陸徒は述べた。まさに、穏やかに草花を倒した山爺の走行跡がそんな様相を呈していたためだった。
「いかにも」弟子の少女は付言する。「地孫光臨以前。イギリスを中心に畑に現れたミステリーサークルは大部分がいたずらだったけど、日本のものの大半は山爺が山菜採りをした跡だとさえされるわ」
しばらく、驚異の演舞を少年と少女は傍観した。けれどもふと、ひきこもりながら手近の本は読破した過去のある陸徒は、浮かんだ疑問を口にする。
「……日本に、そこまでミステリーサークルってあったっけ?」
香奈美は答えず、ただ師匠に眼差しを注いでいた。彼女の頬を、一筋の汗が流れた。断じて冷や汗であった。
――以後、五分ほど経過しただろうか。
「……待たせたのう。では、始めようか」
一本だけ別のコゴミを採取してきた老人は、筋肉を収めて静かに提言した。それから唱える。
「〝われはやゑぬ。亀姫比売命、いますけにこね〟」
デイダラボッ娘を招く呪文だ。
これを詠唱すると、手が空いていて山の幸に係わる用事のときに限り、呼ばれたボッ娘が支配地域内ならば来てくれる。山界政府から広く市民に開示されている、少数の情報の一つである。
けれども、デイダラボッ娘たちが認知されるより以前に、陸徒はこの呪文を耳にしたことがあった。