拾漆品目 深山棘草
「く……くくく」ただひたすら、ハイエナだけが高笑いをしていた。「くふふ! はーははははっ!!」
それから彼女は背を向けて、顔さえ見せずに敗者を断罪する。
「実力差は明白ね。さっさと街を出て行くといいわ、貧乏な旅人に用はないの」
落胆する陸徒を尻目に、彼女はすぐさま歩きだした。部下たちも、あとに従おうとする。
「……待ち、なさいよ!」
背中に反抗したのは一人の少女、香奈美だった。
ハイエナの後ろ姿が、静かに停止する。
「に、逃げるの? まだ報酬ありの山菜ゲームをしてないじゃないの」
「なにをほざいてるのかねえ」ハイエナは振り返らない。「結果がどうなるか、示されたばかりだってのに」
「怖いのね」
「……なんですって?」
ぴくりと動いた昂に、少女は畳み掛ける。
「本気の山菜バトルが恐ろしいんでしょう、準菜五人衆の名が泣くわね」
「負け犬が!」
狂犬のような面構えで、ハイエナは怒った。
「……いいわ! だったら相手にしてあげようじゃないの。でも、下々の民のくせにいただけない態度だね」
もはや完全に後ろを向いた彼女だが、頬には悪魔の如き笑みが貼りついていた。じわりと、香奈美の元へと歩み寄る。
「頼むんなら年貢の前払いでもしてもらいましょうか、なにかよこしなさいよ。めぼしいものがないんなら、ちょうどましな服が欲しかったんだ」
ハイエナの眼差しが客席に突き刺さる。そこにいた理子が、恥じるように身をすくめた。
不思議そうな顔をする香奈美に構わず、昂は視線を戻す。
「あんたが着てるの、よさそうだねえ」
つま先から頭まで、じっとりと目前の少女を観察する。
「ここで脱いでもらおうか?」
たちまち赤面する香奈美に、昂は残酷に要求した。
「いらないけどせっかくだ、下着含めてもらっといてやるからさ。部下へはちょっとした給料代わりの見世物にもなる」
山界政府軍の男たちが歓喜する。客席からは息を呑む音がした。
陸徒は憤慨し、ハイエナにつかみ掛かろうと一歩踏みだす。それを、何者かに服を引かれて阻まれた。
やがて香奈美は、悔しそうに上着のボタンをはずしだした。
ブラ越しにそれなりの胸が覗く。
「これじゃだめかのう」
唐突に割って入って止めた声音は、いつのまにか女たちの間にあった。
山爺、山座衛門。陸徒を制して接近していた彼を感知できておらず、香奈美と昂が動転して仰け反った。
意に介さず、車椅子の山爺は膝の上のなにかを示す。
――布の袋である。
「今晩のおかずにするつもりでな。あ、今晩のおかずってそういう意味ではないんじゃ。それこそ、わしには香奈美の生の肢体があるんで――」
僅かに空白の時間ができたようだった。
みんな同じ位置にいたが、山爺にだけはさっきまでなかったたんこぶが頭にあり、香奈美が拳を握っていた。咳払いしてから再度、老人は言い及ぶ。
「……夕食にするつもりでな、おぬしらのバトル中にちょっと採っていたんじゃが」
彼が袋から膝の上に出したもの。それは、紛れもない山菜の束だった。
「え、いつのまに?」
驚嘆する陸徒に、観客たちも同意する。
「おお、ゲームに集中してて気付かなかったぜ」
「でも、あの量って……」
「香奈ちゃんや山嵐には及ばねーが、山爺は車椅子だぞ。なのに!」
「え、ええ。普通の山菜採りが収穫するくらいはあるわ!」
確かに、それくらいあるのだった。しかも。
袋の内部から、彼が一本を直接昂に差し出したのだ。山爺が伸ばした手に掲げられた、それは――。
(イラコを、素手で握ってやがる……!!)
信じられずに、陸徒はかつ目した。
彼が軍手越しでも痛みで採れなかったミヤマイラクサ。そいつを、山座衛門は素手でしっかりと握っているのである!
様相は穏やかそのもので、欠片も苦痛を感じさせない。
「だめかのう?」
とぼけた口調で、彼は問う。
「……ふん、少ないわね」
手招きで部下を呼びながら、昂は吐き捨てた。
「山爺にしては質も悪い。だいたい山菜なんて山主としてはうんざりなんだ、どうせなら家畜の肉とかの方がいいんだけどね。どっちも年貢で足りてるけど」
「あのアマ! あんなうまそうな山菜にいちゃもんを!!」
客席から怒声が飛び交ったが、山界政府に銃口を向けられると黙るしかなかった。
「けどいいわ」
昂は継続する。
「あなたたちの夕飯がだめになるとしたらおもしろいし、腐ってももはや珍しい山爺の山菜だもの。最低限のおいしさは保障されるでしょう」
傍らに寄った部下から、ハイエナはゴム手袋を受け取った。はめて、山爺の手と膝から山菜を強奪する。
「じゃあ陸徒。……そうね、明後日」
それから、挑戦状を叩きつけたのだった。
「山菜デュエル、しようぜ!」
「ああ、受けて立つ!」
どういうわけか少年は、もう気を取り直して起立していた。
「なら、ルールを開示するわ」
山爺から奪った袋に山菜を詰め終えた昂は、対戦相手の態度の変化を訝りながらも説明する。
「舞台は雄国山。採取パートは正午から一時間、調理パートありよ。山の幸は一品のみを使用、他の食材は調味料の類のみが許可される」
「調理パート……、あの女!」
観客が囁き合う。
「こりゃあ、全力で潰すつもりだな」
「いいわね、理解したかしら?」
問われて、陸徒ははっきりと頷く。堂々としたそれが癪に障ったのか、彼女はさらに挑発した。
「といっても。決定権はこっちにあるわけだから、やり方の変更なんてしないけどね。うふふ」
「構わない、やってやる!」
それでも揺るがない少年。
ハイエナは忌々しげに牙を噛み締め、肉食獣のような勢いで去ろうとした。
「じゃあ、さようなら」
「――ちょ、待ぁてよォ!!」
若干の間を置いて、今度は陸徒が呼び止める。
地孫光臨以前のイケメンアイドルばりだった。
不機嫌そうにまた振り返る昂。陸徒は、足元からなにかを拾って彼女に近づいた。
「忘れものだ。山爺の山菜、一本落としたぞ」
教えて、素手で握ったミヤマイラクサを一つ。差し出したのだ。
手は震え、顔は強張っている。
瞬間的に険しい表情をした昂だが、すぐに偽りとわかる笑いで応じた。
「……あぁら、ありがと」
彼女は、ゴム手袋で受け取った。
一切の逡巡をせずに、昂は踵を返す。そのまま、香奈美のストリップを見損ない残念そうな手下たちを連れてしばらく歩行した。
「亀姫」おもむろに命じる。「若松城に帰還するわ、部下たちも一緒にね。送ってちょうだい」
巨大幼女に一瞥されただけで、昂たちは消滅した。
――デイダラボッ娘による〝縮地ワープ〟だ。
帰りにそれを使うということは来るときも用いたと示していた。ここは昂たちのいる若松城のある旧会津若松市郊外ですらない、旧来なら隣の喜多方市街からも離れた山だった。あんな大人数分の車などを置いていくわけがない。
縮地ワープをするには通常、ボッ娘を目前にして直接頼まねばならないのだ。だが、陸徒と香奈美の戦いのためにそれが使用されたときから、ずっと亀姫はこちらにいた。
ボッ娘本人から離れた地点でのこれを依頼できるのは山主だけ。彼女たちはそうした特権を得られるのである。この退散は、支配力の誇示でもあった。
一度山主になったことのある陸徒には、それが痛いほどに伝わった。
ある意味で自分と似ていた。なのに彼女は、山主の地位に甘んじて民衆からの搾取に興じている。そんな横暴が許せなかった。
「おれ、負けませんよ」
だから静寂の中で。敵が消えた方向を真っ直ぐに見据えて、陸徒は痛む手を抑えながら断言した。
耳に届いた山爺と香奈美は、少年の方を向いて驚嘆した。もはや陸徒には強い決意しかないことが、外面からも滲んでいたからだった。
彼は、改めて口にした。
「あいつには、負けません」