俺が二十歳になった時に初めて存在を知った妹の話
俺には9歳下の妹がいる
しかしその妹の存在を知ったのは二十歳になった時。なぜなら俺の両親は俺が6歳の時に離婚をして、俺は父親側に引き取られ、妹は母の再婚相手との間に生れたからである。
なにやらちょっとややこしいが、妹と俺は父親が違うということである。そして俺は妹の存在を二十歳までは知らなかった。俺と引き離されたショックで母親が悲しみで塞ぎ込んでしまったことで、その悲しみを埋めるために再婚相手にお願いをして妹を授かることを決めたと。
では、なぜ二十歳になった時に妹の存在を知ることになったのか。これは、二十歳になった時に母親と再会することになった理由、とつながってくる。
当時、高校入学直後からトータル4年半、付き合った彼女との別れ話がきっかけだった。
今から二十数年前(もうそんな経つのか、、)、高校に入学して早々、とりあえずこの学校で一番可愛い女の子を探そうと決めた。そして最初の三日間で学内の全クラスの女子を見て回り、それも怪しまれずにごく自然に全学年全クラスの教室や部活動、課外授業などを見て回った。でもまあ後で聞いたが、めちゃくちゃ怪しかったらしい。入学したばかりの1年生が3年生の教室の前をうろちょろしているという違和感。なぜ当時の俺はこれが何の違和感もないと思っていたのだろう。 しかもこれは先生経由で聞いたのだから、生徒だけではなく先生の多くも知っていたということである。まあよくわからないが変なことで目立ってしまった。
そして見つけた、当時自分にとって一番可愛いと思った女子と、入学して2週間目で付き合うことになったのであるが、 とても校則の厳しい高校であったため、その後も何かと先生に目をつけられることになる。 当たり前であるが、校内でいちゃついたりなどはしないが、それでも二人で歩いている姿を見つけられると、何かしでかすんじゃないかとジロジロと見られたり、食堂で二人で昼食を食べてたりすると「別の場所で食べなさい」と言われたりもした。他の生徒にとって良くないと思われていたらしい。 若かったせいか、そうした警告を受ければ受けるほど、「俺たちはただ普通の交際をしているだけなのに、これによって悪い影響を受ける何て言っている周りの連中の方がおかしいんじゃないか」などと頑なになっていき、ついにはクラスメイトからも孤立してしまった。とはいっても全く友達がいなかったわけではなく、 今思うと男子より女子の方が友達は多かったかもしれない。女の子の方が早熟なので、こういった恋愛に関しては男子よりも寛容だったのかもしれない。むしろ先生連中の方が敏感で、なんだか十分な恋愛をしてきていないような人たちばかりのような気がしてならなかった。
結局高校生活はほとんどの時間を彼女と過ごすことになり、高校の時の思い出といえばその彼女との思い出しかない。 本当は他にも色々とあったんだろうけれども、大した記憶思い出せない。16歳からアメリカに行ってしまった身としては、断続的な遠距離恋愛をすることになったが、それでも連絡は取っていたのは彼女だけであり、そしてクラスメイトともあまり交流を持たなくなっていたせいもあるだろう。インターネットもメールもない時代、国際電話はやたらと高かったし、 日本へ一時帰国してきても滞在日数は一週間もいない。そして3ヶ月に1回ぐらいしか日本に帰ってこない。そんな状況であれば彼女と家族以外の人間に連絡を取っている余裕などなかった。
そして彼女が高校を卒業して就職をして一年が経った夏、 一週間に一回しかしない日本への国際電話をかけていた時のことである。家族への10分間の電話が終わって、次に彼女への電話をかけた。そしていつものごとく俺からこの一週間であったことを先に話し、次に彼女から近況を話す順番であったが、どうも歯切れが悪い。なかなか近況を話し出したがらない。
「バーベキューに行った」
「誰と?」
「友達と」
「友達って誰?会社の人たち?」
「まあ会社の人たちもいた」
「会社の人達以外もいたってこと?」
「うん、まあいたよ」
こんな感じでなかなか自分から詳細を話したがらない。いつもなら場所もそして一緒にいた人たちの名前もなんでも詳細に話していたのに、この時は何か変だった。そして唐突にこんなことを言われた。
「気になる人がいる」
今まで、俺以外の男はみんな気持ちが悪いとまで言っていた潔癖すぎるほどの彼女が、突然こんなことを言い出したことに対して俺は大きく動揺した。
「それは好きだということか?」
「分からない」
本能的にこれはやばいと思った。受話器を持つ手が震えていた。自分の声が震えてるのも分かった。そしてそれは当時のルームメイトから見ても異変に気づくほど、俺の動揺は見て取れたと言う。
「ちょっと待って、それはもう何か関係が始まっているということ?」
「うん..」
ガツンと瞼の上のおでこにレンガが落ちてきたかのようだった。この時初めて本当にショックなことがあると、頭を殴られたかのような強い衝撃を感じるということを体験した。
今すぐ日本に帰らなくてはならないと思ったが、そんな簡単ではないということも理解していた。当時の俺はL.A.近郊、カリフォルニア州ノースハリウッドのスタジオシティに住んでいた。 そして連日のスケジュールはもうびっしり埋まっている。 どうすればいい? 何をすればいい?完全に混乱していた。ただ強い不安と焦りで体に力が入らず、わなわなと震えていた。
「とりあえず今から日本に帰るから、俺が着くまでそいつとはもう会うな」
「だめだよ、帰ってきちゃだめ」
「いや帰るから、だからそれまで絶対に会うなよ」
「ダメだって!本当に大丈夫だから」
きっとその男は、俺がアメリカにいてちょっとやそっとでは日本に帰ってこないと思って、つけあがっているに違いないと思っていた。だからいざという時には日本に帰ることも厭わないという姿勢を見せることで、想いでは勝っているということを示せると思っていた。それぐらい、当時の俺はまだ若くて幼稚で甘かった。
そして電話を切った後、急に立ち上がり身の回りのものを整理してトランクやバッグに荷物をつめがした俺を見てチームのメンバーが、なんとなくの状況察してか声をかけてきた。
「荷物は全部持って帰るんじゃない。必要なものだけ持って帰れ。そして気持ちの整理がついたらまたすぐに戻って来い」
「…分かった」
「そして絶対に殴るんじゃないぞ。お前はまだ殴り方をよく分かっていない。そんな状態でもし殴りでもしたら、怪我をしてお前の手は使い物にならなくなってしまうぞ。」
チームメンバーの忠告は今思うとはありがたかったが、しかし当時は、もしかするともう二度とここには帰ってこないかもと思って荷物をすべてまとめて持って帰ることにした。そして親父に電話をして、急遽日本に帰ってもいいかを確認した。当時日本行きのチケットは今とは違ってかなり高かった。だからそれを手持ちの現金での用意は当時の俺にはなかった。だから親父にお願いすることにした。
「ごめん、ちょっと頼みがある」
「どうした」
「急遽日本に帰りたいだからフライトチケットをとりたいんだけど買ってくれないかな」
「分かった、どの便だ」
この時親父は俺に何の理由も聞かなかった。俺が普段親父にお願いをすることなどなかったから、よほどの理由があったのだろうと思ったと後に語ってくれた。 そして購入できるフライトチケットの中で最も最短で帰れるもの親父は手配してくれた。ロサンゼルス空港から日本直行便だ。
とってくれたフライトは大韓航空。当時の大韓航空はかなり揺れた。遊園地のアトラクションを遥かに凌ぐ揺れと落下である。そしてさらにこちらはリアリティがある。間違えば本当に死んでしまう。ガタガタガタガタと揺れ、そして3秒ほど落下する。この3秒というのは非常に長く感じる。 機内のあらゆる場所で女性のキャーという声がたくさん聞こえた。しかし俺は不思議と恐怖を感じなかった。むしろいっそこのまま落ちてニュースにでもなって、彼女やあの男が後悔に苛まれればいい、などと考えていたりもした。そしてその時に聞いていた曲は今はもう絶版になってしまって手に入らなくなってしまったけど、ここ十何年間は聞きたくない曲だった。9時間ものフライトの間、その曲をずっとルーティンして聞いていた。当時は CD プレーヤーだったが、途中で乾電池を一回換えた方のを覚えている。 その男の顔を見たら何を言ってやろうか、そもそも一体どういう男だろうか、何の仕事をしているやつなんだ、何で知り合ったんだ、どうやってそういう仲になったんだ、など、いくらでも疑問が湧いてきたが、機内のあの状況では何の答えも出ぬまま、ただただエコノミークラス狭い座席の中で小さくなって日本に到着するのを待った。いつもなら座席に座った時点で、離陸の瞬間を迎えることなくすぐ眠りについてしまう俺だったが、この時は一睡もできなかった。
そして日本について一旦自宅に戻り、家の電話から彼女のPHSに電話をかけ、 留守番電話に今から会えないか、と残した。すぐに折り返しの電話がかかってきて、仕事が終わった後なら大丈夫だと言ってきた。とりあえずまず二人で話そうと伝えた。会う場所は近くのスーパーの駐車場を指定してきた。そこなら車通勤の彼女も行けると。なぜ俺の家じゃないんだ?と思ったが、その謎はすぐ後で解けることになる。
待ち合わせの時間になって、彼女は車でやってきた。スーパーの広い駐車場のすみっこのスペースに車を停めたことで、周りには何もない空間ができていた。 そして少しずつ事情を確認するために質問をしていった。
まず相手の男の年齢は29歳。俺と同級生だった彼女と比べると9歳の年上。 仕事はPCの販売員。 知り合ったきっかけは、職場の新年会の2次会に、先輩社員の友達として合流してきたのがきっかけ。第一印象は俺と似ている雰囲気があったということであるが、話していくとその印象はかなり変わったという。 そしていろんな話をする中で、向こうが彼氏である俺の事を色々聞いてきたという。それに対して答えてたらいつのまにか相談をするようになっていたということらしい。
この辺りまで聞いた時点でかなり腹が立ってきていたが、ぐっとこらえてさらに質問を続けた。
そこから複数人で会うようになり、そして次第に二人っきりで会うようになり、 車で泊まりのデートに行くようにまでなった。初めは車中泊だったという。そしてそれから何度も泊まりがけでデートに行ったらしい。俺とは高校生だったと言うところもあるが、彼女の親が反対するからという理由で泊まりのデートは禁止されていたため嘘をついてまでして行ったたった2回しかないのに、と、また腹が立った。 当時の俺は自分が食っていくことがやっとの状態で、彼女とのデートもお金を使ったような良いデートをしてやれなかった。相手は29歳独身。少なくとも当時の俺よりは稼ぎがあったはずだ。その時に悔しいというより卑怯だと思った。恋人が夢を追ってアメリカに行った、遠距離で近くにいない状態を狙ったハイエナのようなやつだなと。なんてダサいんだと。そして当時貧乏だった二十歳の俺にはできない戦法で攻めていたんだなと。
そして二人きりで話しているうちに、罪悪感からか徐々に彼女の瞳は涙で潤んできていた。それは罪悪感からなのかは今となって分からないし、もしかするとこの時気持ちは固まってたのかもしれない。こればかりはもう今となっては確かめようがないが、ただもうこれ以上質問するのはやめようと思って「もういいよ」一旦話を終わらせた。
「でも、帰ってきてくれて嬉しかった」
「いやこの状況なら帰ってくるだろ」
「仕事は大丈夫なの?」
「いや全く大丈夫じゃないと思う。分からない。でももうそんなことはどっちでもいい」
久しぶりに会ったというのにどうでもいい雑談が思い浮かばなかった。質問を終えた後はかなり長い沈黙が続いたと思う。もしかするとあまり長くなかったのかもしれない。 気分が滅入ってる時は、短い時間でも長く感じるし、何も考えられない時は、長い時間でも短く感じる。あの時は気分が滅入ってる上に何も考えられなかった。だからどっちなのかわからない。
その沈黙を破ったのは一台の白いワゴン車だった。彼女の車のすぐ隣に止まったワゴン車から出てきた男は色黒細めの面長の男だった。その男だとすぐに分かった。29歳のその男だ。俺から彼女を奪い取ろうとしているその男である。 向こうは車を降りるなりいきなり彼女の方を向き、 いきなり下の名前で呼び捨てで呼んで「大丈夫だったか」と言った。もうすでに彼氏ヅラだ。だめだ、こいつは殴らなきゃ、と殴りかかろうとしていたのかもしれない。彼女に「手だけは絶対に出さないで!」と大声で止められた。
じりじりと歩み寄って手が届くギリギリの距離にまで近寄った。すると男は言った。
「殴りたいのか?殴ればいいよ。きっと力じゃ負けるだろうな俺は」
俺は相当むかついていたが、ただ黙って睨みつけた。
そして
「あんた恥ずかしくないのか?遠距離で彼氏が不在中の女に手を出すなんて姑息な手を使って、あんたはよっぽど臆病なんだな」
すると
「お前の話は聞いている。お前の方こそ彼女を悲しませてるじゃないか。お前が不在の間、寂しがっている彼女を支えていたのは俺だ」
いやだからそれが姑息なんだよ、寂しい心の隙間を狙った姑息な戦法なんだよ、てめえ自分が姑息だってことに気づいてないの?29にもなってそんなこと気づかないなんてことはないよね?と心の中で思ったが、口にはしなかった。 なぜだろうか。別に口にしてもよかったと思うが、なぜかその時は言えなかった。言ってしまったら自分もかっこ悪い奴になり下がってしまうと思ったのかもしれない。
そして
「ちょっと外してくれ。彼女と二人にさせてくれ」
と言って、男を外させた。
そして彼女と話し合いをつけようとしたその時、彼女が急に男の方に擦り寄って行った。男が縁石の上にへたり込んでしまったのである。座り込んで泣き出してしまった。めちゃくちゃダサくないか?やっぱやめとけよあんなやつ、男のくせに人前で泣いちゃうようなやつだぜ、と心の声は彼女に語りかけていたが、しかし彼女の行動は意外なものだった。
「泣かないで、大丈夫だから」
と男の肩を抱き寄せていたのだ。
その姿を見て俺は悟った。もうここに俺はいないんだなと。もうすでにここに俺が入る余地はないんだなと。彼女の中にはすでにあの男がいて、あの男との未来がすでに始まっているんだなと。 この時、俺たちは終わったんだなと悟った。
その帰り道、地元の同級生に会った。実はそいつは駐車場の場面から見ていたらしい。 どうした?大丈夫か?と声をかけてきてくれた。俺は愚痴るように一部始終を話した。その同級生は一緒になってその男のことを悪く言ってくれたが、それよりも俺のことを心配してくれていた。何よりも、なぜ今日本にいるんだ?と不思議そうだった。
その友人と別れた後、一人家に帰る途中、いろんな考えが巡ってきた。
俺が16歳でアメリカに行ったのは、彼氏として自慢ができるような、そんな存在になりたかった、という、彼女を幸せにさせるための方法として行ったんじゃなかったのか?なのにここで別れてしまったら、何のためにアメリカに行ったのか、分からなくなってしまう。もうアメリカに行く理由などないんじゃないか。彼女のためと思ってアメリカに行ったことが結果的に別れる原因になってしまった。これじゃ本末転倒だ。 あの男はごくごく普通の男じゃないか。何の取り柄もなさそうな、普通のサラリーマンじゃないか。結局はそばにいて寂しさを紛らわしてくれる人間がいいのか。俺はあの男のような普通のサラリーマンが結婚相手になるなんて、彼女は自慢できないだろうなと思って、人と違う人生を歩む人間が結婚相手ならこの子も誇らしいだろうなと思って、アメリカに行ったはずだったのに。もういい、アメリカに戻ったってしょうがない。もうやめよう。 もう全てを投げ出したい。
迷いや後悔がほとんどの、答えの出ない自問自答ばかりを繰り返してしまう帰り道。道は真っ暗だったが、その暗さが余計に、自分の頭の中で巡り続ける考えを強化しているようだった。
家に着いたら、遅い時間なのにも関わらず、親父が起きてダイニングでテレビを見ていた。そして何事もなかったかのように、「アメリカはどうだ?」と話しかけてきた。一通りたわいもないことを話したが、あまりにも俺が帰ってきた理由を聞かないので、俺の方が痺れを切らして自分から帰ってきた理由を説明した。しかしその説明をしている最中に、なんだか自分が情けなくなってきた。なぜなら親父は、俺が6歳の時に離婚をしている。その離婚の形が、他に男を作って逃げられた、というものだったからだ。俺はそんな過去を持つ親父の前でそんなことを話していることが、なんてくだらない理由で自分の夢をアメリカにおいてきて日本にのこのこと帰ってきてるんだ、と自分が恥ずかしく感じられた。
「今の俺の気分に比べたら、当時の親父はもっとつらかっただろうな」
「まあわしも未だに女の気持ちは分からんからな」
「母親どんな気持ちだったんだろうな」
「そう思うなら直接本人に聞いてみるか?」
いきなり親父が母親のことを口にするなんて思ってもいなかったから驚いた。
両親が離婚してから、母親に関することはタブーになった。俺は父親に引き取られたため、父親側の親族は母親の事をかなりを悪く言っていた。当時の俺は子供だったため、大人の言うことをそのまま鵜呑みにし、母親が悪い存在なんだと思い込まされていた。写真も全部なくなっていたし、母親のことを口にすることはなかった。離婚してから1年が経った頃だろうか。家に電話がかかってきた時に「…わかる?」 という女の人の声がすぐに母親だとわかったが、なぜか急に怖くなって電話を切ってしまった。そばにいた家族には「誰からだ?」と聞かれたが、間違い電話だったと答えた。 それぐらい母親に関しては長い間自分の中の触れてはいけない領域であって、そしてもうなかったことかのようにその存在すらも忘れていた。 両親が離婚してからというもの、父親は俺と弟を親戚や友人の家に預けるようになり、いろんなところを転々としてたらい回しにされていた。行くところ行くところでは、大体同年代の子供がいる家がほとんどだが、その家の子供は俺に何々が食べたい、飲みたい、などと言っては冷蔵庫開けたりわがままを言ったりもしていたが、 当たり前だができなかった。小学生だった俺たちは大人よりも早く寝かしつけられるので、俺達が寝ていると思って大人たちが話していた会話を聞いたことがある。
「いつになったら兄貴は子供をちゃんと引き取って育てるんだ」
「いくら仕事が忙しいと言っても公務員なんだからこんな夜遅くまで働くなんてことないだろう」
「どうせ飲み歩いていや家にでもなってるんじゃないの」
「上の子は聞き分けがいいけど、下の子はちょっと手がかかるから預かるのは嫌だな」
どこに預けられても肩身が狭かった。弟がまだちっちゃかったため事情が飲み込めておらず、言うことを聞かない時も多かった。その度に言うことを聞かないと俺とお前は離れ離れになるぞ、と思い弟を叱りつけたことも何度もある。だけどそんなことですぐに聞き分けが良くなるわけはない。聞き分けが良くならない弟に対して「何で言うこと聞かないんだ」どう悔しくなることも多かった。小学校3年生になると、親父が家に帰ってこなくてもいいから、家で勝手に過ごすようにすると親父に話して、親戚中をたらい回しにするはやめてもらった。こういう境遇になってしまったのは母親のせいなんだと思うこともあったが、ただ親戚中があれほどまでに悪く言うほどには母親は悪くはないんじゃないかなとも思っていた。あの優しかった母親が、俺たちを置いて出て行くという心変わりをするということに、人の気持ちというのは簡単に変わってしまうんだな、という人間の心の不安定さにもどこか免疫が付き始めたのかもしれない。
そんな俺の中の大きなタブーであった母親に関して、父親の方からそのきっかけを渡してくると思わなかった。
「お前ももう二十歳だ。自らの意思で母親に会う権利がある。もし会いたいなら会わせてやろう」
そして翌日の昼過ぎに会うことになった。意外に近くに住んでいたようだった。とんでもなく遠くにいるとか、あるいはもう生きていないかもとか、そんなふうに考えていたので、ずっと近くに住んでいたということに驚いたが、実は離婚してから現在までの間、節目節目で撮る記念写真や、新聞や雑誌に載った記事やテレビに出た録画のテープなど、親父の方から俺の近況はその都度その都度伝えていたらしい。だから大体は俺が何をしているか知っているらしい。俺がアメリカに行ったことも知っていたらしい。直前に掲載されたニューヨークの新聞も渡してあったらしい。俺の知らないところで、俺のことをずっと応援してくれていたということをこの時初めて知った。
そしてカントリー風のステーキハウスのようなレストランで母親は先に座って待っていた。遠目から俺を見た瞬間からボロボロと泣き出してしまった。もう二度と会えないと思っていたと。二度と会えない辛さを味わって生きていくんだと思っていたと。そして俺から会いたいと言ってくれたと言うことに対して嬉しさと申し訳なさがあったということ。そして俺には妹がいるということを、ここで初めて知った。
そしてその妹は生まれた時から母親から聞かされて俺の存在を知っていた。一生会うことはないかもしれない兄の存在に、妹はどう思っていたんだろうか。妹を産んだのは、俺と離れ離れになった寂しさを埋めるため、という母親の正直な意見を聞いた時、 彼女のためにアメリカに行った、だなんて言っていた自分がますます恥ずかしくなった。
この時俺は決めた。誰かのためにと夢を語って生きていくのやめようと。自分のために夢を持って生きていこうと。俺が何かを目指し行動することによって、誰かの勇気になったり心の支えになったり、誰かのために夢を追いかけてしまったらその誰かがいなくなってしまったら俺はその夢を諦めることをその誰かのせいにするだろう。今回は彼女のせいにしてしまうところだった。だからもう誰かのせいにするのはやめようと決めた。
その日の夜に親父に告げた。
「アメリカに戻るよ」
「じゃあチケットは探しとく」
そして4日後のチケットが取れた。それまでの間、親父や地元の友人がかわるがわる常に俺のそばにいてくれた、俺の気分を紛らわしてくれた。そしてフライトの前日、彼女に電話をした。
「俺のことはいいから、好きな人の所に行けばいい」
「ありがとう頑張ってね。応援してる」
彼女は俺からのその言葉を待っていたかのようだった。やっぱりそうだったんだ。これで良かったんだ。
しかし急に不安になってきた。仕事ほっぽりだして日本に帰ってきたことを。
アメリカに戻るとチームメンバーは俺が不在で穴を開けてしまっていた分を、カバーしてくれていた。本来は怒られるべきは俺のはずなのに、現場にいたチームのメンバー達がこっぴどく怒られる羽目になってしまった。それでも俺が帰ってきた時は、無事に帰ってきたことを喜んでくれた。
初めて妹の存在を知った時、妹はまだ小学校3年生。小さかった。そんな妹も今は1児の母。今もまだそれに慣れない。こないだも久しぶりに再会したが。もうすっかりママだった。しかし今も相変わらず、何かあるたびに「お兄ちゃんはかっこいいから」と言ってくる。 旦那さんの前で何か気まずい感じになるが、旦那さんは俺とは全く違うタイプで、まあ世の中そんなもんか、とか思ったりもする。
そして別れ際に言った妹の一言。
「お兄ちゃんも幸せにね」
きっと幸せそうに見えなかったのかな。