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7 Family park

 シンの帰国予定日、すなわち研修終了まであと3日と迫った日の夜。

 その出動要請は突然やってきた。


「場所は『Lake jelly family park』。ここから8㎞くらいしか離れていないレジャー施設です。クラップスの『NSAP』製造拠点がそこだと判明しました。フル装備で準備して下さい。急ぎますので詳しい話は車内でします」

 ヒロの指示に、僅か数分で準備を整え3人はホテルを出た。

 時刻は20時、眠れない夜を過ごしそうな予感がする。


「行先の『Lake jelly family park』は人造湖を中心としたレジャー施設です。市民の憩いの場と言う感じですが、こんなに近い場所に拠点があったとは・・・これが本当の『灯台下暗し』なんですね」

 ソラがハンドルを握るパジェロの中で、ヒロが説明を始める。


 FOIの調査が進み、『Lake jelly family park』の地下に『NSAP』の製造に関する中枢が存在すると解った。他のチームの潜入調査によると、現在はそこのPCでのみ製法が管理され 少しずつではあるが製造もおこなわれているらしい。

 そんなレジャー施設の地下に突入し、全てのPCやデータ、製造された『NSAP』などを回収するはずだった。今晩、閉園後に決行する予定だったが、ちょっとしたアクシデントから情報が相手に漏れた。当然クラップスとしては、園内に客がいようが構わず必死に逃走を図る。

「客たちを避難させつつ、何とかメインのPCルームだけは制圧できたようなのですが、データの一部を持って園内に逃げたクラップスのメンバーがいるそうです。園内が大混乱な上に、敷地が広いのもあって急遽応援が必要になったという事です。現時点では、メンバーは10人逃走中で、持ち出されたデータはSDカードで3枚。状況は刻々と変わる筈なので、シンはインカムを着けておいてください。基本二人で行動するように」

 ヒロの説明が終わると同時に、3人が乗った車は『Lake jelly family park』の正門前に着いた。


 ゲートで身分証(Ⅰ・D)を見せ、パーク内に入る。周囲は外に出たい人々がごった返していた。FOIの捜査員とレジャー施設スタッフが必死に対応しているが、1人ずつ一般人であるどうかを確認しなければならないため、閉園時間をとっくに過ぎた今になっても帰れない人々がひしめいている。

 人混みをかき分けて先に進むと、3人の目の前に細い川と小さな橋があった。

 シンは頭の中のマップを確認しながら、周囲を見渡した。


『Lake jelly』とは言っているが、要は大きなため池のようなもので 形は大きな真珠の指輪のようになっている。リングの部分が流れの無い川で、幾つもの橋が掛かり、渡った先が大きな島のように見える。

 そこに沢山のレジャー施設が建っていた。

 観覧車、メリーゴーランド、ステージなどの他に、レストランやカフェ。カラフルな建物はどれもメルヘンチックな装飾が施されている。おそらくこれらの施設の地下に、クラップスの拠点があったのだろう。指輪の大きな真珠に当たる部分が広いため池で、ボート遊びなどができるようになっている。橋の手前から見ると、その人造湖が左方向に広がっているのが見えた。


「僕はこの辺りで待機します。捜査する部分などはその都度インカムで指示しますので、先ずは橋を渡って中心部へ行ってください」

 倉庫群での苦い経験から、今回は安全な場所での待機と指示に徹するのだろう。

 ヒロの言葉に従って、シンとソラは橋を渡った。


 辺りを警戒しながら歩いていると、園内のあちこちから様々な音が聞こえてくる。他の捜査員たちも広い園内を走り回っているのだろう。けれど二人が歩いている場所には、人影さえない。すると、シンのインカムにヒロの声が届いた。

「園内に取り残されている人がいます。観覧車の下あたりにある緑色の屋根の建物、その中の授乳室にいる母親と赤ん坊です。父親と幼児がゲート付近で待っていたそうですが、まだ来ないとのことです。至急そちらに向かって二人を保護してください」

了解(ラジャー)

 シンはソラに内容を伝えると、指示された場所に走り出した。


 観覧車の下にある緑の屋根の建物は直ぐに見つかった。救護室やベビーカーレンタル所も入っていて、周囲より大きめの自動ドアが目に付く。

 2人は中に走りこんだ。目の前には無人の受付カウンター。

 その横にあるやや広い空間に、緊迫した状況があった。

 1人の女性が小型拳銃を構えて、赤ん坊を抱いた婦人を狙っている。

 指はトリガーにかかり、もう引く寸前だ。


 ソラは咄嗟に動き、赤ん坊ごと母親を抱くように飛びつく。

 パンッ!

 銃声が室内に響く。

 銃口に背を向けたソラの体は衝撃を受けたが、腕の中の赤ん坊と母親を押し倒さないよう何とか踏みとどまる。同時にシンは、撃った女に跳び掛り動きを封じた。

「・・・大丈夫ですか?何があったのか、説明できますか?」

 抱きかかえていた腕を緩めて、穏やかな笑顔と共にソラは母親に尋ねる。ベビースリングの中の赤ん坊は、こんな状況にも関わらずよく眠っている。

「・・・は、はい・・・ありがとうございます。この子の・・・授乳が終わって、ここに出てきて・・・そこの椅子で荷物を整理してたら・・・」

 母親は話しながら、少しずつ落ち着いてきたようだ。

「あの女の人は、後から授乳室に入って行って・・・でもすぐに出てきて『キャンディーの袋を持ち出した?』って言ったんです」

「キャンディー?」

「ええ、授乳室にあったサービスの小袋です。ご自由にどうぞって書いてありました。私は何だかビックリしてしまって黙っていたら、急に銃を取り出して『袋を出しなさい!』って怒鳴って。凄く慌てているようでした」

 母親は床に落としていたマザーズバッグに手を入れると、透明なセロファンの小さな袋を取り出す。中にはキャンディーが数個入っていて、可愛いリボンで結ばれていた。

 ソラは袋を受け取って、中身を確認する。そこにはケースに入ったSDカードが一枚、キャンディーに隠れるようにして入っていた。

 おそらくリレー形式で、クラップスのメンバーが移動させたものだろう。銃を撃った女は、指示された通りにキャンディー袋に隠されたSDカードを回収しに来たのだ。そして指定された時間内に、別の場所に移動するよう命じられていたと考えられる。園内に散った仲間たちが連絡を取り合って、逃走可能な誰かが確実にそれを持ち出せるように。


 その間にシンは女から拳銃を取り上げ、ポケットに入れていた結束バンドで手足を拘束していた。床に転がった事務員風の女は、少なくともクラップスの戦闘要員ではなさそうだ。ザっと確認を終え、シンは急いでソラ達の方へやって来る。

「大丈夫か?」

「はい、1つ見つかりました。連絡をお願いします」

 ソラはそう言って、SDカードをシンに渡す。インカムに向かって、親子の保護とメンバー1人の制圧 SDカード1つの発見を報告すると、ヒロからは現在の状況が伝えられた。

「今のところ、未発見のメンバーは7人、SDカードは後2枚だそうだ。とりあえずゲートに戻ろう」

 ソラにそう告げると、シンは母親のマザーズバッグを持って親子を守るように歩き出した。


 ゲートに向かう道は、閉園後も消灯せずにいる灯りのおかげでとても明るい。前を歩くソラの背中に気づいたシンは、そっと話しかけた。

「ソラ、血が滲んでるぞ。ホントに大丈夫か?」

 補聴器のモードを屋外に切り替えたらしいソラは、振り返って答える。

「はい、デリンジャーでしたので。弾も肩甲骨で止まっていますから、このまま続行できます」

 小型拳銃のデリンジャーは女性でも扱える代物だが、命中率が低めだ。護身用に、相手を脅す目的で使用される場合が多い。しかもあの女性は、扱いに慣れているようには見えなかった。

引き金(トリガー)に掛かった指が震えているのも見えましたので、大丈夫かと思ったんですが・・・当たっちゃいましたね」

 どこか他人事のように話すソラの顔は、いつもの穏やかな微笑みだ。

「当たっちゃいましたね、じゃねぇよ。首や頭に当たってたらどうすんだよ」

「その場合は、どうしようもないんじゃないですか?自分では」

 元々当たる可能性は相当低かったから、そこまで気にしていたら何もできないと言いたいのだろう。

「痛くねぇのかよ。出血がそれほどなくても、弾一個入ってんだろうが」

「この程度ならコントロールできます。以前も言いましたが、痛みには強いので」

 火事場の馬鹿力と同じようなもので、人間は切羽詰まると痛みさえ忘れて行動することがある。それを意識的に行っているようなものなのだろう。

「それに、ここでリタイアするのはシンとしてもすっきりしないのでは?」


 確かに研修期間はもうすぐ終わる。3か月の間、何かと関わってきた『NSAP』の件。今回の任務が成功すれば、『NSAP』に関してだけはクラップスも諦めざるを得ない。少なくとも1つの大事件が終息するのだ。シンとしては、きっちりと終わらせたいだろう。

 そしておそらくソラ自身も、そう思っているに違いない。

 普段と全く変わらず、現状に集中して平然と歩くソラの後で シンは出来るだけサポートしようと決意していた。


 ゲート近くで保護した母親と赤ん坊を引き渡した2人は、捜索に戻る。

 園内の灯りは煌々と点り、湖面や水路に美しい色を添えていた。

 けれど、あまりに広い園内に捜査官たちは苦労していた。何しろレジャー施設が集まっている中央部分以外にも、ドッグランやミニ牧場まであるのだ。樹木は多いし点在する建物や装飾物も数多くある。捜索範囲を広げ塀の外も警戒を続けているが、それでもやっとメンバー2人とSDカード1枚の発見が追加されただけである。残りはあと5人と1枚。彼らはバラバラに移動しながら脱出の機会を計っているのだろう。

 時間だけが刻々と過ぎてゆく中、新しい情報が入ってきた。メンバーはSDカード以外に、NSAPの袋を1つ持ち出していて、量は200g程度らしい。大きさとしては家庭用小麦粉1袋くらいの大きさということだ。

 捜索対象は、5人と1枚と1袋になった。



 そろそろ明け方も近いのだろう。東の空がうっすらと明るくなってきていた。

 人口湖の近くで、物陰に潜みながらシンとソラは休息をとっていた。

 想定よりずっと長時間の活動に、流石のソラも疲労を隠せていない。薄っすらと汗ばんだ額と整いづらそうな呼吸を見て取って、シンが提案したのだ。相手も移動しながら逃走しているのだから、こっちが待ち伏せてもいいんじゃないか、と。


 少しずつ明るくなってゆく東の空を背景に、人造湖はまだ様々な色の灯りを映している。薄明るくなった空のおかげで、深夜より控えめに見えてくるそれらの灯りは幻想的だ。様々な種類のボートが、簡素な桟橋に繋がれているのも解る。静かな風景は、任務中だということを忘れさせそうだ。


 今のうちに言っておこうか、とシンは小声で話しかけた。

「あのナ、こんな時にナンだけど・・・ホントに色々ありがとうナ」

 え?と振り返ったソラの黒い瞳が、湖面の光を映している。

「いや、この3か月ソラには色々と学ばせてもらったし」

「こちらこそ、です」

「ンで、一つ聞いておきたいことがあるんだけど・・・最初の頃、VIP待遇だった時に俺がソラに・・・その、夜の相手をお願いしたらどうなっていたのかって」

 ソラは少し考えるように間を置いた。

「そうですね、あの時点ではお相手を務めていたと思います。ですがそうなっていたら、シンとの関係は今のようになっていなかったでしょう」

 その後にVIP待遇が解除されたとしても、その事実は何かしら影響を与えていただろうと思える。

「そっか・・・そうだよナ。そしたら、あれはあの方が良かったのかもな」

 今は確かにそれで良かったと、素直に思える。

「それに、シンには待っ・・・来ました」

 ソラの言葉は急に中断され、細い指が人口湖の近くに立つ建物の陰を指し示す。暗闇からにじみ出るように現れた人影は5つ。園内に散っていたメンバーが集まって、逃走を決行したようだった。


 男たちは湖面を照らす街灯の灯りが届くところまで出て来た。1人は手に袋を持っていて、他の1人はスマホに向かって何かを話しかけている。

 一方シンも、インカムに向かて小声で状況を伝えていた。ソラがそっと指先を湖の対岸に向ける。チカチカと点滅する小さな明かり。おそらく逃走する仲間に知らせているのだろう。園外から警戒の目を掻い潜って入ってきたクラップスの仲間がいるのだ。外には車が待っているのだろう。

 この人造湖を渡らせてはいけない。園内に散っている他の捜査官がここまで来るには、まだ少し時間がかかりそうだ。

 この5人の足止めをしなければならない。


 物陰から飛び出したソラは、ダッシュしながら先頭の男の足に向かってウィップを飛ばす。いきなり足を取られた男はバランスを崩すが、そのままウィップを強く引かれ転倒する。ウィップを引く力を利用して、ソラは5人の正面に跳んだ。

 突然目の前に現れた人影に一瞬立ち止まった男たちだが、相手が1人でしかも女だと解ると即座に飛び掛ってくる。そこに、スピードではソラに敵わないシンが追いつき スマホを持っていた男に殴りかかった。

 相手が2人に増え、侮れないと思ったのだろう。

 後方にいた男二人が銃を抜いた。

 それを見て取ったソラは、そこで初めて自分の銃に手をかけた。

 左手を後ろに回しホルスターから小型拳銃を引き抜く。同時に右手からウィップが飛び、真ん中にいた男の首に巻き付く。右手でウィップを強く引きながら大きく左へ跳ぶと、身体は弧を描いて宙に浮いた。

 そのままの空中姿勢で、軽い銃声を立て続けに2発響かせる。

 銃を構えようとしていた男たちは、それぞれ肩と上腕部を撃ち抜かれていた。


 ああ、綺麗だ

 とシンは思った。対峙していたスマホ男を制圧し、銃声に振り返った瞬間に見えたソラの姿。

 ただ 美しい、と思った。


 疲労と怪我でギリギリの状態。

 それでも集中力で、いつも通りの行動をするソラ。

 明けてゆく空を背景に、伸びやかに躍動する肢体。

 艶やかな黒髪が灯りを映して、光の粒を纏うように広がってなびく。

 今まで見た彼女の中で、一番美しい姿だと思った。


 撃った反動は軽いものだが、体勢を整える間もなくソラの体は背中から地面に落ちた。流石に弾が1つ入ったままの肩甲骨が悲鳴をあげたようで、地面を転がりながら立ち上がる速度が遅くなる。


 そこに漸く、他の捜査官3名が到着した。

「Sky! あっちだ!」

 後は任せろとばかりに叫ぶ一人の捜査官。指さす先には桟橋に向かった2人の男の姿があった。

 先に走りだしたのはシンの方だった。

 男たちはすでにボートのもやいを外し、乗り込んでいた。1人が袋を持ち船首で前方を凝視し、もう1人が力いっぱいオールを漕ぐ。シンはもう1艘だけ残っていたボートのもやいを外すと、飛び乗って漕ぎ始めた。

 そこに追いついてきたソラが、桟橋を蹴ってシンのボートに着地する。

 後はほぼ力比べだ。男たちのボートを少しでも早く捕まえなければならない。対岸までは左程遠くない上に、向こう岸で待っているであろうクラップスの仲間たちが、銃を持っていないとも限らないのだから。その射程内に入る前に。


 死に物狂いで漕ぐシンたちのボートは、グングン近づいてゆく。あと3mで相手の船尾に届くかと思われた時、船首に立つソラが大きく前に跳び、その手からウィップが投げられた。

 オールを持つ男の首にウィップが巻き付き強く引かれると、男は前のめりに倒れこむ。ソラの体は倒れた男を飛び越して、袋を持つ方のメンバーの傍に着地した。

 大きく揺れるボート。

 前のめりになった漕ぎ手は一瞬手を止めたので、シンのボートが追いついた。

 シンはオールを水から引き上げると、漕ぎ手の男の胸元にそれを叩きつける。男は大きく呻いて一撃で昏倒した。だがシンのボートもその衝撃で大きく傾き、体が水中に投げ出されてしまう。

 狭いボートの中、袋を持った男を制圧しようとしていたソラの体に、昏倒した男の体が圧し掛かる。思わず緩んだソラの手を掻い潜り、男は袋を持ったまま船首から水の中に飛び込んだ。

 ドボン、と男が立てた水音に続き不穏な音がした。

 

 ゴボ・・・グブ・・・

 不気味な泡が水面に上がってくる。ソラは咄嗟に大声を上げた。

「シン、逃げます!」

 同時に船べりを蹴って水中に飛び込む。

 水に浮かんでいたシンも、慌てて泳ぎだす。

 すぐ後ろから、奇妙な音が迫っていた。


 袋に傷でもついていたのだろう。水に触れた『NSAP』が反応し始めたのだ。2艘のボートの周辺で、水面が盛り上がっている。振り返って確認したシンは、思わずゾッとした。

 ゲル状物質の中で泳ぐことはできないだろう。どろりとした液体の中では行動の自由も奪われる。藻掻くように沈んで溺死体となる姿が想像されて、泳ぐ手に力が入る。

 あと少しで岸に着くというところで、シンは後方を振り返った。ソラの姿は3mほど後方にあったが、動きが鈍い。やっと泳いでいるようなその姿に、シンは腕を伸ばしてその手を掴むと迫ってくるゲルの波に追いつかれまいと必死に手足を動かした。


 何とか岸に上がりソラの体も引き上げると、ゲルの波は足元まで届いていた。

(うわ、間一髪・・・)

 そう思って顔をあげると、そこにはゲル状物質で満たされた湖があった。

「・・・ゼリー湖だな、こりゃ」

「・・・名前通りですね」

 何とか上体を起こし、無表情で湖面を眺めるソラの顔があった。



 『NSAP』ごと水中に飛び込んだ男は、溺死したことだろう。ボートは昏倒した男を乗せたまま、何とかゲル状物質の上に浮かんでいる。捜査官たちが集まって、ボートと男の回収を始めていた。

 そんな光景を後にし、シンはソラと共にゲートに向かって歩いている。そこで待っているヒロの所に戻らなければならない。

「大丈夫か?抱くか背負うかするぞ」

 危なっかしい足取りのソラは、顔色もひどく悪い。

「・・・大丈夫です。うっかり背中を打ってしまって・・・でも歩けます、と言うか自分で歩いて戻りたいので・・・」

 差し出されたシンの手を、半歩離れてソラは押しとどめる。拒むような感じではなく、寧ろ申し訳なさそうな雰囲気を感じる。

 家に帰るまでが遠足、ではないが、指揮を執る上司に報告するまでが任務だと思っているのだろうか。そろそろ限界であるソラがそれを望むなら、とシンは手を引っ込めて再び歩き出す。

(俺にできるのは、見ていることだけかもしれないな)

 それでも今回は、帰国する二日前になってやっと、ソラを助けることができたのだ。今はもう、それだけで充分満足な気がする。


 車の傍に立ち待っていたヒロのところまで来ると、ソラはまっすぐに立って敬礼をする。

「任務終了、報告します」

 その言葉にヒロも報告を受けた旨を伝える。

 一連の動作が終わった後、ソラはホッと息をついた。

「・・・シン、すみませんが帰りの運転は・・・」

 お願いしますと続くはずだった言葉は途切れ、ソラはその場にへたり込んだ。そのまま地面に倒れこみそうになる体を、ヒロが慌てて受け止める。

 パジェロは附属病院に向かって、制限速度ぎりぎりのスピードで走った。



 ソラの肩甲骨で止まっていた弾は、その後の衝撃で奥まで押し込まれていた。摘出するために時間が掛かり、手術室の前の廊下で待っていた2人に呼び出しがかかってしまう。後ろ髪を引かれる思いで病院を後にしたヒロとシンは、人造湖を満たした『NSAP』についてFOIで丸一日事情を聴かれる羽目になった。

 結局その日は1日が潰れ、病院の面会時間もとうに過ぎてしまったので、すごすごとホテルに戻った2人である。部屋に入る前に、ソラの部屋にいる留守番のビートには事情を話しておく。賢いヨウムには、人間並みに対応しないといけないからだ。そして漸く、3か月暮らしたスイートルームに入った。


「一応病院に確認しましたが、手術も無事終わったので心配はないということでした。ドクター・ヴィクターが電話口に出てくれたんですが、たっぷりと説教を貰いましたよ。きっとソラも同じことを言われたのでしょうね」

 お互いかなり疲れてはいるが、それでもグラスは傾けたいのが酒好きの性なのだろう。シンがウィスキーと氷、そしてグラスを用意すると、2人はソファーに向かい合って座り飲み始める。

「あ~~、何かこう、終わったな~~って感じ」

 プハッと美味そうな息を吐きながら、一気にグラスを空にしたシンが話の口火を切る。

「明後日はもう帰国日ですからね。お疲れ様でした」

「いやいや、こちらこそ大変お世話になりました。ってな」

「何だかあっという間でしたね、3か月なんて短いものです」

「だナ、結局一目惚れも白旗掲げて降参になっちまったし」

「おや、敗北を認めると?」

「まぁね・・・ナンかさ、解っちまったんだよ。あのゼリー湖の傍でクラップスの連中と渡り合ってる姿を見た時にサ」


 綺麗だ、と。

 ただ美しい、と。

 そう思った時に解った。


「ソラはああいう時に一番美しく見えるんだなって思った。それが彼女の生き方なら、俺にはそれを丸ごと抱えるのは無理だって思ったんだよ。でも・・・見ていたいと思ったけどな。出来るなら近くで、その姿をずっと見ていたいってナ。ま、それももう不可能だけどサ。帰国しちまうし」

 シンは再びグラスの酒を煽る。

「兄貴はイイよな。まだソラと接点はあるんだから」

 いつの間にか、自然に『兄貴』という言葉が出るようになっている。

「いえ、この研修が終わったら ソラと僕はFOI内でのただの上司と捜査官に戻りますからね。今後は、距離もずっと遠くなります」

 そこでヒロは空になったグラスにウィスキーを注ぐ。見えなくても零したり溢れさせたりはしない。

「今後は、って?」

「まだ言っていませんでしたね。先日やっと内示が降りて、新しく日本にできるFOIの日本支局の局長に就任するんです」

「はぁッ⁉」

 何だ、そりゃ。慌てて口の中の酒をゴクリと飲みこむ。

「・・・栄転って事か?」

「さぁ、どうでしょうね。支局と言っても規模が小さくて、捜査官の数も6名までなので チームリーダー程度のレベルでしょう。それでも準備にはそれなりに時間かかるし やる事も多かったので、ちょっと大変でした」

 FOI内で言えば、6名だと1つのチームくらいの人数である。

「そう言えば最初に、次の仕事の準備中だとか言ってたよな」

「ええ、そうです。シンに会いに日本に行った時も、実はそれに関する出張も兼ねていたんですよ」

 成程、とシンは思った。確かに、今まで見たことも無い腹違いの弟に 会うだけにためわざわざ来る方が珍しいよな、と。

 ヒロはまたグラスを空にすると、氷を足して更に新しいオンザロックを作る。

「ですから、明後日はシンと一緒に日本に行くことになっているんです。この事は、ソラにももう伝えてあります」

(・・・え?)

 1人で色々と思い出に浸りながらの空の旅、にはならなそうだ。

「ですが、僕はまだ諦めてはいないんですよ。なので今の心境は、恋敵がいなくなったな というところですね」

 何だか頭が混乱してくる。重ね続けているグラスのアルコールの影響もあるかもしれないが。

「いずれ彼女は、ご両親の遺骨を持って日本に来ると思いますから、その時がチャンスだと考えています。諦めるつもりは、全く無いんですよ。今はソラも、その事で他の事を考えるような余裕も無いでしょうけど、納骨が終わってからなら落ち着くと思います」

 コイツはどうして、かなりの粘着質なのかもしれない、とシンは呆れる。


 とは言え、この3か月でこの兄から多くの事を学んだとも思う。

 日本に来るのなら、きっとこの先も付き合いが続くのかもしれないな、と。


 研修中の3か月を思い出しながら、話に花を咲かせる兄弟は、睡眠不足と疲労とアルコールのおかげで、いつしか揃ってソファーで眠り込んでしまうのだった。


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