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人間以下の人間は何者か ─次世代の知的生命体《AI》─

作者: 橘雪音

曰く、人間が行う思考は非常に崇高なものだという。パスカルはこれを、「人は考える葦である」と表現した。意見の所有とは、我々を人たらしめる上で不可欠な行為であり、ある現象に対する思考や解釈により、自己の確立を行う。だが私は、意見を発信出来ない。それは、その事柄に対する関心を受けないからか、思考の停止によるものか、その両方か。或いは全く別の要因かもしれない。何にせよ、意見を所有することは社会に生きる上で必要とされており、その力を得ることが私の喫緊の課題であると考える。

時折、私は友人に意見を求められることがある。内容はその時々によって異なるが、その多くは私にとって興味のないもの、それゆえの知識不足なものであり、その要求に対する反応として、私は相手の意見を考え無しに肯定、賛同してしまうことが多々ある。このような意見を発信できないことによる障害は、社会進出によってより顕著に現れる。方針の決定、上司とのコミュニケーション、グループワークでの意見交換、意見は質より量と謳われるように、社会は常に膨大な数の意見を我々に要求する。そうした社会慣習において、私のような物事に対する思考を停止し、意見の発信を行わない人間は必然的に淘汰される。現在注目されている「AI(人工知能)」でさえ、過去のデータを照合することで、ある程度の推論を述べることが可能である。私を始めとした意見の発信能力に欠けた人間が、AI(人工知能)に劣った存在と評価される未来も、そう遠くはないだろう。AI(人工知能)が技術的特異点シンギュラリティを迎える前に、一部の人間が「人間」という存在に劣るという不可思議な現象も、最早起こりつつあるのかもしれない。

そのような「人間に劣る人間」とならない為にも、私は今後人とのコミュニケーションを、これまで以上に行うべきだと考える。人が会話の中に含める情報は非常に多く、社会情勢、流行、相手が好きな専門的な知識、意見の発信には関係のないような話だとしても、こうした内容は自身の見識や価値観を広げ、意見に多彩さと深みを与える。興味がないからと、鎖国的に外部の情報を遮断するのではなく、寧ろ受け入れることによって、人間としての通過点である「意見の所有」を得ることに繋がるのではないかと私は考える。

彼が述べた哲学は、この社会に生きる現代人への風刺である。国がそうしたから、著名人がそういったからと妄信する人々が増えつつある今、我々が所属する現代社会は「人に劣る何者か」を産み出そうとしている。社会はすでに、人間かそれ以下かの選別を、この社会生活を通して行っているのかもしれない。そうした社会の選別を通過する上でも、私は自分の意思を強く持たなければならない。現代社会が生み出した存在にならないためにも。



閲覧ありがとうございました。この作品は、「自己分析をした後、卒業までに直せるところを800字以上で書け」という課題で書いたものです。(楽しくなって自己評価の部分がメインではなくなってしまったのですが)

次投稿する時は、AI関係かちょっとした思想or哲学っぽいのを書こうと思います。いつか思想とか哲学をテーマにした小説を書きたいので、それに向けてアイデア出しをしていければと。

何か感想、ご指摘ありましたらお願いします。よろしければ星みたいなのでも評価をお願いします。

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