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君と過ごせる魔法のような日常  作者: 菜乃音
第二章

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八十一:約束は星空の下で

 清が息を切らしながら食堂へ勢いよく入れば、透き通る水色の髪と瞳を持つ少女――灯が椅子に座って待っていた。

 灯は来たことに気づいたらしく、椅子から立ち上がり、静かにこちらへ近づいてくる。


 灯が何か話すよりも先に、清は口を開いた。


「灯、待たせてすまない」

「私が好きで待っていたことですから……清くんは何も気にしなくていいのですし、謝る必要はないのですよ?」

「……いつもありがとう」


 そう言った清の心を揺さぶるかのように、灯の顔には満面の柔らかい微笑みが咲いていた。

 清が自分のだけにしたい、と思ってしまうくらい愛おしい、二人の時だけ見せてくれる微笑み。

 灯の微笑みに見惚れていた時、灯は清の手を優しく取る。そして、小さな両手で温かく包んできたのだ。


「清くん、今すぐご飯の用意をしますから。待っていてくださいね」

「……灯は食べてないのか?」


 その瞬間、灯は小さく微笑みながら清を見てくる。


「一人で食べるよりも、二人で食べた方が美味しいですよ」

「本当に……ありがとう」


 この一日で、どれほど優しさを受け取っているのだろう。

 そして、灯と居られる時間の大切さを、何回も改めさせられている。


 灯に任せきりを避けたい清は、食事の準備を出来る範囲で手伝った。


 食事の準備ができ、互いに席につけば、感謝をしてから箸を進める。

 箸と皿の当たる小さな音だけが、空間に鳴り響いた。

 灯も灯でこちらに聞きたい事はあるだろう。

 多分お互いに話す機会を窺っているのと、二人だけで食べられるこの時間がいつも通りで、どこか安心しているせいなのかもしれない。


 黙々と箸を進めていれば、コップに入っていた氷が崩れる音を立てた。


「清くん……お風呂から上がった後、一緒に星を見ませんか?」

「分かった。二人だけで星を見ような」


 灯は清の言葉に何も言わず、頬をうっすらと赤めながらうなずいた。

 頬を赤らめている灯から、何でこの人は鈍感なのだろうか、というような視線が清に飛んできている。しかし、清はその視線の意味を理解することなく、不思議そうに首をかしげた。


 食器の片づけが終わった後、清は先にお風呂に入らせてもらっていた。


(……灯に、何て言えばいいんだ)


 灯に対する思いは変わっていない。だが、自分が魔法から目を背けていたという事実を、嘘をついていた事を伝えるかどうかで悩んでいた。

 自らの心を欺くだけでなく、一番近しい大切な存在にすら嘘をつき、騙していたのだから。

 灯の事だから、清くんが自分を守ろうとしていたのは知っています、とか言ってくるのだろう。


 そして、自分を責めないで労わってあげてください、とも言ってきそうだ。


 清自身が一番良くわかっている。弱さも、自分を信じ切れていないことも、一人で抱え込んでいたことも。


「常和にあれほど一人で抱えこむなよとか言っておきながら……俺が一番一人で抱え込んでいたんだよな。本当、馬鹿みたいだよ」


 清はそうポツリと呟き、お風呂から出た。

 体操服を着て部屋から出れば、灯が部屋の外で壁に背を預けて待っていた。


「灯、お風呂どうぞ……なんだよ」

「清くん、そこの椅子に座ってください」


 灯は部屋の中にある椅子を指さし、清を見てくる。

 灯に言われるがまま、清は後ろを振り向き椅子に座った。

 木製の椅子なのもあってか、小さくきしむ音を立てている。

 清が椅子に座れば、灯は清の後ろに立ち、魔法印(まほういん)の付いたドライヤーを手に持っていた。


「清くん、熱かったら言ってくださいね」

「え、ああ?」


 灯はそう言って、清の髪を温風にさらす。

 普段からヘアケアというものをしない清は、慣れない温かな風と灯の柔らかな手つきに、どことなく優しさを感じた。

 また灯に髪を触られているせいか、清は頬が熱くなっていた。

 髪を触るのは自分だけ、と思っていた節もあるが、手入れを真面目に出来ていない自分の不甲斐なさを痛感するせいでもあるだろう。


 灯に髪を触れられるのなら手入れを教わっておけば良かった、という思いは後の祭りに過ぎない。


「清くんは髪をちゃんとケアすれば……もっとかっこよくなれるのに」


 ドライヤーの音に混じりながら、灯は小さく呟いた。


「今後は気を付けるよ」

「……気をつける気があるのでしたら、シャンプーが自身の髪質に合う物を使うといいですよ。あとは、リンス……別名コンディショナーもちゃんと使うべきです」

「なんで髪に合ってないのを使っているってわかるんだよ……」

「清くんの髪なら、触ればわかります」

「そういうもんなのか?」

「そういうものなのです! この馬鹿」


 灯がなぜ怒ったのか分からない清は、目をつむり、ひんやりとした空気の通る感じを味わった。

 灯に髪を乾かしてもらった後、部屋の外で壁に背を預け、清は灯がお風呂から出てくるのを待っていた。


 清としては当然であるが、お風呂を覗こうとか、突撃しようなど、若気の至りをする気は一切ない。それは男としてではなく、自分の未来を思ってだ。

 付き合い関係なく女の子と一緒に居ると、何かと感覚が狂いやすい節も影響しているだろう。

 全般の男がそうか、と聞かれれば否だ。


 ふと気づけば、灯が顔を覗かせてこちらを見ていた。

 ドライヤーの音が微かに聞こえていたので、覗かせていてもおかしくはないだろう。


(ほんと、灯に似合っているな)


 ネグリジェを着ている灯は、いつ見ても可愛いと思える。


「お待たせしました」

「別に待っていないよ……じゃあ、このまま星を見に行くか?」


 灯が何も言わずにうなずくのを見て、清は静かに灯の手を取り、渡り廊下へと向かった。


 渡り廊下の戸を開ければ、ひんやりとした空気が流れ込んでくる。

 お風呂場は四人の泊まる部屋と同じ小さい校舎にある為、お風呂後に通ることが無いのは救いだろう。


 渡り廊下の中心へと向かい、二人でその場に座り、足を宙に浮かせた。

 清はそっと、灯の肩に魔法で創りだしたブランケットをかける。


「あ、清くん……ありがとう」

「魔法ですまないな」

「気にしていませんよ。嬉しいですから」


 そうして、二人で夜空にまんべんなく輝く星を眺めた。

 月はどこか違う場所、もしくは雲の中にあるのか、星の明かりだけが今は頼りになる。


「清くん……自分の記憶、思い出しましたか」


 そう言って星を眺めている灯は、多分わかっているのだろう。


「星夜の魔法……あか――」


 言葉を続けようとした瞬間、灯の顔が近くに迫ってきていて、清は息を呑んだ。


「清くん、唐突で悪いのですが……私を、清くんの魔法で怯えている私を……救ってください、助けて……」

「助けるって……」

「言葉が……悪かったですね」


 灯はそう言って、小さく息を吸う。

 それでも、灯の瞳は今にでも泣きそうな程うるうるしていた。


「本当の魔法が戻ってしまった時、清くんが壊れてしまうんじゃないかって……私はずっと心配でした。魔法が私達の全てを、世界を、生き方を変えた。そのせいで、清くんは記憶を失い、私の事を忘れてしまった」

「あかり……」

「だから、もう迷いたくなかった、大切な人を二度も失いたく、なかった……」


 灯の頬に、小さな雫が流れていた。

 今まで溜めていた、想いそのものが具現化したのだろう。

 清は灯の背中に手を回し、頭を撫でながら灯を包み込んだ。


「灯。俺はもう迷わない。幸せや楽しいも全てを失わせない。今度は俺が灯を救ってみせる……俺は壊れもしない、失わせない。だから、今は俺を信用して、頼ってくれ。以前から君が俺にしてくれているように」

「約束、ですよ」

「ああ、約束だ」


 清は灯をそっと離し、二人で小指を結ぶ。約束の証を星空の見守る下で。

 頬を拭いながら、小さな笑みを顔に宿す灯は、清の目にとても輝いて見えた。


 しばらくの間、二人で寄り添いながら、無言で星を眺めていた。

 それでも、握った小さな手を離すことはない。

 二度と失わないように。


「清くん、明日の自由時間……今日見た湖に行きましょう」

「あの湖に?」

「ええ。そして最後の記憶のカケラに終止符を打って、清くんは自身を、私は清くんに救ってもらいます」

「ああ、絶対に終止符を打ってやる。約束、だからな」


 清がそう言った瞬間に映りこんだ灯の瞳は、星の明かりを写しこみ、とても輝いて見せてくる。

 灯はぽつりと止まったような状態の清を不思議に思ったのか、ゆったりと首をかしげてみせた。


「清くん、目をつむってください」

「え、なんで?」

「……いいから」

「はいはい」


 灯に言われるまま目をつむれば、灯の手が目元を払ってきているのがわかる。

 気づかないうちに埃でもついていたのだろうか。

 灯の気づかいを嬉しく思っていた瞬間、清の頬を柔らかな感覚がかすめてくる。


(……え?)


 焦って目を開けば、灯の頬はうっすらと赤みを帯びていた。

 清の脳は急な出来事に考えることを拒み、困惑だけを生み出してくる。


「――灯?」

「……あの日の約束、私はずっと待っていますからね。部屋、帰りましょうか」


 清の思うような返答は返ってくることなく、灯は清の手を取った。

 そして、清は灯に手を引かれてその場を後にする。


 味合うことがないと思っていた柔らかく残った頬の感覚に、清は頭が真っ白になった。

 呆然としきった清は、ただただ灯に手を引かれるしかなかった。


(ほんとうに、なんで……)


 清が困惑している中、灯の顔にはどこか柔らかな笑みが宿っていた。

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